« 2015年10月 | トップページ | 2016年2月 »

2015年12月

2015年12月11日 (金)

ときどきトランス日記 No.73 / 藍染の癌だけが残った話とガリバー旅行記。

12月4日(金)7時過ぎに目が覚めてみると、カーテンが陽の光で膨らんでいる。カーテンの外側は光で漲っているのがわかる。
外は色彩に満ちているのが観なくてもわかるような朝に。
さぁ、今日から俺は癌患者になったんだ、と思った。

Hik
いや、本当は昨日の16時過ぎくらいに告知されたんだけれど、昨日は実に寒々しい天気だった。
暗くて終日冷たい風が吹いて、そういう告知に相応しいような日。
色彩の感知なんてすっかり忘れ果ててぼくは。
覚悟が出来ていたことだったので、お腹も空いていたし、さっさと帰って暖まりたかった。
呑んでしまえば混ざるから。またゆるゆると色も感覚も戻って来るから。

先月。

11月11日(水)
大腸ポリープ切除手術。
あぁ、これ、この一番小さい奴、多分これ癌化してるな、とドクターに言われてしまった。
でも死ぬとかそういうアレじゃないんで、そんな大変なのじゃなくて、などとするりと言われてしまったものだから、衝撃も何もなく、するりと入って来た。
話が違うじゃないかとも思ったが、あぁ、セカンドオピニオンみたいなことになったのか、と得心した。
生体検査に出すから、兎も角も結果は来月3日だとも。

ところでインディゴ染めの服が好きである。
自分には少々高価なものであるけれど、数枚は持っている。ジーンズだってリーヴァイスの古いの大事にしている。
目印に刺青しときました、とドクターは言う。
世の中には色んな藍染があるけれど、癌の瘡部に藍でナチュラルダイ。

ポリープ2個は切除され、藍に染まった癌だけが残った。

Watanabe042

これから一週間、自宅でおとなしく暮さねばならない。
禁アルコールはもちろん、饂飩とお粥ばかりの日々だ。
5日目の夜、この世の終わりかと思う程の大出血があった。あるかもしれぬと言われていたけれど、これには青くなった。
何の沙汰もなかったので、もう大丈夫なのだろうと思って食事を通常に戻すペースをナメていたのかも知れない。

その前日、家人と散歩に出かけた。土曜日。
小雨だったのでどうしようかと思ったのだけれど、思い切って出掛けた。家に居るばかりでは身体も心も疲弊するから。
立川までのお気に入りのルートを歩く。
途中の障害者施設でバザーが開かれていて、こういうバザーとかフリマみたいなのは二人とも素通りできないタチ。
テント内の古書のコーナーが充実している。
家人はこういうとき、迷わずぽいぽいと抜いては手に重ねてゆく。自分は、お、と思っても、まずは一周してから取りに戻るタイプ。これで先を越されたことは何度もあるけれど、やはりそうしてしまう。

しかし文庫本のところでふいと目が留まった。
「ガリバー旅行記」
まさかと思ったがやはりそうで、とっくの昔に絶版になっている旺文社のやつ。
翻訳者は父である。
自分はこれを持っておらず、常に探している訳ではないが、古書店で見かけると一応確かめていた。
こんなところで出会うとは。

訳者紹介を見ると、他にDH.ロレンスの短編集も訳しているらしいが、これは知らなかった。
子供の頃の父は子供たちと距離を置いていた。でも今考えると、幼少の頃に父親を失くしている彼はきっと子供との接し方がわからなかったのだろうと思う。
食事以外の時間は書斎に籠もっていたので、何をしている人なのかわからないようなところがあった。
自分は成長につれ父に反発するようになり会話も大してないから、彼の仕事についてはあまり知らない。

Ga

でも何か、こういうメランコリーが気持ち良いような日に昔の父に出会ったよ。

立川のIKEAは巨大で楽しい。
すぐに必要ではないけれど、安価で色やデザインが綺麗なものをいくつか買った。
上のこれまた巨大なホーカ―スみたいなレストランが好きで、スウェーデン料理の甘いジャムをつけて食べるミートボールや固いパンを食べた。
軟食からの移行だったので、お腹にうまく収まるか心配だったけれど、その晩も翌朝も大丈夫だった。

日曜日。また家人と散歩。
いつもとは違う初めての道を使ってかなりの遠回りをして国立の外れまで。一度入りたいと予ねてから思っていた中華料理店に入った。
マレィの都市部のカキ.リマと呼ばれる回廊式の軒廊の四つ角にある、こういうお店。オープンエアで外の歩道までイスやテーブルがはみ出している。コピティアムと言う。
それに雰囲気が近くてね、嬉しくて餃子と麺を食べた。少し自信が出てきていたし。

それが。

翌日慌てて止血処置を受けて、お陰で禁酒期間が5日ほど延長してがっかり。

多分癌化していると言われているし、出血も酷かった。多分そうなのだろうと思って12月3日を迎え、そして確定した。
だから取らないといけないので(詳しく云うと、ガイドラインの安全値の2倍以上の深さまで根を張っているので他に転移しないように、その部位をリンパ節からはずす)手術&入院が来年1月にある。
病名は初期S字結腸癌。

確定さえしてしまえば、あとは覚悟を決めるだけだからシンプルな分、楽になった。
~かもしれない、という状態はやはり辛い。前回にもたっぷり味わった。
これが、どっちでもイイや、ならば良いけれど、出来ることなら回避したい、とか奇跡待ち、みたいに片側に希望の重量が偏ってしまっていると、真っ直ぐ歩けない。

だからお酒を呑みながら好きなことに打ち込もうと思った。

自分にとっては家族のような友人が、かつて長きに渡って暮らしたことのあるUbud村にカフェをオープンする。
ついてはお店でかけるBGMを選んで欲しい、との依頼があった。
店舗デザインのsunaも珈琲担当のkotetsuもまさに自分のファミリー。
ふたつ返事で了解した自分は早速焼酎の美味しいのを買い込み、お湯にそれを注ぎホットなドリンクを作って考えた。
返事をした当初はスムースジャズが良いんじゃない、程度の考えだったが、やはりそれは違うと思った。
単に其処に流れてしまうとお店としての芯、みたいなものが失われてしまう。
ただスムースジャズは決して間違いではなく、あとは直感に頼るのみ。

建築中の店舗の写真が届く。
あぁ、これは、、
sunaのこのところの店舗デザインの傾向の延長線上にあるなと思った。
メランコリックで頽廃的。停車場にあるキャフェーで列車を待つ。男と女。背徳が匂う。
刃物を呑んだ、新聞売りに身をやつした男が油断のならぬ目を光らせている。

でもこの色にどっぷり合わせてしまう音楽は避けた方がよかろうと思う。
少しずらす、外す方が賢明だと思った。
ジャンゴ.ラインハルトやステファン.グラッぺリは回避しようと思う。だってこれは映画ではないからね。けれど、旅の中途にいるお客さんも多いだろうから、此処で更にその旅が先へと続く様にしたい。
旅の中途で更に別の旅へ。

自分は良く良く考えた。
で、最初のスムースジャズからの連想でピンと来た。
SteelyDanかな、と思った。
米国のロックバンドだが、ある時期からジャズ色が濃くなり、N.Y的無国籍化に深い味わいがある。
次に繋がったのはRayBryantの「SlowFreight」のB面。それから幾枚ものアルバムが繋がって出て来た。
でもどれもアナログ盤ばかりで、送るのは無理。

ところで、爆買いが流行っているという。
ピンと来たことの発端はこう。
旧い友人のギタリストがFBに「急にSteelyDanが聴きたくなって纏めてオトナ買いしました」なんてジャケ写真の投稿してて。そうすると自分はもう猛烈に「うそつきケイティ」が聴きたくなり、AjaやPegもたまらなく聴きたくなって。
たまらずAmazonサイトにすっ飛んだ。馳せ参じた。駆け込んだ。

Su
そしたら見つけてしまった、、
「SlowFreight」2990円。
とうとう買った。
CD化されてて、でもそれもとっくに廃盤、なんてことも全然知らなくて。
気付いて慌てて買おうとしたらば、もう値段は5000円6000円みたいなことになってて。
これは一生手許にあるべき音楽なのだから、アナログ盤でもCDでも持っていなくちゃいけない。
RayBryantの異色作。B面(CDだと4曲目から)の美しさは筆舌に尽くす。
17歳の自分はこのB面を聴くために高校をサボり、吉祥寺のジャズ喫茶moreに何度も行った。開店したばかりのがらがらの午前中。
珈琲を淹れる香りと音楽。紫煙。独りぼっちの楽しさを覚えたのもきっとこの頃。
午後の授業は適当に、帰りはまた吉祥寺。今度は仲間と。行先はロック喫茶「赤毛とそばかす」JBLのばかでかいスピーカーからの爆音のロックミュージックに耽溺できる素敵な場所。
他の高校のロック好きのダチたちと合流したりして、それは楽しい青春時代を送ったのだった。

しかしこの名盤は当時としても希少だったのだと思う。置いているジャズ喫茶は限られていたし、何処かのお店でリクエストしたら「そんなのあるわけないだろ!」と怒られたことすらあった。
中古レコード店巡りが趣味みたいになってから数年後。荻窪の「月光社」で、でもとうとう巡り合った。値段も750円とか950円だったと思う。
この店は老兄弟(と、当時は思っていたが今思うとふたりとも60代くらいだったかも)が経営していて、その日は弟の方が店番していた。
自分は震えながらその盤を帳場へ持っていったのだと思う。

ところで、いや、もう待てない。これ以上待つことは危険だと思った。迷わず自分はクリックした。

待つこと数日。
「SlowFreight」「うそつきケイティ」「Aja」が別々の日に送られてきた。こっそり郵便受けに入っている。毎日入っている。
その姿が非常に嬉しい。
RayBryantのはもう自分の血肉になっているから、所有出来たことの安堵感が大きい。で、SteelyDanも実はそうだったみたいで、今度は「トルコ帽もないのに」とか「ハイチ式離婚」とか「リキの電話番号」が凄く聴きたくなってくる。

ここで火がついてしまった。
さっそく自分はAmazonに乗り込み「Royal Scam」「Pretzel Logic」「Gaucho」さらに初期のベスト盤まで注文した。
爆買いだ。もういいんだ、もうオトナなんだから買ったっていいんだ。
更に自分は欲しいなと思っていたSachal Studios Orchstraを狂ったようにクリックし、返す刀で「ギター殺人者の凱旋」やらPiereBarouhやPoguesやJoeSampleなどを押しまくったの。もう返り血で自分はずぶ濡れなんだよ。

Ba
長くてぐらぐらした18日間、そうやって自分は過ごした。
ポリープ切除時に10日程休んでいるので、職場に復帰後、体調などを訊ねられる度に、もう大丈夫ですと嘘を吐くのが嫌だった。
入院時期が決まるまでそれはまだ続く。

とまれ。

このような晴天の冬の朝。
自分は癌患者としての一歩を踏み出した。

Bi

生きている間がすべて。
死後の世界云々はホントにどうでもいいことなんだと、最近思うようになりました。
ひとは生きるために生きているんだから。生きるために産まれてきたんだから。
不自由で不公平で理不尽。こそ、生きているってことかな、って。
で、死んだらそこから完全に自由になれる。
死んだら怖いくらいの自由が果てもなく広がっているのかも知れない。
上も下もない。右も左もない。前も後ろもない。権力もお金もないから、そこから産まれ育つ怪物もいない。
恐ろしいくらいに制約がない。
あぁ、生きているってことは制約があったからこそなんだと、その時気付くのかも知れない。
だから死後を想像する事には意味がない。

今回は別に死ぬわけではないけれど、でもそういう事がとうとう自分に近寄って来ているのか、と思う。

大切に思っていて、最大限のリスペクトをさせて貰っているミュージシャンがいて、先頃彼女の夫がバリで亡くなりました。癌でした。その最期の時まで素晴らしいアーティストであり続けたことは言うまでもなく彼女から伝わってきた。
あぁ、JasonMonetも、、
素晴らしいアーティストだったひと。彼も癌で近年逝ってしまった。
お気に入りの場所の風景画も随分描いたけれど、肖像画の凄みといったらなかった。ひと、の内面が露わに出ている。彼の前では隠しようがなかったのだと思う。
ぼくもそうだった。剥き出しの時分と向き合うようだった。僕の知るひとたちの画もそうだった。隠しようのない真実が見えるようだった。
ぼくの音楽を好きでいてくれて、ライブは欠かさず聴きに来てくれた。PlanetBambooやDuoTones。
そうして彼とお酒を呑むのが大好きでした。

旧友のドラマーは最悪の癌と戦っています。現役のドラマーであり続けるために。
家族のように思っている友人カップルの最愛の息子も小さいながら癌と戦っている。生きるために。
自分の家族にも認知症と癌と戦っているものがいる。

でも。

戦いを終えて自由になった魂も、戦いのさなかの友も家族も、生きるために生きて来た、いる。
この戦いには勝つ、負けるというのがない、そういう意味が消えていると思う。
だから戦い、とは違うのかも知れない。

戦い、と言ってしまえばその勝ち負けには、どうしても利権が発生してしまう。この世の100%がそれによって運航されているから。

でもこのことは、そうではない。

Sora01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年10月 | トップページ | 2016年2月 »