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2016年2月

2016年2月 2日 (火)

ときどきトランス日記 No.74 / 20センチ足りない、あぁ、切って捨てたんだよ。

2016年1月19日(火)入院。1月21日(木)8時45分~S状結腸癌切除手術。

5時間が経過していた。
眠った、という感じは微塵もなくて、1秒前に目を閉じて、1秒後に開けたら終わっていた。時間の経過感がない。眠った記憶がない。
でも覚醒の瞬間には恐ろしい苦痛が伴った。
身体の奥深い所から、底の方から喉にせり上がって来たのは唸り声。
安らかに死んでいたところを、ぐいっと無理やりに引っ張られ、現世に呼び戻された感じがする。
実際に全身麻酔と云うのは、自発的な呼吸が不可能なので、気管へ人工呼吸器を挿入して息を繋ぐ訳なので、半分死んでいるようなものなのかも知れない。

生と云う現世の苦しみをもう一度背負い直す苦しみ。
抽象的な苦しみはでも、正体が知れないので恐ろしい。

自分はそのままもう一度気絶し、数時間後に痛みで完全に覚醒した。
回復室と云う部屋に寝かされており、此処で一晩を過ごさねばならない。
8時45分に開始された手術だが、ベッドはカーテンで囲われており今の時刻は見当もつかない。
身体を少し動かしただけで下腹部に物凄い激痛。
ドクターは孔、と言っていた傷口は5箇所。
うち、4箇所を頂点として線で結ぶと、横長の長方形になる。上辺の真ん中にお臍。
そして5番目の傷はお臍のすぐ下。
ともかく、この長方形内が激痛のフィールドとなっている。

自分の手術は下腹部に5個の孔を開け、そこからカメラやらメスやら縫合機を入れて、モニター画面上ですべてが執り行われると云う、自分の感覚では近未来的な感じのするものだった。

腹筋に連なるどんな箇所も、痛みが恐ろしくて動かすことが出来ぬが、手首、足首より先だけは自由に動せる。だから出来るのはじゃんけんだけ、という情けない状態。

Ten

痛い痛い。でも少しでも良いから身体を動かしたい。同じ姿勢でいるのはもっと辛い。
自分はもともと側臥位でないと眠れないタチであるので、この姿勢は苦痛。寝返りの欲求に耐えられるのか、不安が大きい。
結局は、激痛とその苦しい欲求を秤にかけての行動となる。
だがいまは矢張り激痛が有利であり、動きたい欲求は劣勢にある。けれどそうであるばあるほど欲求はその苦しさからどんどん増大する。果てしなくせめぎ合う。

ところで、股の間の先っぽに違和感があるので触ってみたら、導尿用のチューブが挿しこまれている。
そういえばそう云う説明を受けていた。挿入は仮死状態の時だから良かったなぁ。考えるだに恐ろしい。
身体の左右がごたごたと絡まっている。
左腕に点滴のチューヴ。
長方形左下の孔からドレーンチューヴ。これはお腹の奥深く、腸の縫合部分まで挿しこまれている。
背中下方に局部麻酔用に繋いだチューブを使い痛み止めが流されている。
右腕には自動で血圧を測る為ベルトが巻かれ、定時にぎゅうぎゅうと締め付けて来る。
左の人差し指には血中酸素濃度を測るクリップが挟まっていてコードが何処かへ伸びている。

苦しい夜。
覚醒時のあの恐ろしい感覚が何度も戻って来る。
理由がないから解決法もない。出口がない。
子供の頃に熱を出すと必ずやって来た、お馴染みの悪夢と混ざっているので、発熱して苦しいなりに、でも時々は眠ったのかも知れない。
痛みを堪えカーテンを少しずらすと、壁の時計が見える。けれど、距離もあり角度も悪く、はっきりと読み取れない。
恐ろしい事に何度見ても同じ場所に針があるように思える。

向かいのカーテンの向こうには、自分よりも酷い状態の患者が寝ている気配がする。
医療用モニターからの発信音なのか、鶏の鳴き声を旧式のシンセサイザーで合成したようなチープなシグナル音がうるさい。気になる。
60秒位に1回必ず鳴る。この間隔を測って、それで時間の経過がわかるな、と考えるが、そのこと自体で気が変になりそうで実行しない。固執は発狂の前兆。この狭間で溺れもがいている。

とまれ。

この世で一番弱い生物と成り果てて初めて、ようやくひとは自分と向き合う。
恐ろしく莫迦で高慢。
それが自分でした。

想像力がないから他人の痛みをわかろうとする気持ちがない。
自我の肥大増大をポジティブに捉えて成長だと勘違いする。
最優先するのはいつだって自分。こころのブレーキパッドはいつの頃からか擦り減り過ぎて、もう効きはしない。
でもそういう人間性0メートル地帯でしか安らげない俺。
でもでも、どうか許して下さい。もうしません。もうしませんからこれを終わらせてくださいと、莫迦が祈る。

こころの痛み。身体の痛み。恐ろしい夢。罪と罰。満たされぬ狂おしいほど強い欲求。
脊髄へ流し込む痛み止めなどちっとも追いつかない。熱が上がり下がる。
逃げ場は何処にも見当たらず、これは本当に気が狂うのではないかと思った。

夜明けを渇望している。
だが、明日は此処から自分のベッドまで歩いて帰るのだと云う。
この痛みを考えるだに恐ろしいことだが、それでもそれが待ち遠しい。時間の経過、動き、変化への欲求はもう破裂寸前だから。
だが時計の針は遅々として進まない、、

翌朝。

キャスターのついた点滴のスタンドにぶら下がるようにして、病室へ戻る。
起居動作の痛みは物凄く、喰いしばった歯の間から声が漏れる。
何のアクセントもない1日、動きの欲求との折り合いをつけるだけの長い長い1日が続く。

3日間の絶食後、食事も開始されて、一本一本と日ごとにチューヴも抜かれていくのが嬉しい。ちょっとづつ自由を獲得してゆくのだ。
動きは、その痛みの最大値の予想がつく様になって来ていたので、痛いが構わず動いた。
ストレスが随分と軽減した。
術後8日目に点滴用にキープしてあったルートを抜き、これで全てのチューヴが撤去された。爽快だ。

咳やくしゃみが出やしないかと、びくびくしながら眠れぬ夜を過ごすこともあったし、9階の病室の窓は大きくて、そこから見渡す東京の大屋根の、その夜明けの美しさに息を呑んだ朝もありました。

Mado
眼下の街に朝陽が射しはじめると、背の高い建物から光ってゆく。太陽の方向を向いた面だけが光ってゆく。建物の後ろや足許はまだ薄闇のなか。陽が昇るにつれ、足許の民家たちにも陽が射して、同じように光ってゆく。
どの建物も太陽に向かってぐるりと建てられているように見える。
太陽を中心にぐるりと街は広がっている。宗教画の様でもある。太陽神RA。
けれど、陽が昇り切ってしまうと、その建物たちはまたてんでばらばらな方向に、いつの間にか戻っている。
そういう朝を毎日ぼくは眺めていた。

とまれ。

そうして自分の大腸はひとよりも20センチ程短くなりました。
そうして自分の莫迦や高慢さも、やっぱり20センチ短くなって。

何れ。
そう、何れ、すっかりもと通りになってしまうにしても、切って捨てたこの20センチを忘れずに生きて行く。
この20センチにぎっしり詰まったものを。

Kusu
去年の年末。
クリスマスの音速のライブには随分たくさんの友人が来てくれた。
遠くの街から、南から、近くの街から。
皆、この事情を知っている人たちばかりで、敢えてその話題は出さずとも、おおきな励みになった。
横浜エアジン。
古い古い音楽のお堂。大切な場所である。
巡礼、遍路のような気持ちで入り、出てゆく処。

12月23日 @横浜エアジン

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お正月は暮れから帰省している息子と三人で。
手術後は暫く呑めなくなるのだからと、奮発して購入した美味しいお酒に美味しい料理をたくさん頂いた。
入院日が決定した頃に、友人カップルが彼らの自宅で壮行会の如きを催してくれた。
初めて伺う家だったが、丁寧に暮らしているな、と感じた。これは見習いたいなと思った。
ふんだんに用意されたお酒、食べ物、音楽。
彼らの行き届いた気持ちが部屋の隅々まで満ちている。素敵な暮らしの柄を見せて貰った。
楽器を持ち寄りお酒を飲みながらのセッションで夜が更けてゆく、なんて久し振りなこと!

Yu

1月17日大雪。
1月18日 仕事から戻り、駐車場の雪かきをする。
1月19日 一番大きなリュックに荷物を詰め、歩いて病院へ。雪は路上にたくさん残っているので、服装も足許もアウトドア風で固めて、これから入院するひとにはまるで見えないだろう。

病室に案内されて嬉しかったのは、4人部屋だが各自の占有スペースが広いこと、思っていたよりも。この部屋の大きさだったら無理すれば6床は入りそうだが、そうせずにゆったりとした間取りだ。
ベッドは窓際。その窓も大きくて見晴らしが凄く良い。遠くに副都心やスカイツリーも見える。

此処は9階だけれど、普通の住居用の建物なら11~12階くらいの高さで、そういう景色が寝たまま見渡せる。
手術は明後日だから、手術など受けたことのない何も知らない自分は、2日間たっぷりと呑気に過ごせるな、と思った。
そして、術後の状態など何も想像していなかった。

Ore
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