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2018年4月

2018年4月24日 (火)

ときどきトランス日記 No.82 / 2年目の約束といつか老境に。

2年目の春の約束終える。
去年、花弁が雪崩れ流れたのが4月の8日だったのにね、今年は随分の咲き急ぎ。
なので先から桜も天気も諦めていたのだけれど、悪くはなかったぜ。
新緑と云うものは殊のほか良いものなんだな。

憎らしい夜半の雨のやつ、でも夜明けには止んでくれていた。
去年もこいつでやきもきしたこと思い出す。

待ち合わせた国分寺駅に電車組がどんどん集まって、秘密の会場まで武蔵野散歩。
生まれ育った処だし、今歩いてるコースだってきっと大変な回数を歩いてる筈。
なのにひとを案内なんてしてみると新鮮、しかもなんとも良い処なのだ、国分寺って。

ひろびろと抜けのいい原っぱで宴を張るのは我らだけかなと思っていたけど、
予想を外した遅れた人たちっているもんだ。

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「見たて」のシンバルとスティックにワインを添えて、今年の約束を果たす。
桜のない花見だな、どころか花もない、雑草ばかり、って笑ってるだろ。
さっさと死んじまった奴は気楽、きっともう今はね。
それはそれ。
まぁ、また来年な。

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宴の終盤は風に飛ばされちゃったけれど、それでも良い宴。
鴉の野郎に泥棒されたりしたしね、愉快だったよ。

仕切り直しの我が家の大騒ぎ夜も更けて、早朝から起き出しているのは自分ばかりなり。
特別にすることもないからね、珈琲など淹れて、こうやって日記を書いたりしてる。
自分は朝早く起きるのが得意だけれど、休日の朝は特に早いんだよ。この時間を愛しているのだと思う、こころから。
ま、就寝はひとが呆れるほどに早い、はは。

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日は明け暮れて。

月に1~2回、プロフェッショナルとアマチュアが半々くらいのジャズグループで、パーカッションをやらせて頂いている。自分は勿論後者である。
その流れで本日は、音楽大学で教鞭を執られていた、御歳は存じ上げないが、かなりの御高齢で既に退官されているピアニスト、さらにマンドリン奏者でもあるA氏のステージで2曲ほどパーカッションをやらせて頂いた。
「コーヒールンバ」と「カリート」という曲。

御高齢故の、と思う。
運指が縺れて止まってしまったり、小節の半分辺りで次の小節に突入したりと。
その度に自分は氏の小節の頭を探してリズムの修正をするのだけれど、それでもちゃんと良い音楽だった。
音楽ってそこじゃないんだよ、と先生の背中が語り、そう解釈したら、本当にそうだった。

「とても良かった」何人もの高齢者の方にお褒め頂き(そのような会場だったので)その場では自分の如き若輩者は感謝するばかり、本当に貴重な体験をさせて頂いた。

自分が表現したいもの、ことに対して、身体の機能がもう付いてこない。
きっといつかはそのような状態に自分はなる。いや、皆がなる。
修練の問題を感受性にすり替える気はない。
しかしそれでも「表現」はある。そこに存在する、ちゃんと。

寛容さの裡にこそ感受性は存在しうる、と思う。
いや、否定、拒絶の裡にもそれはある、が、それが育つことはない、と思う。
そう云う勉強を今日はした。

だが。

真っ暗な場所で孤独に小さく輝く星のような、光の届かない水底の深海魚のような、そう云う感受性をでも自分は持ちたいと思う。
絶対孤独の感受性。

おおきく矛盾した気持ちを自分は抱えて生きている。

Photo
今朝は急に観たくなって「ニューシネマパラダイス」を午前中観ていて、お昼過ぎに楽器を積んで車で会場へ出掛けた。夏日の様相で久し振りに窓を全開、15分くらいの気持ちの良い運転。
そう云う気分の影響下だったから、するりとA氏の空気に紛れ込んだんだよ。

このこととこの映画は直接の関係はない。
けれど、トーン。

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