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2011年12月

2011年12月 7日 (水)

ときどきトランス日記No.45 / ミスターJuneのことといのちのまんだらと今年最後のライブ告知。

夢中でパズルをやっていたら、何時の間にか外はしとしと雨で、シンガポールの裏通りにある、旧い旧いビルの4階の一室はしーんとしてた。
銀座1丁目のドトールの角を曲がって。
「いのちのまんだら」友人のばばちゃん、いや優れたアーティストの馬場敬一氏の個展。
以前の彼の作品を知っている。迸り。憤り。性急な。溢れる。質量。爆発的な爆発。爆発的でない爆発。

、、、。

Nさんが死んで2週間が経った。
風邪を拗らせて肺炎が劇症化して、緊急搬送された病院であっけなく死んでしまった。
「ぼくは6月生れだから、親父が順平ってつけたんだ、ぼくの名前」あるときそう言った。普段は名字のNさんって呼んでいたけれど、時々タイミングを見計らって、ミスターJuneって呼んでみた。あんまり反応はなかったけれど(それは他の事でもいつもそうで)ぼくはそう呼ぶのが嬉しかったんだ。
子供じみたところがとても強いひとだった、我が強かった、しょっちゅう苛々させられた。
多分そっちの方が多かったんじゃないかと思う。
だから酷いことを言ったこともある。

ぼくより丁度10歳年上。聴いてきた音楽はすこし被った。
イーグルスやドゥービーブラザーズやらモータウンの話なんかした。
「LPレコード2000枚持ってた」
「あぁ、ぼくもそのくらい持ってた」ヴィニールジャンキー。
カントリー寄りのアメリカンロックが好きだと言った。だからイーグルスもドゥービーも初期の頃のだ。10年分のラグ。
風邪をひいた頃、声がらがらで「どうしたの?トム.ウェイツみたいになっちゃって」ってからかったけれど、何それ?って顔してた。
イーグルスをバックに付けていた初期の頃のトム.ウェイツは、まだああいう声じゃなかった。

それにシンガポールの話。
Nさんは若い頃プロのダイバーをしていて、シンガポールのサルベージ会社で働いていたそうだ。
戦時中、日本軍が投下した海中の不発弾を引き揚げる仕事。
マレィやインドネシアからの出稼ぎ人たちもいて、だからマレィ語や英語が少し出来た。
報酬の高さを自慢してたけど、今の仕事で幾ら貰ってるの?なんて聞いてきたけれど、ミスターJune、いまは貧乏だろ。
ぼくはシンガポールは何度も行っているので、通りの話しや飯屋の話が出来た。同じ匂いを知っているのはなんだか嬉しかった。

バイバイ、ミスターJune。
ぼくはそう呼ぶのが嬉しかったんだ。

、、、。

銀座はね、ちょっとシンガポールに似ているな、と思う。

ばらばらの30枚の作品が繋がって一枚の曼荼羅になって成就する。そういう個展だった。
作品が小さなカードにもなっていて、赤いテーブルでそのいのちのパズルをしてみる。
ちょっとづつ成就に近づく。少し苦労をして、完成したらまんだらが動き出した。周りだした。
上も下も縦も横もなくて、でもそれが奥行きの中に全部ある。全部なくて全部ある。
いのち、とは簡単に言えぬ使えぬ言葉だけれど、いのちが動いている。巡っている。
これは障害のある、自由に動けぬ子供たちのために描かれたもので、絵本のように優しい。邪気も無邪気も残酷も不平等も摂理も浄化も、絵本のように全部ある。

いのちは預かり物で平等だ。
大事に大事に。って。
硬くて強くて、でも弱くて毀れやすい卵を運ぶ旅。大事に大事に。いのちの旅。いのちのまんだら。
そのようなものがたりが、旧い旧いビルの一室で周っていた。
そとは雨。

さて、と。

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今年のファイナルライブはなんと音速のクラブイベント。久し振りの大人数の「音速珈琲廊楽団」で。
なんで楽団かというと、今年一緒に演奏した人達もたくさん参加するので。賑やかな夜になるでしょう。
ジョイントはインドネシアの人気バンドBintangのVo.JunBintang。お楽しみに。

*12月26日(月)
@新宿「Club Doctor」
Kuta Popie's Night/Open19:00 Start19:30
Advanc\3000/ Door\3500
http://clubdoctor.co.jp/

Webチラシはこちら→ http://t.co/qCZk0bXD

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