2019年7月30日 (火)

ときどきトランス日記 No.93 / 改元の日に~サマー.オブ.ラブ

改元のお祭り騒ぎはもう遠く、でも令和と云う元号はまだ何だかしっくり来ず、の今日。
居心地が良いものだから、僕はいまだに昭和や70年代の裡で暮らしているんだと思う。
まだ蚊も出ないし、時節時候も良し、のこの頃。
庭の梅の木の下にテーブルを出してビールとワイン。

改元の日。
小さなニュースだったのだろう、それは。
けれど自分にはそうではなかった。

享年68歳だったから、8~9年前の還暦ツアーの記録映画だったのだな、
遠藤ミチロウの「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」
を先日BSでやっていて、観たばかりだったのだ。

先月の25日にひっそりと亡くなっていたんだね。
けれど、そのことを改元なる翌1日、その日まで伏せていたのは、故人の遺志だったのか、何かの
都合であったのかは、わかりません。
世の中は令和の大騒ぎの真っ最中。でもそこに、その小さなニュースが棘のように、
刺さっていたのは間違いありません。

自分と同じ名前、なんていうこともあって、興味深かったひとだ。
けれど実際のステージを観る機会はなく、でも凄いらしいという噂は当時聞いていた。
スターリン。
もの凄く過激なステージングで、客席に家畜の臓物をぶちまける、客に硫酸をかけられた、なんていう話も聞いた。
ぼくは映画「爆裂都市」でのライブシーンしか知らない。
ソロになってすぐのカセットアルバム「ベトナム伝説」は、しかし衝撃を受けた。

Be

パンクロックの乾いた感じではなく、彼はパンクでは括れない感じがしていた。
もっと、それ以前のアンダーグラウンド。日本的な。
肉声、と云う言い方が良いと思う。
三上寛とか友川かずきとか、そう云う系譜。
些か健全、健康な感じはするけれど、その末後に竹原ピストルが繋がっていると思う。

先の映画でそう云うことがはっきりとわかって、あぁ、原点回帰して元気にやっているのだな、
と思ったばかりだったのに。
彼はひと世代、とまではいかないけれど、当時のパンクシーンの連中よりは少し歳上だった。このことは彼を語る
上で実は重要なこと、と知った。

とまれ。

R.I.P. 遠藤ミチロウさん。

このことで何だか色々思い出してしまったので、それは記しておこうと思う。
なにしろ忘れちゃうからね、この頃は。

イギ―.ポップや初期のブライアン.イーノ、遡ってフランク.ザッパ。
極めてエキセントリックなロック。
パンクロック誕生前夜、ロックの太古、混沌の濁った海。

その後の変容、変態、変化。
日本人の過激さ過敏さにそれはぴたりと来たのだろうと思う。

日本のパンクシーンの先端はもうすでに音楽すらアンチで、そのパフォーマンスの過激さだけが
取り沙汰されていった。
80年代。

スタイルばかりが先行してた我国のパンクシーンはしかし、80年代に入って、観念の絶大なる
後押しで激化したんだと思う。
観念の後ろ盾を得た日本人は非常に過激だ。
アバンギャルドの先っぽまで一瞬だ。西洋のじっくり其処まで到達する速度より高速。超高速。

両手に縛り付けた出刃包丁、ロック評論の渋谷陽一を殺すと公言し、裸身で痙攣するか如きの歌唱の山崎春美。
ステージ上で女性メンバーが放尿してしまうと云う京都の非常階段。
生きた蛇、鶏の食いちぎりの、お祭りの奇怪見世物小屋の如きの暗黒大陸じゃがたら。
言葉によってこの国の文学を更新してしまった町田町蔵。
暴走族、暴力的な不良、悪。インテリの観念パンクとはかすりもしなかったアナーキー。
そうしてアンダーグラウンドな有象無象が大量にひしめいていた。

到達速度の関係なのだろう、薄っぺらなものも多かったな。

そう云う時代があった。

Fuu1_20190730115701

あぁ、ところで日記。

このところ、いつもと違う場所やひとと楽しく酒を呑む機会が続いたので忘れないようにしないと、と思って。
最近はすぐ忘れちゃうから。

国分寺に帰って来てからは、あんなに近かった横浜ももう遠い町だ。
漫画家(エロ)の虎助遥人さんのお宅にお呼ばれしたので、家人と二人で行く。
磯子と云う駅で遠かった。
東京駅から京浜東北線に乗った。

つい、さん付けで呼んでしまったけれど、実は彼が小学校3年生の時分からお付き合いがある。
ま、家族ぐるみ同士のお付き合い。毎夏Ubud村の我が家を訪ねてくれて、一緒に遊んだ。
しかし、まさかこのような職業に就くとは。
だが小学生にしてビ―バス&バッドヘッドのマニアだったりとその片鱗は充分にあった。

若くして津軽三味線の名取だったり、ガットギターの名手だったり、マペット、手品、落語。
ウブド村に遊びに来るたびに手を変え品を変え驚かせてくれた果てがエロ。
著書の「しあわせっくす」を頂く。
なにかそういうのが嬉しくてほくそ笑んでしまう。きっともっと彼の物語には続きがあるのだろう。

現在はウヰスキー道に嵌まり込んでいて、自分などは知らない希少な銘柄でハイボールをどんどん
作ってくれる。
この世のものとは思われぬ旨さだったのは言うまでもないし、後半以降の記憶が失いことも毎度。

Kos

ところで銀座でちょっとしたイベントがあって、そこで旧友TurboとのユニットにBunを加えた布陣で少し
演奏する。
そのリハーサルをBun所有のイベントスペースで行った。
階下はBarBarBarKalinbarと云うバ―で、こっちも彼の経営。
赤羽の混沌世界の中では爽やかな呑み屋と思う。
昼からじっくりリハーサルして、夕方から下で大いに呑もうと云う計画だったが、大雨の中、楽器を
担いで虫の息で辿り着いた我々は、もう早く呑みたくてしょうがない。

そこそこのリハ後、赤羽昼呑みにGo!してしまう。
雨は上がったばかり。なので奇跡的に丸健水産に並ばず席を取れた、んだそうです。
立ち呑みおでんの名店。自分もテレビなどで見知っていた。
カップ酒におでん。
カップ酒を少し残して、50円払うとそこにおでんの出汁を入れてくれる。そこに七味をささっ。
旨いなぁ、、幸せだなぁ。しかしこう云う幸せ感はその日の呑みはじめ酔いはじめだから。そのうちなんだか
わからなくなってくる。楽しいけど。
大変な威張りようの店員の若い兄ちゃんが席方面を仕切っていたが、なかなか言うことを聞かないつわもの酔っ払い
も多いんだろう、そんなものなのかなと思う。
けど、マスメディアで名店などと騒がれて、なかなか入れない人気店が知らず身につけてしまう態度なのかな、とも
思うけど。
あ、おでんを盛ってくれるおばちゃんは優しかったよ。

そろそろKalinbar開店。
さとちゃん奥さんが作る料理が大変に美味しいのを一度来て知っているので、おでんは少しで我慢したんだよ。
奄美のソウルフードにきっと裏の裏メニューのスコッチエッグ。
Bunもさとちゃんも時々席に来て一緒に呑んでくれるので楽しくて仕方ない。
そういう晩。

Ba

そうしてその銀座での演奏は、あぁ、これは何か先に繋がって行きそうな音で。
セッションに極近いものではあったけれど、もう少しやってみたいかな、と。

梅雨入りの少し前は、まるで夏みたいな毎日だった。
いつもこの季節はそうなように、こんな歳になっても僕にもロックの季節がやって来た。
このような自分でも、かの1967年の「サマー.オブ.ラブ」が血液の裡に潜んでいるのかも知れない。
嬉しいことだ。至福すら感じる。

去年の秋深まる頃から、冬いっぱい、少し辛い花見があって、その春も終わるまで、ブライアン.イーノ~アンビエント音楽
の裡で相当なLowな状態に居たものだから、ぱっと眼が醒めた心持ちになった。

テデスキ.トラックス.バンド
これが凄く良い。
ブルーズロック。でも音が今の音。
オールマンブラザーズ仕込みの太い16ビート。踏みしめた大地から立ち昇る藁の混じった泥の匂い。スライ&ファミリーストーン
のアノ感じ、ソウル感覚。
70年代の遺産。
でもミックスの仕方、音の聞こえ方が凄く今っぽい。
3枚目まではそう感じる。

デレク.トラックスのスライドギターは、かつてこのようなスライド奏法は聴いたことがない音なんだ。
フィンガーピッキングの所為もあると思うけど、ミュートが非常に効いていて一音一音が立っている。微分音さえも分かる。
スライドギターは音が連続して塊で来るので、時として煩く感じることがあるけれど、それが全然ない。
そうしてスーザン.テデスキの歌にうっとりと聴き惚れてしまう。
リズムセクションもキィボード(ファズを効かせたソロはめっちゃ痺れるぜ)も管も、すべてが凄く良い。
エンジニアの腕がいい、輪郭のエッジが立っている。

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しかし4枚目の「Signs」というアルバムで音が変わった。
弦や管やコーラスの比重が増えて、混沌とした厚み感がある。そこから聴こえて来るギターの音が70年代っぽい。
バンドの音が塊で迫って来る。
これがまた良くって。
もう自分は好き過ぎて、この4枚ばかりを毎日延々と聴いている。

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そうして選挙があった。結果も出た。

自は公がいなければ全然駄目みたい。
そうやってこの長き6年くらいを賄えてこれた。

でも太郎さんはとても賢いひとなので、此処を壊したいと考えたと思う。
東京区で学会の人出しちゃった。
初め違和感。だから調べるわけで、そうすると意外なことを知る。
あぁ、公って核の部分から変化が起きてる、と知る。言わば原理主義が再び立ち上がる、みたいな。
革命は原理主義から始まるから。

公で起こっている現象に衆目集まる。
公焦る。
結果アベサンの野望成就絶望的になる。

でもアベサンには絶大なる支持層が居る。
アベサンの頼みの綱、こころの友、大親友の無関心層。
これからは此処だと思う。

でもね、派手で大音量な熱いパフォーマンスは矢張り一過性。選挙が終われば残るのは結果だけ。
けど、そうして得た良い結果を、静かにじわじわとやって来ている流れに、毀れぬように慎重に乗せて
あげて欲しいと思う。

静かな革命は沁みてゆく。分水嶺を越えて流れ行く。関心、無関心の川へと。果ては海、そうしてそこで
いつかひとつになる。

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2019年4月25日 (木)

ときどきトランス日記 No.92 / 春の苛み。

JRの中央線って云うのは、高いところを走るので割りと景色が良い。
この時期は遠くに近くに、もこりもこりと綿菓子が顔を覗かせていて、パウダーピンクの点景。

あぁ、あの辺りに桜の樹があったのか、と思う。
ただそれだけのことなんだけれど、もう一回だけ桜を観たかったのに、それにはまだまだ
遠い10月に死んだ友だちに繋がっている。

こう云うことを書くのももう3度目の春だ。

詰まらない約束をしてしまったものだと思う。
互いにそれはもう無理、とわかり切っていた時期だったのに、じゃあ来年の花見は一緒にしようと
約束をしてしまった、つい。
ついの約束だが、しかし反故にはし難い理由があって。

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今年も咲いてるぜ。
俺、酷い奴じゃないよね、こうして約束果たしてるし。
でも一緒にバンドやってた頃は酷いこと随分言ったから、いま、こうして自分のこころの古傷舐めてるだけ。

墓参りや葬式なんかとおんなじで、これは生きている人のためだけのもので、奴に見立てたジルジャン社製
のシンバルも、何か置かないと格好がつかないのでそうしただけ。

格好がつかないから、で人の世の大部分が出来ている。

近所の原っぱ。
子供の頃からお馴染みの原っぱ。それが少しづつ整備されている。
整備すると云うことは土地から切り離す、と云うことだ。風景から切り離す、と云うことだ。
切り離して再構築する。このまんまじゃ格好がつかないから。

いまはまだただの原っぱ。
その原っぱいちの宴を張ったわたしたち。

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満開。

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ただね、少しぼくは疲れてしまった。
桜の季節だからかな。勝手に気持ちが苛まれてゆく。

春はものごとが狂う季節。
だから静かに暮さねば危ないと云うのに、道路は花筏。そこを車で一緒に流れていくのが
すきで、この頃はよく車の運転をする。
気をつけろ、だって春。

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真冬のヨーロッパ旅行は、そういう春の裡ではもう刹那の記憶だ。
旅の後はとくに何もなかったような冬の日々。
クリスマスに毎年恒例の横浜エアジンで音速珈琲廊のライブをやって、その数日後に僕は
60歳になった。
さらに数日したら2019年がやって来た。

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ところで。
恥ずかしいことだが、藤田嗣治展へ行ったのが、今年だったのか、去年だったのか、どころか、旅の前
だったのか後だったのか、あれれ、何時だったのか思い出せない。

暫く考えて、よく良く考えて、はたと思い出した。
家人の誕生日のある2月だった。
帰りに吉祥寺で息子と待ち合わせして、火鍋を食べに行ったのだ。その味や駐車場で苦労したこととか
が繋がってやっと出てきた。

2月のなんでもない平日の日。
家人と休日が一緒だったので、かねてから約束してあった藤田嗣治展へ行った。
東京都富士美術館。
多摩御陵の少し先で、車で行くのに具合の良い辺り。

入ってすぐに合点がいった。
あ、ひょっこりはん。
んん、そう云うことね。

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藤田の本の仕事を中心に置いた展なので、去年京都でやっていて行けなかった大回顧展
の如きよりは大分地味な、、と想像していたのだけれど、そんなことはなく、凄く良かった。

1920年代のエコール.ド.パリの時代。
最初にヨーロッパ、パリへと渡った日本人アーティストの一群のなか、パリで認められた唯一人のひと。

その名前は金子光晴のヨーロッパ時代の著書にも度々登場するけれど、親交はなかったようだ。
当時は狭かっただろうパリの日本人社会を想像すると、却ってそれが不思議だったのだけれど、
これも合点がいった。

戦時中、軍属となり、戦意高揚のための冊子の扉絵を描いていた頃があり、それが戦犯の嫌疑を呼び、
しかしのちの戦争裁判でそれは晴れる、といういきさつがあった。
勿論それは、金子と同時期のパリ時代よりも後の話ではあるけれど、生涯、反戦、抵抗の詩人を貫いた
金子とは相容れぬ感覚があったのだろうと思った。

戦争の足音の間近に迫る外地で開花した美しくモダ―ンな世界に耽溺した藤田と、アジアの長い放浪を
経てパリへと至った詩人の見えたものとは大きな隔たりがあったのだろう。

芸術と純粋性、と云うことについて少し考える機会を貰ったような気がしていて。

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息子に藤田の写真見せたら、やはりこのような風貌のDJがいて、最近人気を集めているという。
ふぅん、、それも何となく合点が、などと無類の猫好きだったという藤田のポストカード眺めて。

その息子、先に行った、自分のヨーロッパ旅行の影響なのかも知れない。
小さい頃からのお年玉やらお祝いだのを貯蓄しておいてあげたのだけれど、成人した12月の
誕生日に、好きなように使いなさいと渡してあげた。

そしたら。

じゃあ旅に使う、と。

嬉しかったのです。何となくそれが。
少しだけ頼もしく見えたのです。何となくそれが。

僅か10日間の旅ではあるけれど、ツアーではなく、すべて個人手配の旅。
大学で仲の良い友人とのふたり旅。

その旅のデザイン、プランニングでは僕の大友人、旅のマエストロに相当にお世話をかけて
しまったが、ともかくも自分たちだけで何でも何とかするしかない旅。

アムステルダム~パリ~バルセロナ。
全力で旅してきたみたい。

昨昼ひなか。
騒乱武士 feat 小泉ちづこ。
中野の四季の森公園に観に行った。

小泉ちづこは速いダンサーだ。
しかしこれは表面のことではなくて、彼女の皮膚一枚下に「速度」が満ちているのだ。
緩い場面でもその速度が落ちることは決してない。
バリ舞踊の速度を体得しているひとは稀有だ。
その芸能に熟練したものは大気をも操る。

自ら身体の裡に風を起こしているに違いない、と思う。
その風に飛び乗って、そして彼女が吹いて来た。

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多くの出演者が入れ替わり立ち替わりのフェス。
10人編成のバンドのサウンドコントロールは無理だったろうと思う。
滅茶苦茶なバランスの出音であったけれど、小泉ちづこと云う風が吹き飛ばしてしまった
ことに自分はいたく感動してしまった。
お陰で、騒乱武士の音楽の良さにも耳が開いた。

大気、に感謝しつつ帰宅した。

ところで。
この町は38年程昔に僅かな期間だったけれど住んだことのある町だ。
思い出はでもたくさん残ってる。

ブロードウェイには毎日のように行っていた。
まんだらけが開店してまだ間もない頃だったのかな、帳場に古川益三さんが座っていらした。
今も、まんだらけの増殖以外はそれほど当時と変わっていないように思う。

ブロードウェイ地下の混沌世界の夢をまだ見ることがある。ぼくはそのなかでいつも迷子になっている。
其処は色んな世界に繋がっている夢特有の場所。
マレーシアのチャイナタウン、バリの雑然たる林や森、町ではいつの間にかバイクに乗っている。
モスリム料理店から出てきた僕は、少し歩いてカフェ.アンカサへ。
夢のなかにしか存在しない別のアンカサ。本物のアンカサにはちっとも似ていない。

ライブの打ち上げの居酒屋、いつもの居酒屋なのにちっとも見つからないと、ぼくはまたブロードウェイの
地下でうろうろしている。
でも中野で打ち上げなんて一回もやったことがない。

やっとみつかったトイレには、でも扉がない。便器と浴槽がつながっていて、いまにもひとが来そうだ。

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晴天の日曜日。
ブロードウェイへの参道の趣のサンモールは人でごった返しているのに、神殿たるその牙城には
それほど人もいない。
そんなところもね、昔とあんまり変わらないな、と思う。

 

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2018年12月21日 (金)

* ときどきトランス日記No91 / 旅の終わり。アムステルダムにて。

起点は終点。

真冬の海上に部屋を取ってしまった、と気付いたのは就寝する頃のこと。
最初のうちは、船に泊まるなんて、これはかなり面白いのではないかと呑気に寛いでいたのだけれど、夜も深まるにつれて船室はどんどん冷え込んでくる。
後方デッキ下の寝室は暖房もなく、とても居られる温度ではなく、唯一オイルヒーターのあるメインの船室に寝るしかない。
だが、FRPの板一枚むこうは氷のような海水だ。
掛けられるものはなんでも掛けて、震えながら眠った。

Sa
これはマジでヤバい、との気持ち芽生えつつ、明日はドイツ、ドルトムントへ。
4時間ほどの列車の旅。
日帰りのつもりだったが、帰りの乗り継ぎが複雑なうえ深夜に及ぶので、1泊の予定に変更。

話はすこし戻って、最初のアムステルダム。
i-phoneを操作していた大友人が突然に「道郎さん、ChillyGonzalesのコンサートがあるけど、行きませんか?」と。
世界最大級の転売サイトで見つけた、という。
いまのところ、ヨーロッパでしかステージをおこなわないアーティストなので、それは是非観たい。それに僕も彼も、互いの家族までもが大ファンなのだ。
あぁ、それは一生に一回の、、じゃあ買っちゃいますね、と何事も早い。迷わない。
ぼくは全然そうではないし、挙句の果てには道にだってすぐ迷う。

ぽつぽつと風車が見える。
あぁ、本当にあるんだ、風車、、オランダと言えばやはり、、などと時々居眠りをしながらの車窓。
いつの間にかドイツ領に入っていた。もう風車は見えなかった。

Sa2

一度乗り換え、夕暮れのドルトムント駅に到着。
人がたくさんいる。駅構内の店も多く、大衆的な活気に溢れてる。通路の真ん中の出店では婦人物の服やバッグを売っていて、あぁ、これは日本も同じだと、ちょっと可笑しい。
駅から少し歩くと、巨大なクリスマスマーケットが開催されている。しかも今日は土曜日。
コンサートの開演まではまだ2時間くらいある。
きっと何か食べれるね、と遠くに見えるやたら巨大なクリスマスツリーを目指す。

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ドイツだなぁ。屋台。揚げたジャガイモとソーセージ炙っているお店ばかり。それとビール。
ソーセージとザワークラウト挟んだバゲットにかぶりつく。こりゃ最高だ。

会場は1500人収容の小振りなコンサートホール。
2階から上はオペラハウスのように、ステージを囲み、上から見下ろすようになっている。
僕たちのシートは最上階、4階の最前列。
階段で4階まで登る。各階のロビーにはバーカウンターがあり、フォーマルな格好の人々がワインなんか飲んでいて、おぉ。こういうの映画で見たなぁ。

ステージはかなり下。谷底を見下ろす感じだ。

ソロピアノから始まって、チェロを呼び込み、メトロノームでラップをかまして、ドラムを呼び込みして。
CDでしか知らない変幻自在ぶりを目の当たりに。
驚きの連続だ。
この様なピアノはかつて聴いたことがない。CDでだってここまでではなかった。まったく新しいのだ。
まったく未知のピアノプレイ。
それは波だ。さざ波であり、荒れる大浪であり、時として鏡面の海だ。

そうして、とにかくよく喋る。伝えたいものが多すぎるのだろう。
僕には殆どわからなかったけれど、和音の説明、解説の如きのくだりでは、なにか和音を擬人化して、さらにドイツ人をいじり、しきりに観客を笑わせていたようだ、違うかもしれないけれど。

Sa3

期待や想像はすべて吹き飛んで、軽々と超えた世界を観せてくれた。
ぼくは幸せだったし、帰り路の駅で飲んだビールが世界一旨かった。

世界一大きいクリスマスツリーとヨーロッパ最大級規模のクリスマスマーケットのドルトムント。
だから手ごろなホテルはとっくに満室の土曜の夜。
だが、ここから30分くらいの帰り道の駅近くにホテルが取れているという。まったくいつの間に、、と呆れ驚く素早さだ。
今から苦労をして、早朝の極寒の船にたどり着いたって眠れやしない。

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12月16日、日曜日/この旅の最後の夜に。

起床して窓の外を見ると、駐車場や線路の向こう側が真っ白だ。
霜が降りているのかな、寒そうだなと思っていたら、そのうち雪が降りだした。

風に飛ぶふわふわの綿雪は綺麗だけれど、駅までの道は耳も顔も痛いくらいの寒さ、自然、思い浮かぶのは船のこと。
帰りに寄ろうと思っていたフランク.ミュラー美術館は広大な国立公園内にある。色々想像したら気持ちがめげてきたので諦めることにする。
そのぐらい寒かったのだ。
ぼくたちふたりには今年初めての冬の始まりの日だったから。

Sa4
でも帰りの車窓は素敵だった。
外は雪景色。
葉の落ちた針葉樹の林抜けて列車は滑るように走る。
飛ぶ雪の霞む先に、遠くに、糸杉が並んでいる。風車はもう見えなかった。
イアフォーンでEnoのプロデュースしたU2を聴いた。
この旅のあいだじゅうBrianEnoの音作りにどっぷり嵌まっていたので、耳が違う処に引っ張られる。残響音。

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オランダ領に入っても雪は降り続いている。
二人とも、今晩から朝方にかけての生命の危険を感じている。凍死レベルまでいくのではないか。
最後の晩に最期になりたくはない。

アムステルダム中央駅に着く前にはもう別のホテルが探されていて、いつもの手並みがまた。

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結局1泊しかしなかった、我がフォルマックス号へ荷物を取りに行く。
まったくの酷い寒さなのだ。
だが我々は命拾いしたような心持で繁華な通りにあるホテルに引っ越しをした。
BANK HOTELという大変にお洒落ながら、重厚な趣もあるホテル。最後の晩にはとても良い感じのね。

船のホテル。夏場ならばきっと楽しかったことだろうと思う。ハーバーのクラブハウスには清潔なシャワールームやトイレが
並んでいたし、営業していなかった海上レストランもね。此処で散々飲んだあとに、緩いうねりの上で眠りについたことだろう。

明けて最終日。

近所のオーガニックで可愛らしいカフェーに朝食を食べに行く。
アムスに戻ってからは、タイ、ベトナム、チャイニーズ、とエスニック料理ばかり食べていた。値段は比較的安価でボリュームがあり、しかもどれもが抜群に旨い。
アムスはカフェ飯とエスニックだな、と思う。
これだけは食べておきたいオランダ料理の決定打、みたいのが元々ないので、強いて言えばワッフルだろうか、と注文すると、暖かいワッフルの上にアップルパイの中身みたいなのと生クリームがどっさり乗って、ミントの葉が添えられている。

Sa9
これとカフェ.オ.レを注文するとき、お店のオーナーらしき女性にグッドチョイス!と褒められた。そうしてその通りだった。
寒い朝、お腹が幸せになることはなによりなことだ。

フライトは14時。
まだ少しの時間の猶予がある。
此処は庶民的で買いやすいんですよ、と大友人お薦めの蚤の市へ連れて行って貰う。
歩いて5分ほどの大教会前の広場。
もうすぐ息子の誕生日。お土産とは別になにか買いたい。そして素敵なプレゼントが見つかった。

Sa13_2
Sa10
さあ、ほうとうにこれで旅はお終い。
何処かに仕舞われたまんまのぼくの8時間を返してもらいに、飛行機に乗らなくっちゃ。

バイバイ。アディオス。チャオ。バイーアコンディアス、ヨーロッパ。さよなら。ありがとう。

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さて、そうしてこの旅は終わったのだけれど、旅の始まる少し前のこと、記しておきたい。

雨の先日。
再び赤瀬川原平さんに会いに行った。
と言っても、原平さんはこの世からは消えていて、あの世で何か未知のとてつもなく面白いことをしているような気がする。

だから現世にいる自分などは、丘の上APT 児嶋画廊で原平さんの作品に触れるだけでまだ我慢しないといけない。

今回は「あいまいな海」を観ることが目的。
氏の63年頃のコラージュ作品集。とても古そうな書で、係の人にお願いすると特別に見せてくれる。

ダリ的な有機とデュシャン的な無機、柔らかいもの、硬質なものが、緻密に引かれた線やシンボルを加えることで、素晴らしくデザイン化されていて目が吸い込まれちゃう。

氏の80年代の著書で、それはぼくは持っておらずタイトルも失念しているのだけれど、表紙が何か黒っぽい宇宙のような写真で、そこに表紙デザイナーがぽんぽんと小さくシンボリックなマークを乗せている。
そのことについて氏は「このマークがあることで、ただの写真が意味を得る、なるほどデザインのちからとはそう云うことなのか」と。
自分はそれを何故かいつまでも憶えていて、このとき、あっと思ったのだ。
原平さん、遥か以前にそれやっているじゃないですか、って。

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外は雨。
堅牢に閉じられた空間ではないので、雨の音が入り込んできて僕を包む。

今日は家人と一緒に此処に来た。
彼女は「トマソン黙示録をじっと見ている。

帰りにワインを飲みに行こうと思う。
安価に立ち飲みのできる、素敵に小さなお店を見つけたんだよ。

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この日記の最後に。
とても印象深い写真があるのです。

Amch

チェット.ベイカー。
1988年5月13日。アムステルダム中央駅を正面に見るこのホテルの3階から転落死。
それが自殺なのか、ドラッグの過剰摂取による事故なのか、真相はわかっていません。
何れにせよ、その音楽はドラッグと共に在った、と云うのは紛れもないこと。そう思います。

彼のラストアルバム「Let's Get Lost」87年の録音。そうして翌年の死。
僕は初めて彼を知り、その凄みに打たれました。
これをぼくに教えてくれたのが、件の大友人。

彼はぼくを此処に連れてゆき、静かに掌を合わせていました。

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2018年12月17日 (月)

* ときどきトランス日記No90 / 再びバルセロナへ。

再訪。

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タクシーが旧市街にさし掛かると、やっぱり嬉しい気持ちになった。
待っていた宿は、多分今回の旅では一番ではないかと思う。

再訪だし、もうとくに観光もせずにゆったりと過ごそうと決めていたから、此処は本当にぴったりだ。
古い石づくりの堅牢そうな建物のなかの最上階。
キッチンの付いた広いリビングから階段が続き、上に寝室と屋上がある。

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ここでの4日間は散歩や買い物に出るくらいで、すれぞれがすきなことをして過ごしていた。
スーパーマーケットを巡り、自炊のための買い物は楽しいもの。ぼくは殆ど何も作らなかったけれど、大友人の作るパスタや野菜スープはとっても美味しかった。
料理を作り、道を正確に歩き、お店の判断が早い。どれもがぼくにはないもの。
流行っているお店や人だかりしていると、必ず覗き込み、何故そうなのかをじっと考えている。
解らなければ、どんどん分け入っていく。遠慮は一切しない。
それを「勉強なので」とさらりと言える。
ぼくにはないもの。

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洗濯機が付いていたので、早速溜まっている洗濯物を入れるも、途中で動かなくなって閉口。どうやっても復活しない。
なので、びしょびしょの洗濯物抱えてコインランドリーへ行ったりもした。

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たくさん音楽を持ってきて良かった。
音が良い、何処でもそうだった。石の壁から跳ね返る音の粒がわかるんだ、こっちの住居は。だから大きな音は必要ない。

ワインも飲んだ。
今回最安値の1本€1.25のは流石に駄目だった。日本円にして¥163。やはり€3くらいは出さないとね。
でもビールなんかはハイネケンやサンミゲルが50円くらいで売っているので有難い。
野菜はオーガニック専門のスーパーで買っていたからかな、どれも微かな野性味があって美味しい。人参やトマトの味の強味、それと卵も美味しかった。
スペインの食文化が自分には合うのかも知れない、と思う。
こういう食材で作った家人の手料理を食べてみたいなと思う。

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三日目にピカソ美術館へ。
色んな時代のピカソを時系列で展示していて楽しめる。
今ならコンピュータグラフィックスで描きそうな、キュビズムの頃の作品が、あぁ、これを本当に描いたんだと驚きを感じる。
50年代にやっていた、コラージュしたピンナップガールの写真に自らの絵を添えたシニカルなシリーズは知らない顔だった。
晩年期の単純画というか、幼児的な作風のものが多く、知ってはいたけれども、実物を見るとやはり打たれるものがあった。
この頃の陶器も素敵だ。
ゲルニカは此処ではないけれど、この絵がぐしゃりと潰れたらゲルニカになるのだろうなという作品を見た。

外に出れば町のそこらじゅうがグラフィティアート。ピカソも吃驚だ。
この旅で訪れたどの街もそうだった。アートと言えるものが多い。レベルの高さを感じた。
グラフィティアートのすきな人にはヨーロッパの旅は良いのかも知れない。

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最終日は市場やアンティークの蚤の市やスーパーマーッケット。
今回外食は1回だけで、あとはすべて自炊をした。大分節約も出来たな。

明日は起点に戻る。アムステルダムへ。

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2018年12月15日 (土)

* ときどきトランス日記No89 / ベネチアで。

ベネチアとベニスが同じだなんてことも知らなくて。
「ベニスの商人」を高校生の時に読んだような気もする。シェークスピア。
お金の貸し借りの話だったようだけれど、もうあらかた忘れてしまっている。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」は美しい風景としょぼくれた小説家の対比のイメージばかりが残っている映画。

ベニスの空港に着いたのはもう夜だった。
マドリッドで国際線に乗り換えたりがあったので時間がかかった。
霧のたちこめる空港からバスに乗った。
もうそれで市街に着いて、すぐにホテルなのかなと思っていたら、バスは船着き場で終点。

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あぁ、此処から船に乗るんだ、、
それが海なのか河なのか判然としない真っ黒な広い水面を見て思った。
霧はさらに濃く、遠くの灯りが滲んでいる。
ぼくは後方の小さなデッキに座り込んで、後ろから前へ流れゆく動く劇場の如くを見ていた。
左右に回り舞台のある幻想劇場を自分は中央で観ている。

デッキにいたもう一人の乗客は貧しそうな黒人男性で、随分の高齢に見えた。瓶のビールを喇叭飲みしながら、じっと流れゆく後方を見ている。
老人の眼差しにはいつも過ぎ去った自分の人生が混じっている。そこにはもう未来は含まれていないのだと思う。

いくつもの駅を通った。人が乗って、降りて。
小さな灯り、煌めく灯り、豪奢なホテルの灯り。夜と霧の演出するショートフィルム。
ホテルの並ぶ船着き場で下船。
あぁ、このどれかのホテルなのかなと思っていたら、乗り換えて更に町の奥へ。

そうして目的地の駅。
さっきの乗り換え駅と違って暗い。
霧とぼんやりした灯りの狭い石の路地を歩く。

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背の高い石の建物が左右に迫り、すでに映画の中に迷い込んでいた。
このまま霧の向こうへ消えてゆく自分を、ぼくは後ろから見ている。

古色蒼然とした古い古い石の小さなホテルさえ、まだ映画の続き。
けれど激しい空腹感でリストランテを探し、スパゲッティが来る頃には映画はやっとフィーネ。
こっちではパスタとは言わない。スパゲッティなんだ、

なんの予備知識も持たずに来たこの国で、僕がいちばんしたかったこと。スパゲッティを食べること。
もうそれが叶ってしまった。
ひどく美味しかった。
映画のエンドロールのなかでぐっすりと眠った。

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^^^^^^^^^^

ベネチア2日目。

朝食の付くホテルは久し振り。
豪華ではないけれど、ハムやチーズ、そしてクロワッサン。これはプレーンとチョコレートがあって、どちらも凄く美味しかった。
たっぷり食べて、最後に果物やヨーグルト。そして珈琲。
豆乳まであって、これは寝る前に飲みたいなと思ってポケットに入れた。

外に出ると快晴。暖かかったスペインに比べるときりりと寒い。
町の景色は一変していた。
これが夕べのあの暗い路地?

ホテルの裏側の真っ暗でちょっと危険そうな広場には市場が建ち、野菜や果物が零れている。
路地にはお店が点々と、うるさくないくらいの賑わいで並んでる。バールやワインショップや生活雑貨、スーヴェニールショップ。

ヨーロッパの商店は閉まるのが早いけれど朝は早くから開けている。
早朝の散歩で買い物が出来るなんて有り難い。

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此処もまた迷路。
路地、路地、路地。
太い路地、細い路地、複雑に入り組んでいる。
そこに更に縦横無尽に運河、水路が入り込み、今度は映画どころではなく、エッシャー的騙し絵の中。

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ぼくがベネチアに来る理由になったお店があるので、まずそこに行きましょう、ブックショップなんですが、、と、大友人によろよろと附いて行き、町の奥へ。

そうしてこの町と水との関係に初めて触れることになった。

お店に入る。入り口は狭いのに奥へと広がっている。
古書店だ。でも紙のものならなんでもありそう。雑貨や古いレコード、ポストカード、写真、わくわくするものが雑多に、でも物凄くたくさん溢れている。
すぐに大好きになったお店だけれど、実は、、

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古いレコードに夢中になっていたら「道郎さん、こっちです」って奥に案内されて吃驚。
店の奥は水路に面していて、溢れた水が店内に流れ込んできている。
お店の奥は水路の水面と繋がっていた。

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少し高くなっている裏庭の如きスペースには大型の辞書が山と積まれ、階段状に固めてあって、どうぞ昇ってくださいと。

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路地からこの店眺めると、建物が少し傾いている。
可笑しな店。愛すべき店。
ぼくもベネチアでいちばん好きな場所になってしまった。

ところで、ぼくの知識。
ベネチア=水の都。あぁ、運河とかたくさんあるしね。ゴンドラとかに乗って遊覧するんだよね。

ではあるけれど。

水と共存している町だ。
水と町の境界線のない町。隣接ではなく水と町が融合してしまっている。そういう時間のある町。
水路の水が穏やかに、でも溢れだしている。これが見れるのは満潮時の朝方だけ、と思う。

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午後になると水は引いて、町と水路の分水嶺が現れる。
水中のリストランテのテラス席もテーブルや椅子を整えて、おすまし顔で営業している。

そしてベネチアは世界一歩きやすい町かも知れない。
車やバイクはもちろん、自転車さえもが町へは入れない。移動手段は徒歩と船だけ。
だから一歩路地へ入るととっても静か。

お昼はスパゲッティ。ほぐした蟹の身のソース絡めたもので凄く美味しかった。
晩御飯もスパゲッティ。大好きなイカ墨。ぼくはこれが大好きで、日本でもよく食べる。しかし、これは、、と絶句する。
自分のイカ墨史上最高得点の味。濃厚さが凄い。そのまま筆を差し込んで習字が出来そうだよ、これは。
だが細心の注意を払わねば危ない奴だ、これ。
ただでさえ、すでにぼくはワインやトマトソースの滲みをベストやコートに作っている。
服に飛んだらお終いだな、、家人の苦い顔がちらとこころに浮かぶ。

なので、浮かれて食べるわけにはいかず、非常に緊張を強いられる食事となった。
でもやっぱり美味しかったけど。

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実はイタリアはそんなにパスタが美味しいわけではない、とは聞いていたんだけど、お店によりけりなのかと思う。
ここまでの3食は麺の食感、茹で加減、ソース、すべてが素晴らしかったよ。

でもね、、高いんだ。
イタリアの物価は高い。そして此処みたいな有名観光地はなおさら。

帰り路の暗い路地。
橋の袂で出会った猫くんに次の路地まで送って貰う。
こっちだよって、橋を渡って、少し先に行って振り向いて待っていてくれて、追いつくとまた少し先に小走り。それで振り向いてまた待っていてくれる。
猫特有の誘導法。

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ありがと、またね。チャオ。ニャオ。

^^^^^^^^^^^

ベネチア3日目。

ホテルの食堂。
今朝は少し混んでいる。

ぼくは早くに来て、もう食後の珈琲を飲みながらなんとなくお客さんの観察。
きっとフランス人、と勝手に思ったんだけど、シリアルやサラダ用のボウルに並々と珈琲を注いで、そこに牛乳をたっぷり。
あぁ、カフェ.オ.レですね。
小振りのラーメン鉢くらいはあるけど、なるほどそういえば映画なんかで観たことあるな。ボウルでカフェオレって。
僕もやってみたいと思ったけれど、珈琲マシーンの前で家族全員、子供までもが作っているのでなかなか空きそうにもなかった。

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朝はやっぱりこれが面白く、あちこちの冠水している場所を見て周った。
でもまずは昨日のブックショップへ。
いつまででも此処に居たい。
昨日も今日も古いEP盤レコードや写真を買っているので、お店の人が僕を憶えていたみたいで、ハイ!とにっこりされて嬉しい。
ジリオラ.チンクエッティとかニニ.ロッソとか選ぶので、おや、こんなの知っているの?って。
古い古いイタリアンポップス。

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お昼はやはりこれも食べておかねば、とピッツァ。
大きいな~。
大友人に3切れ手伝って貰ってやっと完食。これも美味しかったなぁ。

フィレンツェに住んでいる小学校の時の同級生がFBで昨日教えてくれたこと。
ベネチアだったら、バーカロでチケッティつまんでオンブラひっかけて、を是非に、と。

そう言うと、じゃあ今晩はそれで行きましょうと。
それだけで通じてしまうのが矢張り凄い。

バーカロとは大衆的な安酒屋のこと。チケッティはスペインのピンチョスみたいな簡易なつまみ料理。
そしてオンブラ。これはコップ酒のこと。ワインでもなんでもコップで盛り良く提供される。

運河沿いにバーカロの集まる地区へ。
どの店も気軽。外席で水面の灯を見ながらが最高。係留してある小舟に勝手に飛び乗って呑んでいる人もいる。
値段もリストランテの三分の一くらい。
長い滞在ならばきっと毎晩此処だなと思う。

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3軒ハシゴして、近くのナチュラルな感じのブックカフェで珈琲。一緒に頼んだベリーのパイ、生クリームがたっぷり添えられていて素晴らしき味だった。

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本来の予定ならば、明日にはアムステルダムに戻る筈だった。
スペイン熱の高まった大友人と、熱烈なスペインラヴァーとなってしまったぼくは、予定を変更してバルセロナ再訪を決めていた。

明日は愛しの街、バルセロナへ帰る日。

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2018年12月12日 (水)

*ときどきトランス日記 No88 / サンセバスチャンで。

5時間半の旅。
あまり変化のない田舎の風景の中を列車は走る。
時々通過する小さな町以外は住居も少なく、丘の上に馬がいたり、羊のたくさんいる牧草地があったり。朝方は生憎曇っていて、窓ガラスが汚いままなので、そういう景色が霞んで見えているばかり。

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ふと目を覚ますと、目の前の簡易テーブルにハムとチーズを挟んだトーストのサンドウィッチとマドレーヌと水のボトルとオレンジジュースが置いてある。
僕が眠ってしまっているあいだに大友人が買ってきてくれたもの。
朝早く、ご飯を食べ損ねばたばたと出てきたので、なによりの嬉しい朝食だった。

サンセバスチャン駅は小さな駅。
都会の大きな駅ばかり見てきたので、本当に小さい田舎の駅。

歩き始めると河。すぐその先には海が見えている。
河沿いの歩道には小さな売店が並んでいて、ほとんどが手作りの雑貨を売っている。微笑ましい光景ってこういう、、と思う。

ホテルは旧市街。やはりこれが大事。
初めての場所なのにそわそわしないで過ごせる。
名はpension bule。
清潔で真っ白な部屋。ベランダが広場に面していて、此処もまた映画的。
共有スペースには座り心地のいい椅子やテーブル、珈琲マシン、お茶のセットがセンス良く配置されていて、僕はここを僕の書斎と名付け、3時過ぎには起きだして、いまこれを書いている。誰も来ない、密やかな時間楽しんで。

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まずは近所の散歩。
サンセバスチャンはバル巡りの聖地と呼ばれる。
その聖地の中心はすぐ近く。歩いて1~2分。なんという好立地、、

バルが100軒以上ひしめいている通り。
此処には何度も来ている大友人は迷わずとあるバルに入る。
まずは獅子唐の素揚げとチャコリっていう美発砲の地酒で乾杯。
ここは海老と茸が旨いんですよ、とそれぞれのピンチョスを取る。あぁ、本当だ、と僕はまた吃驚している。
あまりに美味しくてさ、でもすぐに飲み込んじゃうから、口の中が見た刹那の夢なのだと思う。でもきっとそれで良い。だって素敵だった夢って憶えているからね。でもやっぱりそのうち忘れちゃう。こその夢。一睡一飯の夢。

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ささっと飲んで食べて、2軒目へ。うわ、すでにバル巡りが始まっていたのね。知らなかったよ。
ここはね、蟹のピンチョスが最高で、、いや、ホントにそうだねぇ、旨いねぇ。おや、この赤ワインも凄い美味しいねぇ。

珈琲とデザート行きますか、ってバル3軒目。
此処のチーズケーキがまた、、っておいおい旨すぎるぞ、これ。
バル巡りって、その店の一番旨いものを食い歩くことなんですよ、って。すでに満腹で曖昧になっている脳に真髄の言葉が沁みる。

移動日当日っていうのは、新しい情報がどどっと押し寄せる日なので、知らずに疲れているみたい。酔いもすぐに回るし、ホテル
に戻って昏昏と睡眠。
旅に出てから例の時差ボケ完治せず、睡眠平均時間は一日5~6時間ってところだったので、一気に10時間以上も寝た。
だからまた3時に起きてるから一緒かなとも思う。

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サンセバスチャン2日目。

ゆっくりホテルを出て、海の水を触りに行く。
旧市街ぬけると古い建物の間から海が見えてくる。町のこちら側の海は小さな港。そのまま岬を回り込んで旧市街へと戻る道があって
散歩には良い。歩く人、走る人、釣り糸垂れる人。ワインを飲んでいる人、こんなところでも雰囲気のあるバルがぽつぽつある。

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たくさん歩いて空腹になったので、旧市街に戻ってバル飯。
バカリャウと云う、鱈の塩漬けを戻したもののピンチョスがスペインの目的の一つ。事あるごとに食べているが矢張り美味しい。
塩気が抜けた優しい味なので、どの店もそのアレンジに違いがあって、楽しめるメニュー。
ピンチョスとは、まぁタパスと同じ小皿料理で、パンの上に楊枝でや串で具材を刺したものを言う。

そしてこれは珍しい、米粒みたいなパスタ。バターのたっぷり入ったホワイトソースがたまらなく旨い。これ、あまりにも旨い
ので、夕方ワインの補給ついでにまた此処によって食べてしまった。
この店の特徴は、作り置きしてカウンターに並べて置くオーソドックスなバルスタイルではなく、注文受けてからその場で作ってくれる。
こういう店は大抵厨房が見えるようになっているのでそれも楽しい。
熱々で出されるピンチョスと冷えた白ワイン。

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部屋で遅い午睡して、8時半開店の人気店に急ぐ。
ここもやっぱりすぐに一杯。
でもバル巡り目的のお客さんが多い時間帯なので、すぐに空く~すぐに満席~空く、を繰り返してて面白い。超人気店でも、ぐるぐる
巡っていてタイミングが合えば、皆が入れるのが良い。

此処ではこれしかないです、って一推しのフォアグラのピンチョス。
産まれて初めてのフォアグラ。
実はレバーが苦手。でもこれは家鴨のレバー。
しかし心配いらなかった。繊細で複雑な味付け、自分の貧しい食歴では表現不能。
旨い、特に周りの焦げたところがー!って、口中に居る自分がこぞって悶絶。

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大変に満足したところで、町の反対側のビーチへ行ってみる。
夜のこの町は本当に綺麗だ。
町の灯の映える湾曲した広い砂浜は夢のように美しい。ふわりふわりと足取りが曖昧になって来る。誰もが幽霊のよう。
老若男女、その境目も、この世とあの世の境目さえも、段々と曖昧になって、、
此処は「狭間」の町なのかもしれない。
いつかそんな町に行ってみたいと思っていた。

こんな時間にぼくは、知らず少しだけそこに足を踏み入れたのかも知れない。
もう帰れないのだとふと思う。

僕たちは遊び過ぎたのかも知れない。

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サンセバスチャン3日目。

生野菜が不足している気がする。
凄く食べたい。

そのような朝。
新市街にそのようなバルがあるのだという。
朝食は是非ともそこで、そうして今日も元気に歩きたいと思う。
野菜はちから強く、そして美味しかった。

町と港を擁する小高い丘に登る。
あの海の向こうはイギリス。
行ってみたいな他所の国。

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この町も今日が最終日。明朝ベネチアへ向かう。

こちらは木曜日が週末なのかも知れない。
町に人が急に増えている。大変賑わっている。
大きな広場は、昨日までなにもなかったのに、食のイベントがあちこちで開催されている。
小さな広場の現代美術みたいな遊具たちも子供たちで満開の賑わい。

夜には更に人が増えている。
きっとスペイン中から、ローカルのお客さんが美味しいものを求めてやって来る週末。
そういう町なんだと知る。
そうして、老人の多い町。
老夫婦を幾組も見た。いたわりあって、手を引いて、軽くキス、慣れた感じで。そうして楽しそうにワインを飲んでいる。
たくさんの車椅子を見た。杖や補装具や歩行器も。皆老人だ。
家族に囲まれて楽しそうに食事をしている老人。夫婦水入らずでワインに目を細めるおばあちゃん。

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老若男女、行儀のよい犬やもう幽霊になってしまったものたちさえもが、楽しむ町。
あの世との狭間にある町。

僕の両親も80歳を過ぎてもなお、地球のあらゆるところに一緒に旅行していた。
いつか、もっと歳を取ったなら、ぼくは家人とこんな町に来るのかも知れない。

とまれ。
バルは何処も大賑わい。
フォアグラのピンチョスをどうしてももう一度食べたい大友人と、夕べのバルへ。
すでに混んでいたけれど、壁際にぴったりふたり分の隙間見つけて嵌まりこむ。
夜はゆるゆると曖昧に更けゆき、僕は最後のワインを求めて、老人になって。

サンセバスチャン。儚い夢の続きさえ、なお儚く。

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2018年12月11日 (火)

* ときどきトランス日記 No87 / バルセロナにて。

飛行機は乗る前に少し色々あるけれど、飛んでしまえば早い。たったの1時間50分でスペイン。
ユーロ圏内なので、特にパスポートコントロールもないし、貨幣も一緒で楽だ。

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ホテルまでタクシー。でもちょっと寄り道して大友人お勧めのバルに連れて行ってもらう。
アムスでも美味しいものは少しはあったけれど、こっちは桁違いなので、と。

乾杯しようよ、じゃあさ。

赤ワインと色んなタパス。
サーモン、帆立、鱈の肝や小鰯。
吃驚するぐらい旨い。次元の違う味と云ったら自国の料理屋に失礼かも知れないけど、ホントにそうなんだ。

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ホテルはね、アパートメントの部屋貸しなので、キッチンや洗濯機もある。
その分朝食はつかないので、では自炊をしますかね、朝は。ということで散歩ついでの買い出しへ出る。

この辺は旧市街。細い路地が迷路のように入り組み、古い石の住居や店が両側に迫る。
でもどこの街角も暖かみに溢れてる。
アムスはしっとり。こちらはほっこりで暖かい色合いだ。キャメルブラウンにアイヴォリーを少し混ぜたような。

自分は方向にはからきし弱い。4日いてもこの路地は手に負えないと思う。
真ん中辺りにそびえる巨大な教会前の広場からアパートはすぐ近い。店の看板や名前を憶えて、そこからならなんとかわかるようになった。
だが一旦迷ったらお終いかな、と思う。

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何処をどう歩いたのか全然わからないけれど、着いたのはオーガニック専門の、なかなかお洒落な大きなスーパーマーケット。
こういう買い物は楽しいね。
野菜や卵、珈琲粉、豆乳、パスタやソース、調味料、ヨーグルトなんかを購入。それとワイン。

広場にあるバルで夕食。
開店前に並んだので入れたけれど、すぐに満席。超人気店なのだそう。
海鮮をその場で調理したタパス。これも旨くて驚く。
獅子唐の素揚げ、マテ貝や蛤、きびなご、最後にとろとろのジャガイモの詰まったオムレツなんかをカヴァで流し込む。
ぼくはスペインに来て吃驚ばかりしている。特に口の吃驚はニューロンの素早さが直なものだから、素直。
率直な自分。

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街歩きのつまみ食いのチュロスは揚げたての熱々を頬ばること。泣きそうに旨いんだ。
チュロスなんてさ、自分の子供の頃には存在しなかった食べ物。なのに何だか懐かしくて泣けてくるのは何故なのか。

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バルセロナ2日目 / 今日もうこれ。

朝食。
パスタを茹でるがIHヒーターが弱くて、大鍋じゃ沸騰する気配がない。適当なところで麺入れたけど、饂飩みたいな
食感になってしまった。すまん。
大友人のサラダは自家製ドレッシングで流石の味。飲食の店を何軒も経営してるからだねぇ、これは。
こう云うのは本当に楽しい。

さて今日は、、

此処からは目をつむってて下さいねと、タクシー降りた地点から誘導される。
自分は視覚障碍者ガイドヘルパーの資格だって持っている、そういえば、はは。
などと思いながら石畳を靴底に感じて。

はい。

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うお、、
これかぁ、、

サグラダファミーリア。
ガウディ。
溢れている。溢れかえっている。中はもっと凄いんだぞと、もう外からも惜しみなく溢れてる。

息を呑む。
そのまま中に入ったら、やはり暫くは呼吸を忘れている。

ヨーロッパへ来てから、僕は上ばかり見ている。
だが此処は確かに上なのだが、そのうちそれもわからなくなってくる。
圧倒的に展開するスケール、さらにぐにゃぐにゃした有機的デザインが覆うので、いったん上を向いたのだが、もうそれが上なのか
下なのか曖昧になって転びそうになる。

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アラビックのモスクを思い出す。
モスクは外側は隙間なくびっしりと細かく装飾されているけれど、内部は何もない伽藍だ。何もなさ過ぎて怖いくらい。
内部が広大な空間っていうのはどの宗教施設でも特有のこと、と思う。内的宇宙って云うのは宗教の基本の概念。

しかしこの大教会はどうだ。
まるっきりの桁外れ、と云うか、ぶっ飛んでると言ってしまえば早いんだが、、

「あの世」感。
天国とか天界、仏教、神道(一緒にしてはまずいけれど、神仏が離れる前の)で言う西方極楽浄土なんかの、あの世。
入るだけであの世が降って来る。
もうみんなあの世を浴びて身体中びしょびしょ。

ちから。
宗教の持つちからってこう云うことなんだ。
「其処」があるのならば、行きたい。行かねばならない。そこを目指すための今生なのだ、と。

茶室のスケールをどんどん縮めていった利休の美意識のミニマリスト的DNA。それを持つ自分たちには、目玉がぐるんとひっくり返って一回転するみたい。
良い、悪いの範疇ではなく、でも普段は小さなスケープのなかで暮らしていることが良くわかる。
それが嫌いでは全然ないし、ひっくり返った目玉でもう一度わが国を見れば、それが内的宇宙の果てしない広がり、とわかるはずだから。

しかし先にこれ見ちゃったから、その後の同じガウディ作のグエル公園は、座ってみたかった有機的な石のベンチの並ぶエリアが改修中だったこともあり、んー、こんなものかな、でお終い。

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ヨーロッパに来てからは、その振れ幅の大きさに翻弄されっぱなしだ。
自分の知っているヨーロッパ的なもの、ことたちは本物を前に、とっくに何処かに消し飛んでいた。

夜は、市場や広場の露店冷かしたり、ブックショップの子猫たちにかまって貰ったりしてね、少しこころ和ませないとね。

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バルセロナ3日目。

今日は休養日で良いかな、と思う。
こころの興奮状態がなかなか収まらない。

でも朝の散歩はかかさずに。
一日の始まりの新鮮な空気。
夕べの諍いも、熱い想いも、友情も、愛情さえもが、ほんの刹那、一瞬間、リセットされる魔法の時間がある。
そしてまた始まる。
さぁ、今日だよ、始めようまた最初から、って。

部屋で自炊の朝食食べてから、マルクト、市場に行ったりお店をぶらぶら見たり、特に観光、文化施設には行かない日。
ゆったりした旅のつもりでも、やっぱり疲れは溜まって来ているしね。B2
BoneApartment、此処は本当に素敵な宿だ。
どの部屋も広くはないけれど、キッチン、リビング、寝室と分かれている。
ただし6階なので、途中で2回ほど息を入れなければならないし、下りは急階段なので目が回る。ひとフロアに2部屋の細長い
建物なので階段は極端に狭く、一階上るごとに途中の踊り場で折り返すから。

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リビングが凄く落ち着くのは、ソファの色がわが家と同じグレーだから。
キッチンにゴッホの「向日葵」のリトグラフがあったり、プラントや家具なんかもいい塩梅だ。映画的。

旅は衣食住だなと思う。どれもが充実してこそ深まるものだ。
あぁ、そうかも、、でも食と住はわかるけどさ、衣も?
うん、だってさ、旅先でお気に入りの服着てることってホントに気持ち良いもん。

お腹が減ると何か買いに行ったりの部屋日。
こういう日もあろうと、音楽再生装置、その内容までもが万全に整っている。何の事前打ち合わせもなくこうなる。

考え抜いた音源。

持ってきた7割くらいがBrianEno。AnotherGreenWorld~アンビエントのシリーズやその番外編、Eno周辺、関連のものまで
CD15枚ぶんくらい。
DavidBowieの「LOW」やS.Wonderの70年代の傑作3部作、ChilyGonzaresも6枚、NinaSimoneも忘れずに。そしてChetBaker、JimHall
やBillEvansとかヨーロッパを感じるJazzたち。
あぁ、MalWaldronの「AllAlone」は何処の夜の街角でも頭の中で鳴っていた。

*この章は、舞い戻ったバルセロナのアパートメントで書いている。
もうこの旅も終盤。今は早起きしたリビングで独り。
夕べは遅くまで起きていたらしい大友人は、珍しくまだ眠っている。

お茶を淹れて、大好きな友部正人の歌を聴いている。旅の歌をたくさん歌っていた頃の。
「遠来」というタイトルの素敵な歌がある。
昔からこの歌を聴くと、ぼくと大友人の関係を想った。
いま、ふたりでいる旅の空で、この歌を聴くことをしたかった。それが今朝のこの時間にやって来た。

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バルセロナ最終日。

名残惜しい。本当に名残惜しい。
色んな道を歩いたけれど、やっぱり宿のあるこの旧市街がすきだ。
複雑な迷路でちっとも道を覚えられなかったけれど、バルやテイクアウェイの食べ物屋、奇妙な店、壁の落書き。匂い。ひと

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でも大きな通りも捨てたものじゃない。
歩道第一主義、と名付けた。
太い道の真ん中が歩道。堂々としている。その両脇に車一台分の車道がくっついている。
歩道の幅は車道の5~6本分はある。実に良い、この歩道主義。歩くことを愛する人にはとても優しい街。

とまれ、バイバイ、バルセロナ。君が大好きになったよ。
明日は早朝の列車でサンセバスチャンへ向かう。

バルの聖地へいよいよ。

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2018年12月10日 (月)

*ときどきトランス日記 No86 : アムステルダム / 本当に自分の必要なものは。

朝の散歩は本当に素敵だ。
この時期は晴れている日は少なく、だから朝陽が射して来るわけでもなく、ただぼんやりと明るくなってくる。
河口付近の街だ。朝靄の運河の橋桁に鴎が並ぶ。

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しっとりとした景色。石の文化。それは長い長い時間、刻だ。
落ち着いた情感がわが身の裡でゆわゆわとたゆとう。

ところで。
自分は確かにゴッホがすきだ。それも近年、結局一番好きなのはゴッホだと気付いた。
いいな、と思っていた南欧アルル時代の明るい作品、最後のゴッホたちはしかし2点きりしかなく、でもそれの本物が見れて嬉しかった。
此処は時系列でゴッホを知ることのできる、彼の美術館。

アルル時代の作品は、むしろフランクミュラー美術館だという。でも此処から列車やバスを乗り継いで2時間以上かかる。
けれど旅の終わりころに、まだ未定なれど一日だけドイツへ列車で行く話が持ち上がり、その途中にそれはある。
行けるかも知れないな。

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そして、その後に行ったアムステルダム現代美術館でぼくははっきりと気付いてしまった。

ゴッホが見れて嬉しかった。けれどぼくは現代美術館にがっちりとこころ掴まれてしまった。
ゴッホの絵画はひとつひとつが彼の終着点であると思う。でも終着という枠の消失した際限なく拡がっている「ナニカ=現代美術=何か」な作品たちが自分を捕らえて離してくれないからだ。

それは嬉しいという気持ちとは違う。

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ところで、この旅でこういう施設を観る場合、大友人とは入り口で別れ、時間決めて待ち合わせをするという素敵なルールがある。
さらりとそう出来る、こういう感覚の人がすきだ。

あと30分、いや、やっぱりもう30分、と延長の連絡をし合って、落ち合った併設のカフェーでぼくはこう言っていた。

本当に必要なのはこっちだったよ、って。

「そうだろうと思いました」その人は静かに笑っていた。

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アムステルダムの3日目。ブックショップで長居をしたり、小さな博物館を覗いたり。
朝からはっきりとしない雨模様。降ってはいるけれど、傘をさすほどでもない、こういう天気が一日中。
この時期は大体こんな長子で、成程フードの着いた服を着ている人が多い。
特に意識せずにプルオーバーのスウェットを持ってきたのが大助かりした。

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オランダのほかの街を知らないけれど、この街はアメリカ的なポップアートをするりと飲み込んでいる。ヨーロッパに晒されて少しくすんだ感じのポップアート。
いたるところに描かれたグラフィティアートから遡っても40年以上の歴史がすでにあるだろう、どれもが奇異なものではなく、調和が取れている。

現代はもう世界中がネットで網羅されているので起こりえないことだけど、60年70年代にアメリカからヨーロッパに怒涛の如く押し寄せただろうポップで過激なカルチャーが、古い古いヨーロッパ文化の中で花開き、根付いて、融合して、経年を経たいま、シックな色合いを見せてくれる。

Amm01

運河とアートの街。
見えるもの、見えないものさえもが僕の感覚に反応して来る。ぼくはそれを受け取りぼくのものにする。ぼくの生きてきた時間がそうさせる。

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4日目のアムステルダム。

少しの散歩、食事、買い物くらいで、あとは部屋でゆったり過ごしたい日。
それほどの急ぐ旅でもなく、こういう日は好きだ。
少し開き過ぎちゃった感覚の確認しとかないとね、いっぱいのまんまで次々放り込んで行くと破綻しちゃうかも知れないから。

旅で過ごす時間は自分の生きてきた時間の再確認に適していると思う。
日常から掬い上げる日常よりも、非日常から掬い上げる「自分」の方がピュアだから。

最後にまた戻って来る街だけれど、ひとまず此処での最終日。
今日の散歩での一番素敵だったこと。
写真美術館。

石の文化を象徴するような旧い邸宅だ。
どの部屋も天井高く、作品は見上げる視線になる。惜しみなく大きな作品なのに、まだ余りある容れものの大きさが沁みてくる。

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ヨーロッパの旧い建物の特徴なのかも知れないけれど、階段は狭く、登り切ると突然広い空間の部屋があり、また狭い階段が続く。
そうして窓が大きいのは、階段では運び込めない家具なんかを入れるため。だから窓の上部には滑車がついている。

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自販機で買うコロッケとか、熱々のフライドポテト。鰊を挟んだバゲットとか、散歩中のつまみ食いは楽しいな。
アムスでは朝ご飯2回食べたりして、それで早朝から元気だ。昼と夜は道で売っている適当なもので間に合う。

現代美術館はもう一度きっと行こう。今度は一日中居るんだ。

明日はバルセロナへ移動。

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2018年12月 9日 (日)

* ときどきトランス日記No85 / アムステルダム2日目の朝に。

あぁ、昨日は疲れたし良く寝たな、と思うとまだ日付が変わっていない。
あれれ、ともう一度寝るけれど、2時にはぱっちり目覚めてる。
時差ボケです、これ。

此処は通称レッドライト地区という、政府公認の売春施設が並ぶ通りのあるエリア。
そうしてこの時間は、麻薬の売人やら危ない人たちがうろつく時間でもあるので、怖いので外へは出ない。
「飾り窓」の中では、刺激的な格好をした女性が挑発的なポーズを取っていたり、そういういで立ちなのに、眼鏡をかけて椅子に座って足を組んだポーズで本を読んでいたりする。

何度かその通りを通過したけれど、しっかりその等身大の窓の内部を見つめることが出来なかった。
だからその印象は曖昧なまま、絵画のようでもあり、永遠に現実感のない夢の中の景色。

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7時まで本を読んだり音楽を聴いたりと、ぼやぼやと過ごしてから宿の朝食食べて、そして歩き出す。
7時はまだ夜の領分、真っ暗だ。
でも通勤通学の時間は始まっていて、人通りも増えてくる。一晩中夜を彷徨っていた人とは明らかに違う朝の人たちだ。
気温は5~6度。息が白い。颯爽と自転車が行き交う。

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こんな時間から開いているカフェーもたくさんあって、朝の人たちが朝食を食べている。
僕たちも暖かみのあるお店選んで、さっき食べたばかりなのに、オムレツやクリームのどっさり乗ったアップルパイを食べる。

この友人。同胞(はらから、と読みます)と言ってもよい人。
昔はね、色んな「旅」を一緒にした。
彼との昔日の想い、というのはそういうもので出来ている。

ところで、ぼくはヨーロッパのことは殆ど何も知らず、方やヨーロッパの達人で色んな処を詳しく知っている彼。
そういうひとが僕の水先を誘導してくれている。
だからぼくの撮る街の写真には、いつも彼の後ろ姿が映っている。Am4
以降、彼のことは文章上では「大友人」と呼ぼうと思う。
僕の造語である。
彼の人間性の持つ「大」とか、大きな関係性の「大」とか、大の友達の「大」とか、色々な「大きなもの」が含まれてる。

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こころもお腹も幸せになって外に出ると、夜の狭間は朝へと移ろい、あてもなくいつまでも、僕は歩きたいと思う。

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2018年12月 8日 (土)

* ときどきトランス日記No84 / バルセロナにて、旅の起点アムステルダムを想う。

バルセロナに来て4日めの朝。
この街は教会が多く、何処にいても鐘の音が聞こえる。
初めのうちはしっとりした控えめないい音だなって、あぁ教会の、って。
ただそう思っていた。
そうして3日目の朝に漸く気づいた。
鐘の音ひとつは15分。ふたつは30分、みっつは45分。そうして1時間でフルコーラス。
刻を告げていたのですね。
そうすると、歩いていても、バルでワインを飲んでいても、部屋でのんびりしていても、
何処にいても、ざっくりと時間の移るのがわかる。

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旅はちょうど一週間ぶん、僕の後ろに刻として積み重なった。

時差が8時間ぶん遅れている場所へ12時間かけてぼくはやって来た。
朝に飛び発たち、一日の半分を使ってやって来た。
なのにアムステルダム空港は15時で夕刻の気配もない。

空港でi-phone繋いだとたんにするりと現地時間に替わっている。何の屈託もないみたいに。こんなの当たり前のことですよ、と。

それはさ、理屈ではそうなのだろう。けど自分の身体はからきし理解していないみたいだ。
その無理解を時差ボケと呼ぶらしいけど。
実はまだ完治しておらず、早くに眠くなり、3時にはしゃきしゃき起きだしてる。

12時間。
時々眼前のモニター画面にライブ経路を出してみる。
地図上で言うと、成田からまっすぐ上に進むので、わが国土はすぐに突っ切ってしまう。
そうしてロシア大陸を横切り、フィンランドやノルウェー上空を通過した。
その間に御飯を食べたりワインを何度も貰ったり、映画を観たりした。2本観たうちの、期待せずになんとなく選んだ「犬屋敷」が凄く良かった。

飛行時間に時差8時間ぶんの時間の総体裡で色んなことを自分は行った。
それは体験として身体が記憶している。でも着いたとたんに、うち8時間分はなかったことにしてね、って、はらはらと消えてゆく。

この日、ぼくの11月26日は32時間あったのに、身体の記憶だけ残って、時計上の8時間が何処かにしまわれたのだろうか?
そうして3週間後の帰着時にその時間が返却されて、あれあれっと思っているうちにいつの間にか旅は終わってしまっているのだろうと思う。
嫌だよ、この8時間はもともと僕のものなんだから、今更返さないでよって、そうしてしまったならば、帰れないひとになってしまうのかも知れない。
永遠に時の狭間で彷徨う幽霊になってしまうのかも知れない。

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とまれ。
旅が始まったばかりの頃に少し戻ろうと思う。
アムステルダム、スキポール空港から列車で中央駅へ。
空間の大きな駅の風景は旅情を誘う。

さらにもう少し前の話をしよう。

ある日友人がぼくに言った。
「道郎さん、もうすぐ還暦ですね、記念に何処か旅しませんか?」

「あぁ、そうだねぇ、ううん、それは行けたらいいけれど、、」

でもそのタイミングだったら少し長い休みを取っても大丈夫なタイミングかも知れない。
その様に答えると、友人はぽんとヨーロッパ往復のチケットをプレゼントしてくれた。
「じゃあ一緒に行きましょう」という言葉が添えられていた。

ぼくはその時、一瞬だけ躊躇した。
色んな思いが刹那湧き上がり、その波に捲かれた。
その海に捲かれて沈んで、安穏に暮らすことだって出来る。でも決断が僕を再び浮かび上げてしまった。

そうして、とんとんと色んなことが整っていった。

ヨーロッパの大陸というのは初めて。
夕暮れのアムステルダム中央駅は息を呑むほどに美しかった。

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まだ現実感の伴なわぬ、夢まぼろしの狭間を歩く。

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細い路地抜けて運河沿いに歩くと小ぶりなホテルが点々と建っていて、ぼくらの宿もそのひとつ。
70年代のアート感覚を持ち込んだ、ちょっとトンガった感じなのに、ちっともそれがうるさくなくシックだ。
この旅のこれからの感覚を、これは象徴しているのかも知れないな、と思う。

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