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2014年4月

2014年4月14日 (月)

ときどきトランス日記 No.66 /再びUbud村にて、旅の終わりまでの数日間。( Ubud村にて、 其の10)

*3月18日  

昨日、この度のこの旅の最後の重要なパズルのピースが嵌まって成就。
このピース、諦めかけていたのだけれど、何とか間に合った。良かった。
PlanetBambooで音を出すこと。かつてそれが自分のバリ生活のおおもとであった。其処から始まったもの、ことが現在の自分のほぼ全部につながっている。
それを追体験しようと云うのではなく、でも起点にいま一度立ってみたかった。バリへ来ること、そのこと自体が起点であり、さらにその先へと。
マレィは独りで旅をすること、のやはり起点の地であった、

PlanetBambooは新しいCDの録音が始まったばかりで、でもそのセッションは僕がマレィに行っている間にひと段落ついて、次の楽曲の準備中だった。
なので、自然に次の曲の作成に関わる感じになって、さらに新しい曲2曲の骨子までいっちゃった。
Tomocaちゃんはすでにこのセッションに参加していて、それもまた不思議な縁の為せる業だなぁ、、

10年の隔たりなど音が出れば刹那に埋まる。
音楽のマジックは本当にある。自分が音楽をやっているのは、結局その凄い瞬間に其処に居たいからなんだった。
ぼくが音速珈琲廊を続けているわけもやはりそこ。

PlanetBambooのオリジナルメンバー、サフリルもベルリンから帰ってきていて嬉しかった。彼とは恐らく15~6年振りだろう。

このグループの持つ独特の空気感は音を通じ世界観として昇華され、終焉とともに霧散してバリの大気に消えゆく。そのことを一体何度繰り返してきたのだろう、、
ただそれだけに、アイデンティティーの問題。ぼくは10年の隔たりが恐ろしく、なかなか連絡出来ずにいた。
音楽の魔法などと言いながら、腰が及んでいる奴だった。
でも間に合った。
最後の(多分)計らいを受け取って、いまはこころ安らかにこれを書いている。

マレィからバリに舞い戻り。何かあっという間に日が経って、明日の深夜には帰途。
昨夜は赤霧島を開けて、最後のウブド男会3回目。ちょっと贅沢して奥の方にある寿司屋。
夕食5回分くらいの出費だったけど、良い夜を過ごした。
今晩は実質最後の晩。なんと予定外なれど、またUbudRadioで。今回は鹿児島の大将も一緒に出演。
彼とはウブドに戻ってからずっと一緒に行動してる。

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最後の宿はビスマ通りの先を左に少し登ったところにある。今日の昼まで一階にいたのだけれど、二階が空いたので移ってみた。
バルコニーの居心地が最高にいい。今回のベスト。
彼は新しい店?の図面に取り組み、ぼくはこれ書いてる。テーブルがでっかいのでまるで好きなようにそれぞれが過ごせる。

もうすぐ此処でアンカサ、ウブドラジオを中心にした友人たち、それはかつて緊密に付き合ってきたひとたちで、彼らとちょっと訳アリの会合を持つ。
もれなくついてきそうなちびちび怪獣ふたりはでも、昨日下の部屋でも大喜びだったので、さらに良い2階でもっと喜びそうで楽しみ。
自分は今日のお相手役を買って出ている。
彼も僕も、自分たちができる最後のことをしようとしている。

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ぼくはこのことすらも神様の計らいのうちのひとつなんだと思っている。
起点、への旅。そして、新たな起点を記した旅、と思う。

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*3月23日 深夜3時、Denpasar空港。

もう数時間で空港へ。
これでこの旅もお終い。
夕べのウブドラジオはあんなんだったけれど、それぞれがそれぞれの10年を噛み締めた時間だったんだと思う。

またはじまるためのたび。

と、全部平仮名にしてみたけれど、何か良い。
そして、それが証拠に偶然とは言い難いもの、ことがいくつも起こっていた。そしてそれらがこれからのナニカに連なってゆくのだろう。
それはナニカだけど確実なナニカ。

ぼくは独りではない。

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最後の食事はやっと食べれた「サテ.カンビン」山羊肉の串焼き。
山羊肉をじっくり煮込んだグレと云うスープに御飯が付く。住んでいた頃はあちこちのサテカンビン屋を試したもんだけれど、やはり此処。郵便局近くの。
そのあとアンカサへ行って定番のアンカサブレンド。
こてっちゃんの出しているカレー屋の野菜の素揚げカレーにカツをトッピング。これまた旨い、安い。ウブドのお昼御飯。
それとね、ナシ.ブンクスはお昼に買うものだった、昔は。でも今回初めて朝買ってみた。朝だからまだおかずが出揃っていない、サテなんかもまだだ。でも蒸したての
熱々の御飯がこれほど旨いとは、、涙が出るほど旨いのだ。本当に本当に旨いのだ。

とまれ。
独りではない。

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感謝を。

KL.LCCTにてトランジット中。6時間待ち。
無駄に広いが快適なバリの空港と較べると、狭くて貧乏。ちょっと暗い。おまけにWiFiも全然脆弱と来てる。
マレーシアの表玄関KLIAは非常に綺麗で快適らしい。やはり裏口を使ったのがいけなかったのだろうか。
でも今回エア.アジアは6回乗る訳で、攻略法が少しづつわかってきている。
一番後ろの席はすぐ壁なのでリクライニングできません、とか。気を付けよう。

昨日の最後の食事はサテ.カンビンって書いたけど、レンタルしてたバイクをそういや返さなくちゃいけなくて、また夕方町に出た。
じゃあ何か食べちゃおうと探したのが、いま噂のラオス.ベトナム料理のレストラン。久し振りにゴータマ通りを歩いたが、今この通りが一番キている。
西洋人が経営してそうなレストランやカフェが増えている。
何処も大変にお洒落である。そして流行っている。
ひと際お洒落なその店は、店名は忘れてしまったけれど、味も雰囲気も抜群でした。
この村での西洋人の再台頭はやはり間違いないのだろう。

かつての自分にとっての初期のウブドはまさにそうで、だから変わったのではなくて、またそういうサイクルが巡っただけのこと。
素朴なバリ風のツーリスト向けレストランに混じって、お洒落なレストランがぽつぽつ出来てきていた頃。何処も毎晩お客がたくさん入っていた。
カーサ.ルナ、インダス、アリースワルン、、まだ残ってはいるけれど、閑散として昔日の感。
けれど、新しい第二波が細い裏道をうねるように走り出してる。ひともぼくも、そこに惹きつけられる。

ウブドの最後の四日間は飲食店のプロフェッショナルである友人と一緒だったので、何処の店、たとえルマ.マカンやワルンであっても、隅々までじっと見ている。
そしてその様な見方があるのかと新鮮な思いをした。観察者の視座。

なんだかこういうこと、頭絞りながらでも書いていないと、このひと月の茫洋とした幻影の裡に沈んでしまいそうになる。底に沈んだ水底でゆっくりと
曳いては押されてさ、漂うているのも悪くない。でも帰れなくなってしまうね。

トランジットもあと1時間。これに乗ったら本当に帰る。
バイバイ、大事な友達たち。きっとまた来るよ。きみたちがその理由。
まいた種をどうかよろしく。

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ときどきトランス日記 No.65 /マレィ空腹日記5 ( Ubud村にて、 其の9)

*3月17日 / マラッカ。

朝の日課、ロティチャナイと温かいテタレを摂りに散歩。今朝はゆっくりだったので9時過ぎに。
通りの向こうの大きな建物は良く見たらマラッカ大学でした。

今日は一日かけて、チャイナタウンから出て、ってもすぐ近くだけれど、旧跡方面を見ようかな、と。まぁ、マラッカへ来れば一度は行くわけなんだけれど、
それはマラッカ海峡が見えるからなのね。
小高い丘の上にあるので、いまは其処から見るのが一番手っ取り早い。
かなり遠くに見える。来る度に遠くになってるような気がする。
間を埋めるのは、ホテル、馬鹿げた回転式展望台のあるマラッカタワー、ショッピングセンター、高そうな住居群(往年の意匠を施して、色もアイボリーでそれらしいが、
最近のもの)などでぎっしりしてる。

けれど、初めて来たときは息を呑んだものだった。
眼下は海峡まで何も無く、荒れた草原が緩い勾配で海まで続いているだけだった。ぼくはそのまま歩いてゆき、荒い砂地の浜に立ち、確かにマラッカ海峡の海水に触れたのだ。
それから訪れる度に海峡を眺めたが、どんどん埋め立てが進んで建築物が増えていった。

マラッカが世界遺産に登録されたのが2008年だという。その前後に何があったのかは知る由もないけれど、マラッカが目指したのはシンガポールなのだろうと思う。

この旧跡のあるセントポールの丘の向こう側、海とは反対側はだだっ広い原っぱで、屋台なんかも結構出ていて、人々の憩いの広場って感じだった。
近くには土産物売る露店がひしめいてる一角もあり、ぼくは其処で何か買いたいなと思っていたが、広場は消え、巨大なショッピングモールが二つ、向かい合わせに
建っていて、正面にももうひとつ建っていた。

中はKLの目抜き通り、ブキットビンタンにもないような、広々としたモール。ブランド品のブティックが連なり、ユニクロさえはいっている。がらんとして活気もないが、
休日はきっと混みあうのだろう。
まさにシンガポール、、
まあ、もともと原っぱだったので、いくらでもシンガポール化してもいいけれど、ならば向こう側のチャイナタウンをそっとして置いて欲しいものだ。

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いや、シンガポールはシンガポールで良いところだ。でもマラッカが何を目指してそこににじり寄っているのかがわからなかった、、ふりをした。いや、ただ残念なだけで
理由はそりゃ分るよ。大人だし。

なのでマラッカ再訪はすぐ終わっちゃった。
そういえば、一番でかいモールの地階を歩ていたら、なんだか段々狭くなってきて、地下駐車場の手前辺りから香辛料の匂いがして来る。
そういえば地階は店の感じがローカルチックで大衆的だ。
段々通路が狭く、天井が低くなってくるあたり、消えた土産物屋がそこに押し込められるようにぎっしり並んでいた。

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もう一度こころゆくまでヨンカーストリート(チャイナタウン辺りの総称)歩いておこう。メインのハン.ジェバット通りを外れると、昔の貌に出会える。
さらに外れて土産物屋や食堂のない辺りを出鱈目に歩くと昔のままの貌だ。
ただその辺りにはバックパッカー向けのゲストハウスが随分増えている。僕がはじめて泊まった「忠和旅店」もまだ健在だった。やはり思い出の多い宿なので、
来る度にまだあるかなと、見に来てしまう。

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夕方、雨。
今回は本当に雨が多い。毎日雨の時間がある。止みかかった頃、夕方の日課をしに宿を出る。
KingFisherの500ml。いつもの場所へ。
雨は完全に上がり、夕方の金色の光の粉のなか、独りでビールを飲んだ。

晩御飯は通りからは外れた半露店の大きな中華食堂。完全に華人向けの店だったので、注文するのに少し苦労したが、旨い排骨飯頂きました。
明日は朝の日課をこなし、LCCTへ。バリに帰る日。
宿から長距離バスターミナルまで無料のトランスポートがあった!しかもターミナルからLCCTまでの直行バスもあるらしい。帰りは楽だなぁ。

マラッカのこの嬌態も、ひとときのこと、と思う。
気持ちの名残はね、やっぱりあるんだ、凄く。だからこれで最後だとは思わずに此処を去ろう。

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ときどきトランス日記 No.64 /マレィ空腹日記4 ( Ubud村にて、 其の8)

*3月16日 / バトパハ。

朝早くに目が覚めてしまったので、世界遺産とは全然関係ない方角へ散歩に行ってみた。
宿は世界遺産の範疇に入るエリアの端っこにあるから、反対向きに歩けばすぐに何処にでもあるマレィの中都市の風情になる。
早起きで得をした。
広い幹線道路の広い歩道には朝早くからモスリム料理がお店拡げてる。カレーのいい匂いがする。
これから出勤、通学風のひとや、早起きした近所のじいちゃんとかが朝御飯を食べてる。殆どの人がこれ食べてる。

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ロティ.チャナイ。ナーンみたいなものでこれにカレー浸して食べるのね。それとテ.タレ。ロティはいろんな種類あって、ぼくは焼くとき溶き卵混ぜる
ロティ.テロールにした。もう、旨いったらないのね、朝から、これが。

さて、満足したのでいよいよバトパハへ向かう訳だが、それにはまず先だっての長距離バスターミナルに行かねばならない。しかしやはり自分は浮足立っていたのだな。
このエリアに着いた時に降りた路線バスの停留所が思い出せない。まぁ、確かあの辺りと思って行ってみたが全然見つからない、、降りたときにちゃんと明日のために
確認しようと思っていたのに、マレィ最愛の地に着いた嬉しさですぐに歩き出してしまった。その歩き出した地点が全然思い出せない。

もう9時半くらいになっている。往きは良いけど帰りの便の心配もあるので夕方には戻りたい、と少し焦った気分でいたら、つい通りかかったタクシーに手を挙げてしまい、
つい値段交渉して、つい乗ってしまった。まぁ、今回一回だけってことで、、
老いた雄鶏のようなマレィのじいちゃん運転手は、でもめっちゃど助平だった。しかしバスのことは解っているみたいで、バトパハ行きは朝なら直行便があるので、
急いで行くぜ、って感じで飛ばしてくれた。
昨日テルミナ(ターミナル)の情報では、ジョホール.バル行きに乗れば途中でバトパハにも止まるから、ってことだったのだが、ジョホール行きは混んでいそうな
イメージでやだなと思っていたのだけれど、バトパハの次の町までのほぼ直行便がホントにあって、しかも空いていて快適だった。9RM90sen。300円ちょい、、安いなぁ。

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KLからマラッカまでの車窓の景色は本当につまらなくなってしまった。でもそれはマラッカまでで、バスは走り出し、僕の見たいと思っていた景色がどんどん
展開していった。昔、マレィをバスであちこち旅した時に見た景色は変わらずそこにあった。
ゴムの樹のプランテーション、点在する高床式の可愛いマレィ式住居、通り過ぎる小さな町、ひと、椰子の林、泥の河。朽ちたISUZUのピックアップトラック、、
バトパハまで2時間と少し、たっぷりと沁みこんだ。

昭和初期の詩人、金子光晴の愛した町、バトパハ。そこを見るのが夢だったけれど、夢はやはり夢。光晴の見た景色はすでに幻で、そんなことはわかりそうなもの。
それでもひとはそうやって訪れるのだな、、
金子の本を手に日本人ツーリストがやってくる町。
しかもぼくはほとんど何も見ていない、、到着したとたんに激しいスコール。雨は強くなったり弱くなったりで、屋根のあるところだけを選んで歩こうとしたが、
無理だった。
帰りのバスまで2時間。雨は止まなかった。
屋根のある露店食堂でお昼御飯。クレイポットライス。まぁ、釜飯ってとこなんだけど、これがまた激しく旨くて。上の鶏肉はタレに漬けてあったものを、
ポットを火にかける直前に載せていた。最後は底のおこげをこそげて食べるの。

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結局殆ど動けず、帰りのバスに乗る。バスの窓からちらりと見えた。スンガイ.ブサールの鼠茶色の水に葉を浸すニッパ椰子とカユアピアピの樹。
それが光晴の最初に表現したバトパハの景色。
ぼくのバトパハのすべて。あとは幻。

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何か今日は凄く疲れた。帰って一休みが寝入ってしまい、起きたら19時過ぎ。
シャワー浴びて外に出てみたらでもまだまだ明るいのね。暗くなるのは20時くらいから。
ビールが飲みたくなって、昨日の店で買って(大変に気に入ったKingFisherというインドビールの500ml缶)それ持ってぶらぶら歩いてたらマラッカ川に
突き当たった。川の向こう側は賑わっているけれど、こっち側は人気もなく、お店も途切れた辺り。
階段状の遊歩道に座って缶を開けた。
向こう岸の大木には鳥が帰巣したてらしく、見えはしないけれど、中は大変な騒ぎだ。今日の一日が終わる、鳥も、ぼくも。
あぁ、とても良い気分。旅のピークを越えてほっとしてる。此処で呑むビールはいま世界一だ。よし、此処でビールを飲むことを日課としよう、と思う。あと一日だけ
だが、それでも日課は日課だ。

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ウブド村に住んでいる頃に、角にある「角ワルン」の前に座り込んで、ご隠居とアラック(椰子焼酎)を呑んで四方山話するのが日課だった。あぁ、いま此処でご隠居とビール飲みながら
話したいな、まるでかつての日課みたいに、なんて思ったらなんだか泣けてきた。

昔日。
すべては過ぎゆく。
かつて光晴の見た景色とおなじじゃないか、それも。

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ビール500ml分の酔い加減は加減がほど良い。段々と暗くなってもう缶の字も読めない。
来た道を戻っていったら、メインのハン.ジェバット通りには屋台、露店がたくさん出ていた。クアラルンプールのようなぎっしり、大量、迷路、嬌声、な感じではなく、
賑やかで、控えめで和やか。優しいチャイナタウンの貌見せていた。
夢みたいな景色。
光が攻撃的ではなくて、ふんわりと柔らかい。
僕は雲呑麺を食べて、でもそれじゃ足りなくて、何か買おうかなと歩いていたらニョニャ料理のお店見つけて入ってみた。ニョニャ料理のお店っていうと観光客向け
で高級、高価なイメージがあり、独り旅には向かないなと思っていつも通り過ぎていたんだけれど、ここは凄く大衆的で安い。
麺のはしごになってしまうけど、ラクサを注文した。ニョニャ.ラクサ。麺は色々選べるが、春雨や板Mieというきしめんみたいなのもあるが、やはりここは太麺の縮れ麺
だろうと思い、ミー.テロールをチョイス。

これはスープ麺の料理としては、掛け値なしで世界一スパイシーだと思う。
わかりやすくいうと、パダン料理にもしラーメンがあったらこうなるだろう、って云う味ね。

この旅は機内食ダブルから始まってしまったので、終始食べる、の旅になってしまった。
しかし明日はマラッカの今、を見ることになる。

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ときどきトランス日記 No.63 /マレィ空腹日記3 ( Ubud村にて、 其の7)

*3月15日 / クアラルンプール~マラッカ。

朝食はまた角のお粥屋へ。
んで、少し苦労をして、ローカルの長距離バスターミナル到着。
お粥はすぐお腹が空くなぁ、、ってことで、フードコート見つけていま美味しいもの食べてます。
待ちに待ったマラッカへ。

お昼前に食べたのはナシカンダール。イスカンダルに似てますが違います。
典型的なモスリム料理。パダン料理にそっくり、というかルーツと思う。スパイシー度はパダン以上、旨いなぁ、、

しかし、ちゃんと調べてKMコミューターというモノレールに乗り換えれば20分くらいで着いたものを、何となく乗り慣れたつもりになってた高架電車につい乗って
しまったので、どえらい遠回りに加え、乗り換えを反対方向に乗る、途中のターミナル駅が巨大かつ複雑な作りで構内で迷子になるなどして、1時間以上かかって
バスターミナルに着く。
そういうことをしていたのでお腹が減ってしまい、すぐ乗れる便を見送って1時間後のチケットを買う。
何故ならローカルのスタシオン(ステーション)の御飯って安くて旨い。大抵フードコートになっているので、わくわくしながら見て周って、
ナシカンダールに決めたのね。

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独り旅のすきなところは、こういうことがあっても誰にも文句言われないところ。好きな時に立ち止ったり、食べたり、食べなかったり出来るところ。
苦労した行程だったけれど、クアラルンプールらしい景色をたくさん見た。河だ。クアラ=河、ルンプール=泥。泥の河。
茶色い流れが時折見える。だが昔と比べると河川敷が整備されていて、河幅が狭くなったようにも思う。

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やっぱり思い出すのは「泥の河」っていう日本映画。物語の筋は忘れてしまっているけれど、モノクロの映像と切なさだけがこころにいつまでも引っ掛かっている。

バスで2時間と少し。
昔は4時間も5時間もかかったものだけれど、高速道路が出来てからは早い。でも景色がつまらなくなっちゃった。人が住んでいない景色は良いなと思ってもすぐに飽きる。
久し振りの音楽を聞きなのがら移動だったけれど、殆ど寝ていたみたい。
初めてマラッカへ行った30年近く前、満員のぼろぼろの小型バスが途中で動かなくなった。
バス中央の床を開けてみると、シャフトが真ん中から折れていた。替わりの便を何時間も待って一日がかりで着いたこともあった。でも待つ間にご飯食べに行ったり
トイレ借りに行ったり、買い物行ったりして、楽しかったなぁ。ツーリストが行くような集落じゃなかったからね。ローカルの食堂で、見たことない煙草を安いので
色々買い込んだ。

マラッカの長距離バスステーションは町中とは離れているので、そこから更にローカルバスに乗り換える。分かり難いので普通はタクシーを使うらしいけど、
ちゃんと節約してバスで行くツーリストにぼくも混じって。バスの10倍は払いたくないもん。17番バスです。

いやぁ、しかし、、
観光のへそになる赤い教会のある広場近くでバス降りて、ホテルのあるチャイナタウンへ歩き出したんだけれど、、とにかく人が多い。ぞろぞろ歩いてる。

ここら辺りは午後はまるで眠ったように静まり、古い古い刻が道路を浸していたものだ。
軒を並べていた骨董品店は森閑と人の気配なく、、
そして夕刻になると、目を覚ました通りに屋台や露店が集まりだして、ひと時の活気を呈するばかりの町だった。

今は。
あれほどあった骨董品店はもう数軒しかなく、賑やかな土産物店が軒並に競い合ってる。うるさい音楽が道に溢れて出してる。どの店にも観光客が入ってる。

年老いた古い空気は追い払われ、マラッカ川の両側は遊歩道になり、ウォーターリザード(水蜥蜴)ももう居なくなってしまった。
かつて、クアラルンプールから到着したのは、この川岸にあった鄙びたオールドバスステーションだった。その廃墟は囲いで隠され、町へと架かった古い古い木の橋は
鉄とコンクリートの橋になって遊歩道へと続いて。
町はもう本物ではなく、ジオラマになってしまった。私たち観光客はその模型の中を彷徨うているに過ぎない。

罪。
罪だ。世界遺産という罪。
マラッカの町は世界複合遺産というものになった。

これから三日間、その罪を何度も見る旅になるのかも知れない。

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そんなこと考えての散歩は突然のスコールで中断。昔日の空気求めた裏道の食料品店の軒先で。
もうぼくはビールを飲むことにして、そこで買い求めた。
空腹(まただ!)でのビールは美味しくて、夕方から夜へと時間がゆるゆると流れだす。かちかちになりそうな気持ちも。
雨が上がったら人も減り、中華菓子の店先で餡の入ったパイみたいな饅頭を二つ食べた。中村屋のうすあわせみたいな感じの。
食いしん坊の気持ちがむくむくと沸き起こり、すぐにOtakOtakの屋台に引っ掛かる。これ、魚のすり身をバナナリーフに包んで焼いたもので、香ばしくて美味しい。
これも二つ食べて、いよいよ弾みがついた。もうこうなったら、の気持ちになる。

そろそろ食べ物の屋台、露店が増えてきた。
開けたばかりのやや大きな露店に座り、少し早いが晩御飯にした。鶏飯(上の鶏肉はロースト)とジンセンのジュース。

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マラッカでの宿はHotelHongという処。窓はあるのだが閉鎖されてて残念。しかし非常に清潔で驚く。掃除が行き届いていて気持ち良い。で、上に上がると半屋外の屋上
があって、椅子やテーブルもある。下で自由に飲んでいい珈琲を作って、それもって上がるのが楽しみだ。三階からの街並み。

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明日はいよいよ今回のマレィの目的地、バトパハへ。
ツーリストはほとんど行かないところなので、行き方が未だ不明瞭。しかもマラッカから日帰りのつもりなので、ホントに行けるのかな?って不安はあるんだけど。

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ときどきトランス日記 No.62 /マレィ空腹日記2 ( Ubud村にて、 其の6)

*3月14日 / クアラルンプール。

午後3時。
2階のカフェから通りを見ている。
露店の設営がはじまっている。通りは夜の喧騒へ向かって騒めいて。

今朝は早くに目が覚めて、7時半くらいに支度を済ませ外に出た。
チャイナタウンの朝食はやっぱ中華粥だよな、つって半分露店の食堂へ座る。昔は朝だろうとなんだろと、鶏飯でも骨肉茶(バクテー)でも何でも
いけたのだけれど、近頃はこういうものが旨いのね。
粥も揚げパンと麩の中間みたいなものも、フラワーティーもどれもがふんわりと優しい優しい味。さらさらした朝ご飯。

長距離バスのターミナルは場所はぼ一緒だが、綺麗に建て直されていた。あれは銀行だろうと思ったのがそうだった。昔の猥雑で掏りや置き引きがたくさんいそう
な雰囲気はもうない。
マラッカ行のバスを調べようとしたら、危惧が当たっていて、現在は此処から高架電車乗り換えてたりしての20分くらい離れている別のステーション発着だと
いうことがわかる。実はその情報は聞いていたのだけれど、マラッカは人気の町だし、やはり長距離バスはプドゥラヤ.バスターミナル、わざわざ不便な場所からの
発着はまさかないだろうと云う思い込み、、でも明日慌てずに済んで良かった。

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チャイナタウン抜けるといつの間にかインド人街。まだ朝早いので、お店はあんまり開いていない。帰り道にはきっと色の洪水。十重二重にはためく生地屋の
極彩色の暖簾を掻き分けて進む感じになる。

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カーペット屋の看板が目につきだすと其処はもうアラブ人街。モスリムフードの食堂ばかりが開いている。帰りには服飾や靴を扱う店から大音量で下世話な感じ
のアラビック.ポップスが響いているはず。

カキリマ(軒廊で町を回廊のように巡っている)をいくつも抜けてこの国のもともとのAsli(ネイティブ)であるマレィ人のエリアへ。
チョウキットマーケット。
奥までは入り込まずに、少し覗いて引き返す。どの街も少しづつ匂いが違って、チョウキット界隈は漂うスパイスの香りに苦味が混じる。

12年くらい前に革のサンダル買ったお店がまだあった。
マレーシアは町の変化がゆるやかだ。たかだかの10年くらいは軽く呑み込んでしまう。そのサンダルはつい最近まで履いていた。

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昨日も今日も曇天。
とても暑い。旧い建物の背景に、距離感のわからない高層ビルが幽霊のように霞んでいる。圧倒的にリアルな廃墟と幻想でしかないタワー群。
存在するモスク、中国寺院、ヒンドゥー寺。内在する神との契り。

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帰り道は空腹でくらくら。
ユソッフとザキールのレストラン前で負けそうになった。しかし頑張ってお昼に食べようと思っていた店を探し当てたらなんと、、
最初に食べた雲呑麺のあるコピティアムにある別のストールだった。
牛肉麺。
骨肉茶ヌードルって感じで旨い。牛肉は柔らかく非常にスパイシーである。太麺の卵麺をチョイス。

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スパイシーなものが好きである。
極めつけはそれを通り越したSARSIという飲み物。これはマレィ半島にしか存在しないのではないだろうか。F&Nが出している、まぁ、コーラとかファンタ
みたいなものだが、味が強烈。Drペッパーにムヒ(かゆみ止めの)を混ぜたような味。けっこう好き。

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そろそろまた空腹。
夕飯に出掛けよう。

晩御飯は海南チキンライスと名前覚えられなかったあんかけ麺。
半露店の食堂が両側にずらっと並ぶ、ペタリン通りに交差している道。通りの中央は勿論物販の露店がぎっしり。
この迷路みたいな世界が4時くらいから急に現れて、10時にはすうっと何処かへ消えちゃう、、魔のものに化かされているようだ。でもお腹は
一杯だし、何かつまらないものしっかりつかまされて、お金は減っているから、ホントのことだ。

何処の店も路上に出したテーブルにメニューなんか置いて、客引きの声も高い。賑やかで浮き浮きしちゃう。何処も旨そうで迷う、楽しい、あぁ、腹減った。
だが、、何処の店のメニュー冷かしても、品数が物凄く多い。大丈夫なのか?本当に全部できるのか?と、大きくもないが派手な音させている厨房を望む。
鶏飯と麺を注文する。
先に鶏飯が来て、はたと手を打ち思い出す。鶏飯は外からやって来た。店の兄ちゃんが運んできた。
そうなのだ、何処もそう。自分とこで出来ないやつは他の店から持って来る。その守備範囲は何処までかはわからないけれど、通り全体が巨大な
ホーカース(フードコート)って考えればいい訳。あんかけ麺も別の方角からやって来た。どっちもこの店じゃ出来ないのね。そりゃそうだ、座ってから気づいたんだけど、
此処って今朝のお粥屋だ。周りのあまりの激変でわからなかった。
見てたら此処からも出前してる。
優れたシステム、と思う。共存共栄のシステムだ。何処入ったってはずれなく美味しい、きっと。

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鶏飯は上の鶏肉も旨いが、下の御飯が抜群に旨いのだ。鶏のスープで炊いたぱらぱらさらさらの御飯が口のなかでほどける、、幸せ。
あんかけ麺は汗だくになった。八宝菜のスープって感じかな。入っている挽肉がスパイシーで味のアクセントになっていてね、これも旨い。〆て13RM。

コンビニで買い物、バイトっぽい兄ちゃんがお釣り間違えて4RM得をして、缶ビール飲みながらぶらぶら帰った。
通りは更に人が増え、本格的な夜が始まるのはこれから。

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ときどきトランス日記 No.61 /マレィ空腹日記 ( Ubud村にて、 其の5)

*3月13日 / クアラルンプール到着。

本日は曇天。しかし暑い。暑い暑い国なんだ、此処って。

エアアジアは朝の3時にウブド発、KLはやはりLCCTにランディング。
しかし、向こうの勘違いと思うけれど、予めオーダーしておいた機内食が二つ来た。ハイナン.チキンライスとナシ.ルマックだったので両方食べた。

8リンギットのバスでセントラルステーション駅へ、モノレールみたいな高架電車で大好きなチャイナタウンへ、1RM。
この辺りはごちゃごちゃしてるので、初めての人はきっと凄く戸惑う。11年ぶりくらいだけれど、5回目だし土地勘に自信があったので、楽にホテルにチェックイン。
見えるものが殆ど変わっていないしね。
朝あんなに食べたのに空腹。ホテルまでの道すがら、コピティアムで雲呑麺(ワンタンメン、5RM)を食べた。旨いのもそうだけれど、大体この字面が好き。雲を呑むわけで、
何か雄大な気持ちになる。
ペタリンストリートホテル。目の前はペタリン通り。チャイナタウンいちの目抜き通り。
歩道には露店がほぼ埋まっているので、入り口を探すのも大変。実は偶然看板が目に入ったのですぐわかったけれど、一旦見落としたらこの通りを端から
歩かなければならぬ、良かった、、入り口に両替商があって、レートも良いみたいだ。

典型的な中華街の安宿。窓などないのが普通。4畳半くらいの部屋にベッドがあるだけ。
僕の部屋はトイレ、シャワー付きだが、共同のところも多いし、この下のランクだとドミトリーってことになる。
そういう宿ばかりなのだが、此処に決めた理由は、2階のレセプション横に併設されたこのカフェ。通りに向かったカウンター席もある。香辛料を含んだ生温い風が時々
ぎゅっと身体を掴む。
アジアの大都市には必ずあるチャイナタウン。其処には同じ風が吹いている。
錆臭い水シャワーを浴びて、ゴム草履に履き替えて、町の探検に出かける時のあの気分。
でも今はこんな処だってホットシャワーは当たり前のようにあって、鼠に腕時計のバンド食べられちゃうこともないのだろう。

夕方からこの通りは、22時過ぎまで歩道も車道も隙間なくぎっしりと露店で埋め尽くされる。そうなったら目当ての通り沿いのこういうホテルを探し当てるのは
至難の業。
ところで夜は辛気臭い部屋にいるよりは、此処で通りを眺めつつビールを飲む方が余程にいいだろう。
いま13時半。
ちょっと散策してこようと思う。コカ・コーラ3RM。高いな、、

ちょっと散策にって、3時過ぎに出掛けたらもうお腹が空いている、、
まぁまだ早いし、ここは少し我慢して。
セントラルマーケットは昔よりは華やいでいるようだけれど、隅っこの方へ行くと矢張り以前とおんなじで、寂しい処だった。
チャイナタウンは表向きが華やかで、赤や朱色が賑やかで、其処にいるだけで浮足立ってしまいそうになるけれど、隅々まで見渡してみると、とても寂しい処なのだった。

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マーケットから出てくるとすぐに道の反対側にインド系モスリムフードのレストランがある。
初めて訪れた27~8年前から変わらずある。KLに来ると最初の食事はいつも其処だったと思う。そのレストランの前でいつも空腹だった。
タンドーリチキンとナーン。それも変わらない。今日でそれを注文するのは4回目か5回目だ。

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チキンは大きくて二人前はありそう。物凄く美味しいので夢中で食べた。
世界で一番美味しいミルクティー、テ.タレを頼んで、全部で10RM60sen、わずか360円くらい。物の物価はそうでもないけれど、食べ物の物価は安い。バリ以上だ。
ただし酒は高くつく。これは仕方ないこと、回教国。

一旦帰って、少し寝た。
19時頃に起きだして外へ出たら、もう道は露店でぎっしり、商品は溢れんばかり。
何でも売っているけれど、圧倒的に多いのはバッタもの、パチもんの露店。服、靴、時計、アクセサリー、、欲しいものはなーんにもない。食べ物の屋台は
この通りから少し外れたエリアなので、今日はもういいや。2階でビール飲もう。

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タイガービールって美味しい。でもラベルの虎の絵が変わっていた。椰子の木の背景は一緒だけれど、何か精悍な感じの虎になっていた。以前のはもっと
素朴な、ちびくろサンボの虎の絵みたいで何処か可愛くて好きだったのだけれど。
しかし、ビールの小瓶で300円近い、、さっきの食事と較べると、どうもね、勿体無い感じがしちゃう。

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明日はマラッカ行のバスチケットを買いたいが、長距離バスのステーションが移っている可能性があるので、まずそれ調べなくっちゃ。
そしてチョウキットマーケットまでの大好きな道をまた歩きたい。チャイナタウン抜けて、インド人街、アラブ人街抜けて、マレィ人のエリアまで。
昔はマーケットの奥の方まで迷い込んで、迷子になって楽しかったのだけれど、近頃はどうも物騒らしいので、そういう遊びはもう無理かな、、

以前は安心して遊べたところも、物騒な場所に変わり果てているところが多いみたいだ。チャイナタウン周辺を少し歩いただけでもそれを僅かに感じる。
10年という時間の澱が俄かに沸き立つようだ。

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ときどきトランス日記 No.60 / ツアー初日( Ubud村にて、 其の4)

今日は3月19日の朝、です。
最終日のアンカサからまだ9日しか経っていないけれど、もう随分と時間が経ってしまったような気がしてる。
マレィへのショートトリップで、また身体が幽霊になってしまったからだろうか。

でもそろそろ書き始めないと、と思う。
良いことは想像以上に、悪いことは想像だにしなかった彼方からふいにやって来た、こころを試されるという、神様の領域からそれはやってきた。

初日、JazzBar&Grill@Sanur
此処はバリでDuoTonesというユニットをやっていた頃、何度か出たことがある。
客層もその雰囲気もわかっていたので、ある程度は覚悟していたけれど、蓋を開けてみれば、音速~ハウスバンド~音速~ハウスバンド、という無茶な組み方を
されており、ワンマンの筈でこちらはいたので、急遽メニューや気持ちの切り替えを余儀なくされて。
しかも音響が最悪、、昔はこんなじゃなかったのにな、、
リハーサルを終えて、全員が暗澹たる気分で座り込んだ。

普段の静と動の組み合わせは分断されて、さらにJazzVocalのトリオが間に挟まったいてはどうにもならない。

ショウ君は大変だったろうと思う。この状況を打破しようとした作戦は、ロック的なアプローチで引きつけて、一気に聴かせるしかないというもの。
繊細だがエモーショナル、それが音速の真骨頂。けれど繊細な部分は霧散してしまった。ただその部分を求めるお客は皆無で、無理にやったしても結果は見えていた。
だからこの選択は間違っていなかったようにいまは思う。
此処は音楽を「聴く」店ではなく、あくまでもBGMなのだ。そのつもりでお客もやって来ている。その耳をこっちに引っ張るには仕方がなかった。

それでも我々はミュージシャンであり、ステージに上がればやはり全力だ。たとえこういう状況でも、全員が自分を出し切ることが出来るメンバー。
その信頼感は大きなものだ。

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ただ、この日の感覚をツアー最終日まで、少なからず我々は内包してしまい、外からの力も受け、甚だ不安定な状態でのツアーとなった。
勿論それは内部的な感覚で、そのことに気付いたお客さんは皆無。それが当たり前のことだしね。そういうメンバーへの信頼感も大きい。凄いと思う。

そうして悔やまれることはこの一点のみ、、この時点できちんとした話し合いを全員で持つべきだったとホントにそればかりが悔やまれる。

けれど、状況が。
こういうのすべてバリの神様の計らいの裡で起こったこと、と理解するしかない。悔やんでも仕方ない。ただ、そうであった、と。逆らうことは此処では無意味なことなのだ。
誰が悪かった、とかそういう話ではない。
けれど、小さな小さな亀裂がいつの間にか産まれていたんだね。

ツアー二日目。
GontaRamenⅡ@Sanur
この日は在住のKさんが自前の音響機器を持ってサポートしてくれて、音が格段に良かった。しかも頼りになる人間性。こういうひとを僕はかつて知っていた。
ミュージシャンであり、優れた音響屋であったショウタローという奴。似てるんだ、雰囲気が。もうそれでOKだった。
この晩は音速らしい出だしで、いつもの雰囲気。ただし、ロック的なアプローチの必要な場面もやはりあり、その部分でのみの亀裂はじわりと拡がった。
このアプローチをすれば、離れそうになっているお客の耳を取り戻せる、ということに我々全員が依存しはじめたのだと、これは時間が経って、いま思い返してること。

けど、それも予め計られている状況下でのこと。我々にはどうすることも出来なかった。
矢張りすべてが、ただそうであった、としか言いようがない。

前日、お気に入りのインドの鈴がたくさんついているシェイカーを店に忘れてしまい、此処に来る前に寄って来たのだけれど無かった。前日の気分引きずっているし、
諦めきれない気持ちでGontaに来たが、なんとKさんが持っていてくれた。夕べ最後まで店にいて、スタッフの子が渡してくれたのだと。
それで一気に気持ちが前向きにぐいと動いた。

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ぼくのティンクリを金魚の泳いでいる小さい池の上にセットして、弾きながら金魚を眺めた。音響の音も良く通りとても良い気分だった。
そうなって、そんなことで浮かれているから、また計らいの中に放り込まれる。
借り物の携帯電話がないことに気付く、、もうすぐ2部の演奏が始まる頃。なので荷物ひっくり返して探すことも出来ないし、足許は草がたくさん生えていてしかも真っ暗
で探しようもない。
もう終わってから探すしかない。けれど、やれやれそういう気分で演奏しなくちゃならないわけで。忘れたけれど、演奏終わったらまた思い出してやな気分。

楽器片づけたけれどやっぱりない。
ツアードライバーのオデンちゃんにも連絡できないし、困ったなと思ったら、もう店の前まで来ていてくれた。
で、僕の携帯に電話し続けて貰って捜索。
それは大変とショウ君も手伝ってくれて、ふたりで金魚池の辺りの草を掻き分け掻き分けして探したが全然ない。しかし呼び出し音が聞こえてる。なんだか
色んな方角から聞こえてきてる。
ちょっとこれは何だかおかしな世界に迷い込んだのかも、と思い始めた頃、草むらの底で指が触った。

シェイカーと云い電話と云い、、なんだろう、こういうのって。落ちては登る。登らされる。

ツアー三日目。
CafeAngkasa@UBUD
とうとうこの日が来た。
この日のためにぼくは此処に来た。
色んなことがあった。それはこのツアーの始まった日をさらに遡り、自分の生きてきた時間全部になっていった。
あぁ、もうこれで良いね。これで良い、、これで全部がお終いになっても、明日が来なくても。
そう思いながら。

音速バリツアーはこれでお終い。
8日のアンカサで自分の人生はピークを迎え、そして折り返したのだと思いました。
これでやっと先へ進める、、そう感じたのです。

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ツアー四日目。Ganesha@Denpasar、ツアー五日目CafeAngkasa@Ubud

敷地内のお寺でメンバー全員はスンバヤンを済ませ、スウェントラ道場とでも言うべき時間を与えられ、ライブを行いました。
やはり先へと進めたのだな、と思いましたがその晩、ぼくとしょう君はバリの神様に何某を試され、失敗し、互いにこころの呵責を胸に最終日を迎えねばならなかったのです。
そのこころの動きは、tomoca 、あんり、テツヤさんにも、少しく影響を与えてしまったかも知れず、ぼくは不安を感じながらステージに立ちました。

けれど最終日のアンカサはそれを乗り越えるチャンスを与えてくれました。
これが何処か別の場所だったら、、そう考えると怖ろしい。けれど、絶対そうはならなかった、とも感じるのですね。夕べのアンカサはすでに決められていたこと、バリの
神様の計らいの裡でのこと、そう思いました。
演奏していてそのことが深く胸に、こころに、刻まれました。

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今日は3月の11日。
また今年もこの日が巡ってきました。
夕べ、音速は「Damai」を演奏しませんでした。でも今日を迎え、すべてのひとのこころにDamai=平和を、と願いを込めて、これからもこの曲を演奏してゆきます。

バリ時間13時46分18秒に、黙祷。そのつもりです。

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