michiro-Uのときどきトランス日記

2018年12月17日 (月)

* ときどきトランス日記No90 / 再びバルセロナへ。

再訪。

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タクシーが旧市街にさし掛かると、やっぱり嬉しい気持ちになった。
待っていた宿は、多分今回の旅では一番ではないかと思う。

再訪だし、もうとくに観光もせずにゆったりと過ごそうと決めていたから、此処は本当にぴったりだ。
古い石づくりの堅牢そうな建物のなかの最上階。
キッチンの付いた広いリビングから階段が続き、上に寝室と屋上がある。

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ここでの4日間は散歩や買い物に出るくらいで、すれぞれがすきなことをして過ごしていた。
スーパーマーケットを巡り、自炊のための買い物は楽しいもの。ぼくは殆ど何も作らなかったけれど、大友人の作るパスタや野菜スープはとっても美味しかった。
料理を作り、道を正確に歩き、お店の判断が早い。どれもがぼくにはないもの。
流行っているお店や人だかりしていると、必ず覗き込み、何故そうなのかをじっと考えている。
解らなければ、どんどん分け入っていく。遠慮は一切しない。
それを「勉強なので」とさらりと言える。
ぼくにはないもの。

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洗濯機が付いていたので、早速溜まっている洗濯物を入れるも、途中で動かなくなって閉口。どうやっても復活しない。
なので、びしょびしょの洗濯物抱えてコインランドリーへ行ったりもした。

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たくさん音楽を持ってきて良かった。
音が良い、何処でもそうだった。石の壁から跳ね返る音の粒がわかるんだ、こっちの住居は。だから大きな音は必要ない。

ワインも飲んだ。
今回最安値の1本€1.25のは流石に駄目だった。日本円にして¥163。やはり€3くらいは出さないとね。
でもビールなんかはハイネケンやサンミゲルが50円くらいで売っているので有難い。
野菜はオーガニック専門のスーパーで買っていたからかな、どれも微かな野性味があって美味しい。人参やトマトの味の強味、それと卵も美味しかった。
スペインの食文化が自分には合うのかも知れない、と思う。
こういう食材で作った家人の手料理を食べてみたいなと思う。

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三日目にピカソ美術館へ。
色んな時代のピカソを時系列で展示していて楽しめる。
今ならコンピュータグラフィックスで描きそうな、キュビズムの頃の作品が、あぁ、これを本当に描いたんだと驚きを感じる。
50年代にやっていた、コラージュしたピンナップガールの写真に自らの絵を添えたシニカルなシリーズは知らない顔だった。
晩年期の単純画というか、幼児的な作風のものが多く、知ってはいたけれども、実物を見るとやはり打たれるものがあった。
この頃の陶器も素敵だ。
ゲルニカは此処ではないけれど、この絵がぐしゃりと潰れたらゲルニカになるのだろうなという作品を見た。

外に出れば町のそこらじゅうがグラフィティアート。ピカソも吃驚だ。
この旅で訪れたどの街もそうだった。アートと言えるものが多い。レベルの高さを感じた。
グラフィティアートのすきな人にはヨーロッパの旅は良いのかも知れない。

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最終日は市場やアンティークの蚤の市やスーパーマーッケット。
今回外食は1回だけで、あとはすべて自炊をした。大分節約も出来たな。

明日は起点に戻る。アムステルダムへ。

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2018年12月15日 (土)

* ときどきトランス日記No89 / ベネチアで。

ベネチアとベニスが同じだなんてことも知らなくて。
「ベニスの商人」を高校生の時に読んだような気もする。シェークスピア。
お金の貸し借りの話だったようだけれど、もうあらかた忘れてしまっている。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」は美しい風景としょぼくれた小説家の対比のイメージばかりが残っている映画。

ベニスの空港に着いたのはもう夜だった。
マドリッドで国際線に乗り換えたりがあったので時間がかかった。
霧のたちこめる空港からバスに乗った。
もうそれで市街に着いて、すぐにホテルなのかなと思っていたら、バスは船着き場で終点。

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あぁ、此処から船に乗るんだ、、
それが海なのか河なのか判然としない真っ黒な広い水面を見て思った。
霧はさらに濃く、遠くの灯りが滲んでいる。
ぼくは後方の小さなデッキに座り込んで、後ろから前へ流れゆく動く劇場の如くを見ていた。
左右に回り舞台のある幻想劇場を自分は中央で観ている。

デッキにいたもう一人の乗客は貧しそうな黒人男性で、随分の高齢に見えた。瓶のビールを喇叭飲みしながら、じっと流れゆく後方を見ている。
老人の眼差しにはいつも過ぎ去った自分の人生が混じっている。そこにはもう未来は含まれていないのだと思う。

いくつもの駅を通った。人が乗って、降りて。
小さな灯り、煌めく灯り、豪奢なホテルの灯り。夜と霧の演出するショートフィルム。
ホテルの並ぶ船着き場で下船。
あぁ、このどれかのホテルなのかなと思っていたら、乗り換えて更に町の奥へ。

そうして目的地の駅。
さっきの乗り換え駅と違って暗い。
霧とぼんやりした灯りの狭い石の路地を歩く。

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背の高い石の建物が左右に迫り、すでに映画の中に迷い込んでいた。
このまま霧の向こうへ消えてゆく自分を、ぼくは後ろから見ている。

古色蒼然とした古い古い石の小さなホテルさえ、まだ映画の続き。
けれど激しい空腹感でリストランテを探し、スパゲッティが来る頃には映画はやっとフィーネ。
こっちではパスタとは言わない。スパゲッティなんだ、

なんの予備知識も持たずに来たこの国で、僕がいちばんしたかったこと。スパゲッティを食べること。
もうそれが叶ってしまった。
ひどく美味しかった。
映画のエンドロールのなかでぐっすりと眠った。

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ベネチア2日目。

朝食の付くホテルは久し振り。
豪華ではないけれど、ハムやチーズ、そしてクロワッサン。これはプレーンとチョコレートがあって、どちらも凄く美味しかった。
たっぷり食べて、最後に果物やヨーグルト。そして珈琲。
豆乳まであって、これは寝る前に飲みたいなと思ってポケットに入れた。

外に出ると快晴。暖かかったスペインに比べるときりりと寒い。
町の景色は一変していた。
これが夕べのあの暗い路地?

ホテルの裏側の真っ暗でちょっと危険そうな広場には市場が建ち、野菜や果物が零れている。
路地にはお店が点々と、うるさくないくらいの賑わいで並んでる。バールやワインショップや生活雑貨、スーヴェニールショップ。

ヨーロッパの商店は閉まるのが早いけれど朝は早くから開けている。
早朝の散歩で買い物が出来るなんて有り難い。

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此処もまた迷路。
路地、路地、路地。
太い路地、細い路地、複雑に入り組んでいる。
そこに更に縦横無尽に運河、水路が入り込み、今度は映画どころではなく、エッシャー的騙し絵の中。

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ぼくがベネチアに来る理由になったお店があるので、まずそこに行きましょう、ブックショップなんですが、、と、大友人によろよろと附いて行き、町の奥へ。

そうしてこの町と水との関係に初めて触れることになった。

お店に入る。入り口は狭いのに奥へと広がっている。
古書店だ。でも紙のものならなんでもありそう。雑貨や古いレコード、ポストカード、写真、わくわくするものが雑多に、でも物凄くたくさん溢れている。
すぐに大好きになったお店だけれど、実は、、

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古いレコードに夢中になっていたら「道郎さん、こっちです」って奥に案内されて吃驚。
店の奥は水路に面していて、溢れた水が店内に流れ込んできている。
お店の奥は水路の水面と繋がっていた。

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少し高くなっている裏庭の如きスペースには大型の辞書が山と積まれ、階段状に固めてあって、どうぞ昇ってくださいと。

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路地からこの店眺めると、建物が少し傾いている。
可笑しな店。愛すべき店。
ぼくもベネチアでいちばん好きな場所になってしまった。

ところで、ぼくの知識。
ベネチア=水の都。あぁ、運河とかたくさんあるしね。ゴンドラとかに乗って遊覧するんだよね。

ではあるけれど。

水と共存している町だ。
水と町の境界線のない町。隣接ではなく水と町が融合してしまっている。そういう時間のある町。
水路の水が穏やかに、でも溢れだしている。これが見れるのは満潮時の朝方だけ、と思う。

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午後になると水は引いて、町と水路の分水嶺が現れる。
水中のリストランテのテラス席もテーブルや椅子を整えて、おすまし顔で営業している。

そしてベネチアは世界一歩きやすい町かも知れない。
車やバイクはもちろん、自転車さえもが町へは入れない。移動手段は徒歩と船だけ。
だから一歩路地へ入るととっても静か。

お昼はスパゲッティ。ほぐした蟹の身のソース絡めたもので凄く美味しかった。
晩御飯もスパゲッティ。大好きなイカ墨。ぼくはこれが大好きで、日本でもよく食べる。しかし、これは、、と絶句する。
自分のイカ墨史上最高得点の味。濃厚さが凄い。そのまま筆を差し込んで習字が出来そうだよ、これは。
だが細心の注意を払わねば危ない奴だ、これ。
ただでさえ、すでにぼくはワインやトマトソースの滲みをベストやコートに作っている。
服に飛んだらお終いだな、、家人の苦い顔がちらとこころに浮かぶ。

なので、浮かれて食べるわけにはいかず、非常に緊張を強いられる食事となった。
でもやっぱり美味しかったけど。

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実はイタリアはそんなにパスタが美味しいわけではない、とは聞いていたんだけど、お店によりけりなのかと思う。
ここまでの3食は麺の食感、茹で加減、ソース、すべてが素晴らしかったよ。

でもね、、高いんだ。
イタリアの物価は高い。そして此処みたいな有名観光地はなおさら。

帰り路の暗い路地。
橋の袂で出会った猫くんに次の路地まで送って貰う。
こっちだよって、橋を渡って、少し先に行って振り向いて待っていてくれて、追いつくとまた少し先に小走り。それで振り向いてまた待っていてくれる。
猫特有の誘導法。

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ありがと、またね。チャオ。ニャオ。

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ベネチア3日目。

ホテルの食堂。
今朝は少し混んでいる。

ぼくは早くに来て、もう食後の珈琲を飲みながらなんとなくお客さんの観察。
きっとフランス人、と勝手に思ったんだけど、シリアルやサラダ用のボウルに並々と珈琲を注いで、そこに牛乳をたっぷり。
あぁ、カフェ.オ.レですね。
小振りのラーメン鉢くらいはあるけど、なるほどそういえば映画なんかで観たことあるな。ボウルでカフェオレって。
僕もやってみたいと思ったけれど、珈琲マシーンの前で家族全員、子供までもが作っているのでなかなか空きそうにもなかった。

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朝はやっぱりこれが面白く、あちこちの冠水している場所を見て周った。
でもまずは昨日のブックショップへ。
いつまででも此処に居たい。
昨日も今日も古いEP盤レコードや写真を買っているので、お店の人が僕を憶えていたみたいで、ハイ!とにっこりされて嬉しい。
ジリオラ.チンクエッティとかニニ.ロッソとか選ぶので、おや、こんなの知っているの?って。
古い古いイタリアンポップス。

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お昼はやはりこれも食べておかねば、とピッツァ。
大きいな~。
大友人に3切れ手伝って貰ってやっと完食。これも美味しかったなぁ。

フィレンツェに住んでいる小学校の時の同級生がFBで昨日教えてくれたこと。
ベネチアだったら、バーカロでチケッティつまんでオンブラひっかけて、を是非に、と。

そう言うと、じゃあ今晩はそれで行きましょうと。
それだけで通じてしまうのが矢張り凄い。

バーカロとは大衆的な安酒屋のこと。チケッティはスペインのピンチョスみたいな簡易なつまみ料理。
そしてオンブラ。これはコップ酒のこと。ワインでもなんでもコップで盛り良く提供される。

運河沿いにバーカロの集まる地区へ。
どの店も気軽。外席で水面の灯を見ながらが最高。係留してある小舟に勝手に飛び乗って呑んでいる人もいる。
値段もリストランテの三分の一くらい。
長い滞在ならばきっと毎晩此処だなと思う。

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3軒ハシゴして、近くのナチュラルな感じのブックカフェで珈琲。一緒に頼んだベリーのパイ、生クリームがたっぷり添えられていて素晴らしき味だった。

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本来の予定ならば、明日にはアムステルダムに戻る筈だった。
スペイン熱の高まった大友人と、熱烈なスペインラヴァーとなってしまったぼくは、予定を変更してバルセロナ再訪を決めていた。

明日は愛しの街、バルセロナへ帰る日。

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2018年12月12日 (水)

*ときどきトランス日記 No88 / サンセバスチャンで。

5時間半の旅。
あまり変化のない田舎の風景の中を列車は走る。
時々通過する小さな町以外は住居も少なく、丘の上に馬がいたり、羊のたくさんいる牧草地があったり。朝方は生憎曇っていて、窓ガラスが汚いままなので、そういう景色が霞んで見えているばかり。

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ふと目を覚ますと、目の前の簡易テーブルにハムとチーズを挟んだトーストのサンドウィッチとマドレーヌと水のボトルとオレンジジュースが置いてある。
僕が眠ってしまっているあいだに大友人が買ってきてくれたもの。
朝早く、ご飯を食べ損ねばたばたと出てきたので、なによりの嬉しい朝食だった。

サンセバスチャン駅は小さな駅。
都会の大きな駅ばかり見てきたので、本当に小さい田舎の駅。

歩き始めると河。すぐその先には海が見えている。
河沿いの歩道には小さな売店が並んでいて、ほとんどが手作りの雑貨を売っている。微笑ましい光景ってこういう、、と思う。

ホテルは旧市街。やはりこれが大事。
初めての場所なのにそわそわしないで過ごせる。
名はpension bule。
清潔で真っ白な部屋。ベランダが広場に面していて、此処もまた映画的。
共有スペースには座り心地のいい椅子やテーブル、珈琲マシン、お茶のセットがセンス良く配置されていて、僕はここを僕の書斎と名付け、3時過ぎには起きだして、いまこれを書いている。誰も来ない、密やかな時間楽しんで。

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まずは近所の散歩。
サンセバスチャンはバル巡りの聖地と呼ばれる。
その聖地の中心はすぐ近く。歩いて1~2分。なんという好立地、、

バルが100軒以上ひしめいている通り。
此処には何度も来ている大友人は迷わずとあるバルに入る。
まずは獅子唐の素揚げとチャコリっていう美発砲の地酒で乾杯。
ここは海老と茸が旨いんですよ、とそれぞれのピンチョスを取る。あぁ、本当だ、と僕はまた吃驚している。
あまりに美味しくてさ、でもすぐに飲み込んじゃうから、口の中が見た刹那の夢なのだと思う。でもきっとそれで良い。だって素敵だった夢って憶えているからね。でもやっぱりそのうち忘れちゃう。こその夢。一睡一飯の夢。

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ささっと飲んで食べて、2軒目へ。うわ、すでにバル巡りが始まっていたのね。知らなかったよ。
ここはね、蟹のピンチョスが最高で、、いや、ホントにそうだねぇ、旨いねぇ。おや、この赤ワインも凄い美味しいねぇ。

珈琲とデザート行きますか、ってバル3軒目。
此処のチーズケーキがまた、、っておいおい旨すぎるぞ、これ。
バル巡りって、その店の一番旨いものを食い歩くことなんですよ、って。すでに満腹で曖昧になっている脳に真髄の言葉が沁みる。

移動日当日っていうのは、新しい情報がどどっと押し寄せる日なので、知らずに疲れているみたい。酔いもすぐに回るし、ホテル
に戻って昏昏と睡眠。
旅に出てから例の時差ボケ完治せず、睡眠平均時間は一日5~6時間ってところだったので、一気に10時間以上も寝た。
だからまた3時に起きてるから一緒かなとも思う。

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サンセバスチャン2日目。

ゆっくりホテルを出て、海の水を触りに行く。
旧市街ぬけると古い建物の間から海が見えてくる。町のこちら側の海は小さな港。そのまま岬を回り込んで旧市街へと戻る道があって
散歩には良い。歩く人、走る人、釣り糸垂れる人。ワインを飲んでいる人、こんなところでも雰囲気のあるバルがぽつぽつある。

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たくさん歩いて空腹になったので、旧市街に戻ってバル飯。
バカリャウと云う、鱈の塩漬けを戻したもののピンチョスがスペインの目的の一つ。事あるごとに食べているが矢張り美味しい。
塩気が抜けた優しい味なので、どの店もそのアレンジに違いがあって、楽しめるメニュー。
ピンチョスとは、まぁタパスと同じ小皿料理で、パンの上に楊枝でや串で具材を刺したものを言う。

そしてこれは珍しい、米粒みたいなパスタ。バターのたっぷり入ったホワイトソースがたまらなく旨い。これ、あまりにも旨い
ので、夕方ワインの補給ついでにまた此処によって食べてしまった。
この店の特徴は、作り置きしてカウンターに並べて置くオーソドックスなバルスタイルではなく、注文受けてからその場で作ってくれる。
こういう店は大抵厨房が見えるようになっているのでそれも楽しい。
熱々で出されるピンチョスと冷えた白ワイン。

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部屋で遅い午睡して、8時半開店の人気店に急ぐ。
ここもやっぱりすぐに一杯。
でもバル巡り目的のお客さんが多い時間帯なので、すぐに空く~すぐに満席~空く、を繰り返してて面白い。超人気店でも、ぐるぐる
巡っていてタイミングが合えば、皆が入れるのが良い。

此処ではこれしかないです、って一推しのフォアグラのピンチョス。
産まれて初めてのフォアグラ。
実はレバーが苦手。でもこれは家鴨のレバー。
しかし心配いらなかった。繊細で複雑な味付け、自分の貧しい食歴では表現不能。
旨い、特に周りの焦げたところがー!って、口中に居る自分がこぞって悶絶。

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大変に満足したところで、町の反対側のビーチへ行ってみる。
夜のこの町は本当に綺麗だ。
町の灯の映える湾曲した広い砂浜は夢のように美しい。ふわりふわりと足取りが曖昧になって来る。誰もが幽霊のよう。
老若男女、その境目も、この世とあの世の境目さえも、段々と曖昧になって、、
此処は「狭間」の町なのかもしれない。
いつかそんな町に行ってみたいと思っていた。

こんな時間にぼくは、知らず少しだけそこに足を踏み入れたのかも知れない。
もう帰れないのだとふと思う。

僕たちは遊び過ぎたのかも知れない。

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サンセバスチャン3日目。

生野菜が不足している気がする。
凄く食べたい。

そのような朝。
新市街にそのようなバルがあるのだという。
朝食は是非ともそこで、そうして今日も元気に歩きたいと思う。
野菜はちから強く、そして美味しかった。

町と港を擁する小高い丘に登る。
あの海の向こうはイギリス。
行ってみたいな他所の国。

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この町も今日が最終日。明朝ベネチアへ向かう。

こちらは木曜日が週末なのかも知れない。
町に人が急に増えている。大変賑わっている。
大きな広場は、昨日までなにもなかったのに、食のイベントがあちこちで開催されている。
小さな広場の現代美術みたいな遊具たちも子供たちで満開の賑わい。

夜には更に人が増えている。
きっとスペイン中から、ローカルのお客さんが美味しいものを求めてやって来る週末。
そういう町なんだと知る。
そうして、老人の多い町。
老夫婦を幾組も見た。いたわりあって、手を引いて、軽くキス、慣れた感じで。そうして楽しそうにワインを飲んでいる。
たくさんの車椅子を見た。杖や補装具や歩行器も。皆老人だ。
家族に囲まれて楽しそうに食事をしている老人。夫婦水入らずでワインに目を細めるおばあちゃん。

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老若男女、行儀のよい犬やもう幽霊になってしまったものたちさえもが、楽しむ町。
あの世との狭間にある町。

僕の両親も80歳を過ぎてもなお、地球のあらゆるところに一緒に旅行していた。
いつか、もっと歳を取ったなら、ぼくは家人とこんな町に来るのかも知れない。

とまれ。
バルは何処も大賑わい。
フォアグラのピンチョスをどうしてももう一度食べたい大友人と、夕べのバルへ。
すでに混んでいたけれど、壁際にぴったりふたり分の隙間見つけて嵌まりこむ。
夜はゆるゆると曖昧に更けゆき、僕は最後のワインを求めて、老人になって。

サンセバスチャン。儚い夢の続きさえ、なお儚く。

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2018年12月11日 (火)

* ときどきトランス日記 No87 / バルセロナにて。

飛行機は乗る前に少し色々あるけれど、飛んでしまえば早い。たったの1時間50分でスペイン。
ユーロ圏内なので、特にパスポートコントロールもないし、貨幣も一緒で楽だ。

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ホテルまでタクシー。でもちょっと寄り道して大友人お勧めのバルに連れて行ってもらう。
アムスでも美味しいものは少しはあったけれど、こっちは桁違いなので、と。

乾杯しようよ、じゃあさ。

赤ワインと色んなタパス。
サーモン、帆立、鱈の肝や小鰯。
吃驚するぐらい旨い。次元の違う味と云ったら自国の料理屋に失礼かも知れないけど、ホントにそうなんだ。

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ホテルはね、アパートメントの部屋貸しなので、キッチンや洗濯機もある。
その分朝食はつかないので、では自炊をしますかね、朝は。ということで散歩ついでの買い出しへ出る。

この辺は旧市街。細い路地が迷路のように入り組み、古い石の住居や店が両側に迫る。
でもどこの街角も暖かみに溢れてる。
アムスはしっとり。こちらはほっこりで暖かい色合いだ。キャメルブラウンにアイヴォリーを少し混ぜたような。

自分は方向にはからきし弱い。4日いてもこの路地は手に負えないと思う。
真ん中辺りにそびえる巨大な教会前の広場からアパートはすぐ近い。店の看板や名前を憶えて、そこからならなんとかわかるようになった。
だが一旦迷ったらお終いかな、と思う。

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何処をどう歩いたのか全然わからないけれど、着いたのはオーガニック専門の、なかなかお洒落な大きなスーパーマーケット。
こういう買い物は楽しいね。
野菜や卵、珈琲粉、豆乳、パスタやソース、調味料、ヨーグルトなんかを購入。それとワイン。

広場にあるバルで夕食。
開店前に並んだので入れたけれど、すぐに満席。超人気店なのだそう。
海鮮をその場で調理したタパス。これも旨くて驚く。
獅子唐の素揚げ、マテ貝や蛤、きびなご、最後にとろとろのジャガイモの詰まったオムレツなんかをカヴァで流し込む。
ぼくはスペインに来て吃驚ばかりしている。特に口の吃驚はニューロンの素早さが直なものだから、素直。
率直な自分。

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街歩きのつまみ食いのチュロスは揚げたての熱々を頬ばること。泣きそうに旨いんだ。
チュロスなんてさ、自分の子供の頃には存在しなかった食べ物。なのに何だか懐かしくて泣けてくるのは何故なのか。

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バルセロナ2日目 / 今日もうこれ。

朝食。
パスタを茹でるがIHヒーターが弱くて、大鍋じゃ沸騰する気配がない。適当なところで麺入れたけど、饂飩みたいな
食感になってしまった。すまん。
大友人のサラダは自家製ドレッシングで流石の味。飲食の店を何軒も経営してるからだねぇ、これは。
こう云うのは本当に楽しい。

さて今日は、、

此処からは目をつむってて下さいねと、タクシー降りた地点から誘導される。
自分は視覚障碍者ガイドヘルパーの資格だって持っている、そういえば、はは。
などと思いながら石畳を靴底に感じて。

はい。

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うお、、
これかぁ、、

サグラダファミーリア。
ガウディ。
溢れている。溢れかえっている。中はもっと凄いんだぞと、もう外からも惜しみなく溢れてる。

息を呑む。
そのまま中に入ったら、やはり暫くは呼吸を忘れている。

ヨーロッパへ来てから、僕は上ばかり見ている。
だが此処は確かに上なのだが、そのうちそれもわからなくなってくる。
圧倒的に展開するスケール、さらにぐにゃぐにゃした有機的デザインが覆うので、いったん上を向いたのだが、もうそれが上なのか
下なのか曖昧になって転びそうになる。

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アラビックのモスクを思い出す。
モスクは外側は隙間なくびっしりと細かく装飾されているけれど、内部は何もない伽藍だ。何もなさ過ぎて怖いくらい。
内部が広大な空間っていうのはどの宗教施設でも特有のこと、と思う。内的宇宙って云うのは宗教の基本の概念。

しかしこの大教会はどうだ。
まるっきりの桁外れ、と云うか、ぶっ飛んでると言ってしまえば早いんだが、、

「あの世」感。
天国とか天界、仏教、神道(一緒にしてはまずいけれど、神仏が離れる前の)で言う西方極楽浄土なんかの、あの世。
入るだけであの世が降って来る。
もうみんなあの世を浴びて身体中びしょびしょ。

ちから。
宗教の持つちからってこう云うことなんだ。
「其処」があるのならば、行きたい。行かねばならない。そこを目指すための今生なのだ、と。

茶室のスケールをどんどん縮めていった利休の美意識のミニマリスト的DNA。それを持つ自分たちには、目玉がぐるんとひっくり返って一回転するみたい。
良い、悪いの範疇ではなく、でも普段は小さなスケープのなかで暮らしていることが良くわかる。
それが嫌いでは全然ないし、ひっくり返った目玉でもう一度わが国を見れば、それが内的宇宙の果てしない広がり、とわかるはずだから。

しかし先にこれ見ちゃったから、その後の同じガウディ作のグエル公園は、座ってみたかった有機的な石のベンチの並ぶエリアが改修中だったこともあり、んー、こんなものかな、でお終い。

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ヨーロッパに来てからは、その振れ幅の大きさに翻弄されっぱなしだ。
自分の知っているヨーロッパ的なもの、ことたちは本物を前に、とっくに何処かに消し飛んでいた。

夜は、市場や広場の露店冷かしたり、ブックショップの子猫たちにかまって貰ったりしてね、少しこころ和ませないとね。

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バルセロナ3日目。

今日は休養日で良いかな、と思う。
こころの興奮状態がなかなか収まらない。

でも朝の散歩はかかさずに。
一日の始まりの新鮮な空気。
夕べの諍いも、熱い想いも、友情も、愛情さえもが、ほんの刹那、一瞬間、リセットされる魔法の時間がある。
そしてまた始まる。
さぁ、今日だよ、始めようまた最初から、って。

部屋で自炊の朝食食べてから、マルクト、市場に行ったりお店をぶらぶら見たり、特に観光、文化施設には行かない日。
ゆったりした旅のつもりでも、やっぱり疲れは溜まって来ているしね。B2
BoneApartment、此処は本当に素敵な宿だ。
どの部屋も広くはないけれど、キッチン、リビング、寝室と分かれている。
ただし6階なので、途中で2回ほど息を入れなければならないし、下りは急階段なので目が回る。ひとフロアに2部屋の細長い
建物なので階段は極端に狭く、一階上るごとに途中の踊り場で折り返すから。

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リビングが凄く落ち着くのは、ソファの色がわが家と同じグレーだから。
キッチンにゴッホの「向日葵」のリトグラフがあったり、プラントや家具なんかもいい塩梅だ。映画的。

旅は衣食住だなと思う。どれもが充実してこそ深まるものだ。
あぁ、そうかも、、でも食と住はわかるけどさ、衣も?
うん、だってさ、旅先でお気に入りの服着てることってホントに気持ち良いもん。

お腹が減ると何か買いに行ったりの部屋日。
こういう日もあろうと、音楽再生装置、その内容までもが万全に整っている。何の事前打ち合わせもなくこうなる。

考え抜いた音源。

持ってきた7割くらいがBrianEno。AnotherGreenWorld~アンビエントのシリーズやその番外編、Eno周辺、関連のものまで
CD15枚ぶんくらい。
DavidBowieの「LOW」やS.Wonderの70年代の傑作3部作、ChilyGonzaresも6枚、NinaSimoneも忘れずに。そしてChetBaker、JimHall
やBillEvansとかヨーロッパを感じるJazzたち。
あぁ、MalWaldronの「AllAlone」は何処の夜の街角でも頭の中で鳴っていた。

*この章は、舞い戻ったバルセロナのアパートメントで書いている。
もうこの旅も終盤。今は早起きしたリビングで独り。
夕べは遅くまで起きていたらしい大友人は、珍しくまだ眠っている。

お茶を淹れて、大好きな友部正人の歌を聴いている。旅の歌をたくさん歌っていた頃の。
「遠来」というタイトルの素敵な歌がある。
昔からこの歌を聴くと、ぼくと大友人の関係を想った。
いま、ふたりでいる旅の空で、この歌を聴くことをしたかった。それが今朝のこの時間にやって来た。

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バルセロナ最終日。

名残惜しい。本当に名残惜しい。
色んな道を歩いたけれど、やっぱり宿のあるこの旧市街がすきだ。
複雑な迷路でちっとも道を覚えられなかったけれど、バルやテイクアウェイの食べ物屋、奇妙な店、壁の落書き。匂い。ひと

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でも大きな通りも捨てたものじゃない。
歩道第一主義、と名付けた。
太い道の真ん中が歩道。堂々としている。その両脇に車一台分の車道がくっついている。
歩道の幅は車道の5~6本分はある。実に良い、この歩道主義。歩くことを愛する人にはとても優しい街。

とまれ、バイバイ、バルセロナ。君が大好きになったよ。
明日は早朝の列車でサンセバスチャンへ向かう。

バルの聖地へいよいよ。

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2018年12月10日 (月)

*ときどきトランス日記 No86 : アムステルダム / 本当に自分の必要なものは。

朝の散歩は本当に素敵だ。
この時期は晴れている日は少なく、だから朝陽が射して来るわけでもなく、ただぼんやりと明るくなってくる。
河口付近の街だ。朝靄の運河の橋桁に鴎が並ぶ。

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しっとりとした景色。石の文化。それは長い長い時間、刻だ。
落ち着いた情感がわが身の裡でゆわゆわとたゆとう。

ところで。
自分は確かにゴッホがすきだ。それも近年、結局一番好きなのはゴッホだと気付いた。
いいな、と思っていた南欧アルル時代の明るい作品、最後のゴッホたちはしかし2点きりしかなく、でもそれの本物が見れて嬉しかった。
此処は時系列でゴッホを知ることのできる、彼の美術館。

アルル時代の作品は、むしろフランクミュラー美術館だという。でも此処から列車やバスを乗り継いで2時間以上かかる。
けれど旅の終わりころに、まだ未定なれど一日だけドイツへ列車で行く話が持ち上がり、その途中にそれはある。
行けるかも知れないな。

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そして、その後に行ったアムステルダム現代美術館でぼくははっきりと気付いてしまった。

ゴッホが見れて嬉しかった。けれどぼくは現代美術館にがっちりとこころ掴まれてしまった。
ゴッホの絵画はひとつひとつが彼の終着点であると思う。でも終着という枠の消失した際限なく拡がっている「ナニカ=現代美術=何か」な作品たちが自分を捕らえて離してくれないからだ。

それは嬉しいという気持ちとは違う。

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ところで、この旅でこういう施設を観る場合、大友人とは入り口で別れ、時間決めて待ち合わせをするという素敵なルールがある。
さらりとそう出来る、こういう感覚の人がすきだ。

あと30分、いや、やっぱりもう30分、と延長の連絡をし合って、落ち合った併設のカフェーでぼくはこう言っていた。

本当に必要なのはこっちだったよ、って。

「そうだろうと思いました」その人は静かに笑っていた。

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ーーーーーーー

アムステルダムの3日目。ブックショップで長居をしたり、小さな博物館を覗いたり。
朝からはっきりとしない雨模様。降ってはいるけれど、傘をさすほどでもない、こういう天気が一日中。
この時期は大体こんな長子で、成程フードの着いた服を着ている人が多い。
特に意識せずにプルオーバーのスウェットを持ってきたのが大助かりした。

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オランダのほかの街を知らないけれど、この街はアメリカ的なポップアートをするりと飲み込んでいる。ヨーロッパに晒されて少しくすんだ感じのポップアート。
いたるところに描かれたグラフィティアートから遡っても40年以上の歴史がすでにあるだろう、どれもが奇異なものではなく、調和が取れている。

現代はもう世界中がネットで網羅されているので起こりえないことだけど、60年70年代にアメリカからヨーロッパに怒涛の如く押し寄せただろうポップで過激なカルチャーが、古い古いヨーロッパ文化の中で花開き、根付いて、融合して、経年を経たいま、シックな色合いを見せてくれる。

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運河とアートの街。
見えるもの、見えないものさえもが僕の感覚に反応して来る。ぼくはそれを受け取りぼくのものにする。ぼくの生きてきた時間がそうさせる。

ーーーーーーーーーーーー

4日目のアムステルダム。

少しの散歩、食事、買い物くらいで、あとは部屋でゆったり過ごしたい日。
それほどの急ぐ旅でもなく、こういう日は好きだ。
少し開き過ぎちゃった感覚の確認しとかないとね、いっぱいのまんまで次々放り込んで行くと破綻しちゃうかも知れないから。

旅で過ごす時間は自分の生きてきた時間の再確認に適していると思う。
日常から掬い上げる日常よりも、非日常から掬い上げる「自分」の方がピュアだから。

最後にまた戻って来る街だけれど、ひとまず此処での最終日。
今日の散歩での一番素敵だったこと。
写真美術館。

石の文化を象徴するような旧い邸宅だ。
どの部屋も天井高く、作品は見上げる視線になる。惜しみなく大きな作品なのに、まだ余りある容れものの大きさが沁みてくる。

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ヨーロッパの旧い建物の特徴なのかも知れないけれど、階段は狭く、登り切ると突然広い空間の部屋があり、また狭い階段が続く。
そうして窓が大きいのは、階段では運び込めない家具なんかを入れるため。だから窓の上部には滑車がついている。

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自販機で買うコロッケとか、熱々のフライドポテト。鰊を挟んだバゲットとか、散歩中のつまみ食いは楽しいな。
アムスでは朝ご飯2回食べたりして、それで早朝から元気だ。昼と夜は道で売っている適当なもので間に合う。

現代美術館はもう一度きっと行こう。今度は一日中居るんだ。

明日はバルセロナへ移動。

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2018年12月 9日 (日)

* ときどきトランス日記No85 / アムステルダム2日目の朝に。

あぁ、昨日は疲れたし良く寝たな、と思うとまだ日付が変わっていない。
あれれ、ともう一度寝るけれど、2時にはぱっちり目覚めてる。
時差ボケです、これ。

此処は通称レッドライト地区という、政府公認の売春施設が並ぶ通りのあるエリア。
そうしてこの時間は、麻薬の売人やら危ない人たちがうろつく時間でもあるので、怖いので外へは出ない。
「飾り窓」の中では、刺激的な格好をした女性が挑発的なポーズを取っていたり、そういういで立ちなのに、眼鏡をかけて椅子に座って足を組んだポーズで本を読んでいたりする。

何度かその通りを通過したけれど、しっかりその等身大の窓の内部を見つめることが出来なかった。
だからその印象は曖昧なまま、絵画のようでもあり、永遠に現実感のない夢の中の景色。

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7時まで本を読んだり音楽を聴いたりと、ぼやぼやと過ごしてから宿の朝食食べて、そして歩き出す。
7時はまだ夜の領分、真っ暗だ。
でも通勤通学の時間は始まっていて、人通りも増えてくる。一晩中夜を彷徨っていた人とは明らかに違う朝の人たちだ。
気温は5~6度。息が白い。颯爽と自転車が行き交う。

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こんな時間から開いているカフェーもたくさんあって、朝の人たちが朝食を食べている。
僕たちも暖かみのあるお店選んで、さっき食べたばかりなのに、オムレツやクリームのどっさり乗ったアップルパイを食べる。

この友人。同胞(はらから、と読みます)と言ってもよい人。
昔はね、色んな「旅」を一緒にした。
彼との昔日の想い、というのはそういうもので出来ている。

ところで、ぼくはヨーロッパのことは殆ど何も知らず、方やヨーロッパの達人で色んな処を詳しく知っている彼。
そういうひとが僕の水先を誘導してくれている。
だからぼくの撮る街の写真には、いつも彼の後ろ姿が映っている。Am4
以降、彼のことは文章上では「大友人」と呼ぼうと思う。
僕の造語である。
彼の人間性の持つ「大」とか、大きな関係性の「大」とか、大の友達の「大」とか、色々な「大きなもの」が含まれてる。

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こころもお腹も幸せになって外に出ると、夜の狭間は朝へと移ろい、あてもなくいつまでも、僕は歩きたいと思う。

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2018年12月 8日 (土)

* ときどきトランス日記No84 / バルセロナにて、旅の起点アムステルダムを想う。

バルセロナに来て4日めの朝。
この街は教会が多く、何処にいても鐘の音が聞こえる。
初めのうちはしっとりした控えめないい音だなって、あぁ教会の、って。
ただそう思っていた。
そうして3日目の朝に漸く気づいた。
鐘の音ひとつは15分。ふたつは30分、みっつは45分。そうして1時間でフルコーラス。
刻を告げていたのですね。
そうすると、歩いていても、バルでワインを飲んでいても、部屋でのんびりしていても、
何処にいても、ざっくりと時間の移るのがわかる。

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旅はちょうど一週間ぶん、僕の後ろに刻として積み重なった。

時差が8時間ぶん遅れている場所へ12時間かけてぼくはやって来た。
朝に飛び発たち、一日の半分を使ってやって来た。
なのにアムステルダム空港は15時で夕刻の気配もない。

空港でi-phone繋いだとたんにするりと現地時間に替わっている。何の屈託もないみたいに。こんなの当たり前のことですよ、と。

それはさ、理屈ではそうなのだろう。けど自分の身体はからきし理解していないみたいだ。
その無理解を時差ボケと呼ぶらしいけど。
実はまだ完治しておらず、早くに眠くなり、3時にはしゃきしゃき起きだしてる。

12時間。
時々眼前のモニター画面にライブ経路を出してみる。
地図上で言うと、成田からまっすぐ上に進むので、わが国土はすぐに突っ切ってしまう。
そうしてロシア大陸を横切り、フィンランドやノルウェー上空を通過した。
その間に御飯を食べたりワインを何度も貰ったり、映画を観たりした。2本観たうちの、期待せずになんとなく選んだ「犬屋敷」が凄く良かった。

飛行時間に時差8時間ぶんの時間の総体裡で色んなことを自分は行った。
それは体験として身体が記憶している。でも着いたとたんに、うち8時間分はなかったことにしてね、って、はらはらと消えてゆく。

この日、ぼくの11月26日は32時間あったのに、身体の記憶だけ残って、時計上の8時間が何処かにしまわれたのだろうか?
そうして3週間後の帰着時にその時間が返却されて、あれあれっと思っているうちにいつの間にか旅は終わってしまっているのだろうと思う。
嫌だよ、この8時間はもともと僕のものなんだから、今更返さないでよって、そうしてしまったならば、帰れないひとになってしまうのかも知れない。
永遠に時の狭間で彷徨う幽霊になってしまうのかも知れない。

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とまれ。
旅が始まったばかりの頃に少し戻ろうと思う。
アムステルダム、スキポール空港から列車で中央駅へ。
空間の大きな駅の風景は旅情を誘う。

さらにもう少し前の話をしよう。

ある日友人がぼくに言った。
「道郎さん、もうすぐ還暦ですね、記念に何処か旅しませんか?」

「あぁ、そうだねぇ、ううん、それは行けたらいいけれど、、」

でもそのタイミングだったら少し長い休みを取っても大丈夫なタイミングかも知れない。
その様に答えると、友人はぽんとヨーロッパ往復のチケットをプレゼントしてくれた。
「じゃあ一緒に行きましょう」という言葉が添えられていた。

ぼくはその時、一瞬だけ躊躇した。
色んな思いが刹那湧き上がり、その波に捲かれた。
その海に捲かれて沈んで、安穏に暮らすことだって出来る。でも決断が僕を再び浮かび上げてしまった。

そうして、とんとんと色んなことが整っていった。

ヨーロッパの大陸というのは初めて。
夕暮れのアムステルダム中央駅は息を呑むほどに美しかった。

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まだ現実感の伴なわぬ、夢まぼろしの狭間を歩く。

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細い路地抜けて運河沿いに歩くと小ぶりなホテルが点々と建っていて、ぼくらの宿もそのひとつ。
70年代のアート感覚を持ち込んだ、ちょっとトンガった感じなのに、ちっともそれがうるさくなくシックだ。
この旅のこれからの感覚を、これは象徴しているのかも知れないな、と思う。

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2018年5月22日 (火)

ときどきトランス日記 No.83 / 昔日に寄せて。。R.I.P Bapak Suwentra 

スウェントラさんが今月の11日に亡くなった。

一体、何から、何処から話したらよいのだろうか。
そう、暫くはこころに感ずることはぐずぐずと内側に向かうばかりで、言葉には成り難かった。

でもようやく。このことは本当のことなんだと。

これは「起点」についての話になると思うのです。

バリを離れて12年の歳月がはらはらと。もう1年過ごせば、丁度彼の地で暮らしていた
年月と同じになる。
こんな初夏の、気持ちの良い芳しい頃が自分の1年の句読点になっている。

そして、それとは別に人生には起点となる瞬間が何度かあるのだと思う。
バリでの、いやウブド村での暮らしが、自分の人生に何度かあるだろう起点の大きなひとつだった。

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そうして自分の表現の大きな部分を占める音楽、その起点のひとつがスウェントラさんだった。あまりにもおおきな起点。
I.Ketut.Suwentra バリ音楽の巨星。
そう、まさに彼の夜空でぎらぎらと輝くおおきな星であったひと。

巨星堕つ。だから訃報を聞いてまずFBにこう書いてしまった。
後から見れば、まるで新聞の見出しの如くで笑ってしまったが、その時は大きな星が堕ちて大洋の彼方へ沈んでゆくイメージが咄嗟に浮かんだのだ。
そう、イメージだけで、現実感が持てなかった。
だって、まさか、、

あれからもうどのくらいの時が経ったのか。
考える、もうそのことばかりの人生かも知れぬ。

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スウェントラさんは自身の楽団の本拠地ヌガラと州都デンパサールに家があって、でもウブド村が大好きで良くいらしていた。
ぼくは時々、あぁ、あのひとが、、と遠くから見ているだけの存在だった。

ところでぼくは、中学生の時の、ある音楽的起点を境にロックにのめり込んでしまい、そのまま20数年が経っていた。
そうして、この地へやって来たときもまだ、それはくすぶり続けていた。
しかしそう云う時に、この地の伝統楽器である竹のシロフォーン、ティンクリッに偶然出会い、すっかり気に入ってしまい、その名手のバリ人に手ほどきを受けたりしていた。
だが、すこし弾けるようになってくると、伝統曲だけでは物足りなくなってくる。自分で作曲
したくなってくる。
こころのくすぶりが僕をそうさせる。だってロックとは、オリジナルであれ、と云う事と同義
だから。

何曲か作ったのだけれど、伝統的な奏法にはどうしてもならない。やっていくうちに自分なりのオリジナルな奏法が出来ていった。
それを録音して、そこに伝統奏法を重ねて、更に変則な奏法を重ねて、と試行錯誤の森で遊んでいた。

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けれど、それは多重録音だから叶う音であって、独りで弾く時は自分の奏法だけなので、これはどうなのかな?と云う悩みは大きかったのだ。
左手の、つまりはベース、ルート音のノリが大きくなってしまい、トラディショナル独特のあの緻密な感じが薄れてしまう。

あるとき、良く行っていたCafePadiの2階で、誰もお客がいなかったので、置いてあるティンクリッを独りで弾いていた。
そうしたらひょいとスウェントラさんが上がって来て、僕の隣に座って、もう1台あったティンクリッで突然のセッションになった。
いきなりとんでもないところから超高速のパングル(バチ)さばきで切り込んで来て、ぼくはもう何が何だかわからないけれど、夢中で附いて行ったのだ。
とても長い時間だったと思う(後で良く良くわかったことだが、彼とのセッションは1時間2時間は普通のことなのだ)

ぼくもスウェントラさんもお酒がだいすき。そのときも、じゃあ下へ行って呑みましょうと、初めて御相伴させて頂いた夜。
ビールに椰子焼酎、彼の地では少し贅沢なスコッチウイスキー。
ぼくは思い切って、ティンクリッに於ける自分なりの奏法について、これの是非で悩んでいますと話した。
「あぁ、それでいいんですよ」
こともなげに彼は言い、さっきの2階での経験がそれを強く裏付けた気がしていた。
得心した僕は、それからPlanetBambooでもうひとりのティンクリッ奏者とこれを推し進め、このグループ独特のサウンドの一角を担っていったのです。

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スウェントラさんにも、奥様の和子さんにも本当にとても良くして頂きました。
産まれたばかりの息子を凄く可愛がって頂いた。
デンパサールのお家にも随分遊びに行った。よく呑んだ。ウブド莫迦兄弟と名乗る自分の遊び仲間たちと押しかけ夜通しカードゲームをした。そうして調子に乗った早朝にスウェントラさんの大事していた鉢植えを壊して怒られたりした。

海水浴にも行った。陽が落ちると、海水パンツなど邪魔くさいと素っ裸で泳いだ。
そうしてお酒が入ると必ずセッションが始まった。楽器がなくても関係なかった。触れて音の出る物なら全てが楽器だった。うん、1時間でも2時間でも。

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「あぁ、それでいいんですよ」
何度もそういう瞬間があった。
この言葉の調子、トーン、その表情までが僕の裡にいまもある。
これから先もずうっとだろう。この言葉の全部と生きて来た、そして行く。

この瞬間を、言葉を、良く覚えている友人がいた。
こんな文章を僕個人に寄せてくれたのだが、スウェントラさんとの思い出だ。
だから此処には転載しようと思います。

***************

それでいいんですよ、
の時こと、よく覚えてます。

スウェントラさんのデンパサールの家に遊びに行った日ですよね?

最初、私も一緒に混ぜてもらってジャンベを叩いてたら、次第にスウェントラさんとみちろうさんが熱を帯びてきて、私はただならない雰囲気に叩くのをやめて、ずいぶん長い時間お二人でどんどん極まっていったあと、フッとやんで、そしてスウェントラさんがそう言ったと記憶してます。

みちろうさんはそれを聞いて、雷に打たれたみたいにかたまって、そのあと静かにほぐれていきながら何度も、そうか、それでよかったのか、ってつぶやいてました。何度も。両手をひらいてみたりしながら。確かめるように。

高い窓から日差しが斜めにさしこんで、光の粒がキラキラしてました。

返信は不要です。

****************

スウェントラさんが逝ってしまった。
そうしてその晩、その訃報を胸に、自分は前々から観に行く約束をしてあったライブの為、渋谷に大事な友人と居た。
その友人はウブド莫迦兄弟のひとり。
少し時間が早かったので、マメヒコで珈琲を飲んで、ぽつぽつとスウェントラさんの話をして。

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ライブはね、ブラジル音楽の異端の大御所Hermeto Pascoalのグループ。
御歳82歳、白髪のロングヘアー、その立ち位置、仕草。プライヴェートで行うセッションの様子。
そうしてその音楽は極限まで複雑にしたリズムを幾重にも折り畳んだ塊。
そのどれもがスウェントラさんに繋がっている。
ぼくはそのステージでずうっとスウェントラさんの幻影を見続けていた。

これを記している今日。
もうヌガラのサンカルアグン村では葬儀も済んで、火葬され、かつてスウェントラさんであった身体は灰となり海へと、世界へと、果てしなく流れてゆきました。
では世界中の何処の海岸であれ、その水に触れさえすれば良いのですね。
自分などは海へ行くことなど滅多にないのですが、きっと何時か逢いに行きますね。そうだな、地中海かも知れません、それは。

何処にも音の記録はないけれど、アチェの大震災直後のセイヴ.アチェのコンサートで、自分は若輩者だったけれど、いい歳のオジサンばかりのグループやりましたね。
「Uncle Angelique(伯父さん天使)」ぼくが命名しました。
PlanetBambooのOdedやディジュリドゥ―の御隠居さんや。さっさと先に逝ってしまった画家のJasonMonetも面白がっていつの間にか得意のホーミーで横で唸っていたりしましたね。
そのみんながUbud村の呑み友達で。

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勿論のこと、スウェントラさん=ジェゴッグであり、唯一無二のパイオニアであり、その極限のポリ.リズムは他の追従を寄せつけない。
そのスーパー楽団スアール.アグンの総裁。King of Bamboo。

でもね。

呑んでいると、芸術とめっちゃエッチな話が同一線上に、気付けば乗っているひと。分けることをしない。だって一緒のことだから、と。
そうなのだ。
分けることをしない。男と女を分けない。芸術を分けない。宗教も分けない。世界を、つまりは善と悪を分けない。
これはまさにバリの世界観そのものだ。

こんなひとを自分は生来知りません。

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そして、僕のウブドファミリーである大切な友人がFBにこんな言葉を寄せています。とても重要な言葉たち、と思うので、これも転載させて頂きました。

**************

BarongCookieの工房長メワヤン、仕事のパートナーでもあるけれど、本当に彼女の人間力の高さには、いつもただただ
感動する。心から尊敬できる人。
そんなメワヤンの愛娘アユが嫁いだ。
まだ二人が恋人同士の頃に、彼がメワヤンにこんな質問をしたらしい。

「メワヤンが娘婿に望む条件は何?1番、お金持ち。2番、ちゃんとした仕事についてること。3番、両方とも」

その時のメワヤンの答えは、
「4番。(笑)」

「幸せな人。
自分が幸せで初めて、周りも幸せにできると思うから。
そもそも幸せでない人が、周りの誰かを幸せにできると思う?私はそうは思わない。」
そう答えたらしい。

スウェントラさんも生前、挨拶のようにほんとによく言ってくれてた。

「 Are you happy? I'm happy.
幸せじゃないとダメ。
幸せだったら大丈夫。all ok.」
そう言って、にっこり笑ってた。

自分自身いつも幸せであること。
どうやら、ものすごく大事で重要なことらしい。

ながっ(笑)でも忘れないように

****************

このメワヤンと云う人は僕がウブド村に住んでいた時の大家さん一家の奥さん。
優しくて、強くて、働き者で、そうしてとても賢明なひと。
我が家は大家さん家の敷地内にあった。だから家族みたいなもので、息子はひとり息子だけれど、6歳までは大家族の中で育ったとも言える。

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とまれ。

もういまは夢のようです。するりするりと逃げていく夢の尻尾を追いかける少し辛い今生ですが、あの日以来、凝り固まっていた我が身とその精神が、少しづつ解けて流れ始めています。
まるで偶然のように必然が繋がって僕の周りに集まり始めて。
これはまた起点、なのかも知れないなと感じています。ただその答えはもう少し先のこと。

「あぁ、それでいいんですよ」
この言葉の全部と生きて来ました、そして生きて行きます。

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ありがとうございました。

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2018年4月24日 (火)

ときどきトランス日記 No.82 / 2年目の約束といつか老境に。

2年目の春の約束終える。
去年、花弁が雪崩れ流れたのが4月の8日だったのにね、今年は随分の咲き急ぎ。
なので先から桜も天気も諦めていたのだけれど、悪くはなかったぜ。
新緑と云うものは殊のほか良いものなんだな。

憎らしい夜半の雨のやつ、でも夜明けには止んでくれていた。
去年もこいつでやきもきしたこと思い出す。

待ち合わせた国分寺駅に電車組がどんどん集まって、秘密の会場まで武蔵野散歩。
生まれ育った処だし、今歩いてるコースだってきっと大変な回数を歩いてる筈。
なのにひとを案内なんてしてみると新鮮、しかもなんとも良い処なのだ、国分寺って。

ひろびろと抜けのいい原っぱで宴を張るのは我らだけかなと思っていたけど、
予想を外した遅れた人たちっているもんだ。

Hnm15Hnm16
「見たて」のシンバルとスティックにワインを添えて、今年の約束を果たす。
桜のない花見だな、どころか花もない、雑草ばかり、って笑ってるだろ。
さっさと死んじまった奴は気楽、きっともう今はね。
それはそれ。
まぁ、また来年な。

Hnm9
宴の終盤は風に飛ばされちゃったけれど、それでも良い宴。
鴉の野郎に泥棒されたりしたしね、愉快だったよ。

仕切り直しの我が家の大騒ぎ夜も更けて、早朝から起き出しているのは自分ばかりなり。
特別にすることもないからね、珈琲など淹れて、こうやって日記を書いたりしてる。
自分は朝早く起きるのが得意だけれど、休日の朝は特に早いんだよ。この時間を愛しているのだと思う、こころから。
ま、就寝はひとが呆れるほどに早い、はは。

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日は明け暮れて。

月に1~2回、プロフェッショナルとアマチュアが半々くらいのジャズグループで、パーカッションをやらせて頂いている。自分は勿論後者である。
その流れで本日は、音楽大学で教鞭を執られていた、御歳は存じ上げないが、かなりの御高齢で既に退官されているピアニスト、さらにマンドリン奏者でもあるA氏のステージで2曲ほどパーカッションをやらせて頂いた。
「コーヒールンバ」と「カリート」という曲。

御高齢故の、と思う。
運指が縺れて止まってしまったり、小節の半分辺りで次の小節に突入したりと。
その度に自分は氏の小節の頭を探してリズムの修正をするのだけれど、それでもちゃんと良い音楽だった。
音楽ってそこじゃないんだよ、と先生の背中が語り、そう解釈したら、本当にそうだった。

「とても良かった」何人もの高齢者の方にお褒め頂き(そのような会場だったので)その場では自分の如き若輩者は感謝するばかり、本当に貴重な体験をさせて頂いた。

自分が表現したいもの、ことに対して、身体の機能がもう付いてこない。
きっといつかはそのような状態に自分はなる。いや、皆がなる。
修練の問題を感受性にすり替える気はない。
しかしそれでも「表現」はある。そこに存在する、ちゃんと。

寛容さの裡にこそ感受性は存在しうる、と思う。
いや、否定、拒絶の裡にもそれはある、が、それが育つことはない、と思う。
そう云う勉強を今日はした。

だが。

真っ暗な場所で孤独に小さく輝く星のような、光の届かない水底の深海魚のような、そう云う感受性をでも自分は持ちたいと思う。
絶対孤独の感受性。

おおきく矛盾した気持ちを自分は抱えて生きている。

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今朝は急に観たくなって「ニューシネマパラダイス」を午前中観ていて、お昼過ぎに楽器を積んで車で会場へ出掛けた。夏日の様相で久し振りに窓を全開、15分くらいの気持ちの良い運転。
そう云う気分の影響下だったから、するりとA氏の空気に紛れ込んだんだよ。

このこととこの映画は直接の関係はない。
けれど、トーン。

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2018年3月19日 (月)

ときどきトランス日記 No.81 / 酒を呑むの記。

独りぼっちで遊ぶのが好きな所為か、先の短旅以来、独り昼呑みが気持ち良い。
なので「多古屋」
国分寺駅前で正午から開けている居酒屋。
広くて安くて大衆的。思うにこの広さが良いのだ。楽。
ぶらぶらと散歩の途中なので少々身体が冷えている。なので座るとすぐに「熱燗2合で、、」
と、新人ってことがばれない様に気を使う莫迦。訳知り顔で。
酒が来るとすかさず「鮪刺し」290円也を注文するのね。玄人顔で。
などと楽しいことをしているうちに徳利は空に果てている。
ならばここはひとつ、名物の18時までは100円のチューハイだろうと思う。
何故ならば、そこそこ入ってるお客の大半がこれを注文しているようなのね。

一緒に鳥皮串を誂えて2杯ほど味わって散歩の続きに戻る。
大人のおやつだからね、このくらいでイイのだけれど、いつかナポリタンを注文
したいと思う。
居酒屋のナポリタンなんて美味しいに決まってる。

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ことほど左様に独り昼呑みは楽しいのですが、夜はねー、矢張り少し寂しいと云うか。
誰かと語らい酌み交わしたい時もあってね。
てことで、友人のB画伯と@多古屋。更に先の宵のこと。
この晩の寒さは凄まじく、もう熱燗以外思いつかないほど。
塩らっきょうとか鮪刺しなんかで、いやいやおひとつ、なんか言いながら、楽しい。
厚焼き卵がほかほかで湯気がたっている。
「これ、あの人が作ってくれたと思うと何か有り難いですよねぇ~」と言われて、
そちらを伺うと、カウンターの向こうにはいかにも料理が上手そうな、そのなりも佇まいも
が、板前さ~ん、って感じの初老の方がいらっしゃる。
バイト君が適当に作ってる感は微塵もなくて、こりゃ確かに有り難し、と思う。価値がある、
と思う。
そうして我々はその後18時過ぎからは160円になるチューハイを、際限もなく呑み続けたのだ。

Tako01

来週ね、息子が友達とバリ行くんだよね、なんて画伯に言ったら「う~ん、それは、良いですねぇ、
彼のルーツである訳だし、なにかそう云う、求め、みたいなものが、、」

おぉ、さすがBちゃん、自分は却って驚いたりした。
そういう熱い読み。
それからシニシズムなんかの話になって「でもアレは餓鬼の頃に罹る麻疹みたいなものでさ」とか
「けどそれが治らずに大人になった奴もいて、って云うかそう云う人の方が圧倒的に多いよな」とか、
「いやいや、治っていないフリしてる奴もいたりして」
、、、。

「矢張り熱い方が良い」

そう云う結論を得、すっかり熱くなった我々は、立ち呑み「佐々木」で少しクールダウンしてから帰ったぜ。

しかし、立ち呑みと言えば、矢張り荻窪の「つまみや」だと思う。

あぁ、またかとお思いでしょう。
だが先の夜、2週間ぶりにつまみや。

先々月末から茗荷谷に6日、虎ノ門に1日の用事がでも、すべて終わってしまった。
帰りにいつも行ってたのに、今度何時丸ノ内線に乗るのかわからない。寂しさが募る。

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いや、別に中央線で上ることがあれば、帰路に途中下車してもいいようなもの。
だけれど何かそれは収まりが悪いと云うか。
終点荻窪でメトロの改札出ると、左手にJR改札。正面に南口へのエスカレーター。
自分は迷わず地上へ向かい、通りを渡り、ごちゃっとした南商店街の細い角曲がって
ほんの少し。
去年ライブやったインド料理のナタラジとかカルディコーヒーファームの前通り過ぎ
るともう看板が見えて来るからちょっと早足になって。
いつもそうだったから。

Tsumami1

今日は胃腸が絞めつけられると云うか、非常に緊張を強いられる時間の多い用事だった
ので、おでんの大根と卵が実に優しく胃に沁みて、こころにも沁みて、コダマバイスで3杯、
〆に熱燗なんか頼んで、ほぐれ切った我が身を中央線が国分寺まで運んでくれた。

ところで昨日の土曜日の昼下がり。
とうとう自分は多古屋のナポリタンにありついてしまった。

先に熱燗で鮪刺しなんかをつまんでいたので、酔いがほろほろとほろけそうになっている。
なので早速100円也のチューハイに切り替えてしゃっきりして、静かにナポリタンの到着
を待った。

だが、到着したブツを見て矢張り思う。これは独り呑みでは頼みづらいのではないか。いや、複数人でも男だけならば頼みづらい。女子供がいないと頼みづらいのではないか、と思う。

色が鮮やかなオレンジ色だ。で、油でつやつやぴかぴかしてる。物凄く目立つ。派手だ。
隣席の初老男性ふたり呑みの方に「え、何これ!」と話しかけられてしまった程だ。

だが自分は慌てることなく麺をすすった。
何故ならば、家人と一緒だったからねー。
旨かった。いや、本当にね。

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その日は映画に行ったんだよ。
「シェイプ.オブ.ウォーター」
異形の者をどうしようもなく愛してしまう女性を軸に据えたストーリー。
だけど全体を覆うトーンが「ウルトラゾーン」とか、遥か昔のアメリカ製怪奇テレビドラマ。
だからそう云うの観ていた小学生の頃に戻されちゃった。
薄暗い部屋の隅にある白黒のテレビ。いつでも夕方だったと思う。そう云う時間に
アメリカの夢を見ている。

薄暗い骨董品店の片隅でちらりと光って、あぁ、こんなところに
居たんだ、、と思わず手に取るような映画。

実はこれ、古い友人のやっているザ.パルジファルというバンドのCDを聴いたとき思ったこと。
彼らの音楽。
それは。

薄暗い骨董品店の片隅でちらりと光って、あぁ、こんなところに
居たんだ、、と思わず手に取るような音楽。

このところ、こう云う話ばかり。

歳を取るにつけ、色んなもの、ことが低下していくけれど、その欠損した場所にうまく嵌まるもののひとつに独り呑みがあるのではないかと思う。

昔、英国を旅した時に、パブでそういう老人を随分と見かけた。日本の居酒屋と同じで、そういう人たちは早い時間にしかいなかったような気がする。

そうやってよろよろと酒を呑む余生、にはまだ少し時間はあるのかも知れないけれど。

Gin2


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