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2018年5月22日 (火)

ときどきトランス日記 No.83 / 昔日に寄せて。。R.I.P Bapak Suwentra 

スウェントラさんが今月の11日に亡くなった。

一体、何から、何処から話したらよいのだろうか。
そう、暫くはこころに感ずることはぐずぐずと内側に向かうばかりで、言葉には成り難かった。

でもようやく。このことは本当のことなんだと。

これは「起点」についての話になると思うのです。

バリを離れて12年の歳月がはらはらと。もう1年過ごせば、丁度彼の地で暮らしていた
年月と同じになる。
こんな初夏の、気持ちの良い芳しい頃が自分の1年の句読点になっている。

そして、それとは別に人生には起点となる瞬間が何度かあるのだと思う。
バリでの、いやウブド村での暮らしが、自分の人生に何度かあるだろう起点の大きなひとつだった。

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そうして自分の表現の大きな部分を占める音楽、その起点のひとつがスウェントラさんだった。あまりにもおおきな起点。
I.Ketut.Suwentra バリ音楽の巨星。
そう、まさに彼の夜空でぎらぎらと輝くおおきな星であったひと。

巨星堕つ。だから訃報を聞いてまずFBにこう書いてしまった。
後から見れば、まるで新聞の見出しの如くで笑ってしまったが、その時は大きな星が堕ちて大洋の彼方へ沈んでゆくイメージが咄嗟に浮かんだのだ。
そう、イメージだけで、現実感が持てなかった。
だって、まさか、、

あれからもうどのくらいの時が経ったのか。
考える、もうそのことばかりの人生かも知れぬ。

Se27

スウェントラさんは自身の楽団の本拠地ヌガラと州都デンパサールに家があって、でもウブド村が大好きで良くいらしていた。
ぼくは時々、あぁ、あのひとが、、と遠くから見ているだけの存在だった。

ところでぼくは、中学生の時の、ある音楽的起点を境にロックにのめり込んでしまい、そのまま20数年が経っていた。
そうして、この地へやって来たときもまだ、それはくすぶり続けていた。
しかしそう云う時に、この地の伝統楽器である竹のシロフォーン、ティンクリッに偶然出会い、すっかり気に入ってしまい、その名手のバリ人に手ほどきを受けたりしていた。
だが、すこし弾けるようになってくると、伝統曲だけでは物足りなくなってくる。自分で作曲
したくなってくる。
こころのくすぶりが僕をそうさせる。だってロックとは、オリジナルであれ、と云う事と同義
だから。

何曲か作ったのだけれど、伝統的な奏法にはどうしてもならない。やっていくうちに自分なりのオリジナルな奏法が出来ていった。
それを録音して、そこに伝統奏法を重ねて、更に変則な奏法を重ねて、と試行錯誤の森で遊んでいた。

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けれど、それは多重録音だから叶う音であって、独りで弾く時は自分の奏法だけなので、これはどうなのかな?と云う悩みは大きかったのだ。
左手の、つまりはベース、ルート音のノリが大きくなってしまい、トラディショナル独特のあの緻密な感じが薄れてしまう。

あるとき、良く行っていたCafePadiの2階で、誰もお客がいなかったので、置いてあるティンクリッを独りで弾いていた。
そうしたらひょいとスウェントラさんが上がって来て、僕の隣に座って、もう1台あったティンクリッで突然のセッションになった。
いきなりとんでもないところから超高速のパングル(バチ)さばきで切り込んで来て、ぼくはもう何が何だかわからないけれど、夢中で附いて行ったのだ。
とても長い時間だったと思う(後で良く良くわかったことだが、彼とのセッションは1時間2時間は普通のことなのだ)

ぼくもスウェントラさんもお酒がだいすき。そのときも、じゃあ下へ行って呑みましょうと、初めて御相伴させて頂いた夜。
ビールに椰子焼酎、彼の地では少し贅沢なスコッチウイスキー。
ぼくは思い切って、ティンクリッに於ける自分なりの奏法について、これの是非で悩んでいますと話した。
「あぁ、それでいいんですよ」
こともなげに彼は言い、さっきの2階での経験がそれを強く裏付けた気がしていた。
得心した僕は、それからPlanetBambooでもうひとりのティンクリッ奏者とこれを推し進め、このグループ独特のサウンドの一角を担っていったのです。

Se20

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スウェントラさんにも、奥様の和子さんにも本当にとても良くして頂きました。
産まれたばかりの息子を凄く可愛がって頂いた。
デンパサールのお家にも随分遊びに行った。よく呑んだ。ウブド莫迦兄弟と名乗る自分の遊び仲間たちと押しかけ夜通しカードゲームをした。そうして調子に乗った早朝にスウェントラさんの大事していた鉢植えを壊して怒られたりした。

海水浴にも行った。陽が落ちると、海水パンツなど邪魔くさいと素っ裸で泳いだ。
そうしてお酒が入ると必ずセッションが始まった。楽器がなくても関係なかった。触れて音の出る物なら全てが楽器だった。うん、1時間でも2時間でも。

Kajegog
「あぁ、それでいいんですよ」
何度もそういう瞬間があった。
この言葉の調子、トーン、その表情までが僕の裡にいまもある。
これから先もずうっとだろう。この言葉の全部と生きて来た、そして行く。

この瞬間を、言葉を、良く覚えている友人がいた。
こんな文章を僕個人に寄せてくれたのだが、スウェントラさんとの思い出だ。
だから此処には転載しようと思います。

***************

それでいいんですよ、
の時こと、よく覚えてます。

スウェントラさんのデンパサールの家に遊びに行った日ですよね?

最初、私も一緒に混ぜてもらってジャンベを叩いてたら、次第にスウェントラさんとみちろうさんが熱を帯びてきて、私はただならない雰囲気に叩くのをやめて、ずいぶん長い時間お二人でどんどん極まっていったあと、フッとやんで、そしてスウェントラさんがそう言ったと記憶してます。

みちろうさんはそれを聞いて、雷に打たれたみたいにかたまって、そのあと静かにほぐれていきながら何度も、そうか、それでよかったのか、ってつぶやいてました。何度も。両手をひらいてみたりしながら。確かめるように。

高い窓から日差しが斜めにさしこんで、光の粒がキラキラしてました。

返信は不要です。

****************

スウェントラさんが逝ってしまった。
そうしてその晩、その訃報を胸に、自分は前々から観に行く約束をしてあったライブの為、渋谷に大事な友人と居た。
その友人はウブド莫迦兄弟のひとり。
少し時間が早かったので、マメヒコで珈琲を飲んで、ぽつぽつとスウェントラさんの話をして。

Pasco1
Sm9
ライブはね、ブラジル音楽の異端の大御所Hermeto Pascoalのグループ。
御歳82歳、白髪のロングヘアー、その立ち位置、仕草。プライヴェートで行うセッションの様子。
そうしてその音楽は極限まで複雑にしたリズムを幾重にも折り畳んだ塊。
そのどれもがスウェントラさんに繋がっている。
ぼくはそのステージでずうっとスウェントラさんの幻影を見続けていた。

これを記している今日。
もうヌガラのサンカルアグン村では葬儀も済んで、火葬され、かつてスウェントラさんであった身体は灰となり海へと、世界へと、果てしなく流れてゆきました。
では世界中の何処の海岸であれ、その水に触れさえすれば良いのですね。
自分などは海へ行くことなど滅多にないのですが、きっと何時か逢いに行きますね。そうだな、地中海かも知れません、それは。

何処にも音の記録はないけれど、アチェの大震災直後のセイヴ.アチェのコンサートで、自分は若輩者だったけれど、いい歳のオジサンばかりのグループやりましたね。
「Uncle Angelique(伯父さん天使)」ぼくが命名しました。
PlanetBambooのOdedやディジュリドゥ―の御隠居さんや。さっさと先に逝ってしまった画家のJasonMonetも面白がっていつの間にか得意のホーミーで横で唸っていたりしましたね。
そのみんながUbud村の呑み友達で。

Se8
Se19
勿論のこと、スウェントラさん=ジェゴッグであり、唯一無二のパイオニアであり、その極限のポリ.リズムは他の追従を寄せつけない。
そのスーパー楽団スアール.アグンの総裁。King of Bamboo。

でもね。

呑んでいると、芸術とめっちゃエッチな話が同一線上に、気付けば乗っているひと。分けることをしない。だって一緒のことだから、と。
そうなのだ。
分けることをしない。男と女を分けない。芸術を分けない。宗教も分けない。世界を、つまりは善と悪を分けない。
これはまさにバリの世界観そのものだ。

こんなひとを自分は生来知りません。

Se16
そして、僕のウブドファミリーである大切な友人がFBにこんな言葉を寄せています。とても重要な言葉たち、と思うので、これも転載させて頂きました。

**************

BarongCookieの工房長メワヤン、仕事のパートナーでもあるけれど、本当に彼女の人間力の高さには、いつもただただ
感動する。心から尊敬できる人。
そんなメワヤンの愛娘アユが嫁いだ。
まだ二人が恋人同士の頃に、彼がメワヤンにこんな質問をしたらしい。

「メワヤンが娘婿に望む条件は何?1番、お金持ち。2番、ちゃんとした仕事についてること。3番、両方とも」

その時のメワヤンの答えは、
「4番。(笑)」

「幸せな人。
自分が幸せで初めて、周りも幸せにできると思うから。
そもそも幸せでない人が、周りの誰かを幸せにできると思う?私はそうは思わない。」
そう答えたらしい。

スウェントラさんも生前、挨拶のようにほんとによく言ってくれてた。

「 Are you happy? I'm happy.
幸せじゃないとダメ。
幸せだったら大丈夫。all ok.」
そう言って、にっこり笑ってた。

自分自身いつも幸せであること。
どうやら、ものすごく大事で重要なことらしい。

ながっ(笑)でも忘れないように

****************

このメワヤンと云う人は僕がウブド村に住んでいた時の大家さん一家の奥さん。
優しくて、強くて、働き者で、そうしてとても賢明なひと。
我が家は大家さん家の敷地内にあった。だから家族みたいなもので、息子はひとり息子だけれど、6歳までは大家族の中で育ったとも言える。

Se26
とまれ。

もういまは夢のようです。するりするりと逃げていく夢の尻尾を追いかける少し辛い今生ですが、あの日以来、凝り固まっていた我が身とその精神が、少しづつ解けて流れ始めています。
まるで偶然のように必然が繋がって僕の周りに集まり始めて。
これはまた起点、なのかも知れないなと感じています。ただその答えはもう少し先のこと。

「あぁ、それでいいんですよ」
この言葉の全部と生きて来ました、そして生きて行きます。

Se28

ありがとうございました。

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コメント

素敵なお話をきかせてくれて、ありがとうございました。

ヌガラできいたジェゴク、思い出します。

投稿: choco | 2018年5月22日 (火) 14時33分

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