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2017年9月26日 (火)

ときどきトランス日記 No.78 / 夏終わる。いや、毎年夏は終わるのだけれど。

でもまるで合図みたいに大きな台風が来て、台風一過して終わっちゃうね、夏。

でも夏の終わりたての、今日みたいな晴天の日はいい。
淹れたての熱い珈琲に羊羹とかね。
ちょっぴり淋しいこころ持ちも和むってもんだよ。

なんだか楽しみにしてたホンの短い旅行もあっという間。刹那に彼岸の向こう。
だからね、その名残は自分に買ってあげたお土産の泡盛に混ぜちゃった。

沖縄なんて初めてだったんだよ。
映画でしか知らなかった土地。
それも30年も前に観たような映画の印象。
「パラダイスビュー」とか「ウンタマギルー」
奇譚。
そう云う言葉があるのか知らないけれど、奇想譚。
んん、シャーマニズムですね。とかアニミズム。

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しかし初めての沖縄は先の台風18号の名残たっぷり。
波浪は強風に沸きたって海は怖いくらいだったし、頭の裡の縹色は初日から分厚い鼠色の空と粘土色の水のうねりに消えてっちゃった。
突風で霧になった海水で視界は白く霞んでて、髪も身体も風に絡まれてべたべただ。

けれど、飛び込んだ土地の居酒屋はこの世の天国っぷり。
そうして、こよなくこよなく旨かった。
オリオンの生ビールとこっちじゃ見たこともない泡盛の水割りをぐいぐい呑んで。
それで食べたこともないような食べ物が目の前にどんどん運ばれて来るのね。
そうか、自分は沖縄に呑みに来たのだぁ、と少し強気な気持ちになって。

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そろそろ辺りが曖昧になって来る頃、風に吹き飛ばされながら歩いたら、もう一軒。

「旅に出たらまず喰い物ですね」細野晴臣扮する学者「イトー」の台詞をいつまでも憶えてる。旅に出るといつも思い出す。

借りているヴィラで眼が覚めたらもう翌朝。
そういや、夜中に近所のハンバーガーショップに息子と行ったよなぁ、、A&W
これはマレィ半島にはたくさん出店していて、毎日行っていた。ぼくはここのルート.ビアが大好き。
舌に沁みついた熱帯の味なんだ。

洞窟でシュノ―ケリングは中止の連絡。どころか海水浴場はどこも遊泳禁止です。
独りの旅ならば、もとよりそんな処へは行かないけれど、家族旅行。しかも8人の大所帯。

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でも車で走るのは気持ちが良かったし、小さな島に渡ってみたらば、見たかった景色がいくつもあった。
変わらず風はあったし、空は南国的にどんよりとしていたけれど、厚い雲割って時折覗く空の青さがかえって沁みた。

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いやしかし、この日記、いっつも飛び飛びだけれど、今回は5ヶ月振りくらいだ。
前回はお花見のこと記してたからね。
じゃあこの夏はナニにしてたのか、って言うとね、去年から一生懸命楽し苦しく準備してきた小説を7月に出版出来てね、その本眺めてはにやにやしてただけなんです。
だってホントに嬉しかったからね。

_3
だから不評だったらしい今夏だけれど、ぼくにとっては良い夏だったんです。

あぁ、もう大分麻痺して来てるんだな。
明日戦争で死ぬかも知れないのにね。もうそう云うことが現実的にすぐ傍にあるのにね。
独りで死ぬわけじゃないから?
大勢のなかのひとりだからさ、しょうがない?

もう、それはそれとしてって、世の中は稼働しているし、それしかないのだとぼくも思う。
一触が即発してしまえば、もう誰にもどうすることも出来ない。終わり、しかないのだからね。

これはある種の「苦しみ」なのだと思う。
状況への麻痺と云う。取り敢えず忘れると云う。いままであまりなかった苦しみ、と思う。
戦後、この国が経験してこなかった苦しみ。震災や原発事故でも味わわなかったろう苦しみ。具体的な行動を持って行く場所がない。どころかナニをすれば良いのかもわからない。
反対!許さない!認めない!って、、いや、何を?
その相手が全然見えてこない、筋道も見えてこない。
だから取り敢えず反対なのだ。反対の賛成なのだ。賛成の反対なのだ。
と。
バカボンパパになってしまうのだ、、

そんな時に画家である親しい友人の個展を観に行った。

苦しみの除去に関する印象を強く感じた。
個人の苦しみって云うのは、世界の苦しみを遥かに凌駕して深いのだと感じた。
だが同時に、世界はそう云う個人の苦しみの集積だ。そう云う世界をカッタ―ナイフで切り裂いて内的宇宙を見せるアーティスト。
世界の心象を自分へと置き換えて表現できる、それこそがアートの本質だろう。
彼はその場所へと着地していたのだと思う。だが、ここまで出してしまったのだから、次の場所へと移動がなされるのだろう。
だから自分は目を離さずにいたいと思う。先をぼくにも見せて欲しいと思う。

Baba1Baba2
とまれ、苦しみがなければ、その対極にある幸福は存在できないのだと印象づける作品たちだった。
現在のこの世界と彼の作品を関連付ける気持ちはない。ただ、シンクロニシティという言葉が浮かぶばかりだ。

「これで一区切りと云うかね、明るい絵に向かい始めてるんですよ」
そう言いながら美味しそうに酒を呑む彼を憶えていたい。
苦しみと徹底的に向き合わねばならない苦しみだったんだね。

画廊のある銀座の古い古いビルからから丸ノ内線で荻窪へ。
目下、一番のお気に入りの立ち呑み屋があるからね。でも国分寺住まいの自分には用事のない町。それが残念でならないのね。

何か荻窪に用事ないかな。

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