2024年5月30日 (木)

ときどきトランス日記 No.117 / 神殿に触れる。5月。

4月、になりましたね。いやいやこれ書いてる今はもう5月の末、もう数日で6月。
でも過ぎた4月から某かを引っ張り出そうとしているのです。
ナニしてた4月だったんだろ。
癌検診いったなぁ。肺と大腸。
両方ともセーフ、との知らせが来てる。今度は胃のがある。こう云う年齢になると市が
色々と大丈夫ですかお元気ですかと構ってくれる、無料で。まぁ簡易な検査なので精度は
高くはないけれど、それでも有り難いなと思う。

小さな起伏、いくつもの起伏が連なってって僕の4月は進行して。

ホントに出来るのかな、いやしかし世の中には実行している人はたくさんいるらしい。
自分だって目にしたことは何度もある。

kitusne no yomeiriの活動はこのところ、ライブステージからシフトを変えつつある。
勿論ライブステージから完全に撤退するわけではない、けれどダンスと音楽のライブ表現
から総合的なアートユニットへと進んでいる。
作品表現としてのショートムーヴィー作成、youtubeチャンネルの開設。

しかしどちらも自分には無縁のモノだと思っていた。いや、まさかと。

でもやってみた。
kitusneの相棒が背中押すから、そうっとだけれど。
おずおずと、小津安二郎。いやそれはあまりにも失礼だ、すみませんつい。遥か雲の上のお方。
でもぐいぐいっと押されていたら、そのおずおずの地帯を踏み外して、変な場所に落っこちていたろうとは
たろうとは想像に難くない。
Movie
このおずおずって割と大事で。なんだろ?内省的な感じ。でもここで見極めを育てておくと
そのあとの行動がスムースに大胆に運んで行ける。

昔のお父さんたちがハーフサイズのカメラで(これは例えば24枚撮りのフィルムだと倍の48
枚撮影出来る)そんなに枚数を気にせずに初めはおずおずと、でもそのあとバシバシ撮っていた
感じに似てる。
その後の現像、プリント代で青ざめるんだけどね。けどこれはその時の撮影への情熱とは別の
ハナシ。

そんなこんなで4月がやって来たその日のこと。
はは、さすがにこれはまさかだよねぇ。え?やるのホントに?
ちょんちょん、すーっ。
またも背中を、、

番組を構成してFacebookで生配信するという企画。
Kanban
番組タイトルは「喫茶室 kitusne」
ならば毎回同一のテーマソングが必要だろうと。色々考えてCSN&Yのdeja vuにした。穏やか
で印象的でミステリアスな感じの曲。
ぴったりだなと思った。
これ聞きながら珈琲を淹れて、相棒千鶴子が選んできたお菓子を。
で、僕は本とレコード(CDもだけれど)に埋もれてるような生活なので、そこからちょこ
ちょこっと持ってきて纏わる話しながら聴いたり、本の抜粋を千鶴子に朗読して貰ったりの。
で、最後はkitusneのミニミニライブ。
Studio
第1回目はホントにおずおずと。
やりながらも、これホントに配信されてるのかな?されてても音出てるのかな?いや、されてた
としてもホントにイイの?こんなんで、、と。
そう思いながらふたりともやってたんだよ。安二郎と安子。

でも出来ていた。

おずおずと始めたからさ、2回目にはもう楽しくなっちゃっていた。

起伏。
ある晴れた日曜日に千鶴子の主宰するバリダンス教室の作品撮影を満開の桜の公園でやったり
した。
その晩に僕は深くて暗い穴に落ち込んで、そこから出るために凄く苦しい思いをしたりもした。
起伏。
ある薄曇りの日曜日、その公園でバリダンスとケチャのワークショップをした。その公園で
kitusneのライブビデオを撮って配信したりもした。
Rejan
起伏は楽しかったり、苦しかったりする。
けれど起伏は人生を豊かにする、結局のところさ。

そうして5月がやって来た。
今週の月曜日にはもう4回目の喫茶室 kitusneの配信をした。
レコードはRickie Lee Jones で、本は稲垣足穂を選んだ。
この選ぶ作業がまた楽しくてね。じっくり聴きなおしてじっくり読み返す、これが良い。
思い違い、新鮮、行間、それらの理由の新発見に何度も出会う。
Record
1回目はなんだったかな、、あぁそうだ、レコードはね番組テーマソングのCSN&Y
の「 DEJA VU 」紹介して、本はブラッドベリの「たんぽぽのお酒」にしたんだ。
2回目のレコードはホルガー.チューカイの「ペルシアン.ラブ」本はボリス.ヴィアンの
「うたかたの日々」
で、3回目のレコードはその数日前に彼岸へと旅立ってしまったディヴィッド.サンボーン
で本は武田百合子の「犬が星見た」
Book

ところで、千鶴子って音楽や本の知識が全然ない。
だからその身体のまっさらに乾いた清潔な場所へ、新鮮な水が浸みこむ様に音や言葉が
入ってゆくのをすぐそばで感じる。
特に朗読は本人の発した言葉がそのひとにそのまま浸みこんでゆくのが見えるようだ。
Miniminilive

過日。
絵描きと言うよりはもう造形アーティストと思う友人の作品展へ、横浜へ。
馬場敬一ともう二人の作品展MA-ZI。

広々として外からの光も気持ちの良いギャラリーでした。
入り口から始まるノスタルジックな感じのポップアートが心地良く迎えてくれて、なんだろ?
アムステル.ダムがぱたりと反転して東京、いや反対でも良いんだけど、、な感じの居心地、と
言うか。

続く木彫がメインの作家のコーナーへと。
ポップであることを強く否定しながらも尚ポップさを纏わせる捻じれた感覚が凄く今っぽいな
と感じた。二作家ともに作品の醸す表情の磁力が強い。
どちらも好きだ。
そうして奥の馬場敬一のコーナーへと進むと、、

極めて土俗的な寺院、いや神殿とでも言うべきかの。
入り口からの捻じれた世界から突然極めてストレートな世界へと移行する。この感触が楽しくて
自分は何度も会場を巡ってしまった。
Baba2_20240530170501
前回の氏の個展での、生=魂であるということの強烈な肯定感故に生まれいずる痛み。その
除去、と云うか自己の救済、解放への飢えや渇望。
壮絶なる作品群はそれらが成就した後とは言えやはり生々しく打つものがあった。

今回はそういう過程見せながらも、移行後の精神の様を感じるものだった。
艱難辛苦クロニクル、、なんてふざけた言葉もやっと出ようというもの。

死と皮膚一枚の距離の隣り合わせまで堕ちる、誰しも一度は知ったことだろうと思う。
作品上に常に浮かんでいる髑髏が嗤っている。ただそれを受け取りさえすれば面倒な手続き
などいらない、安楽なことだよと。そのTemptationと拒絶のせめぎ合う痛ましい
記録。

けれど自分は不思議とカタルシスを感じていた。
何故だろうと思う。

その三日後に自分はもう一度会場に赴き、その理由に触れた気持ちがした。
氏の流した涙の総量を思った。それはカタルシスへの大きな河だ。そうして暗い寺院は輝く神殿
へと昇華したんだと。
Baba1_20240530170501

*この作品展はすでに閉幕してしまっていますが、氏がコロナ渦に制作してグループ展のみに
出展した作品なども含めた展が6月7日から23日まで吉祥寺の「gallery shell」にて
始まります。ポリレジンで封じ込められた熱は実際に触れなくては、と思うのです。
是非!

*「喫茶室kitusne」とショートムーヴィーは( Facebook 梅田道郎 )にてご覧頂けます。
また、ショートムーヴィーのみでしたら、
youtubeチャンネル
https://youtube.com/@kitsunenoyomeiri-cw6nn?si=rWYqwECTU1QTbG9i
にて全作品を公開しています。
Marien

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2024年2月15日 (木)

ときどきトランス日記 No.116 /「風の記憶劇場」と、秘技!積雪の箱根越え。

あの晩の東京は、大雪だったんだな。
僕たちPasion Maduは車で名古屋に来ており、翌日帰京出来るかなと
心配はしてたんだけどね。

2月2日(金)代々木 サクランボカフェ。
アットホームで暖かな環境、それはだらだら進行してしまうステージと背中合わせ
の危険。
前回のしくじりはこの点で、お客さんにもそれが伝わってしまったこと。
演者が楽しんでいなければ舞台もつまらない、けれどそれは自分たちが楽しければ
良いじゃないか、とは全然違うこと。
そんな履き違いも伝わってしまっていた。

今回は1部2部に分けずに、ワンステージにシェイプした構成が良かった。
けれど、まだまだ余計なものが多いような気がする。
まだ始まって1年も経たぬグループだけれど、それを構成しているのは
皆ベテランのアーティストなわけで、問題の本質はそこにありそうだなと感じる。
Saku1
パフォーマンスはどんどん上昇、増大してきており、匂いや色や、五感に直接
アクセスして来るものたちへの変換の自由さが溢れて来ている。

けれど、曲が終わり集中、緊張が抜けると出てきてしまうあの空気、、
ステージ慣れ、と云うのは本当は怖いことなんだな、と思う。

自分がそうではない、とは決して言えぬ。
何故ならば、自分は1曲ごとにほぼ楽器の持ち替えがあり、それに連れエフェクター類の数値、
設定の変更やらがある。シーンによってはMCも入れねばならない。
そこでミスが起こる。
緊張感の欠如が顕著。

昔はそんなことなかったのにな。
加齢によるエラーなのだろうとは思うのだけれど、それにより機械に対してよりヒューマンな
立ち位置になれたのだろうとも思う。望む、望まざるに拠らずにだけれどね、これは。

今回は終盤に大きな(OLD)ヒューマンエラーで立ち往生寸前のところをすぐに察知
してくれて、一瞬で実に自然に場面の転換をしてくれた千鶴子に助けられた。
自分はその隠れ蓑の陰で、機械トラブルの最終手段、電源を抜いて再度立ち上げると
云うことをこそこそ行い難を逃れることが出来た。

だがこの晩のパフォーマンスが2日後のTOKUZOで更に豊かに穣ることは確実のように
思えた。
そうしてその通りになった。
Saku2
*この2DaysLiveでデビューしたTopeng(お面)はUbudの朋友
Wecesの彫った作品。
すでに彼岸にいる彼からのメッセージがあったのだろうと思う。

2月4日(日)名古屋 TOKUZO。

朝早く、エキストラ.ドライバーを買って出てくれた家人含め5人で出発。
車でツアーに出るなど随分と久し振りなことだ。
大昔にバンドをやっていた頃は、しょっちゅうそんなことをしていた。
浜松~静岡~豊橋~名古屋~京都~大阪~神戸、そんなコースが多かったな。
みんなで買ったギリギリ走ってるようなワゴン車にバンド名ペイントして。
そんなツアーの最中の名古屋で知り合ったのが、いま一緒にやっているTurbo
だって言うのも味な縁と言えば縁だ。
それももう40年近く前の話なんだな。
Sa
SAでツアーメンバーとわいわい何か食べながらのちょっとノスタルジックな遠足。
清々しくて冷たい空気の中を泳いでいると、解れた時が氷結してぽろぽろ零れてく。

しかし途中で寄り道し過ぎてね、少し遅れて到着。
リハの順番をずらしてもらったりして、ごめんなさい。

音が凄く良い。
リハーサルの段階でこうだと、すでに舞台の神様の祝福を受けたみたいで気持ちがふんわり
広がって、信頼と楽しみだけが待っているようなね。僕はこの感じが大好き。

すぐ近くのビジネスホテルにチェックイン。以前音速で出たときも此処だった。
朝ごはんも美味しいし大浴場だってある。
ステージ前に広いお風呂でひと泳ぎ。

とまれ。

「風の記憶劇場 act 1.」

この日の企画をしてくれたK君のDuoユニット、H&M。
デビュー戦とは思えないこなれた雰囲気でね、一気にお店の空気がPUB。
こんなギターのカット、音色。暖かな厚みを感じるヴォーカル。Duoならではの
自由な波が心地良い。
あぁ、これはビールをたくさん呑みながらお客さんでまったり楽しみたかったなぁ、、

H&Mの醸した空気の中始まった、次のBabooshka。
80年代の英国ロックが引き継いだ匂い、僅かに翳りを纏ったサウンドがとっても好き。
昔々のHoneyMoonで訪れた英国やアイルランドで毎晩のように行ったPUBの
ライブの空気だ。

満員のお客さんはそのままに、最後はPasion Madu。
さ!英国のPUBから世界旅行だぜ、と。
Toku1Toku2
いつもステージの最後に演る曲「Trust」
千鶴子が作って、大事に育てている曲。先のサクランボカフェで更に美しく開いて。
そうしてその花はこの晩、眼も眩む大輪の華やかさ。
Toku3Toku4

この旅の終わりはお店全部に祝福が降り注いだみたいな幸せな場になって。

打ち上げの席でSax/FluteのTommyさんがぽつりと一言。
「やっと始まったね、Pasion Maduがさ」

まいりました。
昔から僕の一言主たるTommyさんの一言。
1年かかって6度目のステージで。

「うん、そうですねTommyさん、ホントにぼくもそう感じています」
Toku5Toku6

Turbo、千鶴子、Tommyさん、その始まりのいま、に一緒にいること感謝しています。

Toku-syugo

そうして、もう言ってもいいよねTurbo。
重篤な腰のトラブル抱えて、名古屋行も危ぶまれた上に、車の運転、特に帰路の恐怖の
積雪の箱根の山越えを見事なドラテクで乗り切ってくれたよね。
頼りになる男、大大大功労賞を。
メンバー皆、どれだけ感謝しているかを伝えます。

とまれ、とまれ。大雪の関東、15時間かかって帰宅。

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2024年1月12日 (金)

ときどきトランス日記 No.115 / 走って走って、God Landで。

前回の日記から半年も経っている。
先日年も改まり2024年だ、いま。もう。

だからライブレポも去年の5月の7th Avenuで切れている。
でもそれからの日々が凄かったんだ、すべてが凄いスピードでやって来ては終わり、始まり、
終わり、始まり、、の。
そのひとつひとつの余韻や残り香はもうひとまずしまっておかなければ、次に行かれない。
ゆっくり味わっている間など出来ずに先へ先へと。

6月に久し振りにあった音速珈琲廊/SonicCafeは面白い企画のものだった。Show君の
企画だけれど、実に彼らしい企画だなと思った。
17日、渋谷にあるコスモ.プラネタリウム。
プラネタリウム的な演目に音速の音楽がライブで絡み、バリ島から招聘した伝統舞踊家
Dewa Irawanのダンスのシルエットが加わる。その優雅に連続する一陣の風と融合した
静かだけれど燃えるような時間。
それを演劇ユニット「宇宙食堂」の演目が引き継ぎ、ダイバーシティの面目たる場になって
いた。
Cosmo
ほぼ暗闇の中での演奏。
唯一許された、赤いセロファンで包んだ小さな譜面灯のぼんやりした光だけが頼りのステージ。
この日の音速は復帰したてのAnriとViolinのRalaを擁し凄くゴージャス。
驚くほど腕の立つこのふたりの所為で、ばらばら不安定な僕の音たちもひとつに纏まってゆく。
実はこのばらばら不安定のまんま音が拡散してゆくのも好きなのだけれど、こっちの気持ち良さ
も凄く良い。
疑似ではあるけれど、宇宙の大屋根の許での演奏はバリでの音楽家暮らしを想う僅かなひと時
だった。
夜の野外ステージでの演奏も多く、満天に迫る星へ向かって音をリリースした。
サヌールビーチでの巨大なステージでは、ふたつのバンジャールから集めた100人の
ケチャ隊とともに演奏した。あのときも晴天の夜空いっぱいに星。

ライブがハネると大抵お腹が空いている。でももうこんな遅い時間だし、じゃあやっぱり
あれだよねって、パダン料理屋に繰り出したりの。

「新しく始まったもの、ことたち」

僕はこの頃から映像作品を作り始めている。
ダンサー千鶴子とのDuoユニット、Kitsune no yomeiriでの表現として
発表される作品は、ライブ、若しくは映像でないと成立せぬものだから。
そう考えた自分はしかし、はたと気づく。
映像なぞ作ったこともなければ、機材もない、ましてや知識も皆無、ない、ない、ないの
多重苦難の道始まる。
いや、あったよひとつだけ。これが大事と思った、と言うかこれがないとそもそもがない。
イメージ。
頭の中にしかないもうひとつの目玉の網膜に映ってる絵。
その絵に引っ張られるように僕は、スマートフォーンのカメラを回し続けた、楽器を演奏
し続けた。千鶴子は踊り、被写体に、動き止まり、素材に、なり続けた。
異質なものを纏い、脱ぎ去り、そうして千鶴子になり続けた。
Gaku2
最初のイメージ。
それは額縁を介した映像だった。宙に浮かんだ額縁の裡で進行する物語。
その物語を語るのは「手」であったり「脚」であったりの身体の色んなパーツ。そうして
そのシリーズの最後にはそのパーツたちが集まって、ダイナミックな身体全部のストーリー
を現すんだ。

それを僕は最初ライブでやってみたいと思った。
けれどそれを更に映像の中に閉じ込めるのもいいなと考え始まったことなんだ。
その額縁はパーツを分離、または集合させながら室内、庭先へと移動していって、キッチン
に辿りつく。その過程を作品として収めていった。

それらは「額縁劇場」と名付けたシリーズ作品となった。
キッチンでのいくつかは、珈琲を淹れたり料理を作ったりの何気ない日常の所作から、ふいと
異質な世界に入り込んでしまう、けれど何かが起こるわけでもなく、ほんの僅かな眩暈の
ようなものを残し、またいつの間にか日常の裡にいる。
Gaku1
この頃は映像の編集は一切せずに、音も撮影しながらその場で演奏したものだ。
ミストーンなぞ気にせずに、とにかく映像主体で進んでいった。
何もわからず、知らず、結果も想像できずに、だから計画もせずに。

今はね、うん、今は。色んなことが少しづつ分かってきている、映像編集の。
色んなことが分かるたびに作品から離れていった、手放してきた、もの、ことたちが、
でもこの頃の作品には詰まってる。
もうこの空気は二度と作れない、現わせない、現れない。
ことの始まりにだけ在るもの、なんにだって、どんなことにだって。

ただ言えるのは、、楽しかった。そういう僕たちが誇らしかった、世界に。
その制作は現在も続いている、現在の空気で。きっとこれから先へも。

*作品のライブラリーとしてのYoutubeのチャンネルも開設しました。
現在42作品が収められています。
チャンネル登録して頂けたら幸いです。

https://youtube.com/@kitsunenoyomeiri-cw6nn?si=rWYqwECTU1QTbG9i

***

8月18日 代々木「サクランボカフェ」
Pasion Maduの2回目のライブ。
Pasi
ぼくはこのころ映像制作にのめり込んでおり、更にこの額縁劇場をステージで行う計画も
進めていた。
いま白状してしまうと、自分はリハーサルを重ねるたびにPasion Maduの進む方向に酷く
違和感を感じており、脱退することを今日は言おう、明日はきっと言おう、と逡巡している
うちにこの日が来てしまった、という感じだったのだ。
そう云う気持ちが高まるたびに、千鶴子がその彼岸からそれとはわからないくらいに
そうっと僕を此岸へと押し戻してくれていたから。

そうしてこの晩のステージからそう云う気持ちからは少しづつ離れていった。

それでも僕の夏はkitsuneとともに進んでいった。
9月にはkitsuneの額縁劇場ライブが決まった。
映像作品でのライブ音のために、10数年ぶりに再開したギター。それをステージで演奏する
クオリティまで持ってゆくのに、毎日毎日嫌になるほど練習した。
初期の苦痛が歓びに変化するのを目の当たりに感じた。初めてギターを手にした中学生の俺。

9月29日 横浜「Jazz First」

先のサクランボは千鶴子の女優時代のホーム、此処はダンサーに転じてからのもともとの
ホーム。とても暫く振りの出演だけれど、凄く嬉しそうだ。
昔馴染みのお客さんたちも来てくれている、千鶴子が愛されたホーム。

ただ、この晩のことは心の奥底の、もっともっと手の届かぬくらいの奥のほうにしっかりと
しまわれてしまっているようで、ちっとも出て来やしない。
まるで前世で起こったことのように、遺伝子へとすでに転生してしまったかのように。

この晩の二日後にFBに記した気持ちが見つかったので、それをそのまま記したい。

「10月1日のFaceBookの記事より」

やりたかったこと。
その全部、すべてをひと晩のステージへと。

1部58分、2部61分。
身体も気持ちも洞になるまで演奏したと思う。
二夜明けた今日、よくあんなことが出来たな、とは思う。
普段はメイン楽器のカリンバにプラスワンくらいで演っているけれど、この晩は
メイン楽器が三つ。
Kalimba、Tingklik、Guitar

自宅でリハーサルを行っているときは気にも留めなかったけれど、当日の朝、機材を
車に積み込みながらその量の多さに驚いた。
後部はぎっしりでルームミラーの視界確保もぎりぎり。
普段でも楽器は多い方なのに、更にギター2台、アンプ2台、ステージセット用の額縁やら
なんやらの物品が大量。

けれどそのどれが欠けても、今日のステージは成就しない。

これは性急に過ぎたのかも知れない。
でも自分たち、いや僕だけでもいい、この晩にすべてやることに大きな意味があったのだ。
無理なことをしている自覚はあった、けれどそのことへの不安はなかった。
千鶴子の持つ抜群の安定性と受動したものへの変換感覚が強い支えになってくれていたから。
いつだって越えてくるから、軽々と。思惑などちっぽけなものだよって。
First
僅か半年前に始まったこのDuoユニット、そのやっと2回目のステージ。
先へ先へと、止まることなく走り続けてきた、速く速く、もっと速く、もっと遠くに。
だってもう僕には時間がない、残された時間、許容された時間はもう僅かしかない。
どうしてだろう? 
でもそんな気持ちが胸の裡に生まれて激しく僕を急き立てた。

その気持ちを、音だけではなく、写真、映像、文章、自分の表現行為全部に、このユニット
kitsune no yomeiriを映し出してきた。

歓びも、痛みも、邪気も、無邪気も。そこには全部があった。

kitsune のステージはこの先も続いてゆくけれど、この晩が大きな鏡となって僕たちを映し
出してくれた。
僕はそれをつぶさに観察して、最良のものを掬い出す。抱えすぎていたものをリリースする。
身軽になる。
そのためにはこの晩にすべてを放出しなければならなかったんだ。

そうして、いま。
kitsune 以外の活動が急激にトーンダウンして来ているのを感じてはいるのだけれど、
その彼岸からは押し戻されていることも強く感じている。
此岸に在る暖かい魂が僕を行かせまいとしているかのように。

けれど、こころのままに。こころの在るままに。
「それ」はそう言った。

うん、そうだね。
僕の抱え込んでいた重力に少し変化があったからさ、こころが動いたみたいだよ。

ーーーーーーーーーーー

10月11日 島根県美郷町へ。

夏の終わり頃からこの話は少しづつ進んでいた。
美郷町はBali島のMas村と友好都市の30周年だと言う。
その記念イベントが大々的に行われるのだが、その前夜祭的なイベントを友人が企画を
していて。
「神在月のケチャナイト」
松明の盛大な火のもとに、土地の伝統芸能あり、kitsune no yomeiriのパフォーマンスあり、
最後は美郷町有志によるケチャで、という。
そうしてそのケチャの指導までまかされてしまった。

友好都市とはあんまり関係がなく、でもMas村からぽーんとこの村に引越しした、僕に
とっては家族みたいなその友人家族の家に寝泊まりして凄く楽しかったなぁ。
合間を縫って、千鶴子とあちこち次なる映像作品のためのロケを行った。早朝の雲海、
夜明けの光、深く沈む神社、こころ深くに。荒れた水辺の景色。どこも素敵だった、とても。
それらは「etude acoustic dancer」と「etude 彼岸」と云うふたつのシリーズ作品へと
成就していった。
Sima2

Sima1

10月13日 神在月のケチャナイト本番。

神在月とは、島根の10月のこと。この月に日本中の神様が集まってくる特別な月。だから
この月は島根以外の国々は神無月となるわけ。

そう云う神様たちとMas村からの友好使節団の本場モンのケチャの後押しもあり、
美郷町のケチャも凄い盛り上がりだったよ。
ケチャの輪の中央で踊るバリトラディショナルな衣装の千鶴子と土地の伝統芸能の悪の
ヒーローたる悪狐(あっこ)の絡み合うダンスに火影が映って走る、揺れる。
素晴らしい宴になったな、と思う。
Sima3

明日は帰京。一週間後にはプライヴェートなクラブの集まりがあって、そこでの
kitsuneのパフォーマンスがオーダーされている。

10月29日 横浜「エアジン」
此処は僕も千鶴子もTommyさんも何度も出演させて貰っているのでそれぞれの
ホームのような場所。
けれどPasion Maduでは初めてなので、やはり緊張感は高い。
ぼくはこのお店のステージにはなんだか凄く感応する気配をいつも感じてしまい、特別な
場所なのだけれど、この晩は何も感じないわけではなかったけれど、それが凄く微量で、
一体どうしたんだろうと思い続けながら演奏していて、結局それが最後まで変わることは
なかった。
演奏はとても良かったんだ、あとでヴィデオを見返してもそう思う。だからそういうことも
あるんだな、と思って追及することは避けたんだ。ただ、そういうこともあっていいんだなと
思うだけで。
Airpasi

12月17日 横浜「エアジン」
音速珈琲/SoncCafeの久し振りのフルステージ。1年ぶりだな。

パーカッションのAnriは来れなかったけれど、プラネタリウムで初めてセッションした
ViolinのRalaが参加してくれた。
確実さと情熱のバランスが素晴らしいんだよね。音速の音がぐうっと深くなる。
そうして此処のステージでしか感じない、あの特別な空気大気がいつものように僕を
包み込んでくれた。嬉しかった。前回のステージで僕はもう見限られてしまったのかと
心配だったんだ。

このところの僕の新しい試み、KitsuneとPasion、どちらのステージも殆ど観て
いる家人が帰りの車でぽつりと言ったこと。

どのステージも良かったけれど、今晩のはひとランク上のステージだったよ。
少し悔しい気持ちもした。けれど、うん、そうだね、と僕も思ったんだよ。
20年近く積み上げてきたものの重みをふいに感じたんだよ。
Airsonic

でもね、さあまだ人生は少しだけ続いてゆくからね。2月のPasion Madu
は2日代々木「サクランボカフェ」すぐ4日は名古屋「Tokuzo」なんだ。そう
して僕は少し張り切っているんだ、作り立ての新しい曲だってあるんだよ。

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2023年6月29日 (木)

ときどきトランス日記 No.114 / 水の中の感情 by Kitsune no yomeiri .

このお話「水の中の感情」は同名タイトルの楽曲と同時に作られました。
この春にダンサー千鶴子と始めたデュオユニット Kitsune no yomeiriの初めての
オリジナル曲です。
作曲とお話を同時に進め、さらに千鶴子とのリハーサル、ステージを経て、いまこの
形になりました。
ですので、この話の作者は、Kitsune no yomeiri ということになりましょう。
この曲は今日までに3回、ステージで演奏、パフォーマンスを行っています。
それを観て頂いたオーディエンスの皆さま、これから見て頂けるかもしれない皆様へも、
このことお伝えしたく、日記にアップ致しました。
Mizu1

「 水の中の感情 」


「むかしむかしのお話だよ。
水の中で死んでしまった男の話なんだ」

「どうして男は水の中で死んでしまったの?」

うん、じゃあね、話してあげる。

「男は、そうだな、この男はね、この国でいちばんの家に生まれ育ったんだよ。

「それは王様みたいなもの?」

うん、そうだね。さあ、もうお喋りはしないで聞いていてね」


男はね、みんなに愛されて大きくなったんだ。
欲しいもの、望むことは何でも叶ったんだ。どんなものだってね。

もう愛されていることは当たり前のことだったので、だから愛、のことは大人になっても
何も知らなかったんだよ。

男は王様の息子だからね、広い広い領地に住んでいたんだ、森の中にある。

森の奥には大きくて深い泉があったんだ。その水は透明で泉の底が見えるくらいだった。
そこに行くには、大きな岩をいくつも越えなくちゃならなくてね、泉が近くなってくると
岩はますます大きく、苔むしていったんだよ。

泉の向こうにある隣の国には、とても美しい女が住んでいて、男はその女に会いに
いつも泉にやって来ていたんだ。
女も男に会いに、その泉の淵にやって来た。
Mizu3

男は、欲しいものはなんでも自分のものになってきたので、女もいずれ自分のものに
なるのだろうと思っていた。
けれど、なかなかそうはならず、男は不思議でならなかった。
何故だろう、彼女は僕のことを愛しているはずなのに。

男はね、女が自分の恋人になることが当たり前のことだと思っていたんだ。

そうしてある日、男は泉の淵で女を待っていたのだけれど、ちっとも現れなかった。
待ちくたびれた男は、見るとはなしに水の中へ目をやり、さて、どうしたものかと考えていた。

すると泉の水がいつもよりきらきらと、ちらちらと光っているのに気づくんだ。

「なんだろう」
そう思って眩しいのを我慢して、よくよく目をこらしてみると、とっても小さくて
とっても美しいものを水の中に見つけたんだ。
Mizu5

それはね、魚のようでもあるし、静かにたゆたう水草のようでもあったんだ。
光を反射して色んな色に変化してゆく。

「綺麗だな」

男は急にそれが欲しくなって、水の中に手を入れたんだ。

ざぶん!

途端に強いちからに引っぱられ、男は水の中へと引き込まれた。
「溺れる!」
そう思ったのは束の間で、男はいつの間にか水底に立っていたのです。

そうして魚のような水草のようだったものは、美しい女の姿へとその身を変えていったんだ。
その女は男が待っていた女の顔そっくりで、男が待っていた女の声で喋った。

「やっと来てくださったんですね。
わたしはいつもこの泉の底から貴方を見ていました、そうして貴方が欲しくなったのです」

「どういうことだ、それは一体?貴女はどうして、こんな水の中にいるのです?
僕はどうして水の中に、、
貴女はこの泉の淵で、僕を待っていてくれるはずではなかったのですか?」

そうして男はふと気づきます。

男の体はザリガニの姿になっていたのです。それはそれは醜い姿だった。
赤黒いぶつぶつの甲羅をまとい、両の手はぱっくり割れた大きなはさみ。
わき腹から生えた細い八本の脚を踏ん張り、はさみを立てて。

激しい驚きのあとに、男のなかに絶望が広がっていったんだ。

「僕は、僕はもう帰れないのですか?」
この、この醜い僕の身体は一体どうしたことなのですか、水の中で生きるためなのですか?
もう人間の姿へは戻れないのですか!
一体貴女は誰?僕の恋人ではないのですか?」

「わたしはこの泉そのもの。この泉を司るものなのです。
この泉の物語の最初からそうであり、これからもそうなのです。
貴方はこの女、いいえ、わたしがほしかったのでしょう?
愛していたのでしょう?」

「愛ですって?
それは僕にはよくわからない。
僕は欲しいものはなんでも僕のものになるから。
泉の淵で僕を待っている女だってね。
けれど、僕は貴女を、目の前の貴女を、何故だろう、欲しいとは思わない。
貴女は彼女にそっくりだ、でも違う、何かが違う!

僕が欲しいのは、泉の淵で僕を待っているあの女なんだ。貴女じゃない。
彼女を一体どうしたんです?
今日彼女はこの泉の淵に来ていたはずなんだ。
あの女は僕のものなんだ、はじめから。これが愛と云うものならば、きっとそうだ」

醜いザリガニの男が喋るたびに、小さな泡がぷくぷくと水面へ、上のほうへと昇ってゆきます。

微かに濁りが水底に起こり、水の中の川のように、男の足元をゆっくりと流れています。
水の濁りはどんどん増して、男を包み、その姿はもう見えなくなりました。
Mizu8
どのくらいの時間が経ったのでしょう、、

男は夢から覚めたような気持ちで泉の淵に座り、水の中を見つめていました。
それから自分の手を見ました。
それはもう、あの醜い大きなはさみではなく、人間の手でした。

僕はいったい、、どのくらいあそこにいたのだろう、、
もう何年も何年も経ってしまったような気がする。
どんなにあがいても帰ることは出来なくて、結局すべてを受け入れた。
そうして水の中で一緒に暮らした女は誰だったのだろう?
どうして僕は水の外に帰って来れたんだろう?


男は透明な水の中を見つめ続け、奥深くにいるものを見つけました。

そこにいたものは、、

「なんだ!貴女だってザリガニじゃないか、ただの醜いザリガニだ!
思い出したぞ、ただのザリガニだったんだ!
この僕に愛されるわけなどないじゃないか!」

明るい陽がすっと翳り、穏やかな風は後退し、不穏な空気と入れ替わってゆきました。

水底から真っ黒な水がゆっくりと湧きあがり、渦を巻きはじめる。
だんだんとそれは大きく、巨大に。
怒りをあらわにした泉。見る見るその姿を変えてゆきました。

「行ってはいけない、戻ってきて!」
吹きすさぶ風よりも大きな音で、女の声が響く。

跳ね散らかる濁った水がもう一度男を引き込もうと波打って寄せてきます。
Mizu7
「逃げなくちゃ!」
けれど男は見てしまったのです。
荒れ狂う水の中に、あの優しかった女の顔を、泣きそうなその顔、美しいその顔を。
その顔が静かに言ったのです。

「わたしは貴方の本当の愛が欲しかったのです、わたしが本当に貴方を愛せるために。
だからこの泉と取引をしたのです。
貴方を欲しがったこの泉と。

私は泉にわたしを差し出したのです。
そうしてわたしは泉とひとつになりました。
そうしてこの泉が貴方を深く愛していることも知りました。
泉には、私とひとつになる以外に方法がなかったのです。

けれど、そのうち泉は、本当の泉として貴方の愛が欲しくなったのでしょう、私の身体ではなく。
そうして貴方に本当の姿をさらしたのです。
Mizu6
貴方は泉と私、両方を愛してくれるだけで良かったのです。
泉の本当の姿に気づいてはいけなかったのです、逃げてはいけなかったのです。

その顔は、悲しそうなその顔は、もういまにも逆巻く渦のかなたに消えてしまいそうでした。
その顔は、かつて男を待っていた女の顔のように見えました。

そうして、、

男の想いは溢れ、思わず水へとその手を伸ばしてしまったのです。

途端に激しいちからに引かれ、暴れまわる水の中へ。荒れ狂う水の中へ。もう一度水の中へ。
けれど男の身体はそのままでした。
男の肺にはどっと水が流れ込み、満ちてゆきました。

「苦しいよ、息が出来ないよ、ザリガニの身体に戻してよ!」

けれど男の身体は人間のままで、泉の底へと沈んでいき、もう二度と浮かびあがることはありませんでした。


「ね、こんなお話なんだよ」

「もう喋ってもいいの?」
「うん、いいよ」

「男を待っていた女の人は、その人はどうなったの?」
Mizu4

「うん、どう思う?」

「ええとね、泉のザリガニが食べちゃったんだよ」

「うん、そうだね、そうかも知れないね、
じゃあまた明日。おやすみ」

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2023年6月 7日 (水)

ときどきトランス日記 No.113 / Speed of my Life 。ダンサー千鶴子と、2.

いつかこのひとと作りたいナニカがあるって思っていた。

じゃあそのナニカって何?

うん、長い間それは分からなかったんだ。
でもね、8年も前にさ、初めて彼女を見つけて、ずうっとそれ思い続けていたんだ。
そうさ、8年もかかってしまったんだよ。
僕になんの準備も出来ていなかったからね。

ただの共演とは違うんだよ。
創造するってことの、共にある深くて強い絆みたいなものなんだ。

その8年の間、たった一度だけ共演の機会があった。
友人の書いた1曲のためのイベントで。
それは偶然みたいなもの。そのセッションに集められたメンバーの中に彼女も僕もいた。
僕は凄く嬉しかった、でもそれはそれだけの。それ切りの。
H3Ogikubo

彼女は色々なアーティストと共演しており、それが彼女のスタイルなんだと思っていた。
パーマネントな母体を敢えて持たないスタイル(そうではなかったが)
そういうステージを、初めての出会いを別にすると僕は3回ほど観に行ったことがある。
広い会場での彼女のダンスは、身体の裡に自ら起こす風に乗って軽々と動を展開している、そんな
印象だった。
狭い会場での彼女は、踊るスペースがたとえ1m四方のスクエアであったとしても、その身体の、止まりそうな
ゆっくりとした動きでさえ、その皮膚一枚下にはもの凄い速度が流れているのだと感じた。

でもこれではない。

その想いは見るたびに募っていった。

なのに僕ときたら何も持っていなかった。
ただ想うだけの。
指を咥えて見ているだけの。彼女を誘えるわけないじゃないか。

もう音楽さえも忘れかかっていた僕だ。
もうこのまま彼女を忘れてしまったとしても、だから不思議はない。

そのような日々が明けては暮れて、僕の両親はゆっくりと年老いてゆき、母と、その三月後には父と、
さようならをした。

青天の霹靂とはしかしこのようなこと。
両親とのお別れは覚悟が出来ていたし、時間をかけてゆっくりとさよなら出来たのだから、悔いはない。
けれど、突然僕の身にあらゆることが雪崩て来た。
そのどれもが経験値ゼロの事柄で。
90年以上も生きてきたふたりの遺したものはあまりにも膨大だった。
その頃はまだ暮らしのための仕事を人並みにしていたので、それと並行して淡々とひとつづつ対応していった。
けれど内心パニックになっており、全部投げ出したくなるのを必死で食い止めながら。

去年の中ごろに、それら山積していた、必ず片づけねばならない事々が漸く終わった。1年以上もかかっていた。
そうして疲れ切った僕は仕事を辞めた。
15年やった介護福祉士。
その仕事は得るものが多く、嫌では決してなかったけれど、でも続けるのはもう無理なような気がしていたから。

そうして僕には時間が出来た。
あぁ、もうこれで好きなこと好きなだけできるんだ、音楽がやりたいなもう一度。小説を書きたいなもう一度。
自分を表現すること、そんなことをもう一度、そういう気持ちが溢れてきた。

その時真っ先に思い出したのは彼女のことだったんだ。
忘れてはいなかったんだ。

けれど。

僕にあるものは年に1~2回しかステージを行わない音速珈琲廊の音楽と、たった1枚のソロアルバムと一冊の
小説だけだった。
けれど彼女はそのどれもを気に入ってくれたようだった。
そうしてぼくは、共演を申し込み、彼女はそれを快諾してくれた。
それが去年の暮れのエアジンのライブだったんだ。
その年の僕のただ1回のステージ。

そのステージは僕が勝手に思い込んでいた、いつもの彼女のスタイルだったのかも知れない。
けれど僕は最大限のリスペクトを心掛けた。結果的にはそうはならなかったんだけど、、
でも僕の想いは間違っていなかった、そう強く感じたんだ。

数少ないけれど、ぼくの体験した彼女のパフォーマンスではこれがベストだと、そう思った。
そうしてそれさえも越えられる、もっと高いレヴェルで、そう思った。
共演ではない、きちんとしたかたちの、共通の意思を持った表現のユニットで。
Airg

年が明けて、ぼくはゆっくりと加速していった。
音は僕独りで作りたかった。唯一のものにするために。
今の自分に出来うる最大限は何か、それを超えるため必要なものは何か、楽器や機材のチェックをする。
音速以前にやっていたことも重要だ、音楽って云うのはルーツが凄く大事なんだ、そこから生まれてくるものがね。
入念に思い出さねばならない。だって現在の自分の音とは違うことをやらねば意味がないから。
進まねば意味がないから。

そうして2月になった。
僕は翌月に大友人のいる鹿児島へ遊びに行く予定があった。
彼は市内にお店を何軒も経営しており、まだ僕が音楽家、と言っても良いくらいの昔に、南へのツアーの時には
何度かライブをさせて貰っている。
久し振りの鹿児島だし、折角だから音楽の旅にしませんか、なんていう話もあった。

そうして偶然同じ頃に、彼女がガムラン.ユニットで九州ツアーをする予定にあることを知った。
けれど鹿児島は予定に入っていなかったので、ツアーが終わったら鹿児島に来ない?ふたりでライブをやって
みない?と打診してみたんだ。
快く彼女はOKしてくれた。
そこから僕のSpeed of lifeは速度を上げ始めた。

彼女のダンスの動きは即興性に満ちたものだけれど、いままでの動きのイメージの蓄積が僕の裡に存在しており、
その今現在見えうるものを基に曲を作り始めた。
ゆったりしているけれど、その中で逆巻く激しい感情の渦が押し寄せ,去ってゆく、そんな曲が最初に出来た。
「水の中の感情」というタイトルを付けた。
そして、音速のステージのソロ場面でやっていたポリ.リズムのパフォーマンス用の曲を更に進化させたものが
続いて仕上がった。

この2曲をファイルにして送ると、彼女はとても気に入ってくれた。
僕は彼女とふたりのユニットを作りたいと申し出て、そのコンセプトを伝えた。
まずふたりだけでもステージを行える完成度を目指したいこと。
そうして更に、このユニットとして他のユニットに参加したり、逆にゲスト.アーティストを組み込んで多様な
表現を行ってゆきたい旨を伝えた。
そうして僕は全面的な彼女の快諾を得た。

Kitsune no yomeiri というユニット名も気に入ってくれたようだった。
そうして彼女は参考程度にって、自分のかかわった音源や映像を送ってくれた。
そうして僕は彼女が素敵なソングライターであり、シンガーであることを初めて知った。
特に気に入った「Trust」っていう曲を僕なりにアレンジしてみた。
これもとても気に入って貰えて、鹿児島のメニューに加えることになった。
この先の局面がさらに見えたような気がした。

「狐の嫁入り」

みんな気づかぬフリをして仕舞い込んじゃっているもの、ことたち。
出ておいで。

出ておいで、アニミズム、と呼ばれるものたち。

本当にあるんだよ、狐の嫁入り。
でもその行列は人は決して見てはならない、触れてはならない。
だから昼日中の晴天にも雨が降る、ひとたちが外に出てこぬように。

僕は子供のころに聞かされたこの物語が大好きで、以前、ずうっと前だけど、エスニックな感じを目指す
ユニットを作る話があって、名前を決める時に、じゃあ「狐の嫁入り」は?って提案したけど、誰も
気に入ってくれなかった。
それが理由じゃないけれど、1回くらいライブやって、ぼくだけ抜けちゃった感じになった。
今回はそれアルファベットにしてみたけれど、それ良いねって彼女はすぐに言ってくれたんだ。
凄く嬉しかった。

そうしてダンサー千鶴子とのユニットが始まった。
その新たな旅の振り出しを、鹿児島のWalk Inn Studioで僕たちは迎えた。

けれど鹿児島で、僕は。

作ってきた音に違和感を感じてしまった、あれ?これは何かが違うなって。
だから東京で準備してきたかなりの部分を手放すしかなかった。
デヴューステージは1週間後に迫っていた。

でも幸いなことに場所と時間が自分にはあり、そのすべてをやり直すことは出来ないだろうけれど、
準備してきた愚かな間違い、勘違いの修正作業を毎日行った。
桜島を臨む穏やかな湾沿いのビーチにある、大友人のゲストハウスで。本物のアンティークたちに囲まれて。
此処に彼女の部屋をキープしてあるし、迎えることは最高だなと思う半面、焦りもやっぱり感じていたけれど。
Kara-asa

たくさんの貌に会った。
初めて会う貌も懐かしい貌も。

ハッピー?
うん、そうだね。僕は幸せだったよ、鹿児島で。
悲しかった?
うん、僕はね、凄く悲しかったよ。そんなこともあったんだよ。
幸せっていうのはね、悲しさで出来てることもあるんだよ。

鹿児島で過ごした9日間がまるで大きな1日のような印象。
色んなことがあったいちにち。長い長い1日。
起こったことや時間軸はその1日の裡で渦巻いているので、前後や順序はもうばらばらになっている。
渦に浮かんでくるそれらの断片を掬い取ってはいま、僕はただそれらを書き記しているのに過ぎない。
だってそれは、僕には大きな1日だったのだから。
Kara-kopi

ーーーーーーー

そうして失い続けて。

まだ春の兆しもあろうはずもない、厳寒のこの年の初めころに。
産まれ育った実家が消失した。
泰山木と云う巨きな樹木一本を残して、消えてしまった。
両親逝去あと、もう誰も住まなくなった生家。
更地に立って思う。もうこれで本当に全部終わったんだなと思う。

ハッピー?自分に聞いてみる。
うん、幸せだよ。
でもその幸せはやっぱり、悲しさや痛みで出来ているんだよ。

ーーーーーーー

鹿児島の記録は数枚の写真しかないんだ。
観に来てくれた友人が横から撮ったものだけ。
だからどんなパフォーマンスだったのかは僕も千鶴子も殆ど覚えていない。
でもそれを惜しむ気持ちはない。

千鶴子と始まったこの物語のページが凄い速さでめくれてゆくから。
そのページは風が千切ってどんどんうしろへ、過去へと吹き飛ばしていくから。

そんな速度のままに、僕はその後も音楽の裡に過ごしていた。

ある日、古い古い、もう35年来だと云う音楽仲間のTurbo君が僕に言った。
「ねぇ、今度Tommyさん呼んでさ、ライブやんない?」
Tommyさん。
僕はこの人とBaliで知り合ったんだ。
彼の所属するYAA楽団と云うグループがライブやレコーディングでよく来ていたんだよ。
僕はいつの間にかそれを手伝うようになっていて、僕が時々帰国すると彼らのライブに混ぜて貰ったり
していて。
その中で特に仲良くなったのがTommyさんだった。

素晴らしいSaxphone、Fluteプレイヤーなんだ。
彼との音楽での思い出や掛けて貰った言葉、たくさん僕は持っている、どれも大事な。
僕がいまの僕であることに、その過程の道々で彼に触れてきたから。

michiroさん、凄い子がいるから一度観に来ない?

そうしてそこにいたのがダンサー千鶴子だった。
うん、ホントに凄いやTommyさん、僕もいつか一緒に演ってみたい。

Kitsune no yomeiriの1番目の試み。

この話にこのユニットで乗ってみたくなった、千鶴子も興味深そうだった。
とんとん拍子にライブの場所や日時が決まり。
じゃあリハーサルを、って僕の家にみんなが集まった。
2回やったリハーサルは暖かくて居心地が良くて、勿論出ている音とダンスもとっても良くて。

幸せな時間だったって、千鶴子は凄く嬉しそうだった。
ユニット名はPasion Maduに決まった。僕がつけた名前。情熱の蜜っていう意味。スペイン語と
インドネシア語のチャンプルー。
我が家の居間もいつの間にか国分寺スタジオ(A)なんて名前がついて。
Astu4

5月19日 @阿佐ヶ谷HARNESS

デビューステージ。ぼくらのMaiden Voyage(処女航海)

信頼感の絆、強い絆のせいだ、これはもう絶対にそうだ。
リハーサルではやらなかったことがどんどん出てくる。けれど全体のバランスが失われることはない。
そうして千鶴子のパフォーマンスは圧巻だった。
天からの、遥かに高い場所からの才を受け取った生粋の踊り子。
バリの古典芸能を完全にマスターしてなお先へ先へと進もうとする、その美しさ。
僅かにフラットするその歌声は、完璧な音程の歌い手より余程に心を掴む。
その声で歌で人を抱きしめる。
H2

狭いスペース故にステージ中での衣装転換、客席からそれは見えているわけで、しかし見られること、に
細心の注意を払っているのだろう。
サロンを巻く、髪を直すその所作さえもが美しく、息をのむ。
H1

5月31日 @横浜 7th Avenue

Kitsune no yomeiri 2番目の試み。

このスピードは衰えることなしに、もう次のステージだ。
Bintang Asia。
ダンサー千鶴子がパーマネントに参加しているグループ。
なので今日の千鶴子は、Bintang Asiaの千鶴子で Kitsune no yomeiriの千鶴子でもある。
そこに僕が加わるスタイルで、Kitsuneの曲も演って貰える。

アジア、アフリカ、そのものの匂いが立ち昇る暑い焦げる空気、一転それらの大都市の裏路地、路上から、
どうしようなく溢れだすものたち。
そこに雅楽が加わり、何処にもない世界へと誘う。

目まぐるしく展開、転換する曲たち。
けれど僕はそこにぴったりと嵌まり込んで、演奏すること本来の楽しさを久し振りに深く味わった。

このグループは旧知のYAA楽団と被り、手練れなミュージシャンなことは分かり切っているので、
安心して自分でいられる、もう楽しむだけの。

此処での千鶴子も凄かった、リハーサルを軽く凌駕する圧倒的なパフォーマンス。
広いお店なので、縦横無尽。まさに速いダンサー。
一瞬でトップスピードへと昇りつめる。
7th

これらが僅か半年の間に起ったことなんだよ。
そうして。
この速度はまだ続く。
今月17日には音速珈琲廊がある。
特殊なステージで、プラネタリウムの真っ暗闇の中で演奏せねばならない。
けれどきっと大丈夫。この速度とともに在れば。

ところで、雨足の強かった先の日に。
銀座。
銀座で画家、馬場敬一個展「ゴールデンデイズ」

僕は昔からこの作家を見てきて、その作品にはいつも圧倒される、それが楽しみでもある。
彼の作品をダンサー千鶴子に見せたく、一緒に来た。

髑髏だらけなのです。
まずそれが圧倒的に迫る。
髑髏って、ひとの愚かさを嗤うシニカルさの象徴みたいなもの、僕には。
はは、最期はみんなこんなだぜって。

この作家とは何故か縁があり、懇意にして貰っている。
時々お酒を呑んだりした。つい芸術談義をしてしまったりした。
けれど、去年の吉祥寺でのグループ展に出品していた作品にも本人にも異変があり、制作を続けながらも、
精神のinfernoな状態に落ちてしまっていること、伝え知った。
彼を知るものならば、徹底的に自己と向き合う姿、壮絶なまでに向き合う彼の姿を想像出来ただろう。
だから自分は連絡を断った。
かける言葉など無意味だし、よもや芸術談義など以ての外だろう。

一年くらいはそうしたのかも知れない。
少しづつ彼は制作の過程をSNSなどで発信し始めていた。
兆し。
それは少しづつ明るさを増してゆくように僕は感じた。
けれどその兆しに声をかけることもしなかった。
静かに待つことにした。
だからそれらの発信も、もう僕は一切見ることをやめた。

久しぶりに会った彼の貌は明るく、その作品たちは精神の、魂の煉獄を脱出する過程を強烈に表していた。
その辛い旅路の成就点とも言える、巨大な最終の3作品に宿るものに僕は打たれた。
その祭壇の前で。

断罪。

本当の地獄ではない。
煉獄であったのだ。
僕はそう思いました。

凄惨な傷口さえも見ることを迫る、ポリレジンの気泡から、表明から、閉じ込め切れなかったものたちが沁み溢れて。
壮絶なるポップアート。
だがそれは昇華の路を辿り、手の届かぬ遥かなる場所に有るのだろう。

千鶴子も気に入った様子で、作家本人と色々お話ししていた、制作過程の気持ちの移り変わりのことなんかを。
彼の作品はWebで見るべきではない、こうして作者と語りながら見ることの重要性を感じる。
そうしてこの作家は嫌がることなく、それらをすべて伝えてくれる。

髑髏とは違うモティーフの、ポリレジンで完全に密封された女性の顔の連作は、これ私たちの曲「水の中の感情」
みたいだねって。
うん、そうだねちづこちゃん。僕もいまおんなじこと思ってたんだよ。

とまれ。

苦しみの時期をゴールデンデイズと呼べるいまに自ら到達したこと、痛みを作品に転嫁させ、その身からの
除去に至ったこと。

凄いアーティストへ。こころから祝福を送りたい。
Baba

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2022年12月31日 (土)

ときどきトランス日記 No.112 / ダンサー千鶴子と。なんにもないのになんでもある新しい次元だったら良いな。

2022年12月25日(日)@横浜 Airegin
音速珈琲廊/SonicCafe with Chizuko
その年の最終ライブはいつも、この聖域のステージ。
しかし自分はこの大事な場所でとんでもない無作法を行ってしまった、、

今日のステージは特別なもので、かねてより共演を切望していたダンサー千鶴子とのものだったのだ。
この神域の宮司たるマスターの實さんが、踊りのスペースの確保など殊の他気を使って下さり、
裸足で舞うひとなので、とそのスペースを綺麗に拭き清めて下さったのに、、それにちっとも気が付かぬ愚鈍な
自分は其処を土足で何度も歩いてしまっていたのだ。
もとより舞台と云うものは神様のおわす場所、非常に清潔な場所だのに。

深くお詫び申し上げます。

つまらぬ言い訳ですが、本番前のあの時間、目の前も己の周りにも全くの不注意極まりない状態でした。
少し事情があり、この日のステージ構成、進行などすべて自分に任されており、ぱんぱんな頭をしたのろまな
動物のような自分でありました。

けれど、共演者と実際に会って打ち合わせをしたり、SNSでも入念な打ち合わせしたりなど、音速らしからぬ、
しかも自分にとっても初めてのことを行い、その見返りは充分過ぎるほど頂きました。
Annko1Anko2
貌。
様々な貌を持ち、様々に変容、変態を遂げる肉体。
Kupu
冒頭のBali Traditionalな味わいの濃い、千鶴子的Pendet(歓迎の意を持つ、花を撒くダンス)
の少女性、Verginity。
ひとではないナニモノかの気配。夜の貌をもつ情景、街の暗がりに蟠るもの。
一転しての母性、祈りに繋がってゆくもの。
7an1Kupu-sirokuro
ギタリストSekiShowと僕のそれぞれのZone、千鶴子のZoneが触れ合ってぱちぱちと発火して、離れ、
また触れて、ひとつのZoneへと入り、、
小さな奇跡が次々と生まれては消えてゆく。それは時間芸術の運命であり、故の美。
いま、その刹那の踊りの残像があるからこそ、瞬時後の動きにそれが繋がり、それは踊りとなる。その刹那の
音の記憶があるからこそ、それが次の音に繋がり連なりそれは音楽となってゆく。
時間に支配された芸術であるけれど、時間=記憶を操ることで成立する芸術。
Futari1Kecak
月は満ちて欠けてゆき、太陽は昇り沈んでゆく。
自然のサイクルはすべての生き物が身の裡に宿しているけれど、あまりに自然なことなので誰もが忘れているの
かも知れない。
ただ、そのことに覚醒し、強く意識して操ろうするものがいる。それこそが芸術の始祖なのかも知れない。
けれど自然物たる人間とは、故にそれを超えられる存在ではない。
だから激しい葛藤があり、それが作品として、いや、行為として高い芸術性を持つのだと自分は思う。
ダンサー千鶴子はその稀有な一群の裡にいる。苦しみの裡にいる。
とても悔しいことではあるが、凡庸な自分はその一群のなかには入れなかった。だからこそよく分かるのだ。
いつか人、と云う稜線よりいずるこころの分水嶺の流れはひとつになって、歓びの海へと向かうことを、
僕にも教えて欲しい。

そのようなステージでありました。
HitoriKinenn
2022年11月30日(水)モンゴル国立馬頭琴交響楽団コンサート@渋谷NHKホール
この音の良いホールは本当に久し振りだ。
最後に此処に来たのは90年、いや91年だったかも知れない。ムーンライダーズのコンサート。
それにしても30年以上が経っている。
舞台上手側の巨大な、天井までもそびえ立つパイプオルガンは現存していた。あの時鈴木慶一が最後にこれを
弾いたこと、まだ憶えている。

しかし超絶なテクニックとは、こう云うことを言うのだろう。
実は楽器に限らず、超絶なものと云うのはいまはネットの動画でいくらでも見ることができる。
だから超絶と云うものには少し麻痺している。
けれど、やはり生で見るとやはり凄い、まさに超絶。
そこから生み出される音楽は圧巻、これは真似出来ぬ、降参。
自分はさっさと白旗を挙げ、没入の道へと進んだ。
Mon
風雲急を告げ、雷鳴、騎馬の大群、指揮者の操る自在な音像が目まぐるしく息が止まる。
しかし緩急の緩では広々した景色を想起させ、茫洋とした気持ちの良い時間にも揺らされる。
その余韻は帰りに呑んだお酒が美味しかったことと混じり、暮れのステージのための猛練習への引鉄となって。
曰く。
凄かった。いや、でも凄いことは当たり前のことなんだ。
自分も凄くならなくちゃ、そう思う晩。

明日は大晦日。
今年も何人も大切なひとたち見送った。
生き物の一生もやっぱり時間が支配している。死んだら肉体は滅んで原子という最小単位の物質に戻る。
でもそれまであった意識とか精神とかは何処へ行くんだろうね。
何処へ行くにせよ、でもそこで時間からは解放されるんだね。
そこには時間と云うものがないので、いま自分の周りにあるすべてもの、こともない。なんにもない。
怖いくらいなんにもない。

なんにも。


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2022年11月 9日 (水)

ときどきトランス日記 No.111 / 仏教アンビエントに気付く。福井県永平寺~麻布本光寺。

仏教と云うのはとてつもなく凄いものなんだと、深く感じ入ってしまった。
こころが震える、いまも。

自分はもとより神道寄りの人間だったのだ、どちらかと言えば。
まぁ、感じるものの具合と云うか、信仰心的な傾向と云うか、アニミズム的な癖なのかも知れぬが。
だからそれはそれで良くて、変りはせぬのだろうと思う。
そう云うこととは関わりなく、自分は仏教と云うものに強く打たれてしまったのだ。

それはだが、その教義にではない。
感覚でしか捉えようのないもの、それは美であったり、気のちからのようなものであったりする。

経文は知らぬ国の言葉と一緒だし、ましてやその意味も解らない。
だが通夜や葬儀の席で、何度も聴いては来ている、子供の頃からね。
特に音楽を演るようになってからは、おりんの音や木魚とともに進む読経の声、リズムは心地良く、
何か良いなと思っていた。
平穏たる調べ、のように感じていた。

だが。
そんなものではなかったのだ。
Ei3

10月27日(木) 早朝4時 永平寺。
幾重にも入り組んだ巨大な寺院の最深部、法堂(はっとう)にて、朝課の場に入れて頂く。
常時100人ほどいる修行僧の方々の朝のおつとめの場だ。

前夜泊まったのは、門前にある宿坊を模した宿で、朝課に参加したいお客を案内してもらえる。
外へ出ると、まだ夜の匂いが濃く強く残った黎明の刻の少し前。
弱々しく街燈が、おのれの周りの闇を薄めている。かなり寒い。

皆黙りこくって上ってゆく。砂利を踏みしめながら山門を目指し、羅漢堂を潜る。
靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
僅かな灯りの暗い堂内を最奥部目指して時に階段を、時に傾斜の廊下を上り下りして静かに進む。
随分歩いたような気もする。夢の中の行軍、永遠の歩行。
Ei2

法堂内はスリッパも脱がなくてはならず、手足がかじかむほどの冷たい空気に満ちている。
広い広い座敷、遥かに高い天井。法話があり、その後座禅を組む。
この辺で自分は時間の感覚を失くしてしまう。もうなるようにしかならないのだなと感じる。
座禅を終え暫く放心していると、真っ黒な僧衣の修行僧たちがぞくぞくと入って来られる。
最前には巨大な仏具が居並び、通路を挟み左右に100人の修行僧が座す。
僧衣の擦れる音、畳の擦れる音が静かに満ちてゆく。

これほどの大きさのおりんは初めて見るものだ。
その倍音の響きの果てしなさ、瞬時に自分の全部を持って行かれてしまうほどの震え。空気の震え。
果てしない倍音の震え。100人の読経が押し寄せる。
圧巻だ。
その轟轟たる大海を割って、焼香のため我々は静かに中央の通路を順番に進んでゆく。すでに現世感は薄く、
いま自分は別次元との狭間に居るのだと思った。

だが。
そんなものではなかったのだ。

外はいつの間にか朝を迎えており、冷え切った身体に朝食の味噌汁がことの他滋味深かった。
11時には今回の目的、義父の納骨のためもう一度堂内へ入る。
少し眠ったので、さっきの朝課が昨日の夢のような気がする。まだ時間の感覚が帰ってこない。

永平寺は大きい。
靴を脱ぎ、清潔な木の廊下を往く。
坂の回廊、斜めに切った木枠のガラス窓に穏やかな陽が射している。
あんなに冷たかった朝の空気中の水分が、陽で温まって屈折している。
そういう引き窓がずうっと上の方まで続いている。
我々は納骨の法要の行われる祠堂殿、舎利殿を目指しゆっくりと上ってゆく。
Ei1

巨大なおりんをはじめ、鳴りものが各所に設置されている。
朝課のこともあり、これにはやはりわくわくしてしまう。
これはひとつの舞台と考えて良いと思う。
自分は下手側の席に座っている。
舞台中央の左右に三人づつの若い僧が対座しており、少し離れて年配の高僧らしき人が読経のリードを取るのだと
思われるポジショニングにいる。
鳴りものの各担当者もそれぞれスタンばっている。

おりんの一閃、長い長い倍音の響きの裡、巨大な木魚の等しいリズムを更に等分した大太鼓のリズム。
この太鼓の金属ではない低音の圧が凄い来る。
8分音符の永遠たる連なり、な訳だのに身体が自然と横に揺れてしまう。
これって間違いなくグルーヴ感だと思った。
おりんはひとつではなく、3種類の大きさのものが鳴っている。妙鉢と呼ばれる西洋のシンバルそっくなものも
時折入って来る。
だがどれもが裏打ちをしているわけではない。誰もが表で粛々と進んでいる。
しかしグルーヴ感ってやつはこの裏打ちから発生するものなのだ。
不思議不思議のこれっていったい何だろうと思う。

それはね、サイドの対座した3人づつの僧にあったのね。
リードの読経に被せてユニゾンで合わせているのが基本なのだけれど、この2つのユニットが絶妙なことをしてる。
片側3人が時折、経文の最初の2小節分くらいを読まないのね、そうするとこちらはステレオで聴いているわけで、
片チャンネルの音がふいに消える、その後また始まる訳なんだが、それを左右で規則的にやっている。
これが凄い効果を生んでいる。
バリ島の伝統芸能ジェゴッグのムバランみたいだ。狂騒と表現しても良いと思う。


そうしておりんの響きが凄い。永遠かと思ってしまうほどの響きがあちらこちらで発生している。
その渦に捲かれて自分は何処かへ沈んでゆく。虫ほどの息で。
リズムは性急に、狂おしく、早くなり、絶頂を迎えた読経は刹那止まる。

無と云う音を作り出すために、その刹那、おりんを手ですっとミュートする。
そうして次の楽章が始まるがごとき、また静かに展開してゆく。

DNAに直接働きかけて来る。そう感じた。
我が国はこう云うものに護られているのだな、と感じる。
仏教的なアンビエント。
Ei5

思えば、昨日の朝から今日の朝まで、そうして今のこの刻へと、随分と長い時を経てきたような感覚が残っている。
僅か一泊の旅だのに、長い長い距離を歩いてきたような気がする。
昨朝自分は羽田空港の、ビールだのウヰスキーだのをタダで飲ませてくれる部屋に入れて貰い、
朝の7時だというのに酔っ払っていた、夜は福井の美味しい地酒を精進料理でたくさん呑んだ。
飛行機に乗ったり、車に乗ったり、蕎麦を食べたりもした。景色も楽しんだ。
でもそういうのがみんな、凄く昔のことみたいに思える。
Ei4

濃密な仏教時間の裡ではね、、そう思えば矢張りそれはそうなのだ、と思うばかりだ。
法要を終え、外の世界に立ち戻ると、ぽんと気圧が身体から抜けて、皆お腹がペコペコだった。
これから福井名物のソースカツ丼を食べに行くんだ。
Ei7


11月2日(水)
自分のような者でも丸の内に用事が出来ることがあった。
有楽町で降りて、丸の内のSビルまで歩いて15分くらい。
用事は10分程で済んでしまい、行きは用事のある人間だからまぁ良いのだが、もう何も用事のない
自分は外によろよろまろび出て、はたと気付く。
辺りはビジネススーツにネクタイの人ばかり。
自分はマオジャケットにご丁寧にスタンドカラーのシャツを着ていると云うアウェイ感半端なく、、

でもね手ぶらで帰るのは何か口惜しい。
暫し考え、これは麻布だろうと思った。
このところの曽祖父を筆頭に据えた梅田家のルーツ確認の旅の最後の残りひとつが麻布にある。
去年の父の逝去の折、はっきりとその所在を知った場所。
12歳で仏門に入った曽祖父の2番目の修業の寺で、当時30代。
この時代に曾祖母となるつるさんと出会い結婚している。麻布のシティガール。
自分のシティボーイ体質はこの血だったのかと思う。知らんけど。

東京メトロ、麻布十番駅。
幹線道路沿いに神社。少し歩いて左に折れるとそこが暗闇坂。さっきまでの丸の内の馴染まぬ
空気とは全然違う。
下って上ってだらだらの長い坂道で少々息が切れるね、しかしこれは。
暗闇坂に三つの坂が複雑に交差してるこの町の臍で。さてどっちかな。
で、狸坂を選んで上って下るとありました。
法華宗総本山、三条本成寺の末寺である、麻布本光寺。
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空気が濃い。麻布の住宅街はひっそり。その裡のお寺は更にひっそり閑。
都会の底みたいなすり鉢状の町だからね。
狭い境内の先は意外に広い墓所が続いており、その片側は崖の下、上を見上げると高校のグラウンドの
フェンスばかりが見える。
体育の授業でサッカーをしているらしい弾む声が時折落ちてくるばかりなり。
反対側は住宅地が迫り、生活感がこっちにもはみ出して来ている。
Ho3bHo3a

これでこの旅は終わりましたよと、長岡本妙寺のお墓に報告テレパスを入れて。
小さな石くれを拾ってポケットにしまった。
実家のすぐ裏を流れるささやかな小川の水底にある、密かなコレクションに加えるのだ。
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2022年10月18日 (火)

ときどきトランス日記 No.110 / 自分にとっては特別なんだけど、平たく言っちゃうと神社仏閣巡りなのか。

去年の父母の逝去あと、保険やら銀行の事やら、更に相続の手続きと云う最大の難関
をどうやら乗り切ったようなのだけれど、そのどれもに際して、徹底的に梅田家の
来歴、履歴を調べねば事は運ばず、これもひとつ骨の折れる作業だった。
しかし、これによって今まで知らなかった事柄が色々とわかった。

曽祖父の父親、つまり自分のひいひいお爺さん、これは高祖父と言うそうで、そこまでは
何とか辿ることが出来た。
それ以前の記録は戦災で焼失しており、もう知るすべもない。

旅って云うのは、まぁ体力もそうだけれど、気持ちだと思うのね、旅する気持ち。
これが年齢とともに衰える、きっと。何か僅かな自覚もある、やばい。
なのでこれは行けるうちに実際に辿ってみようではないかと思い立つ。急ごうと思う。

9月28日(水)新宿バスタ~新潟県、長岡

思い立ったのならば、もう出立だ。
高速バスって初めてだ。
安いし楽。列車で安く行こうとすれば、煩雑な乗り換えもあり時間もかかる。
そう云うのが好きな人もいる。自分もバスで直行では少し味気ないかなと、ちらと思ったのだけれど、
列車は旅ナカでたくさん乗れるし、ここは楽をしようと思った。

「オテル.ド.テルミナ」は何処ざんしょ、、などといい加減なことを呟きつつの長岡駅前。
ホントは長岡ターミナルホテル。
長岡駅にくっつくように建っている古いビジネスホテル。
自分は昭和に建立されたであろう、こう云う古い安ホテルが存外に好きだ。
独り旅はこういうところで過ごしたいのだ。
最新鋭のビジネスホテルは、ただ超コンパクトな閉じた箱。なので楽しくない。
けれど古いやつって云うのは、空間が緩くて閉塞感がないのね。窓だって開閉出来る。

さて、陽が落ちれば酒であるが、今回の訪問先どこでも、自分好みの店は皆無であることを
すでにリサーチしてある。
好きなタイプの店は東京とか大阪にしかない、きっと。大都市の札幌でさえそうだったものな。
地方も都市もない、ないまぜの品の悪い一角にきっとある、野蛮でこころ休まるお店。

けれど旅先の安ホテルの部屋で独り呑むのも悪くはない。
近くの大きなスーパーで色々買い込んだ。

9月29日(木)新潟県、三条、本成寺。

長岡から上越線で20分。
田舎の小さな駅、ではなくて、何処にもありそうな普通の小さな駅。
駅舎を背にして一本道。途中から参道っぽくなるけれど、特に店がある訳でもなく、の住宅街。

自分の曽祖父、幼名梅田時次郎は此処三条に生まれ、12歳で仏門に入る。
振り出しは法華宗の総本山、本成寺の末寺、寿妙院。
本成寺は大きく広く立派な寺だった。流石総本山、あの駅がこれに繋がるのが何だか不思議なくらい。
寺の周りに末寺の○○院だの〇✖院だのがたくさんあって、そのひとつが寿妙院。
見つけるのに少し苦労をしたけれど、あったあった。
ひと際小さく地味な佇まい、でも好ましい佇まい。
Jyu3Jyu2

平日の真昼は上天気、かなり暑い日だ。
しんとしたひと気のない聖域、空は蒼。鐘楼の陽陰に座り込んで味わう呼気。

いや、檀家の納骨らしきものがあるのだろう、黒い服装のひとたちの列が何処かへ向かってゆく。
独りはしゃぐ小さな子供の声の他は、とても静かな、現実感のないような葬列が自分の目の端を過ぎて行き、
それ切りになった。

時次郎はこの後、更なる修業のため末寺である東京麻布の本光寺へ。
この時代に、のちの曾祖母つると出会う。
時次郎は梅田教巌と改名する。

9月30日(金)新潟県、長岡、本妙寺。

麻布での修業を終え、梅田教巌は梅田日進と成り、ここ本妙寺の住職となる。
この寺が曽祖父の最期の地。

長岡駅から信濃川へ向かってまっすぐに30分ばかりの道のり。
末寺とは言え、大きなお寺だ。
父と母は随分昔にこの寺を訪れており、写真が少し残っている。
また、姉も高校生の頃に訪れており、遅ればせの自分が今日やっと。
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この日もとても良い天気。
真昼の寺は矢張りしんとしている。
この寺に曽祖父のお墓がある。
境内の大きな樹のある中央の一角に本妙寺歴代住職の墓碑が集合している。
ただね、苔むしていたりしていて、刻印の読み取れるものは少ない。
まぁ、このなかのどれか、と思う他はない。
いちばん大きくて、綺麗に整備されて真ん中におわすのが日蓮聖人のだ。
この聖域中の聖域であろうこの一角の入り口に、左右2本の柱が建っており、
その右の柱に檀家一同の寄贈らしい刻印がある。
そこに日進の文字を見つけた。
存外人気のあった住職だったのかも知れない。
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しかし、これですっかり役目を終えたような気分になって、計画していた信濃川をたっぷり
味わうことは完全に忘れて町へ戻ってしまった。
あ、信濃川、、と、それを思い出したのは夕のお酒と食を買いに行ったとき。
しかし自分は高速バスの窓外で見ることは見ている。バスが長岡市内入る直前に川を渡る時に。
信濃川の表示もあり、でもその時は、お、信濃川、と思ったに過ぎない。
それでひとつ昔の河の記憶が蘇った。

自分はマレィ半島が好きで幾度となく訪れているのだが、数年前のその旅で、この地に嵌まるきっかけとなった、
大正~昭和の詩人金子光晴の、マレィ最愛の地、バトゥ.パハと云う小さな町をとうとう訪れた。
光晴の書に幾度となく出て来るセンブロン河と、その川面へとしなだれるカユ.アピアピの樹をどうしても見たくて。
しかし、現地はざんざんの雨。濡れようが構わぬと思ったが地図を忘れて来ているときた。
前も横も分からぬような降りだ。
自分は飛び込んだ安食堂から一歩も動けず、帰りのバスに乗ったのだ。
でも一瞬だけ窓外にセンブロン河を認めた、あれだ、そう思った。雨の叩く茶色の水面へとしなだれる樹も見えた。
バスが橋を渡るその刹那にそれを見た。
そうして、あのとき食べた素朴なクレイポットライス、旨かったな、とそれ切りの記憶しかない。

長岡ではもうひとつ、マレィの記憶に立ち戻る一瞬があった。
本妙寺~長岡駅を繋ぐ道は途中までは広い幹線道路の如きでなかなかに味気ない。
なので帰路は、その道路に差し掛かる辺りで道を一本外してみた。
そうしたら矢張り見つけた。
新幹線の停車駅景気の頃は大いに栄えていたのだろう、でももう寂れてしまった繁華街、歓楽街。
この辺りは殿町と云うらしい。
夜の帳の時分になっても、きっとその扉はもう開くことはないんだろな、そういうお店が並んでる。
ただ、今風のキャバクラとかフィリピンパブなんかは営業しているようだ。
しかし自分のようなものが夜この辺をうろうろしていれば、ロクな目に合わないだろうことは
分かるので、こんなお昼の時分に夜の侘しい情景を想像するだけ。

ところでこの辺り一帯の作りが面白い。
全部のお店たちが軒で繋がっていてぐるりと回廊のようになっている。
酔客たちがこの回廊をぐるぐると巡る様を幻視するとなかなか楽しい。
この作りはマレィにあるカキ.リマと呼ばれるものにまるでそっくり。
大きな町ならば必ずある。
マレィの場合は角に大抵コピティアムと呼ばれる安食堂とカフェーを兼ねたお店がある。
歩道にまでテーブルや椅子がはみ出していて、自分はそういう椅子で甘ったるいテ.タレ(コンデンスミルク紅茶)
やコピ(珈琲)をすすりながら通りを眺めて過ごすのが大好きだった。
光晴の時代ならば、こう云う回廊にアヘン中毒者たちがごろごろ転がっていて、彼らを踏まぬように
煙管を点けるための豆ランプを蹴っ飛ばしたりせぬようにと、苦労をしたそうだ。
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麻布、本光寺は何時でも行けるので、ひとまずのルーツ巡りはこれでお終い。
日進の息子、自分には祖父である梅田芳次郎は仏門へは進まず、北海道大学を経て、医学博士となり、
札幌で祖母幸子と出会う。
ここから梅田家の札幌時代が始まる訳だが、それにはまた違う機会を作ろうと思う。

旧市街と新市街の対比を味わうのは旅の楽しみで、でも地方都市の繁華街は、歩くのは良いけれど
お店に入る気はしない。
今晩も侘しく部屋で独り、酒を呑む。
この侘しさの味わいが好きでね。

そう言えば、三条もそうだったのだけれど、路面とか歩道とか、道沿いの駐車場なんかが結構あちこちで
茶色の鉄錆色に染まっている箇所がある。
これ何でだろうと思う。鉄分の含有量の多い水でも染み出してきてそのまま錆びるのだろうか?
とまれ、これもちょっぴり侘しい景色だなと思う。
Sabi

10月1日(土)群馬県、前橋。

上越線で山を越えて往くと平べったい関東平野だ。
広い景色に分け入って気持ち良く走る。
水上で前橋行きに乗り換え。
終点に近づくにつれ、空いていた車内も帰宅中の高校生やら、地元の人たちで混んできて、
さっきまで我が物顔であちこちうろついていた、無神経、不衛生の塊のような非常にマナーの悪い撮り鉄の
馬鹿者も隅に追いやられて、やれやれと思う。

前橋駅から少し歩いて、中央前橋と云う駅の前のホテルにイン。
今晩は古い古い友だちのバンドのライブがある。前橋がホームのバンド。
自分でも名前を知っている有名なバンドの元メンバーや、シティポップなら一番に名前の挙がりそうな
歌手の元サポートミュージシャンとか、そういう手練れのメンバーたちが、大分の良い歳になり再結成したバンド。
ザ.パルジファル。
CDの出来が素晴らしくて、随分聴き込んでいたので、ワインを飲みながら結構ワクワクしてた。
おぉ、やるなぁ、、アルバム中唯一自分が好きになれなかった曲でスタート。

けれど良い演奏でした。曲間のメンバー各自のだらだらしたお喋りは苦痛でしたが。まぁ、ホームのステージ
だしね、そういうのもアリなのかなと。
その友だちはヴォーカルとギターが担当で,声が凄く良い。
もう一人のギタリストとのコントラストが鮮やかで、これに関してはCDの音源を凌駕しているなと思った。
自分はギターバンドと云うものが好きなのだが、その味わいも濃いライブ感。

9月2日(日)前橋。

件の友だちと一献傾ける予定なのだが、それは夕刻から。
さてでは、初めての町の散策でもしようか、と考えるが、どうも凄く疲れている。
こりゃ駄目だな、全然出掛ける気がしない。
なので約束の時刻まで休息日とする。
陽が落ちてしまえばね、それはそれで楽しく呑めるというもの。今旅初の居酒屋にて過ごす。


9月3日(月)前橋~栃木県桐生~足利。

今晩は足利の予定なのだが、桐生で途中下車の上毛線。
遠くに見えているのは赤城山なのかも知れない。

桐生で降りたのは目的があって、わたらせ渓谷鉄道に乗ってみたかったから。
随分昔にテレビ番組で観たことがあって、多分それがこの線と思う。
その番組はNHKの「関東甲信越小さな旅」だったかも知れない。
自分はこの番組のテーマ曲が好きで、その作曲者は服部克久と思いこんでいたのだが、実は大野雄二で、
これには意外な感じがした。
しかしこころに沁みて来るメロディー、楽器の調べ、たまらない。

迫る緑の双璧を突っ切って走る。
窓外にはみだした肘を緑が打つ。
緑が切れると、眼下に渓谷。その水の色は碧、そこだけがまだ夏の名残り。
新潟の旅は暑かったので、こんな冷たい山風に晒されて、あぁ、秋から冬へと向かう一日目が今日、と思う。
途中に足尾銅山の廃坑があり観光の名所になっているらしく、みなそこで下車。ぼくだけが独り終点の
間藤駅まで。
暖かい缶珈琲を飲んで、折り返しのその電車が帰路。
Sogai

夕方に足利到着。
ここでも古い友人に会う予定がある。
ひとりはとても古く、もうひとりはまあまあ古い。どっちもUbud村で知り合った。
ひとりはインディアン.フルートの名手で、もうひとりは植木屋をやっている。
植木の方の仕事が済むまで少しの散歩をする。
足利はなんだか好きになれそうな佇まいの空気、丁度の逢魔が時っていうのもあってね。
大きなお寺の境内を巡り、裏の水路の向こうに知り合いのカフェがあるというので行ってみた。
「マーラーズ.パーラー」これには矢張り、うおぉ、となる。
頭脳警察の解散後に、すぐにリリースされたパンタのソロアルバム「Panta’x World」のB面
ラスト、凄く印象深い曲のタイトルだからね。
足利で最初に受けた印象がお店になったような素敵な処でした。

その後、昭和の匂いたっぷりの渋い呑み屋に案内して頂く。
ちっとも変わらぬモヒカンの植木屋Fさん、暖かな笛吹きのK君、懐かしくて穏やかなひと時をありがとう
ございました。
Mikawa

10月4日(火)帰京。

もう大分東京に近づいていたので、帰路は楽ちんだった。
東武伊勢崎線と武蔵野線などを乗り継いで、埼玉県を突っ切って我が家へ。

今朝は笛吹きのK君が朝の散歩に誘ってくれた。
近所の織姫神社。この旅は最後まで神域だなぁ。
小高い山上にあるポップな面持ちもあるなかなかの神社だった。狙ってる感じがした。
階段はしかし、かなりの段数で明日が思いやられた。
Ori2


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2022年7月13日 (水)

ときどきトランス日記 No.109 / 札幌、山の手、浄國寺にて。

6月26日、日曜日。
先の20日に母の一周忌を終え、父のそれはもう少し先だけれど、1年かかって漸く
両親を生まれ育った地に帰すことが出来た。

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札幌、山の手にある浄國寺。
背後に三角山を擁した空の広い、緩い斜面の墓所。ここは好きな場所だなと思う。
けれど自分も姉も、お墓に入ると云う希望がないので、墓石が開くのはこれで最後になるのだろう。

親類縁者はすべて北海道におり、その方々を招いての納骨式、後の会食等、喪主たる自分が
すべて取り仕切り、やはりそれは少しだけ大変だった。
この時期は蝦夷梅雨と云う、北海道だけの短い雨のシーズンに当たり、天気が心配だったけれど
何とか降らずに持ってくれた。

納骨室には祖母の骨だけが入っていた。
30年以上も昔に、僕が独りで東京から運んだものだ。
その上に布の袋に仕舞った両親それぞれの骨をそっと置いた。
骨壺ってすごく重い。ふたり分の運搬は大変だった。家族三人で協力しながら運んだ。
こう云う条件が東京だったら大汗の運びとなったろうが、こっちはこんな日でも爽やかな大気に満ちている。
ちっとも汗をかかずにさらさらとすべてが進行していった。

しかし、納骨の際には遺骨を骨壺から出して、さらしなんかの自然に還る素材の納骨袋に納めるのだけれど、
これを東京でやって来れば、どれだけ楽だったことか、、とつい不遜なこともちらと思う。けど、それは何か
大きな掟に触れるような気もするしね、矢張りイケナイことです。
でも重い骨壺やそれを納める木箱やら、残ったものはお寺の方でお焚き上げと云う供養ののち、処分して
もらえるので、これは凄く有り難いことと思った。

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とまれ、肩の荷が下りる、とは良く言ったもので、肩と気持ちから重たいものが降りてくれて楽にはなった筈なのに、
凄い疲労感が残ってしまった。
思えば夕べ、札幌到着の晩、Ubud在住のち札幌、小樽に帰っている友人たちが宴席を設けてくれて、
歳取ったなぁ、とか、いやすっかり大きくなって、とかいろんな年代が混じりあってて、それはそれは
楽しかったのだけれど、最後の方は疲れてしまってお酒も入らなくなって。

疲れ。
これをずうっと引きずって来ている。何時からだろう、これは。
もうずうっと、まるで身体の一部分のようにいつもある。

6月27日、月曜日。
小樽へショート.トリップ。
越中屋と云う和式旅館に独り。
何てことない裏通り、あちこち剥がれたほったらかしの舗装の裏通り。でも冬になったらば、雪景色の
この通りはさぞや良いことだろうと思う。

1泊の予定なので、散歩の心づもりもあり、13時に入れる此処にしたのだが、畳と座布団折った枕が
気持ち良すぎて夕刻まで昼寝をしてしまった。

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疲れは未だ色濃く残ってはいたが、もうすぐ逢魔が刻になりそうな空気に誘われて、運河の辺りを少し歩く。
観光客のいる辺りを離れてどんどん歩いてゆくと、海に抜けた。風に乗った海猫が浮いたり沈んだりしている。
耳もとで捲く海風の音と、やっぱり夕刻は鳥が啼く、にゃあみゃあにゃあと煩かった。

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ところで、夕べは家族と「札幌ジンギスカン本店」へ。以前行ったときは古いバラックの何か飯場みたいな
建物の2階で、煙もくもく油べたべたな非常に好きな雰囲気だったのだが、今は近くに移転をして少しだけ
小奇麗になっている。
両親ともに札幌出身なので自分も少しはジンギスカンを知っているのだが、此処のは旨い。物凄く旨いのだ、
それはもう大変に旨い。ラム肉は柔らかくってすいすいいくらでも食べられる。
そうして今朝はホテルの朝食。シンガポールのチャンギ空港みたいな天井の高いレストランでガレットの朝食。
SnowPeakの監修しているお店で、なるほどお洒落。
ガレットって初めて食べた。そば粉の薄い生地をカリッと焼いて、それを四角いお皿みたいにしてあって、そこに
色々具材が入ってる。
海のガレットって云うのを頼んだら、そのお皿にイクラとかサーモンが入ってて、真ん中にポーチドエッグが
乗せてあり、バターがふわっと香ったりして凄く美味しかった。

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と、如何ほど左様にだから今、自分はお腹が全然減っていない。
ツーリストのあまり行かない方向へ10分くらい歩くと、お目当ての店が見つかった。
石川源蔵商店。
創業123年の立ち呑み店。
初代は味噌、醤油を作り商っており、2代目から立ち呑みになったそう。で、今は3代目。
道外には滅多に出ない希少な小樽ワインなんかをぺろぺろ飲みながら、主人や常連さんたちとお喋りした。
良い加減なところでお暇して、逢魔が刻の最後の町をよろよろと征く。脱力とともに、疲れが大分抜けて
いることに気づく。
途端に空腹を覚えた自分は傍らのコンビニに飛び込んだ。

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6月28日、火曜日。
列車で札幌へ戻る。
左側に座ったのは、窓外に暫く北の海が見えるから。僅か1時間の行程だけど、公共の乗り物って良いな。
脱力感はまだある。でも脱力ってことは、それまで余計な力が激しく身体、精神にかかっていたってことだ。
思えばこの1年というもの、この状態がずうっと続いていたのかも知れない。

だから自然とリセットに向かう道を探していたのだと思う。
そのためには乗り越えなくてはいけない業も多々あり、この1年はそれをひとつづつ丁寧に片づけてきた。

忘れていたようで、しかし心の隅にいつまでも引っ掛かっていた、バリで録り溜めていたソロ音源。
思い切って、かなりの散財ではあったけれど最新のマスタリング技術を施して、ソロアルバムとして
リリースしたこと。
同時に複雑怪奇なる相続関係の荒海へも乗り出し、ほぼ乗り切ったこと。
帰国後から15年続けた介護職は体力やらこころの限界やらを迎えており、渡道直前に引退をしたこと。
両親を最後まで送ったこと。
大事な友人たちが何人も旅立って行った。そうして自分は生き残った。

ひとまずの幕は下りたのだと思う。
そうして幕間たる今日。
恐らくは自分の最後のステージへ踏み出す直前の今日、いま舞台袖。

ところで札幌にはどうも自分の好みのタイプの呑み屋は僅かしかないように思える。
それでもいくつかピックアップしていて、試してみようと思っていたのだが。
どうやらひとつ目で当たりを引いてしまったようなのだ。

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その名も「第三モッキリセンター」正統90年、とある。
その佇まいですでに確信。
ところでやはり気になるのはモッキリ。
モッキリってなんだー?

静岡方面の言葉で、ムカッとする、イラっとすることを「ヤッキリする」と言います。これは非常にその気分に
マッチしていて、我が家でも愛用している。
そして誰しもが連想するのは矢張り「モッコリ」であろうと思われる。
これが混ざるとモッキリ。な訳はないので調べようここは。

その昔、角打ちのことをこちらではモギリと言っていた。
そっから色々変遷があって、立ち飲みや大衆居酒屋のことをモッキリと言うそうだ。
まぁこれは高齢の方だけらしいのですが。
そしてもう一説は「盛り切り」から来ているとも。
つまりはこれ。

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ホッピーを注文したらば、ホッピー(外)と氷とジョッキが来て、最後にコップに焼酎を
表面張力崩壊寸前まで注いでくれる。
おぉ、盛り切りだ、と感動するが、これをどうやってジョッキへ入れるのか、、
持ちあげれば絶対に零れるし、それはみっともない(北海道ではみったくない、と言います)
暫く考えて、コップに口近づけて、ちゅっ。
しかし生の焼酎なわけで、これがヤバいのね、結構キくの。
大衆居酒屋は安くないと駄目なわけで、このコップ焼酎が200円。焼酎抜きのホッピーセットが275円。
これで2.5杯は行ける。ひとによっては3杯でも。
なので自分はこのセット×2でホッピー5杯。計算したら一杯190円也。

何だかいつの間にか常連さんたちのお喋りに加わっていて、こちらは完全にアウェイなのにね、小樽の時も
そうだったけれど、みんな気さく。
働いているおばちゃんたちもみんな優しかったよ。
串カツ頼んだら、ウスターソースにする?とんかつソースにする?って聞いてくれて感激。

こう云うの味わったことない、東京じゃ。
常連さんたちは牙城を築き、独り呑みさんは独特の構え。

何?では第一、第二の様子が知りたいですと?
ありません、そういうお店は。

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Cd

 

 

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2022年3月18日 (金)

ときどきトランス日記 No.108 / エーテルの満ちる斎場と遠い海の記憶になるもの。

こんな日は。
こんな日には、自分の魂の深部にまで降りてゆく他はないのだ、そう思う。

大事に思っていた友だちを失くした。
気持ちなんて全然片付いてない。
なのに、10日も経たぬうちにもうひとり。
大事な大事な友だちだったんだ。

それを恨むなら天へ。
其処におわすナニモノかへ。
すべての諸行は無常なり、そうなのかも知れない。
だが自分は無常に対する修業が足りない、去年よりあんなに無常を味わって来たのにな。

「ゆうこさん」

2022年 2月28日 逝去。

冬の名残ももう最後だという寒い日に、灰色の厚みの空の日に、かつてゆうこさんだった、
彼女の魂の容れものだった身体に過ぎぬものは、一条の煙になって虚空に吸い込まれてゆきました。
そう云うものでも、ただの容れものにせよ大切に送ってあげるのがこの世の習わしというもの。
それでさよならのすべてが終わる。

スターマンはお空で待っている。
スターマンがあの空の果てで待っている。

いったい何時からゆうこさんと友だちだったのか、きっかけは何だったのか、全然思い出せない。
家人に尋ねてもやはり同じ。

O-LaLaのゆうこさん。
みんながそう呼んでいたと思う。
それは彼女が経営していたブティックの名前。デヴィ.シータ通りの。
自分たちも同じ通りに雑貨店を営んだことがあるけれど長続きもせず、でもO-LaLaは昔からそこにあり、
自分のちっぽけな小店とは違い、トゥトゥマック.レストランと共に通りの貌みたいなお店だった。
彼女の作る服は、そうだな、映画「ウッドストック」で観たような、そんな服だった。
60年代から70年代初め辺りくらいの。
Ubudにはそう云うひとや空気の名残が残っていたから。
あ、あれO-LaLaの服じゃないかな、なんていう西洋人の女性をよく見かけた。彼女の服のファンってきっと
たくさんいたんじゃないかと思う。
彼女の家に遊びに行くと、作りかけの服がトルソーにいつも掛かっていた。上手く言えないが長い服、丈の
ぞろっとした。
床には散らかったカラフルな端切れ。そう云うアトリエで暮らしていた。
パダンテガルの田圃の畦道をてくてくと歩いてゆくとある、2階建ての小さい家。

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良く音楽の話をした。
好みが近い部分も多かった。
ディヴィッド.ボウイーやトッド.ラングレンやキングクリムゾン。
じゃあボウイーのアルバムで何が好き?の話では、自分はそれは断然'Low'だな、なんて通ぶって答えて。
ね、こう云うところが自分は駄目なところと云うか、鼻持ちならぬ奴と云うか、素直でないと云うか。
ゆうこさんにはそう云うところが微塵もなかった。
いっつも自然。いっつも機嫌が良さそうだった。

恥ずかしいことだ、ホントに。俺の莫迦。

超自然的な存在は、この世では普通ではないからその様に呼ばれるけれど、ゆうこさんがいま居る処はそっちの方が
普通だ。
だからそう云うものたちと暮らしてきたゆうこさんはいまきっと満足してると思う、やっぱりそうだったのか、なんて。

かつてゆうこさんだった身体が、あの炎の部屋へと引きこまれてゆく少し前から、自分の裡では音楽が鳴っていた。
柔らかい音色のアコースティック.ギターのストロークが天上からゆうこさんを迎えに、、
ゆっくりと自分は10からカウントダウンを始めていた。
エイト、セブン、シクス、ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、、、Lift Off...

スターマンはお空で待っている。
スターマンがあの空の果てで待っている。

メロトロンの音と共に「遙かなる処」へ昇って行ったゆうこさんだった意識体は、あのとてつもなく、広いところで、
前も後ろもない、右も左もない、上も下もない怖いくらい広い広いところで、もうこの世には居ない大好きな
ミュージシャンたちの意識体と出会えただろうか。

まるで現代美術館みたいな無機質な斎場で、自分はエーテルに包まれて。

とまれ。

ゆうこさん。
いまはさよならを言いましょう。
でもいつか、想像もつかないような異なる次元で、きっとまたお逢いしましょう。

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「ご隠居」

2022年 3月11日 逝去。

宝石のような、いや、そんなものに例えなくとも、かけがえなのなき素晴らしき日々、で良い。
その日々がもしなかったとしたら、、そんなことは怖くて考えることも出来ない、
かつてそのような時間を持っていたことがある。

その裡に彼は居た。
ニュークニン.アキ。アキさん。ぼくだけがご隠居と呼んでいたのかも知れない。
ニュークニンとはUbudの外れにある静かな村で、彼は最後までその村に居住していた。

我が家も最後はその村に落ち着いて長いこと暮らした村。
その前はプネスタナンという村に住んでいて、その時近所に居住していた絵描きのTちゃんとすぐに仲良くなった。
その彼女が、ちょっと興味深い人がいる、と。
それが彼だった。

ほどなくして顔見知りになったのだが。
実はその頃のことはもうあまり覚えてはいない。僕も歳をとった。20数年も以前の刻。

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生活雑貨扱ったり、軽便で簡易な飲食店を兼ねていることもある名もなき小店が島じゅうにある。
ワルンと呼ばれ、こっちの生活には欠かせない存在。

繁華な通りから一本外れた静かな裏通りの角にあったワルン。デヴィ.シータ通りとゴータマ通りのクロスする角っこ。
だから僕たちは角ワルンと命名した。
店先は通りより少しだけ高くなっていて、ちょうど座り込むにはほど良い高さ。
そこで彼はワルンで扱う椰子酒を呑んでいる。
自分はそのワルンのはす向かい辺りでツーリスト相手の土産物店をやっていたこともあり、お店を閉めると
毎晩のように一緒に呑んだ。
なにしろ彼は夕方必ず其処に居たから。
在住の友人たち、旅の途中の友人たち、あの道端の場所には色んな人が来た。家人も夢のように小さかった息子もね。
みんながあの黄金の刻を共有した。
そう、色に例えるならば黄金色。何故ならばそれはいつも夕刻なわけで、逢魔が刻なわけで、太陽の最後の金色の粉が
大気一杯に舞っている時間だったから。
Ubud男会が発生したのも此処だ。だがこのつれづれは女子たちが嫉妬しそうなのでやめておくことにして。

そうしてひとしきり呑んだあとは、じゃあ晩御飯行こうよって、みんなで繰り出した。バイク、自転車、車で、
何だってOK,お目当ての店で再集合。
呑んべの自分は其処でもおおいに呑んで、でも彼はそうではなくご飯を食べて珈琲をいつも頼んでいた。
自分の頃合いと云うものを良く良く分かっていたのだろうと思う。
酒で乱れた姿はかつて一度も見たことはなかったものな。

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天邪鬼。
一言で彼を表するならこれだ、あまのじゃく、凄く。
かつて彼を知っていた人ならば、賛成してくれるだろうと思う。
お酒の記憶ばかりなのは自分らしくて良いが、音楽の記憶も忘れてはならぬ、と思う。
彼の吹くディジュリドゥーはそりゃ素晴らしかったよ。
だが人に聴かせるためじゃなく、自分のためにだと言っていた気がする。
だから滅多に人前で吹くことはしなかった。
だが一度だけステージに引っ張り上げたことがあった。2004年のことだ。
スマトラ沖大地震と云うのがあって、アチェが津波の甚大な被害を受けた。

自分はただちに友人の経営する大きなライブ.レストランに交渉して「Save Ach」というチャリティー
コンサートを企画し、彼を引っ張り出した。
断られるかな、とも思ったが、そういう事情ならば、と快諾してくれた。
Uncle Angelique と云うセッショングループを結成してそこに入ってもらったのだ。

そこには亡きスウェントラ師やOded、Arifもいた。
そこにどうしても混ざりたかった楽器のできない画家のJasonMonetはいつの間にか後ろにいて得意のホーミー
を唸っていたな。
日本からはTommyさん擁するYAA楽団を招聘した。ま、そうは言っても自腹で手弁当。有難かったなぁ。

最後はその店のハコバンだった連中が、自分たちに声を掛けなかったことに嫉妬して、卑劣にもステージを
乗っ取るという暴挙に出たが、そんなことはもうどうでも良かった。
多額のドネーションが集まったからね。緊急性高い出来事にはまず現金が一番だから。

ヴィザの更新でシンガポールへ行ったとき、ちょうど彼も同じ理由で行っていて、向こうで待ち合わせして
遊んだこともあったな。
バリへ戻る機内では、空港の免税店で買ったウイスキーをさっさと開けて、酒盛りをした。

ニュークニンの外れに自分で建てた変わった造作の家に住んでいた。
囲炉裏が切ってあって、そこで呑むお酒も旨かったな。
家はどんどん増殖していって、周囲にお濠を張り巡らせ、その内側に竹の御殿が出来ていった。
増殖は止まず、そのうち多層階の、奇怪だが凄く居心地の良いカフェーが出現した。

13cm 30cm


名は「Cafe Mancing」マンチンって釣りのことだ。
周囲はお濠なわけで、そこが釣り堀になっていて、良く楽しんだ。ま、小っちゃい奴ばかりで、クチボソ級の。
昼日中、だらりんごろりんするには最高の場所だった。

だが桃源郷もそのうち、無神経な西洋人たちに荒らされてしまったらしい。さもありなんこと。

26cm 50cm

とまれ。
いつでもそこに居る、と思いこんでいたひとが、今日はもういない。
たとえ最後の席で喧嘩別れみたいになってしまっていたとしても、また会えればすぐに仲直りできると思ってた。
昔みたいに道端で、バジェット.ツーリスト向けの安食堂で、椰子のお酒酌み交わして。
そんな風に思ってた。きっとそのうちにってね。

でも時は待ってはくれぬ、全然待ってはくれない。

彼の魂もまた、一条の煙の如きになって虚空に昇り、かつて彼の魂の容れものだった身体は灰となり、すでに
海に在ると云う。

活動を止め、ただの容れものになった翌日には異教徒用の焼き場で荼毘に付され、すぐに海へと。何と早い。
だがそれは潔さが身上だった彼らしいこと、と思う。
とまれ。
何時か何処かの海岸で、水辺で、その水に触れたならきっと。

46cm

とまれ。とまれ。とまれ。

Selamat Jalan...ご隠居。
どの様な場所に行かれるのか、まるでわかりませんけれど、良い旅を続けてください。

10web

 

 

 

 

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