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2017年12月28日 (木)

ときどきトランス日記 No.79 / しめこのうさうさ。

毎年。
音楽のお堂にお参りして、数日経つと誕生日がやって来る。
だから、あぁ一年経ったのか、と思うのはこの時期。

Photo
世界の歯車はますます噛み合わずにぎりぎりと軋みながら、エントロピーは増大して、その回転速度は増しているように思える。歯車のいくつかにはもう亀裂が入ってる、いまにも割れそうだ。怖い。

国、国家と云うものの怖さが暴かれ出している。
そしてそのトップが軒並みに狂い始めてる。連鎖?いや、これはシンクロニシティじゃないだろうか。
連鎖は断ち切ることがまだ可能、けれど世界中あちらこちらで同時に多発している現象は止めることは出来ないだろうと思う。

先の、某神社のもと宮司の起こした陰惨な事件。何か神社というものがこれも僅かに暴かれた気がした。
こんなことも世界からの影響なんだろうか、、

とまれ。

色んな思いで破裂寸前の我が裡の内圧を、この音楽のお堂は受け止めて、降下させてくれる。
この一年に一度の奉納の如き演奏は、もう自分の人生には不可欠。

そうして、この横浜のお堂には實さんという素敵な宮司さんがおわす。
いや、ぼくが勝手にそう感じているだけで、お堂とは横浜最古のジャズクラブのAireginであり、實さんは其処のマスター。

Photo_2
けれど、前にも書いた気がするけど、お堂って云うのはお寺にあるもので、神社ならば祠と云う。
宮司って云うのは神社の偉い人なので、だから間違いではある。
でもね、このお店のドアの前に初めて立ったときにそう感じてしまったのだ。お堂を。
そうしてライブを終えて帰る頃には、マスターの實さんは僕の裡で宮司さんになってしまったのだった。

宮司さんはでも、今は自らガンマンを名乗っている。
放射線治療は長く辛かったのだと思う。
でも一年振りにお会いした實さんは穏やかに笑っていた。
抗癌剤治療はきっぱりと拒否されたそうで、でもすっきりと笑っている貌は頼もしい荒野のガンマンそのものだった。
きっとこれが正解の証し、そう思った。

けれど、陽が落ちて夜も深まる頃、お店がハネて家路を辿る頃には星空のガンマン。
その時だけは、ふっと寂しそうに笑うんだ。
ぼくがこどもの頃に観た映画のガンマンみたいにさ。

ところで。
此処の音の良さは自分の知るなかでは最高峰に位置する。
特にリンディックの音で感じること。
打撃音と実際に鍵が鳴る音とのバランスが素晴らしく良い。どっちの音も必要で、どっちが出過ぎても駄目。
その理由について、いつも解明したいと思っているのに、結局は判らない。
何か場の神的な霊力の働きなんだろな、と腑に落ちてしまう。

確かにミキシングをしてくれた菱沼君のちからも大きい。リハーサルの時点からとても丁寧に音を作ってくれてたし。
だから霊的などと言っては失礼かもしれないな。

しかし、ひっしー(こう呼ぶようにと宮司さんから言われてるので)のミキシングは初めてだったし、毎年変わらず凄く良い音なので、矢張り此処には何かあるのだろうと、つい考えてしまう。

2017
今年もつつがなく演奏出来て、、などというのは今の時勢に合わず、言わないけれど。いや、でもだからこそのつつがなさの大切さ。
つつがない。漢字だと「恙無い」
辞書の意味は「病気・災難などがなく日を送る。異常のない、平穏無事である状態」

そういう年になれば本当に良いのだけれど、来年。

10月はなんだかざわざわした月だった。
23日に江古田音楽祭というものに参加した。
音速は「フライングティーポット」というお店でのステージだった。
そうしてその直後の選挙で自公が大勝。
それがたかだか2ヶ月前の話なのに、もうずうっと前だったみたいな気がする。

Ekoon9

その頃、FBに投稿したのが以下。

選挙が終わってさ、その結果についてああだこうだと。毎日。
いや、もうそんなのも終わってる?

結果はそれが民意だったのだから、と。
でもそうなのかな?と思ってしまう。
「民」とは全員をもって「民」なのじゃないだろうか?でも選挙だから、この場合選挙権を持つ民主主義上の「民」のことになるけど。

民意。民の意思。
でもこの国には「意思」がないんだなと、つくづく感じてしまった。
意思がないから、選挙には行かない。興味が湧かない、考えもしない。
で、わかっちゃった。
驚くなかれ、まぁまぁ豊かでみんなが大体不足なく御飯が食べられてる後進国なんだよ、此処は。
珍しくないですか?我が国。

意思のないことや、若しくはあってもそれを示さないのもひとつの意思?
だからやっぱりこの結果は民意なのかも、、と、つい迷路で迷子。

はは。ない袖は振れんよ、きみ。と、ぼくもぶらぶら天気の町を歩きたい。

それにつけても寂しさが募る。募りまくる。
みんないなくなっちゃう。
赤瀬川原平、ピエール.バル―、ホルガー.シューカイ、そして3日前には遠藤賢司、、
中津川のライブの「夜汽車のブルース」にこころ震えて、72年の3枚目の「嘆きのウクレレ」まで夢中になって聴いた。中学生の頃だ。

数年前に観た映画「中学生丸山」で彼に再会出来た。初めて彼に出会った時のこころの震え思い出した、中学生のぼくに刹那会えた。その刹那を今日また思い出してる。

だからやっぱりぶらぶらと、なんとなく楽しげに暮らすことはやめようと思うのです。

ぼくは彼の初期の頃しか知りませんから「エンケン」さんという呼び方には馴染みがないので。

R.I.P 遠藤賢司さん。

Enk

***

先の夜。
神谷町という町で理容師をしている旧い旧い友人のお店で散髪して貰った。

コートのポケットの中の手が冷たくて、灯の入った東京タワーを左手に見た先の夜。
冬が来た、そう思った。この景色は自分には冬のもの。

初めての東京タワーが冬だったからね。いつまでも憶えてる、幼稚園の時分。
今みたいにカラフルな灯じゃなくて、暖色のひと色だった。暖かな山吹色。

昭和33年、333メートルのこのタワーは12月23日に竣工し、ぼくはその5日後に生まれた。

日比谷線、丸ノ内線とメトロを乗り継いで、ふと自分はほくそ笑んだ。
いつもなら四谷で中央線に乗り換えて帰路につく。
しかし丸ノ内線、、終点はそう言えば荻窪。

これはしめた。しめしめしめこのしめ兎。しめこのうさうさ、などと呟きながら四谷をやり過ごす俺。
何故ならば、荻窪に何か用事はないかな、と常に思っているからである。
何故ならば、大好きな「つまみや」があるからである。荻窪に住んでいたならば、きっと週に4回くらいは行ってしまいそうだからである。
しかも散髪したてで髪型には自信がある。ちょびっとお洒落な格好もしている。

いや。
立ち呑み屋です。普通の。
立ち呑み屋ならば世間にたくさんある。国分寺にだって2軒ある。
なんで「つまみや」なのかは自分でも良くわかりません。でもそうなんだから。
あぁ、恋には理由なんかないから。んん、そうですねぇ、そりゃそう。

金宮焼酎をコダマバイスで割って一息ついて。
お腹の空き具合が嬉しい。
牛肉豆腐をするする食べて、もう一杯。
中、つまり焼酎だけは100円玉持って自販機に買いに行くのね。金宮、霧島、樹氷、トリスと色々選べる。
おでんの大根と卵を貰うついでにバイスをもう一本。今度はこれで3杯呑もうと決める。
んん、まだ何か食べたいなと思い、カウンター向かいの人がさっき頼んだカニクリームコロッケを盗み見る。
そうして必ず食べようとこころに誓った。

Tuma
自分は小遣いを1600円遣った。
5杯呑んで3皿食べてこのお値段。だがつわものは1000円でこの酔いに到達すると云う。
「修行が足りぬわ、莫迦者め~」と和尚に扮した志村けんに怒鳴られた自分は、それでも機嫌良く帰路についた。

とまれ、年末がやって来た。
断線していた玄関灯、使えなくなっていたインターホンはさっき電気屋さんが来て修理してくれた。
ぼさぼさだった松の木や梅の木にも植木屋さんが入った。

Matsu
Gen
少しづつ溜まって気にかかっていた暮らしのちょっとした引っ掛かりがすっきり。
夕べはお気に入りの友人カップルが遊びに来てくれて、非常に楽しい宴になった。生ワインの一升瓶はすぐさま空になって、その後も発泡ワインを飲み続けて、いつの間にか眠ってしまっていた。
明後日の晩は、血こそ繋がっていないけれど、濃密なバリ島の空気で繋がっているぼくの家族と言ってしまっても良いひとたちが我が家に集合する。大集合。

浮かれ騒ぐ年末。でも今日は静かな一日だろう、の誕生日。

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