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2015年8月24日 (月)

ときどきトランス日記 No.71 / かき氷の夏。

夏の名古屋の暑さは度を超えた容赦のなさで、そこが良い。マレィ半島の都市部の暑さと似ているのね。
濡れたような暑さに包まれて。

名古屋ではかき氷を食べました。
覚王山の日泰寺と云うお寺への参道のお店。
みたらし団子や五平餅、心太やきしめんなんかも商っていて、首振りの扇風機がゆっくり作動しているような、眠っているみたいなお店。

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そこを少しだけ起きて貰って。
でもお客が帰ればまた眠ってしまうのかな。

小学生くらいまでは、国分寺にもこういうお店があった。
みたらし団子、餡子餅、お稲荷さんや海苔巻き。冬には今川焼。夏にはかき氷。
マーケットとかストアなんていう言葉はまだなくて、市場、と言っていた。
朝日市場や国分寺市場。
乾物臭い市場の中の、乾物屋の隣にあった。母親の買い物にくっついていくと、時々何か食べさせてくれた。
夏にはいつもかき氷。
壁面が崩れぬように、食べる前に両手で少し固めてから匙で掬うんだよって。

かき氷。

もう50年近くも昔、家庭用のかき氷器というのが初めて登場した頃に、我が家でも導入した。
こういうものは、サイフォンやらジューサーミキサーやらアイスクリ―マーやらと同じで、暫くするといつの間にか仕舞われてしまって、もう二度と出てこない物品である。
だが、外箱の印象が強く、たしかあの辺に、と思って実家に寄った際に探してみたら、やはりあった。
何故か黄色いヘルメットがおまけについていて、白木みのるがコマーシャルをやっていたのだった。

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家庭用かき氷器と云うとペンギン型が有名。初期の家庭用からは10年位後発だろうけれど、まだ「カワイイ」の時代では全然ない頃の、当時のポップ感覚。
しかし我が家のはもっと骨太で、インダストリアルデザインなんて言葉が似合いそうなやつ。

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8月8日(土)@名古屋「TOKUZO」~真夏のバリ島祭り~

バリのトラディショナル達とのコラボレーションという、音速得意のイベント。
ガムランのSuara Sukma、バリ舞踊Surya Metu。書道家の山田陽水さん、声楽家の山田広美さん。いろんな組み合わせでの演奏は物凄く面白く、普遍性の紡ぎだすトラディショナルな輝きと、一回性の発火を身上とする音速との鬩ぎ合い、冒険とスリル。

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音像の刹那の記憶の連なりで成り立つ音楽、残像のうねりが作品になってゆく舞踊、最終の完成形から遡ってその過程のダイナミズムを感じる書道。
其々の時間芸術のその時間を共有するという、まぁ、言葉にしてみたらそんな感じのことなのだけれど、あの時の会場を浸す濡れたような暑さは圧巻でした。

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熱に霞んでゆく視野は現世を離れ、別の物を見せてくれる。真夏の名古屋。

往路も復路も大好きな新幹線。
ビールが美味しいので、あと2時間位は乗っていたいなといつも思ってしまう。
本を読みながらビールを飲んで、富士山や浜名湖のあたりではちょっと外を見て、何か美味しいもの食べても良いな。で、好い加減の辺りで音楽を聴きながら居眠り、、には名古屋はちょっと近すぎるのね。
けど、それより遠いとやはり飛行機になってしまう。物見遊山の旅じゃないから、やはりタイトな時間割。
それでも時々こうして好きな乗り物に乗って音楽の旅をさせて貰っているのだから、有り難い事だなと思う。

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8月ももう半ば。
高校で寮生活をしている息子がラグビー部の合宿を終えて、一週間帰って来た。
彼が産まれてから6年と少し、南の島の小さな村で親子三人とても緊密な暮らしだったのに、帰国してからは少しづつあの濃密だった三人感が薄れていった。それはでも当り前のことで、家族のひとりひとりが、ひとり、として自立してゆく、絆はそのままで、っていう家族の成長の過程なんだろう。

家の中に三人居る、っていう「感じ」とか「気配」っていうのは久し振りで、とても心地良い時間過ごした。
とくに旅行に行くわけでもなく、買い物に付き合ったり、付き合って貰ったり、スーパーラグビーの録画でわいわい言い乍ご飯食べたり、お気に入りのワインバルに連れて行っちゃったり、朝ゆっくり過ごしたり、実家に遊びに行ったりした。

帰省3日目。彼の大好きな下北沢で遊んだ。
自分の仕込んだ古着だが、見る目が育ち、なかなか良いものを選んでいるじゃないかと思う。
この町はバンド仲間が昔住んでいたこともあって、随分遊んだ町だ。20数年前のはなし。
お店が増えて過密になっている感じがでもそれほどしないのは、適当に新旧交代が行われているからなのかも知れない。
良く行っていた呑み屋はどれもなくなっていたと思う。
ジャンプ亭、鍵屋、名前は忘れたけど店内が3層くらいの複雑な構造になっていて、鬼太郎の家と呼んでいた店、もっと色々あったけど、もう忘れてしまった。
冬にはおでん屋に良く行っていた。
好色なお爺ちゃんがやっていて、男の連れがあろうとも粘り強く女性客を口説いてた。
いま風呂沸かすから、その間に奥に布団敷いとくから、、云々。
しまいに嫁らしきひとに叱られて、でも懲りずに、性交の動作をする対のワヤンクリット人形みたいなのを出して来て、目の前で嬉しそうにぱこぱこ動かしてみせた。
でもおでんは絶品。鍋の遥か底から深海魚みたいに時々現れる、真黒に味のしみた大根とか卵。
ぼくたちは注文する度に「下から下から」って。
コの字のカウンターの奥にちらりと見えている住居らしき畳の部屋に、最後に女性が泊まってからどれだけの時間が経っていたんだろうといま思う。
もしかしたら一度もなかったんじゃないのか、とも。

この晩は親しくしているアーティストBちゃんカップルのご招待があって、凄く楽しみにしていた。
19時に西武遊園地駅近くの橋の上で、って云うインフォメーションだけのミステリーツアー。

多摩湖に架かる長い長い遊歩道を兼ねた橋。
あちこちで小さな宴が始まっていて、わくわくする空気。
歩いてゆくと小さな灯りの許にぼくたちの宴の場が用意されていて、Yちゃんがにこにこして待っていてくれた。
アジアの宵には何処でも見かけるような屋台。
美味しそうなものがたくさん並んでいる。

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このふたりの料理のセンスが凄く高い。
そのセンスは旅の記憶を料理にしてしまうセンス。
エスニック料理、な訳だけれど、食材やスパイスが完全に現地の物、と云うのは家庭ではなかなか難しいので、何で代用してホンモノの味に近づけるのか、が面白さと思う。

我が家もエスニック料理を作るが、それは生活の記憶の料理なのね。なので、彼らの旅の記憶の料理がとても楽しく、どれもにふたりの「感じ」が満ちていた。

湖上を渡り、橋を吹き抜ける風とワイン。
料理は風で味つけされて更に美味しく。
西武遊園地では花火!

西武遊園地は子供の頃に随分行った。国分寺から電車で20分くらいで近い。
昔は隣にあったユネスコ村とセットで行くのが定番だった。

その頃は西武遊園地駅ではなく、多摩湖ホテル前駅と言ったと思う。そこからユネスコ村まで「おとぎ線」という路線で、おとぎ電車という、遊園地内に走っていそうな、トロッコ列車みたいな、半露天な電車に乗って行った。小型のSLが牽引していたと思う。
その後それは山口線と名前を変えて、現在は「レオライナー」になって、近代的な車両で(確かタイヤ走行だ)西武球場まで運航している。
ユネスコ村は世界中の建築物が小さいスケールで再現されていたり、大きなトーテムポールがあったりしたテーマパークの走りみたいな所で、昭和の子供たちは此処で世界旅行を楽しんだんだ。
でももう夢のように消えてしまった。

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レトロな想いの詰まった多摩湖や狭山湖の辺り。
ワインの酔いが記憶を誘導するのか、ノスタルジックな空気は柔らかくてたまらなく気持ちいい。

いつか年老いたら、こんな空気の中でずうっと暮らしたい。

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