2019年11月 6日 (水)

時々トランス日記 No.96 / ラグビーデイ、ラグビーデイズ。

溝の口は断然西口、と思う。
先日この駅で乗り換えて大岡山という駅に用事があって。

詳しく言うと、南武線の武蔵溝ノ口駅で隣接する東急大井町線の溝の口駅で乗り換え。
どちらの駅も降りるのは初めて。

用事を終えるのが午後3時過ぎ。
これはもはや立ち呑みの時間ではないかと思う。
最近は事前のリサーチが周到な自分は、溝の口の西口がヤバいらしいと知っており、
改札を出て西口方面へと構内を曲がったのだが。
東や南へゆく人波は賑やか。日曜日である。
だが西口へ向かうひとは極々まばら。
出口へと向かう通路は薄暗く細く、いきなり小さな私鉄沿線駅の趣。
この駅はターミナル駅であり、大きな駅、街なんですが。

あれれと思った自分は、でも階段を降りた。
そしたら、出口からいきなり西口商店街が始まっていて、ぷんぷん。
うわ、もう入り口から匂ってくるじゃない、濃厚な昭和の残り香が。

Katoriya

当てにしていた「かとりや」はまだ開いておらず、つぶれているのか開店前なのか判然とせぬ店舗が
薄暗いアーケードに並んでいる。
見上げれば、木製の桟のトタン屋根を熱電球が侘しく照らしていて、軽く50年はトバされる。

食べ損ねた昼食の所為もあり、自分の愚かな頭脳は胃袋からの増大したエントロピーの制圧を受け、
熱量第二法則に則っ取られて、欲望の熱は不可逆となり、しかし、古書店の中古レコードの前で
抵抗を試みる。
だが隣には非常に好ましい、開店したばかりと見える立ち呑み店が、、

Furuhon

「玉井」
名前が良い。シンプルだがぐさっと来るぜ。
などと独りごちながら、脳の状態を悟られぬように自分は落ち着いた感じで店に侵入した。

かなり広いんだ、入ってみると。
昭和的に広い。
入り口付近は焼き場を囲うような良くある立ち呑みコーナー。外席もある。
で、それに椅子のあるカウンター席が続いて、奥はテーブル席。
お客はまだ一組。
孫を連れたおじいちゃんが早々と一杯やっている。
子供の飲んでいるものが気にかかるが、この店の空気からして、何れリボンシトロンかプラッシーか
チェリオの類に違いないと思う。

さて自分はキンミヤの黒ホッピーで幸せになろう、おお、そうしよう、それとおでんだぜ。
など、浮かれた自分はだがここで小さなミスを犯した。
おでんはどれでも一つ60円。三つまでは。四つ目からは100円の但し書きを見落としていた。
玉子に厚揚げに大根をつい二つ注文。あ、こいつ素人だ。

でも良いのだ。
最初の注文は置いてある伝票に自分で記せば、どれも10円引きという素敵なことをやっているからねー。
うさうさ。

しかしキンミヤの酔いは独特だ。
一体ナニを混ぜてあるのか、何れ合法ギリギリのものに違いない。
眼振という眩暈の症状があるのだが、それは眼球が左右に激しく振れて、景色が流れて立っていられぬ
ほどで、自分は一度これに罹り四日ほど入院をしたことがあるくらいなのだ。
んで、キンミヤの酔いは下から上に向かってゆっくりとだが、景色が流れるのだ。しかも楽しい。

でも独りぼっちで呑んでるわけで、そういうのはみんな内々の出来事で傍からはわからないよ。
あぁ。しかし美味しいなぁ。
つくねがまた旨い。ハンバーグが2個串刺しになっているのかと思うほど巨大だ。
これで150円だよ。涙溢れてお品書きが滲む、見えない。

黒ホッピーセットに中ふたつで、じぶんはきっちりホッピー自分黄金比で3杯やっつけて、しかし
今晩は自宅での楽しみもあり、それ以上の探検探訪をせずに帰路に就いた。
この町はしかし、掘り甲斐がありそうだなぁ、きっと赤羽みたいになぁ。

Tamai

今日はところでナニしてたかと言うと、大学ラグビーの試合を観戦に行っていたのね。
応援してた息子の大学は負けちゃったけど、キックパスからの奴のトライ観れたし、負けたと云え
ガッツのある良い展開だったし、これはやはり呑むしかないだろうと。

で、夜はW杯のJapan VS 南アフリカ戦。
これを現役ラガーマン3人と呑みながらテレビ観戦、我が家で。
彼らは高校のラグビー部、しかも寮生活共にした家族みたいな関係。しかも息子ともう一人は、
さっきまでグラウンドで対峙、激戦していた訳で。

あぁ、いいな、なにかこう云うのって。
ぼくなんかは全然通ってこなかった道だ。

中学でラグビー始めた息子に連れ、この競技を観るようになったけど、まだルールを全部理解していない。
あぁ、そういうことね、ほうほう、と解説付きのこのシチュエーションはだから有難い。

Raggermans

ぼくの今日はラグビーデイ。彼らはラグビーデイズ。
でもそれもいつかは終わる。
でもそれまではきっと。

過日、W杯終わる。
極上の試合を自分は毎日毎日楽しんだのに、一体これからどうすれば良いのだ。
まだ冷たいお酒が美味しかった頃から、終盤に差し掛かかり、暖かいお酒に変わり、そしてお湯割りと燗酒
だけが残って、なんだか置いてけぼりの今日。

Rdays
あぁ、こう云うのを昨今では○○ロスと言うのか。

その間に巨大な台風が、甚大な被害を残して通り過ぎてった。
地球規模での大きな変動はやはり感じる。
地球を取り巻く環境に影響を与えているのは温暖化であると主張する科学者もいるし、
そんなの関係ないという学者もいる。
どちらが正しいのか、まだ解っていない。

だが自分は、温暖化を促進し続ける米国や中国は駄目なんだと思う。
儲からないから戦争はやんない、と云う米国大統領は、それでもよかろう、とは思う。
そして、温暖化はどんどんやっちゃうよ、みんなが儲かってぼくにまた投票してくれるようにさ、
と云う精神構造も理解は出来る、善悪は別として。シンプルだからね。
でも中国はわからない。全然わからない。範疇を越える、と云うか知らない範疇。其処へ至る
考えの道のりの基準が底知れぬ。
この国のありように恐怖を感じる。
この様な国政の国の人民でなくて本当に良かったと思う。

台風の被害が酷い。
気候が変動しているのならば、毎年このような状況になるのだろうか。

何れ世間は世界の変容に附いてゆくのだろうけれど、その始まりに犠牲になったひとたちのうえに
それは成り立っていること、忘れないでいようと思う。

台風一過の翌日に、車で名古屋へ向かった。
「大名古屋アジアン、アジアン」というイベントに出演するために。
影響はこんなところにも出ていて、一部出演者が来れない事態になっていた。
自分も危ぶまれたのだが、幸い東名は全線解除になったばかりで、しかし乗るまでにかなりの時間を
要した。
帰路は山梨県辺りで止まってしまい、9時間ほどかかって帰宅した。

だがこんなことは、家が住めなくなってしまった人に比べたら何ほどでもない些細な苦労だ。
しかも、イベントは凄く良くて、それは大変に幸運なことだ。
その晩は、台風の被害状況はまだ露わになる以前で、だから何も知らない自分はとても幸せな気分で
演奏したのだった。

無知なる夜。

和楽器とのコラボレーションは凄く素敵だったよ。
腕の立つ演者たち、音楽家も舞踊家も書道家も、みんなみんな。
そうして会場のボトムラインの舞台スタッフの方々の素晴らしさも。

Bot1

ミキシングを担当していただいた方は、初めての楽器なので前日にネットでどの様な音の楽器かを
チェックしていて下さり、こちらが注文を付ける必要もないマイキング、ミキシングでした。
ティンクリッは出音とパングル(バチ)の打撃音のバランスが大事なのだけれど、そこをちゃんと
わかっている。
マイクのセットをされている時に「打撃音もしっかり拾える場所で、、」と仰っていて、あぁ、もう
自分は何も言うことはないな、と。
この晩の演奏は成功するな、と。

Bot2

そんな晩から帰宅してからもう半月以上になる。
そして被害状況はまだまだ拡大を続けている。
それを見るにつけ、あの晩のことが頭をよぎる。

無知なる夜のこと。
だが仕方のない無知もある。
だが無知は罪でもある。矢張り絶対にそうなんだと思う。

そのことを考える機会だと思う。

舞台と云うのは、どんな造作であれ、どのような演者であれ、その時は神様が降りてくる場所で。
自分の如き不真面目なものでさえ、それでもやはり降りてきて下さり。
だから深く感謝して、終わればそっと降りればいい。
いつもはそれで良い。
けれど、この晩に被災地で行方が不明になり、発見が遅れ、亡くなったひとたちもいる。
神も仏もいなかったあの数日間のあの場所たち。
なんて不公平な、と思う。
そうして自分はその片側にいた。

「Not Fair!」
口癖のように言う米国大統領は協定から勝手に離脱した。
不公平の履き違えなのか、そう言えば世間の理解を得られると思っているのか。

何れ彼にも無知の罰の審判が下る。
勿論ぼくにも下る。

それは何と公平なことか、と思う。

Lam1

とまれ。

10月14日の名古屋の夜はあまりにも素敵な晩であった。
滅多に会えない友たちと酒を酌み交わし、安価だがセンスの良いホテルで眠った。

Photo_20191106152401

無知なる夜よ、ぼくは確かに其処に居たのだ。

Lam2

 

 

 

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2019年9月27日 (金)

ときどきトランス日記 No95. / Ubud村再探訪記(後半:9/6~9/11)+ 後記。

9月6日(金)Ubud村5日目

早くに起きだすと、夜の尻尾がまだちょろりと見えている。急いで隠れろ、もうすぐ夜が明けますよ。
昨日の名残を見送ってあげよう。

Asayake_20190927110601

最初の10分くらいは辛うじてお湯の出るシャワーだから、Mandi(沐浴)は大急ぎで。

パサール(市場)はこの時間だけは本気出している。
ツーリストの入り込む隙間はない、本物の生活時間。市場が市場として本気で機能している。
野菜、果実、卵に鶏肉、豚肉、お供え用の生花。
足許の血溜まりに野菜屑、響く声、こぼれた小魚が乾いてゆく頃に、ゆっくりと時間は止まって行って
暑い一日が始まる。

表の道路にまではみ出している果物ををひやかしながら、歩く。
朝の散歩は快楽。
2時間くらいかけてぐるっとUbudをひと巡り。朝ご飯を買って帰る。

今日は家族到着に合わせて宿を引っ越す日。
大まかに言えばUbud、でもUbud村とはMonkeyForest寺院の森を挟んだ反対側のNyuhKuning村へ。
長きバリ生活13年間のうちの10年を暮らした村。息子が生まれ育った村。我が家の故郷。

当時住んでいた家は、村の寺守を仰せつかっているバリ人家庭の広い庭の一角に建っていた。
今はその庭に部屋をたくさん作って宿の経営もしている。プールなんか作っちゃって、ヴィラっぽい建物もある。

Ubudに来たならば、必ず2~3泊はお世話になっている。

懐かしい村に朝から独り。
いつでも暖かく迎えてくれる大家さん一家はみんなお元気。なによりだ。
少し歩いてみる。
近所はそれほどの変化はないけれど、森に近づくにつれ、お店やレストランが驚くほど増えていて、小洒落た
イタリアンレストランまであるのには驚いた。
森を越えて在住者やツーリストがやって来る最新の人気スポットになっていると云う。

コテっちゃんから聞いていた一番人気のレストラン「BePasih」は、おぉ此処か、成程、程よくお洒落では
ないかとつい入ってしまい、ついNasiGorengを注文。
いや、なかなか、かなりのレベル。これは他のものも旨いに違いない。
しかも値段はローカル、ツーリスト半々の好ましい感じだし。
魚料理に定評があるらしいので、みんな揃ったら食べに来ようと思う。

実は前回喧嘩別れみたいになってしまった、御隠居と僕が呼んでいたUbudでの古い飲み友達が此の店に良く来て
いる、と聞いていたので、偶然会えないかなと思って来てみたのだ。
彼はこの村に住んでいるので、家まで行くこともできるのだが、それは何だかきまりが悪い気がして。
でも結局今回は会えずじまいになってしまった。

プールに入ったりしてのんびり夕方まで過ごし、アンカサへ。
今晩はUbudRadioだ。
件のN氏が良く鳴るティンクリッ(竹のシロフォーン)を用意してくれていた。
Tomocaちゃんと簡単に音合わせ。ほんの少し合わせただけで、全然大丈夫だねー、と笑いあえる。
こういう関係は本当に素敵だな、と思う。

8時にゆるゆると番組スタート。
ぼくらもそのうちゆるゆると参加して、話に加わる。最近の食堂事情話に花が咲く。

Tomocaちゃんの良いところは色々ある。
音色、とか吹いている時の顔が可愛い、とか。
ぼくの一番好きなところはね、ソロパートの小節の頭より、2分の1小節前から突っ込んで来るところ。
もう待ち切れないって。
凄くエモーショナル。

PlanetBambooの渋谷でのライブ。
最後のセッションタイムに疾風の如く飛び込んできたTomocaちゃんはいまでもそのままの姿、と思う。
昔々のお話なのにね。

*UbudRadioはこんな感じ。20分辺りから出ています。
https://www.youtube.com/watch?v=y--rkndowfs

*ライブ場面はこんな感じ。在住のフォトグラファーのBuntaroさんがエディットしてくれました。
https://youtu.be/cHpz9QXP6AE


10時過ぎくらいに家族アンカサ到着。
この時点ですでに自分はArakで曖昧になっており、さて、どうだったのか。
まぁ、この晩は演奏が本分ゆえ、いいかな、と。
明日からは賑やかに過ごす。


9月7日(金)Ubud村6日目

朝。
ベランダのテーブルの上に若いココナツの実。その上を削いで、ストローが刺さっている。
笊にはバナナ、マルキッサ、マンゴーが盛られている。
まるで南国そのもののテーブル。ゴーギャンの。
昨日大家さんが置いてくれたもの。

Coconut

皆が起きるころ、バリ珈琲とジャジョウ(バリのお菓子)を持ってきてくれた。
ぼくはナシブンクスを探しに近所をひと周りしてみる。

雑貨やガソリン(瓶に詰めて売っている)中心のワルンの店先に、お馴染みの茶色い三角の包み。お菓子や
果物に混じって並んでいる。
聞くとナシアヤムだと言うので3つ買ってみる。
小振りなブンクスだけど、ひとつ5000rp。何と正直な、と嬉しく持ち帰る。
そうしてちゃんと美味しかった。
明日も買おうと思う。

しかし自分はテバサヨで見つけた絶品ナシブンクスの自慢を忘れずに行い、最後の宿では毎日
買ってきてあげるからーと得意になっていた。

猿がやたらに増えている感じがする。
そりゃ猿の森なわけで、そうなのだけれど、凄いいる。
森の脇の町への細い近道から伺うともう猿だらけ。しかし後日、更なる猿の浸食を受けることに。

家人は在住時の女友達で逢いたい人がたくさんいるけれど、今回の日程ではそれも難しく、今日連絡の付く人
だけで我慢、という。
ぼくにとっても懐かしい顔にご挨拶して、自分は息子の両替に付き合ったりして、なんとなく町を
ぶらぶらと。
さて昼だ。
息子のローカル飯のマストはパダン料理らしい。
そして彼が最も愛したパダン料理店の消失を癒すべく、件の店に連れて行った。勿論のこと、大満足。
だが、消えてしまった店の痕跡を見つけてしまい、それは道からお店へと上がる白いタイル張りの
4~5段くらいの階段なんだけれど、それがまだ残っていて、二人ともちょっぴり傷心。

明日はマラソン本番。
夕刻早めに引き上げ、帰り道にあるBePasihへ。
焼き魚の定食。鯵ですねこれは。
バリ独特のサンバル.マタにて食す。
サンバルとはチリソースのことで、この国には無数の種類がある。だがこのバリのサンバルが最高に旨い。
これだけでも御飯が無限に行けそう、と誰もが言う。

Bepasih

これは作りたて、フレッシュさが身上のサンバルなので持って帰れないのが残念。だが、家人はレシピを習得
しており、実は時々作って貰っている。
材料集めに少し苦労はあるらしいけれど。

9月8日(土)Ubud村7日目

UbudRadioチームは深夜2時半の集合。
車に分乗してスタート地点のBaliSafariParkへ。
スタートは4時半。

僕、息子、大友人はゴールでお迎えの予定なので、家人を送り出し、再入眠。
夜明けに起きだし、テラスで写真の整理なんかしてから、昨日の5000rpのナシアヤムを買いに行く。
ワルンのじいちゃん、ばあちゃんは昨日買っただけなのにもう顔なじみ、常連っぽくなっているのが嬉しく
、でも今朝で最後なんだよなぁ、と残念に思う。

いま泊めて貰っている部屋には脇にキッチンが付いており、昨日仕入れておいた、だいすきな
SariMieというインスタント麺を作る。
ナシブンクスとSariMieが昔のお昼の大定番だったのだ。

9時過ぎにおっとり刀で出掛けてみたらば、読み甘く、道の渋滞がひどい。
良く考えてみれば、バイパスはマラソンのため片側は閉鎖されているわけで、ゴール付近はもう大渋滞。
しかたなく車を降りて3キロほど歩く。

ゴール地点に辿りついたらば、人混みの向こうにすでにゴールしている家人の姿が見えた。
顔がぴかぴかしている。嬉しそうである。昇りたてのお日様みたいである。
5時間36分。これはなかなかに悪くないタイムらしい。

トシは公言通りの5時間を切っており、DJトシは以降、マラソントシと呼ばれるようになる。
UbudRadioチームは、フル、ハーフ、10㎞ともども全員が完走でした。
しかし、過酷なレースだったらしく、救急搬送も数人いたし、痛ましいことに日本人参加者の死亡も、、

近くのレストランで旨いNasiGorengを食べてから帰村。
今日はこのまま宿を移る。

マラソンのダメージもあるだろうし、アンカサの近くが絶対条件、更に最後の3泊だしちょっぴり贅沢
しちゃえと、選び抜いた宿Sarin Suit Ubudへ。
贅沢に空間取りをしている洒落たブティックホテルで、10部屋もないんじゃないかと思う。

2階の広いFamilyRoom。
6000円くらい。
日本ではビジネスホテルクラスの値段だけれど、こっちではなかなかいいお値段だよ。

洒落たプールに漬かっていると、広い庭にちらほらと猿。
そりゃそうだ、此処は猿の森の入り口の真ん前に建っているからね。
しかし、翌朝知る、こんなものではなかったと。

夜はアンカサでマラソン打ち上げに混ぜてもらう。
アンカサ自慢のメニューが並ぶが、やはり焼き豚が一番旨い。

Arakをたくさん呑むうちに、知らぬ間に、N氏、松崎しげる@Bali氏、自分とで、来年のバリマラソン10㎞
に出場することになっており、更に最後は高齢者3人が手を取り合ってゴールするという感動の手筈まで。
だが、この中では自分は一番の若輩のくせに、ひとり遅れる姿をすでに幻視していた。

これ、社会より退いている人生ならば、いくらでもそれは参加できる。
だが自分はまだそうではなく、のちのちのダメージによる社会参加困難は困るので、やはりご遠慮したいと
思うのですが。

折角の南の島、明日は海水浴に行こうではないか、と話が進む。
そうなれば、我が家定番の秘密のビーチがある。
車で3時間ほどの小さなビーチに宿が2軒きりの素敵なところなんだ。
そこのレストランはフランス人経営でブルーチーズソースのステーキと、熱々のとろけたチョコレートが
スポンジから染み出し、脇のヴァニラアイスクリームと響き合っちゃうホットチョコレートケーキが絶品。
海水で冷えた身体に滋味深く。

だが、、

近年、波の浸食著しく、すでにビーチは削られてほとんど残っていないという。
更に、そのレストランからはオーナーのフランス人は撤退していて、そのメニューが残っているかどうかは
わからないと。
確かに、其処の本店とでも言うべきUbudのDariManaRestrantは姿を消していた。

やんぬる哉。
時の流れ。

なのでSanurビーチへ行こう。
その昔はKuta、NusaDua、Sanurがバリの3大ビーチと呼ばれていた。
僕が初めてバリを訪れた頃は、まだNusaDuaはビーチの整備、ホテル群の建設ラッシュのピーク時で
工事現場と綺麗なビーチの不思議な景観だったが、誰も来ないビーチは静かで広大で、今だけの
楽園にこっそりと入り込んだものだった。

けれど時は流れ、次々に新しいビーチが開発されてって、流行は移り、Sanurは取り残されて
鄙びていった。
だが、そんなとこが好き、という鄙びファンも多く、自分も在住時は良く遊びに行った。
落ち着いていて、煩くなく、お気に入りのワルンもあった。
激辛魚フライ料理のMacBen。
あまりに辛いので、ローカルのお客さんは皆ビールをスプライトで割って飲んでいる。
おぉ、これがこの店の作法であるのかと、早速自分も真似してみると、成程この度を越えた辛さには
これが必要だった。
ぼくは平気でビールに色んなものを混ぜるが、実はこれがルーツなんである。

9月9日(日)Ubud村8日目

朝起きて、窓外を眺めている。
眼前には田圃が広がっているが、刈り入れ後で茶色く立ち枯れた短い茎が密集している。
遠くから何かの群れが凄い勢いで渡って来る。初めそれは茶色い塊だが、段々にほぐれて野犬かと思って
いたら、猿。
ひと群れが20~30頭。そんなのがいくつも走って来る。

これには驚いた。
そうして次々にホテルの塀に取り付いては敷地に入って来る。塀伝いにぐるりと回りこんで
何処かへ消えていく。
「鳥」と云うヒッチコック映画を思い出すが、「猿」

この猿が悪い。
チェックインの時に部屋に案内してくれたスタッフの注意。
窓は開けっぱなしにしないで下さいと。猿が入って来て悪さをするからと。

部屋は大きな窓がいくつも取られているので、眺めは最高に良い。けれど、ベランダやテラスは一切ない。
あったら大変なことになるのは自明。ましてや窓を開けて出掛けたりしたら、無一文になるね。

プールが和まない。
猿の野郎が水を飲みに来るのね。それは別に良いのだけれど、スーパーの袋なんか持って寝そべっていると
じわじわ近寄って来て、明らかに狙っている。
ゴム草履しか入ってないよ、でもわっかんねーだろうなぁ、猿だし。
だからプールには何にも持って行けないよ、タオルやサングラスもやめた方が良い。

プール脇のチェックインデスクも人がいなけりゃ子猿の遊園地。棚にジャンプ、鬼ごっこ。
でも不思議に此処からはなにも盗らないし、棚の飾り物も落とさない。お客が来た時にチーンて
鳴らすあのベルも悪戯しない。
猿、意外とわかってる、のかも。

けれど、庭ではやりたい放題。
水盤に綺麗に咲いた蓮の花はあっという間に喰い散らかす、葉っぱもぐしゃぐしゃ。
猿って花喰うんだよね。

Saru

でもそんなに怒られない。
だって神様の使い。奴らの大元締め、親分の、風神ハヌマーンの子分どもなわけで、眼前の森の中の寺院
を守っている。
ま、たまに悪さが過ぎると此処のスタッフにパチンコで撃たれてるけど。

つまり自分はこのホテルがすっかり気に入ってしまったわけです。面白すぎる。

大友人がバイクで迎えに来てくれる。
テバサヨのナシブンクスを買いに行って一緒に朝御飯の約束。
部屋には湯沸かしポットがある。ならばカップ麺もやっぱ。
しかし朝から食べ過ぎか。。

さて、本日は海水浴。

現在のSanurはその鄙びを残しつつ、新たな展開になっていた。
ビーチ沿いにはずらりとビーチクラブなるものが並んでいる。要するに海の家。
どの家もプールやレストランを擁し、此処でそれぞれの規定に沿った金額を落とせば、一日寝転がって
過ごせる場所を確保できるというシステム。
計算したらひとり1600円分を飲食すればOK。高いと云えば高い。だが観光地なわけで、お昼御飯
食べてビールの3~4本でそれくらいは行っちゃう。

ところで、自分は肌を陽に灼き悦に入るという趣味はない。
だがケープの陰でお昼寝のつもりが、太陽は動くわけで、知らず炎天下で寝入っていた。
身体の半身、前面だけ松崎になってしまった。
非常に間抜けである。前面がしげる、背面は松坂慶子。

遠浅の海は程よく冷たく、何処までも膝下の深さ。座り込んだ自分はいつまでもぬるい砂を触っていたかった。

Sanur1 Sanur2

今晩は、大友人とサテ.カンビンを食べに行く約束をしている。
サテとは串焼きのこと。
サテ.アヤムは鶏肉、バビだったら豚、Lilitなら魚のすり身、海亀、田舎へ行くとアンジン(犬)もある。
そうしてカンビンとは、山羊なんである。

これが旨い。滅茶苦茶旨い。
専門のワルンで定食にして喰らうのが作法である。
サテが8~10本くらい。それにグレという山羊のホルモンのスープに御飯。
このスープがまた濃厚で滋味深く旨い。サテは自家製のピーナツソースにサンバルを自分で混ぜて、それを
絡めて食す。
町なかのワルンではお目にかかれないが、田舎の夜市なんかに出ているカンビンのワルンは強烈だ。
軒先に色んな山羊の部位がぶら下がっている。
ひと際目を引くのは巨大な睾丸。
これをスライスしてスープに浮かせて食します。その後精力絶倫に。
いや、素人は手を出さない方が無難。自分は勿論無理です。

Satekambin

昔はね、サテ.カンビンのワルン、結構あったのですよ。
馴染みの郵便局近くの店や、バリ漫画の最高峰、深谷陽のアキオシリーズの舞台にもなっている、
プリアタンヘと曲がる角のワルンも、もうない。

だがそのプリアタン村にはまだ3軒が営業しているという。
うち一軒はもうなく、夜になっておりバイクの後ろに乗っていたので場所の当たりがつかないのだけれど、
ともかくも見つかったワルンに入る。
確かBaksoの名店、BaksoSoloの少し先だったように思う。Andon方面に向かって左側。

焼けるのをわくわくしながら待っていると、ぶらりと大家さん夫婦が入って来た。
此処、美味しいんだよーって、にこにこしている。
こりゃ間違いないぞと、こちらもほくそ笑んで。

そうして激しく激しくその通りだった。
旨いー!と思わず声が出る。

美味しいものってさ、口の中で見る刹那の夢。
最後の一片を飲み込んでしまえば、それでお終い。
何時かは忘れてしまう夢。

きっとそれで良いのだ。

「0さんの話」

僕は0さんという老人を知っている。
齢90近い人で、パーキンソン病を患っていて身体がうまく動かせないので施設に入って生活している。
資産家の彼は若いころから贅沢な暮らしをしてきたのだと思う。
蕎麦はここ、甘味は此処でなくては、とタクシーを雇ってしょっちゅう食べに出掛けていた。浅草や神田。
そのたびに色んな高級そうな食べ物を買って来ては、部屋で独りで食べていた。

けれど何年もそういうことをしていたので、最近は貧乏になってしまった。更に病も進み、運動神経の
障害が酷い。認知症状も出てきている。

だが食に対する執着はますます深く強く、もう自分では買いに行けないので、あらゆる方法で食べたいものを
手に入れている。
もうそんなに長くは生きられないのは自明だし、ならば自分は今まで食べてきたお気に入りのものたちを
死ぬ前にもう一度食べるのだ、という執着なのだと思う。

だが現在の彼の運動機能では、包装を解くことも難しく、無理に開けるものだから床にぶちまける。
それを床に這いつくばってでも貪り喰う、床は食べ物の残渣と涎でべとべと。靴が脱げるくらいべとべと。
餓鬼道。
その鬼気迫る浅ましい姿にそう云う言葉がよぎる。

0さんにとっては美味しいものは刹那の夢ではなくて、墓場まで持って行きたいものなのだろう。
何れにせよ、その姿で、生きるということを周りに示していることだけは確かだ。

お金持ちだった彼にはまだ金欲が残っているが、それも結局は食欲と云う暗黒の大穴に飲み込まれ
てゆくのだろう。

ひと、というものの条件がすべて剥げ落ちた最後に残るものって何だろう。それが「死」なのだとしたら、
その本質はちっとも美しいものではない。
人生は刹那の夢の連続に過ぎず、夢のような人生だった、ではなくて、人生はまるで夢のように過ぎて
しまった、と云うことなのだろう。

0さんを見ているとそんな風に思うし、美味しいものを食べるといつも彼のことを思い出すんだよ。

その後アンカサで集合。
去年バリマラソンに出ているので、此処の常連さんたちとは懇意の息子を残して早々にホテルへ帰る。
何だか今日は酷く疲れてしまった。


9月10日(月)Ubud村9日目

明日は午前9時過ぎには出立しなければならない、実質今日が最後の日。
朝の快楽散歩もナシブンクスももうお終い、ゆっくり行ってこようと思う。

この味。この満足はいま、ここ限りのもの。
いつだって、これが最後と思って味わえばいい。明日また食べられたとしても。

Nasiwarung

三人で近くの大型スーパーへお土産を買いに行く。
香辛料やお茶や塩、インスタント麺なんかを大量に買い込む。

もうお昼だ。
じゃあみんなで食べに行こうよ。その後はそれぞれ買い物とかあるでしょ。何処行く?

矢張り。パダン料理である。息子も家人も。
ま、ぼくも異存はないのだがね。

いつものパダン屋へ。
お皿に盛ったご飯を貰って、店員さんと一緒にガラスケースの前に行って、これとあれとそれと、って
おかずを取ってもらうのが作法。
けれど、常連さんっぽいひとは勝手におかず取っている。

いつもいる店員さんが、自分で取っていいよってトング渡してくれた。
おぉ、これはさては自分は常連さーん、と少しく得意な気持ちになるが、これで最後なんだよな、と
悲しくもなって。

自分は一旦気に入るとそればかりになる習癖があるので、旅に出るとこういう場面が結構あるのだ。

午後は自由時間。
こっちに来てからは、そう言えばまともな珈琲を飲んでいない。
珈琲と云えばやはりアンカサ。だが、この数日焙煎機が故障中という。

しかも今いる場所からは結構距離がある。
そこで滞在中に一度行こうと思っていた珈琲店に家人を誘って行ってみる。パダン屋からはすぐだ。
JuriaHouseCoffee。
在住の紙作家N氏に教えて頂いたお店。

スグリウォ通りを入ってすぐ右側。
この先はテバサヨでナシブンクスの激戦区。だから何度も前を通っているのだけれど、早朝だから開いてない。

小さな可愛らしい佇まい。
ハンサムでハードロック大好きって感じの物静かな青年が、とても丁寧に淹れてくれる珈琲は雑味のない
レベルの高いものだった。
フローレス島の古木から摂れる特別な珈琲、Juriaは現在飲むことが出来ない。それが最近不慮の事故で
亡くなった日本人オーナーのせいなのかはわかりません。
初めて来る店だし、その方との面識もない。
でも様々なストーリーを持つお店なのかも知れません。

ぼくはジャワ中部で摂れたものを飲みましたが、充分に美味しい珈琲でした。

小さな音量でかかっていたLedZeppelin。それが何だか気分の裏通り。

Juria

家人は買い物へ、ぼくは最後にもう一度って思っていたマッサージへ。

だが、自分の半身はそういや日焼けでピリピリ痛が酷いのだ。
でも行ってしまった。
激痛に耐えながらのマッサージで自分は疲労困憊。俺の莫迦。

夕方から森を越えて我がNyuhKuning村へ。
最後の晩だし、大家さん一家が晩御飯をご馳走してくれるのだ。

お家に着くと、ラワール作りの真っ最中。
これはバリ料理の中でも特別なものだ。簡単に言うとココナツを使った和え物料理で、お祝い事のある
ときなんかに作る。
家庭それぞれの味があり、大家さん家のは在住時に何度も御馳走になっているので保証付きの旨さなんだ。
息子はこの島で生まれ、6歳までこの大家さんの大家族の中で育ったようなものだから、彼にとっては
ソウルフードみたいなものかも知れない。

あんなに小さかったアユはもう子供がいるし、アグースは未婚ながら美人の彼女を連れてきており、
当時親しかった近所の人や一緒に仕事した人や、なんだかたくさんの暖かいひとたちと晩御飯。

Murano

ラワールにサテバビにウルタンの御馳走が並んだ夜。
バリの御飯は本当に美味しい。

最後の〆はアンカサで。
このubud村に来てしまうのは、理由は、ひと。
そういうことを噛み締める夜。

ひと、がいるから美味しいご飯はもっと美味しくなる。

明日の朝もどうせ早くに独りだけ起きだすだろう。
帰国日で忙しいだろうけれど、頑張って最後のナシブンクスだけは買いに行こう。

ぼくが家族にしてあげられるのはそんなことくらい。


^^^^^^^^^^

「ウブド村再探訪記の後記」

この村での10日間などあっという間だ。
これが知らない初めての土地だったならば、たっぷりの旅感があったろうと思う。

10年暮らしたこの村を後にして2度目の訪村。
そのたびに足りない顔、必要な顔を想う。

そうして、来る度にその顔は増えてゆくのだろう。

画家のJasonMonetのいないUbud村、バリ音楽の師、スウェントラさんのいないバリ。ゲイのシローさん、
良く呑みよく遊んだジャワのアーティストたち、Budi,Rudi,Baski,Rikeyさん、ウブドラヤの旦那、PakPranoto。
大事な音楽仲間のOdedCarmi、歌手のViola。

何人かはもう違う世界に去り、何人かは自分の国、場所に帰り、何人かは行方が分からない。
何れにせよ、もう会うことは叶わないひとたちばかり。

そして、毎晩のようにアンカサで過ごした仲間たちも。
その幻の貌たちも、あぁ、いま此処にいればな、とArakを呑みながら何度も思った。

そうして、またひとり、数日前に違う世界に行ってしまった。
Jasonの甥っ子Kenny...

昨日がお葬式だったという。

底抜けに明るく、楽しいひとだった。
いまは違う世界で先に行った伯父さんと賑やかにやっているのだろう。

実はJasonの作品で「日本の友人たち」というかなり大きなサイズの油彩がある。
これは僕や家人、まだ赤ん坊だった息子初め、当時の遊び仲間たちが描かれていて、アンカサの
1号店にずっと飾られていた。
其処を引き払い、2号店に移る時に返却されたというが、Jason死後に探したところ、その行方が
わからない。
彼の家族のいるオーストラリアに彼の作品が集まっていると言うが、問い合わせたところ、
そのなかにはなかったそうだ。

今回は会えなかったけれど、kennyに聞けばわかるかも知れないなと思っていた矢先のことで。
これであの作品は永遠に見つからないのかも知れない。

JasonMonet、風景画も多いが、肖像画が凄かった。
内面を描く、とはこういうことかと思い知った。
描かれた自分の顔を見て思い知った。震えた。まさに自分自身の貌であったから。

女優のシャーリー.マクレーンの自叙伝には栞が挟んであった。私の身体を通り過ぎた男たち、みたいな項。
酔っ払うとそこを開いて、ほら俺の名前もあるだろ、此処此処、ほらJasonMonetって、と自慢する。

昔はさ、すっぽんぽんの女がロンドンの俺んちのドアの前に行列作ってたもんだ。それをひとりひとり
相手してやったさ。

そうしてご機嫌で歌いだす「Don't Touch,Never Touch, My BananaTree~」

とまれ。

R.I.P.Kenny.
あなたにもう会うことが出来ない。そのことがとても寂しいのです。

 

 

 

 

 

 

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2019年9月20日 (金)

ときどきトランス日記 No94. / Ubud村再探訪記(前半:9/1~9/5)

早起きはした方が良いと思う。
その日がその日として稼働し始める、その少し前の時間。

昨日はすでにリセットされている。刻は神聖で新品。
普段はそんなこと感じて暮らしているわけじゃない、でもこんなところに旅していると矢張り感じるな。

Bali島の山間部入り口にほど近い、Ubud村に来ています。
自分はこの神聖な時間を思うさま味わうべく、宿の選定には時間をかけた。
室内よりもベランダ、テラスを最重要視し、そこから見えるであろう景色を地図などを見ながら、何度も
幻視することを行った。

僅か十日間ばかりの穏やかなる短い旅。
それでも日記に記したいことが一杯あった旅。

*為替レート、10000rp=80円

Asi

9月1日~2日(月)Ubud村1日目。

旅立ち前の憂鬱がピーク。
何ヵ月も前から楽しみに待っていたのに。

けど、昔からそう。
もう全然行きたくない、出立直前に何かが自分に逆らっている。もうこの休みは家にいて何もせずにだらだら過ごした方が
良いのでは、と思う。

こう云う風に感じる人は意外と多いという。
それでも結局は出立するわけで、しかし飛行機なり列車なりに乗る直前に気分がくるりと反転する。突然楽しい気分になったり
旅の成り行きを想像したりしてわくわくしたりする。
そのきっかけは一杯のビールだったりする。

何なのか、これ。
何れ、病気みたいなものなのだろう。ちっとも治らない。

とまれ。

真夜中の羽田空港。シンガポールエアライン。
ビールは没収。
あぁ、そうだった、、此処から先はそういや駄目だったと思い出してももう遅い。
この場で飲み干すならば、との提案を受けるが、いや、良いですよ中にもあるだろうから、と自分は大人ぶり、保安検査場を
通過したのだが、、

何処も開いてねーじゃ~ん!この時間って。

悔しい。
一緒に買ったおにぎりとゆで卵を寂しく水で食する。
件のビールの魔法は発動しようもなく機上の人となる。

こうなったら機内でワインとかビールとか多量に摂取しようと誓ったのだが、夜食、朝食時のワイン一杯ですぐに
寝落ちしてしまうのね。
何故なら昨日は朝4時に起床して仕事に行き、夕方帰宅。
晩御飯食べたりお風呂に入ったりして、出立。深夜2時便にて離邦したからね。

しかし自分の如き貧乏人はLCCを使うべきものですが、ついこのようなビッグネームを。
差額の10000円はでも、出しても余りあるものがあった。

食事は機内食の限界は感じるけれど中々旨く、機内エンタメも充実。シートもまぁまぁ。
帰路はきっと「翔んで埼玉」を観ようと思う。ぼく、二階堂ふみって好きなんですよ。

お昼過ぎ、バリ、ングラライ空港着。
実はシンガポールでトランジット時、まごまごしてしまい、旅馴れぬ年寄りぶりを晒してしまったが、此処まで来ればすでに
地元みたいなもん。
空港タクシーにてわが第二の故郷Ubud村へ。
しかし高い。400000rp、3200円くらい。
6年ぶりのバリの物価は前回の20%増しくらいかな、それでもツーリスト向けの施設を避ければやはり安価だ。
ジモティに混ざるのはそりゃ得意中の得意、でもこればっかりは仕方ない。

運ちゃんから最近のバリ事情を聞き出しつつ、我がUbud村へ。
車、バイクの増加は凄まじく、加えて中華、韓国のツーリスト満載の大型バスも来る。
そのせいで村の繁華な通りでは道の横断も一苦労だが、自分は世界一道の横断が難儀であるハノイでトレーニングを積んでいる。
道路の横断には自信がある。

その流儀、秘儀を教えましょう。
2通の場合、まずは途切れぬ流れにちょっとした切れ目を探します。
だがこの隙間で渡り切るのは到底無理。
まず右から洪水の如く押し寄せる一群の先頭車両(バイクを選択するのがコツ)のドライバーにきっちりガンづけしつつ、
道に入ります。
その際、手に持ったバッグなり買い物袋なりをぐるぐる振り回しつつ、更に道の中央へ。そして今度は左から押し寄せる
一群に同じことを。
危ない、と思って固まってしまうのが一番ヤバいです。迫りくるバイクや車と互いに呼吸を合わせるのが大事。
そして、もし連れがいても、その人を気遣った動きもNGです。却って危ないので、道の横断は個人責任、と心得ます。
横断歩道や信号機は殆どありません。
アジアの都市部の裏道や観光地は何処も似たり寄ったりなので、これら体得しておきましょう。

Karmahouse_20190920154501

とまれ、最初の宿にイン。
KarmaHouse
Ubud村いちの繁華な通り、MonkeyForest通りから一本脇に入った外れにあって静か。先は細い渓谷に落ち込み、
対岸には人家があるものの、もうジャングルだ。
2階部屋で広いベランダに冷蔵庫。これが重要で、いつでも冷たいビールが飲める。スーパーで調達するから倹約できる。
んで持ってきたウォッカのビール割り、昼からワイルドな景色眺めつつ幸せになれる。その予感に震えつつ昼飯に出る。

NasiGoreng、SateKambin、MasakanPadan、第一食目はこのどれかにしようと決めていた。どれも馴染みの店がある。
だが、、
どの店もなくなっていた。
最大の楽しみのひとつが早くも挫折。
そりゃ、ローカルの旨そうな店はいくらでも見つかるさ、しかしやはりショック大きく、スーパーで買ったビール、水、豆菓子
などずっしり重く、ゴム草履の鼻緒ずれ早速痛く。

傷心の自分は宿に戻り、チェックイン時に貰ったバナ~ナを貪り食い、寝てしまった。

夕刻早く、空腹で目覚め、もうアンカサへ行こうと思う。
夜は去年、僕をヨーロッパへと連れ出してくれた大友人と待ち合わせしている。彼の家族も一緒で偶然日程が重なったのだ。
ウブドには彼の経営するレストランもあり、一部まだ建築中で、更に大事な用事があるという。
それを知ってびっくりするのはもう数日のちの話。

アンカサ。
この村で、自分にとっての最重要ポイント。

昔はカフェ.アンカサと云う、ウブドいちのカフェだった。在住時は毎晩集った店だ。
このカフェの当時の存在意義は計り知れなく大きい。
すでに消滅している1号店は、いまだに強い繋がりを持ち続けている在住時からのFamilyの心の中心に位置している。
店主のコテツ一家との付き合いも本当に長い。

現在は場所も替わり、和食専門の「和るんアンカサ」となっている。時の流れにはこちらから寄り添うしかないものだ。
いまでも在住者の集いの場であるらしく、賑やかだ。

大友人と酒を酌み交わし、僕の宿、夜は犬が怖いんだよね~なんて話したからかな、帰りは彼がレンタルしている
バイクで送って貰う。

明日は朝のうちに飯処の当てをつけ、徹底的に宿でダラダラしようと思う。
この数日、酷く忙しく、大分疲れている。マッサージにも行こう。


9月3日(火)Ubud村2日目

自分は普段から起きるのが早い。
なので自然に4時過ぎには目が覚める。

だがまだ真っ暗だ。
肌寒いベランダで毛布被ってうとうと。先の疲労は大分残っている感じ。

Asayake

黎明は5時過ぎにやって来た。
ジャングルを擁する稜線にシルエットの椰子の樹。
薄いオレンジのグラデーションが赤へと。その際へと。

低いところに棚引く霧、靄は神聖な朝のカーテン、信仰のベール、自然の大聖堂。
いずれ勢力を増した太陽がそれらを払ってゆくだろう。

そうして新しい一日が始まる。

旅の朝は空腹。
大好きな感覚だ。今日いちにちの期待感が高まる。
ベランダのテーブルにはバリ珈琲の粉やティーバッグが用意されているけれど、ポット一杯の熱いお湯を貰える時間には早い。
でも冷えた水は美味しかった。胃にもこころにも沁みてゆく。

昨日の夕食は焼き豚丼だった。
一食目が和食、とは自分らしくもないが、一口食べて確信した。あぁこれはアンカサで一番旨いメニューだと。
滞在中此処の色んなメニューを頼んだけれど、焼き豚が絶品。
コテっちゃんの腕も間違いがないが、自分の舌も矢張り間違いがない。

胃のエントロピーは増大し、欲望のニューロンを音速で駆け上がり、その熱量第二法則故に不可逆的であるので、さあ
今すぐに何か食べ物をと、空腹だぞと、作りの甘い自分の頭脳に迫り来る。

ならばUbud、いやBaliの、いや、インドネシアでの朝食は断然ナシブンクスだ。
宿のつまらない朝食を食べている場合ではない。今回の宿は何処も朝食なしのプランにしてある、だから。

ナシブンクスというのはいわば、お弁当である。
ナシ=御飯、ブンクス=包む。
蒸した御飯に色んなおかずを乗せて蝋引きの紙で包んである。
ツーリスト向けのレストランのインドネシアンフードでナシチャンプールというメニューがあり、それを包んだものと思えば
良いが、実際は更にローカル色強く、遥かに旨いのだ。
昔は椰子の葉っぱで包んであったらしいが僕はその時代を知らない。雰囲気を出すために、笊に椰子の葉を敷いて提供する
レストランもあり、昔はそんなのが嬉しかった。

ナシブンクスはワルンと云うローカルの軽食堂なんかで買える。
ワルンによって味様々でそこが楽しみの源。
大体は店頭のガラスケースにその日のおかずがずらりと並んでいるので、その品定めから始まる。
並盛だと10000rp(80円くらい)でおかず3~4種類。20000rp出しての特盛だとおかず全種類、7~8品
で御飯も多くて満足度が高い。
更に朝早くに買えば蒸したての御飯が熱々。これがたまらなく旨い。

Nasibunks

このワルンの激戦区がテバサヨというエリアで歩いたら片道20分はかかる。
でも此処はウブドいちの繁華街。飲食に限らず、その殆どがツーリスト向けのエリアで、ワルンなどは見かけない。
宿の旦那に聞いてみたら、市場にもあるし、でも最高なのがこの近くにあるという。
市場、、確かにそうだ。
しかしこのUbud市場、確かに近いのだけれど、早朝のローカル時間を除き、バリいちツーリストずれをしている。
市場のお母ちゃんたちはめっちゃ手強く、慣れている自分でも自信がない。この空腹感では負けるのはすぐだろう。
20000rpでも並盛以下だったり、平気で5万10万と言ってくるに違いない。

なので近所のおすすめワルンへ。
此処は朝だけやっているナシアヤム(アヤム=チキン)専門のワルンだった。普通の家のガレージの奥に開いているので分かり難い。
道から様子を伺っていると、ブンクスを買って出来た勤め人っぽい女性が、あ、此処の買うの?ならば20000rpがお薦めよって。
迷わず自分はそうした。

旨かった。かなりのレベルである。鶏中心のおかず。
これは食の運勢が上向いてきたのでは、と思う。
後に在住の長い友人に聞いたらば、ナシアヤムの隠れた名店だという。
食べたら眠くなる。睡眠は不足している。
今日は一日宿でだらだらの日に決めている。贅沢しよう、昼まで寝ちゃおう。

起きたら空腹。
冷蔵庫ではビールが冷えている。氷庫ではズブロッカがキンキン。

ところで、ズブロッカのビール割りの作法。
本来はこれ、テキーラなんだけどね、ウォッカでなくて。
まず、大きめのグラスにビール注ぎます。そこに強いスピリッツで満たしたショットグラスを沈めちゃうのね。
あとは飲むだけー。
このグラス2種は昨日スーパーで仕入れてあるのだ。
ふたつで9000rpだから70円ちょい。

さて、呑みながら食するのは何が良いか。
もうこれは断然パダン料理なのである。
スマトラ島のローカルフード。最高に旨いのだこれ。
スマトラはインドからの移住者が多い歴史があり、成程そう云うルーツを持つ味付けなのだった。濃厚なカレー風味。
どの店も外から良く見えるようにガラスケースにずらりと料理を並べている。壮観と言ってもいい眺め。
そこから好きなおかずを選んでご飯の上に乗せてもらう。
24時間営業が基本ですぐに食べられるわけだから、インドネシアのファストフード店だな。この国何処に行ってもあるし。

Padan1Beerpadan

しかし馴染みのパダン料理店は消滅している、、
だが、そのプトゥリ.ミナンのあった少し先に、新しいパダン屋が出来ているのを昨日チェックしてある。

そうして自分はブンクスして貰ったパダン弁当とウォッカビールとで、眼前のジャングル眺めながらこのうえもない幸せな
午後を過ごしたのだった。
旨いパダン料理であった。当たりである。

この空気とブライアン.イーノの音楽が合うのは言うまでもなく「ThePearl」を聴きながら眠ってしまったが、夜はUbudRadio
のトシとバリマラソン出場のため来ている彼のお義父さんと晩御飯の約束をしている。
トシ一家と我が家とは長きにわたっての家族ぐるみのお付き合いがあり、この人とも周知の仲。
大会のため走りこんだと見え、すでに真っ黒である。
松崎しげるより黒いという前評判通りだった。

ツーリストにはリーズナブル、ローカルの人にとってはちょっぴり高い、けど美味しいもの食べたいときに、っていう
半々の感じのレストランに行く。
僕はこの感じのレストランが大好きでいくつも知っているけれど、昔から大のお気に入りのManggaMaduへ。
車で10分程。このくらいの距離にこう云う良いレストランが点在してるのだ。
MonkeyForest通りにはツーリスト向けの洒落たレストランがずらりと並んでいる。そりゃ美味しいかも知れないけれどさ、
馬鹿高いぞ。
あ、でももし君が恋人と一緒の旅していたならば、たまにはそういうところも良いんじゃないか。
僕はローカル店に興味津々で、そっちに行きたがる娘の方がすきだけど、まぁ、バランスですね。

ManggaMaduはインドネシア料理店。ジャワ系の。
昔から必ず頼む絶品のスープ、RawonにTempeGoreng、TafuGoreng、CaKankunなど。
変わんない味に感動が深い。

その後Ubud村夜の定番のアンカサへ。
Arakと云うこれまたインドネシア定番の酒をたくさん呑んだ。
これ、言うなれば椰子酒です。
ただ椰子酒と言うと、あぁ、ココナツの実に入ってるジュースが醗酵したもの、と勘違いされやすいけど、違うのです。
椰子の樹の樹液を蒸留、精製した極めて純度の高いスピリッツなんです。
ヤバいのは度数が50度超えていて、椰子酒作りの親爺は掌に伸ばして火をつけてみせ、自分とこのArakがいかに強いかを
自慢していたなぁ。
昔は良くそういう家にポリタンク持って買いに行っていた。

アンカサのArakの味が変わっている。
そう言うと、仕入れ先を昔のTatiapiからKaranggasamに替えたのだと。
確かにTatiapiのものは粗削りで野性味がありストロング。そこが魅力でもあったのだけれど、いまのこれは、、自分はこれほど
洗練されたArakを飲んだことがない。
何か加えているのか、と思うほど甘味に品がある。
だがそうではないという。流石だ、コテっちゃん。

ところで、5日後にバリマラソンがある。
世界中から参加者が集う盛大な大会だ。UbudRadioチームからもたくさん出場するという。
そして金曜日に、バリマラソン直前スペシャルと銘打った番組を放送するので、ついてはミチローさん、何か応援ソングというか
演奏をして貰えませんかと、DJトシが言うものだから。

あぁ、やっぱり、と思う。
いや、このオファーのことではなく、でも今回の旅は音楽の旅ではないのだろうなと思っていた。バリなのに。
6年前の渡バリは音速のツアーも兼ねていたので、完全なる音楽の旅だったし、今の自分の音楽の根底に位置する場所もバリ。
やっぱり音楽の旅になった。

演るならティンクリッだなと思う。
これならば何処かから借りてこれるだろう、伝統楽器だし。
演目もすぐに決めた。オリジナル曲の「SonicBamboo」ソロでもいいけれど、ちょうどオーボエ奏者の
Tomocaちゃんが帰ってきている。

彼女はUbud在住のミュージシャンで古い友達。
1991年、NYで同時多発テロが起こり、その翌年のバリでの同様のテロ事件。
その直後にUbudで開催されたピースフェスティバルに出演中の僕に会いに来てくれた。

彼女と共演した回数はそれからの年月を考えると少ない。けれど、回数などは関係なく音の中心、ハートの中心の近さ
と云うか、音の以心伝心。
すぐに連絡して快諾してもらった。

楽器は僕が借りてくるから~、といつの間にか知らない人と呑んでいて、話が進む。
Ubud村が大好きで、頻回に通っていらっしゃる、そういうN氏と仲良くなり、彼のバイクで宿まで送って貰う。
が、最後の方の記憶は曖昧です。

明日は大友人との約束があって、迎えに来てもらうことになっている。
ちょっと面白いところに今泊まっているので、是非来ませんか、と。一泊するつもりで来てください、とも。


9月4日(水)Ubud村4日目。

夜明けが5時頃とわかっているので、その時間に目が覚める。
アラームなどかけなくても目が覚める。自分の体内時計は極めて精巧なんである。

夕べたくさん呑んだのに、すっきり起床。
これはさてはJamuのお蔭か、と思う。
昨日街を歩いていて、Jamu売りのおじいさんから買ったのだ。
Jamuとはこの国独特の漢方薬でジュースみたいにして飲むのだ。
Jamu専門のスタンドもあるし、このお爺さんみたいにペットボトルに詰めて町売りしている人もいる。
ウコンのJamuを購入。
最初6万rpとか吹っかけてくるので、速攻半額の3万で勝負した。それでも高いんだけれど、人柄がすきになったので、3万で
買ってあげた。
ウコンの苦味エグ味を上手く消したなかなか洒落た味だし、効き目も感じたので、また見かけたら買おうと思う。

勿論空腹。
これは頑張ってテバサヨまで行くっきゃない、と思う。
旨いナシブンクスにありつくには矢張りそれなりの努力だ。朝は涼しいし、ゆっくり歩いてテバサヨへ。
まず、1キロくらいの間に点在しているワルンを全部チェックしてみる。
いや、どこもそれなりにおかずも充実してて旨そうである。もしや、何処も旨いのでは、とは思う。
だが5人ほどが並んでいる店に決める。
もうこれが大当たり。
滅茶苦茶旨い。特に甘辛く味付けした鶏から揚げが最高である。数えたら7種類のおかずがのっていた。勿論、
20000rpの特盛である。

Warun2

場所憶えとかなくっちゃ、ワルンは何処も似たような佇まいだからね。
おぉ、有名なロスメン(安価な宿)ユリアティハウスの隣ではないか。もう伝説と言っていい踊り子、ユリアティの写真の
看板があるではないか。

味覚と云い体内時計と云い、道路横断法と云い、意外に自分はハイスペックだ、さあ次はマッサージだと宿を飛び出る。
MonkeyForest通りにはスパやマッサージ店がたくさんある。
料金はピンキリであるが、キリで言うと裏道の店で7万rp、表通りで8万rpが相場。スパだと15万くらいから、
やはり前回の2割増しってとこ。
一本Gang(脇道)に入った8万だけど綺麗めな店に入ってみた。
可愛らしいバリニーズの女の娘が、たっぷり1時間のバリ独特のオイルマッサージを施してくれた。
丁寧だし上手、と思った。また来てあげようと思った。
たったの640円くらいでこんな、と思ってはでもいけないのだ。
米ドル先行連動の貨幣価値の差異なわけで、そこを喜ぶポイントにしてはいけないのだ、と思う。
でもやっぱり、それを享受して良い思いしてるわけで、複雑。

そろそろ宿代を払っておこうかな、と思い両替に。
そんなのいつでもいいよって言うのがロスメンのユルさ。でも日本人の僕としてはそれも何か落ち着かないので。
本日のレート132。着いた時の空港では122だったので悪くない。10000円が1320000rpなり。
1泊250000rp×4泊なので、ちょうど1000000rpを払う。

お昼過ぎに大友人一家とアンカサで待ち合わせ。
自分はまたしても焼き豚丼を注文している。帰国までにあと数回食べるだろう。一旦気に入るとそればかりになる習癖が自分
にはあり、愚かなことだとは思うが仕方のないことだ。

車で1時間ほどのマンバルと云う村へ。
此処には10年ほど前に開校したグリーンスクールという学校がある。
エコ教育に特化した、恐らくは世界で一番頭の進んだ学校であるという。
世界中から有力者の子弟が来ていると云う。
その教育内容や教育環境の話を聞くにつけ、この先の世界を救うのはこういう子供たちなのではないかと思った。
息子を此処に入れたいんだよね、で、下見に来たんだよ、と友人は言った。

スクールに併設されている宿泊施設、グリーンヴィレッジに入る。
今までの話にすべて合点がいき、かつ確信が湧く。
すべてが、あまりにも桁外れ。
竹の原生林の広大な敷地内にヴィラが点在する。
彼らの借りているヴィラは5階建てのすべてが竹で作られた巨大な建築物だった。
中に入って息を呑む、、
試しに写真を撮ってみるが、収まり切れない、これじゃ何も伝わらないだろうと思う。
この感じは何処かで、、と思ったらサグラダファミーリアで同じこと感じたんだった。

Takekentiku Takedoor

建築にはまるで疎い自分には、この構造物が建っていること自体が理解の範疇を超えている。
巨大なインスタレーションの中に取り込まれている感だけがある。
この中でご飯を食べたり、シャワーを浴びたり、排便したりの日常生活動作を行うのが不思議な感じである。だが
インスタレーションとなればそれらもこのアートの一部なのか、と思う。

9月5日(木)Ubud村5日目

持って行ったEnoの音楽があまりにも自然に融けていった翌朝早く、敷地内を歩いてみる。
巨大な竹の神殿がブッシュの中にいくつも姿を現す。この神聖な時間に。
現世(うつしよ)は希薄、立ち位置を確認、曖昧な幽霊のぼくは考える。

もう大分に歳を取ってしまった自分は、このような潮流からはすでにはぐれてしまっているけれど、感ずることだけは
まだ出来るらしい。
地球規模の転換はやはり近づいているのかな、と思う。
そのことのほんの小さなファクターであるかも知れないこんな場所で感じ、考える。

大変な美人である大友人の奥様と、先の世界を引っ張ってほしい息子の天くんは今日帰国。
友人は空港へ送りに、僕はUbud村へと帰る。

トシが迎えに来てくれて、Tegas村のワルンハナで昼食。
此処も前回良く行ったローカル、ツーリスト半々の旨い食堂だ。

たっぷりの午睡のち町へ出て、水やビール、晩御飯のパダン料理のブンクスを買う。
帰りに大友人のお店を探してみる。
市場の裏道の土産物屋がひしめく細い路地に忽然と現れる古いヨーロッパ風のレストラン。名はジンガロ。
驚くほどに周りに融けこんでいる。この国は長きに渡りオランダの支配を受けていた歴史があり、その痕跡も
あちらこちらに残っているので、不思議はないとは思うのだが、まるでその時代からあるように佇んでいる。
そのセンスに舌を巻く。
DJトシのお店「BarongBridgeCafe」もデザイン、施工、すべて彼がやっている。
此処は少しの事情があり暫くは閉めている。

毀れちゃったオルゴール、いまはその中をそっと覗くようにして。

明日の夜、家人と息子がやって来る。
家人はバリマラソンのフルに挑戦する。
去年は息子がこれのフルマラソンを完走しており、でも今年は諸事情で僕と応援組。

夜のベランダで独り晩御飯。
香しい夜の大気。虫の音、ヤモリの鳴き声、蛙や何かわからないものの声。存在しないものの物音や声。

神聖、神性なるものたちよ。
慰めてくれのか、ぼくは此処にいる。

Last

 

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2019年7月30日 (火)

ときどきトランス日記 No.93 / 改元の日に~サマー.オブ.ラブ

改元のお祭り騒ぎはもう遠く、でも令和と云う元号はまだ何だかしっくり来ず、の今日。
居心地が良いものだから、僕はいまだに昭和や70年代の裡で暮らしているんだと思う。
まだ蚊も出ないし、時節時候も良し、のこの頃。
庭の梅の木の下にテーブルを出してビールとワイン。

改元の日。
小さなニュースだったのだろう、それは。
けれど自分にはそうではなかった。

享年68歳だったから、8~9年前の還暦ツアーの記録映画だったのだな、
遠藤ミチロウの「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」
を先日BSでやっていて、観たばかりだったのだ。

先月の25日にひっそりと亡くなっていたんだね。
けれど、そのことを改元なる翌1日、その日まで伏せていたのは、故人の遺志だったのか、何かの
都合であったのかは、わかりません。
世の中は令和の大騒ぎの真っ最中。でもそこに、その小さなニュースが棘のように、
刺さっていたのは間違いありません。

自分と同じ名前、なんていうこともあって、興味深かったひとだ。
けれど実際のステージを観る機会はなく、でも凄いらしいという噂は当時聞いていた。
スターリン。
もの凄く過激なステージングで、客席に家畜の臓物をぶちまける、客に硫酸をかけられた、なんていう話も聞いた。
ぼくは映画「爆裂都市」でのライブシーンしか知らない。
ソロになってすぐのカセットアルバム「ベトナム伝説」は、しかし衝撃を受けた。

Be

パンクロックの乾いた感じではなく、彼はパンクでは括れない感じがしていた。
もっと、それ以前のアンダーグラウンド。日本的な。
肉声、と云う言い方が良いと思う。
三上寛とか友川かずきとか、そう云う系譜。
些か健全、健康な感じはするけれど、その末後に竹原ピストルが繋がっていると思う。

先の映画でそう云うことがはっきりとわかって、あぁ、原点回帰して元気にやっているのだな、
と思ったばかりだったのに。
彼はひと世代、とまではいかないけれど、当時のパンクシーンの連中よりは少し歳上だった。このことは彼を語る
上で実は重要なこと、と知った。

とまれ。

R.I.P. 遠藤ミチロウさん。

このことで何だか色々思い出してしまったので、それは記しておこうと思う。
なにしろ忘れちゃうからね、この頃は。

イギ―.ポップや初期のブライアン.イーノ、遡ってフランク.ザッパ。
極めてエキセントリックなロック。
パンクロック誕生前夜、ロックの太古、混沌の濁った海。

その後の変容、変態、変化。
日本人の過激さ過敏さにそれはぴたりと来たのだろうと思う。

日本のパンクシーンの先端はもうすでに音楽すらアンチで、そのパフォーマンスの過激さだけが
取り沙汰されていった。
80年代。

スタイルばかりが先行してた我国のパンクシーンはしかし、80年代に入って、観念の絶大なる
後押しで激化したんだと思う。
観念の後ろ盾を得た日本人は非常に過激だ。
アバンギャルドの先っぽまで一瞬だ。西洋のじっくり其処まで到達する速度より高速。超高速。

両手に縛り付けた出刃包丁、ロック評論の渋谷陽一を殺すと公言し、裸身で痙攣するか如きの歌唱の山崎春美。
ステージ上で女性メンバーが放尿してしまうと云う京都の非常階段。
生きた蛇、鶏の食いちぎりの、お祭りの奇怪見世物小屋の如きの暗黒大陸じゃがたら。
言葉によってこの国の文学を更新してしまった町田町蔵。
暴走族、暴力的な不良、悪。インテリの観念パンクとはかすりもしなかったアナーキー。
そうしてアンダーグラウンドな有象無象が大量にひしめいていた。

到達速度の関係なのだろう、薄っぺらなものも多かったな。

そう云う時代があった。

Fuu1_20190730115701

あぁ、ところで日記。

このところ、いつもと違う場所やひとと楽しく酒を呑む機会が続いたので忘れないようにしないと、と思って。
最近はすぐ忘れちゃうから。

国分寺に帰って来てからは、あんなに近かった横浜ももう遠い町だ。
漫画家(エロ)の虎助遥人さんのお宅にお呼ばれしたので、家人と二人で行く。
磯子と云う駅で遠かった。
東京駅から京浜東北線に乗った。

つい、さん付けで呼んでしまったけれど、実は彼が小学校3年生の時分からお付き合いがある。
ま、家族ぐるみ同士のお付き合い。毎夏Ubud村の我が家を訪ねてくれて、一緒に遊んだ。
しかし、まさかこのような職業に就くとは。
だが小学生にしてビ―バス&バッドヘッドのマニアだったりとその片鱗は充分にあった。

若くして津軽三味線の名取だったり、ガットギターの名手だったり、マペット、手品、落語。
ウブド村に遊びに来るたびに手を変え品を変え驚かせてくれた果てがエロ。
著書の「しあわせっくす」を頂く。
なにかそういうのが嬉しくてほくそ笑んでしまう。きっともっと彼の物語には続きがあるのだろう。

現在はウヰスキー道に嵌まり込んでいて、自分などは知らない希少な銘柄でハイボールをどんどん
作ってくれる。
この世のものとは思われぬ旨さだったのは言うまでもないし、後半以降の記憶が失いことも毎度。

Kos

ところで銀座でちょっとしたイベントがあって、そこで旧友TurboとのユニットにBunを加えた布陣で少し
演奏する。
そのリハーサルをBun所有のイベントスペースで行った。
階下はBarBarBarKalinbarと云うバ―で、こっちも彼の経営。
赤羽の混沌世界の中では爽やかな呑み屋と思う。
昼からじっくりリハーサルして、夕方から下で大いに呑もうと云う計画だったが、大雨の中、楽器を
担いで虫の息で辿り着いた我々は、もう早く呑みたくてしょうがない。

そこそこのリハ後、赤羽昼呑みにGo!してしまう。
雨は上がったばかり。なので奇跡的に丸健水産に並ばず席を取れた、んだそうです。
立ち呑みおでんの名店。自分もテレビなどで見知っていた。
カップ酒におでん。
カップ酒を少し残して、50円払うとそこにおでんの出汁を入れてくれる。そこに七味をささっ。
旨いなぁ、、幸せだなぁ。しかしこう云う幸せ感はその日の呑みはじめ酔いはじめだから。そのうちなんだか
わからなくなってくる。楽しいけど。
大変な威張りようの店員の若い兄ちゃんが席方面を仕切っていたが、なかなか言うことを聞かないつわもの酔っ払い
も多いんだろう、そんなものなのかなと思う。
けど、マスメディアで名店などと騒がれて、なかなか入れない人気店が知らず身につけてしまう態度なのかな、とも
思うけど。
あ、おでんを盛ってくれるおばちゃんは優しかったよ。

そろそろKalinbar開店。
さとちゃん奥さんが作る料理が大変に美味しいのを一度来て知っているので、おでんは少しで我慢したんだよ。
奄美のソウルフードにきっと裏の裏メニューのスコッチエッグ。
Bunもさとちゃんも時々席に来て一緒に呑んでくれるので楽しくて仕方ない。
そういう晩。

Ba

そうしてその銀座での演奏は、あぁ、これは何か先に繋がって行きそうな音で。
セッションに極近いものではあったけれど、もう少しやってみたいかな、と。

梅雨入りの少し前は、まるで夏みたいな毎日だった。
いつもこの季節はそうなように、こんな歳になっても僕にもロックの季節がやって来た。
このような自分でも、かの1967年の「サマー.オブ.ラブ」が血液の裡に潜んでいるのかも知れない。
嬉しいことだ。至福すら感じる。

去年の秋深まる頃から、冬いっぱい、少し辛い花見があって、その春も終わるまで、ブライアン.イーノ~アンビエント音楽
の裡で相当なLowな状態に居たものだから、ぱっと眼が醒めた心持ちになった。

テデスキ.トラックス.バンド
これが凄く良い。
ブルーズロック。でも音が今の音。
オールマンブラザーズ仕込みの太い16ビート。踏みしめた大地から立ち昇る藁の混じった泥の匂い。スライ&ファミリーストーン
のアノ感じ、ソウル感覚。
70年代の遺産。
でもミックスの仕方、音の聞こえ方が凄く今っぽい。
3枚目まではそう感じる。

デレク.トラックスのスライドギターは、かつてこのようなスライド奏法は聴いたことがない音なんだ。
フィンガーピッキングの所為もあると思うけど、ミュートが非常に効いていて一音一音が立っている。微分音さえも分かる。
スライドギターは音が連続して塊で来るので、時として煩く感じることがあるけれど、それが全然ない。
そうしてスーザン.テデスキの歌にうっとりと聴き惚れてしまう。
リズムセクションもキィボード(ファズを効かせたソロはめっちゃ痺れるぜ)も管も、すべてが凄く良い。
エンジニアの腕がいい、輪郭のエッジが立っている。

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しかし4枚目の「Signs」というアルバムで音が変わった。
弦や管やコーラスの比重が増えて、混沌とした厚み感がある。そこから聴こえて来るギターの音が70年代っぽい。
バンドの音が塊で迫って来る。
これがまた良くって。
もう自分は好き過ぎて、この4枚ばかりを毎日延々と聴いている。

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そうして選挙があった。結果も出た。

自は公がいなければ全然駄目みたい。
そうやってこの長き6年くらいを賄えてこれた。

でも太郎さんはとても賢いひとなので、此処を壊したいと考えたと思う。
東京区で学会の人出しちゃった。
初め違和感。だから調べるわけで、そうすると意外なことを知る。
あぁ、公って核の部分から変化が起きてる、と知る。言わば原理主義が再び立ち上がる、みたいな。
革命は原理主義から始まるから。

公で起こっている現象に衆目集まる。
公焦る。
結果アベサンの野望成就絶望的になる。

でもアベサンには絶大なる支持層が居る。
アベサンの頼みの綱、こころの友、大親友の無関心層。
これからは此処だと思う。

でもね、派手で大音量な熱いパフォーマンスは矢張り一過性。選挙が終われば残るのは結果だけ。
けど、そうして得た良い結果を、静かにじわじわとやって来ている流れに、毀れぬように慎重に乗せて
あげて欲しいと思う。

静かな革命は沁みてゆく。分水嶺を越えて流れ行く。関心、無関心の川へと。果ては海、そうしてそこで
いつかひとつになる。

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2019年4月25日 (木)

ときどきトランス日記 No.92 / 春の苛み。

JRの中央線って云うのは、高いところを走るので割りと景色が良い。
この時期は遠くに近くに、もこりもこりと綿菓子が顔を覗かせていて、パウダーピンクの点景。

あぁ、あの辺りに桜の樹があったのか、と思う。
ただそれだけのことなんだけれど、もう一回だけ桜を観たかったのに、それにはまだまだ
遠い10月に死んだ友だちに繋がっている。

こう云うことを書くのももう3度目の春だ。

詰まらない約束をしてしまったものだと思う。
互いにそれはもう無理、とわかり切っていた時期だったのに、じゃあ来年の花見は一緒にしようと
約束をしてしまった、つい。
ついの約束だが、しかし反故にはし難い理由があって。

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今年も咲いてるぜ。
俺、酷い奴じゃないよね、こうして約束果たしてるし。
でも一緒にバンドやってた頃は酷いこと随分言ったから、いま、こうして自分のこころの古傷舐めてるだけ。

墓参りや葬式なんかとおんなじで、これは生きている人のためだけのもので、奴に見立てたジルジャン社製
のシンバルも、何か置かないと格好がつかないのでそうしただけ。

格好がつかないから、で人の世の大部分が出来ている。

近所の原っぱ。
子供の頃からお馴染みの原っぱ。それが少しづつ整備されている。
整備すると云うことは土地から切り離す、と云うことだ。風景から切り離す、と云うことだ。
切り離して再構築する。このまんまじゃ格好がつかないから。

いまはまだただの原っぱ。
その原っぱいちの宴を張ったわたしたち。

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満開。

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ただね、少しぼくは疲れてしまった。
桜の季節だからかな。勝手に気持ちが苛まれてゆく。

春はものごとが狂う季節。
だから静かに暮さねば危ないと云うのに、道路は花筏。そこを車で一緒に流れていくのが
すきで、この頃はよく車の運転をする。
気をつけろ、だって春。

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真冬のヨーロッパ旅行は、そういう春の裡ではもう刹那の記憶だ。
旅の後はとくに何もなかったような冬の日々。
クリスマスに毎年恒例の横浜エアジンで音速珈琲廊のライブをやって、その数日後に僕は
60歳になった。
さらに数日したら2019年がやって来た。

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ところで。
恥ずかしいことだが、藤田嗣治展へ行ったのが、今年だったのか、去年だったのか、どころか、旅の前
だったのか後だったのか、あれれ、何時だったのか思い出せない。

暫く考えて、よく良く考えて、はたと思い出した。
家人の誕生日のある2月だった。
帰りに吉祥寺で息子と待ち合わせして、火鍋を食べに行ったのだ。その味や駐車場で苦労したこととか
が繋がってやっと出てきた。

2月のなんでもない平日の日。
家人と休日が一緒だったので、かねてから約束してあった藤田嗣治展へ行った。
東京都富士美術館。
多摩御陵の少し先で、車で行くのに具合の良い辺り。

入ってすぐに合点がいった。
あ、ひょっこりはん。
んん、そう云うことね。

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藤田の本の仕事を中心に置いた展なので、去年京都でやっていて行けなかった大回顧展
の如きよりは大分地味な、、と想像していたのだけれど、そんなことはなく、凄く良かった。

1920年代のエコール.ド.パリの時代。
最初にヨーロッパ、パリへと渡った日本人アーティストの一群のなか、パリで認められた唯一人のひと。

その名前は金子光晴のヨーロッパ時代の著書にも度々登場するけれど、親交はなかったようだ。
当時は狭かっただろうパリの日本人社会を想像すると、却ってそれが不思議だったのだけれど、
これも合点がいった。

戦時中、軍属となり、戦意高揚のための冊子の扉絵を描いていた頃があり、それが戦犯の嫌疑を呼び、
しかしのちの戦争裁判でそれは晴れる、といういきさつがあった。
勿論それは、金子と同時期のパリ時代よりも後の話ではあるけれど、生涯、反戦、抵抗の詩人を貫いた
金子とは相容れぬ感覚があったのだろうと思った。

戦争の足音の間近に迫る外地で開花した美しくモダ―ンな世界に耽溺した藤田と、アジアの長い放浪を
経てパリへと至った詩人の見えたものとは大きな隔たりがあったのだろう。

芸術と純粋性、と云うことについて少し考える機会を貰ったような気がしていて。

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息子に藤田の写真見せたら、やはりこのような風貌のDJがいて、最近人気を集めているという。
ふぅん、、それも何となく合点が、などと無類の猫好きだったという藤田のポストカード眺めて。

その息子、先に行った、自分のヨーロッパ旅行の影響なのかも知れない。
小さい頃からのお年玉やらお祝いだのを貯蓄しておいてあげたのだけれど、成人した12月の
誕生日に、好きなように使いなさいと渡してあげた。

そしたら。

じゃあ旅に使う、と。

嬉しかったのです。何となくそれが。
少しだけ頼もしく見えたのです。何となくそれが。

僅か10日間の旅ではあるけれど、ツアーではなく、すべて個人手配の旅。
大学で仲の良い友人とのふたり旅。

その旅のデザイン、プランニングでは僕の大友人、旅のマエストロに相当にお世話をかけて
しまったが、ともかくも自分たちだけで何でも何とかするしかない旅。

アムステルダム~パリ~バルセロナ。
全力で旅してきたみたい。

昨昼ひなか。
騒乱武士 feat 小泉ちづこ。
中野の四季の森公園に観に行った。

小泉ちづこは速いダンサーだ。
しかしこれは表面のことではなくて、彼女の皮膚一枚下に「速度」が満ちているのだ。
緩い場面でもその速度が落ちることは決してない。
バリ舞踊の速度を体得しているひとは稀有だ。
その芸能に熟練したものは大気をも操る。

自ら身体の裡に風を起こしているに違いない、と思う。
その風に飛び乗って、そして彼女が吹いて来た。

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多くの出演者が入れ替わり立ち替わりのフェス。
10人編成のバンドのサウンドコントロールは無理だったろうと思う。
滅茶苦茶なバランスの出音であったけれど、小泉ちづこと云う風が吹き飛ばしてしまった
ことに自分はいたく感動してしまった。
お陰で、騒乱武士の音楽の良さにも耳が開いた。

大気、に感謝しつつ帰宅した。

ところで。
この町は38年程昔に僅かな期間だったけれど住んだことのある町だ。
思い出はでもたくさん残ってる。

ブロードウェイには毎日のように行っていた。
まんだらけが開店してまだ間もない頃だったのかな、帳場に古川益三さんが座っていらした。
今も、まんだらけの増殖以外はそれほど当時と変わっていないように思う。

ブロードウェイ地下の混沌世界の夢をまだ見ることがある。ぼくはそのなかでいつも迷子になっている。
其処は色んな世界に繋がっている夢特有の場所。
マレーシアのチャイナタウン、バリの雑然たる林や森、町ではいつの間にかバイクに乗っている。
モスリム料理店から出てきた僕は、少し歩いてカフェ.アンカサへ。
夢のなかにしか存在しない別のアンカサ。本物のアンカサにはちっとも似ていない。

ライブの打ち上げの居酒屋、いつもの居酒屋なのにちっとも見つからないと、ぼくはまたブロードウェイの
地下でうろうろしている。
でも中野で打ち上げなんて一回もやったことがない。

やっとみつかったトイレには、でも扉がない。便器と浴槽がつながっていて、いまにもひとが来そうだ。

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晴天の日曜日。
ブロードウェイへの参道の趣のサンモールは人でごった返しているのに、神殿たるその牙城には
それほど人もいない。
そんなところもね、昔とあんまり変わらないな、と思う。

 

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2018年12月21日 (金)

* ときどきトランス日記No91 / 旅の終わり。アムステルダムにて。

起点は終点。

真冬の海上に部屋を取ってしまった、と気付いたのは就寝する頃のこと。
最初のうちは、船に泊まるなんて、これはかなり面白いのではないかと呑気に寛いでいたのだけれど、夜も深まるにつれて船室はどんどん冷え込んでくる。
後方デッキ下の寝室は暖房もなく、とても居られる温度ではなく、唯一オイルヒーターのあるメインの船室に寝るしかない。
だが、FRPの板一枚むこうは氷のような海水だ。
掛けられるものはなんでも掛けて、震えながら眠った。

Sa
これはマジでヤバい、との気持ち芽生えつつ、明日はドイツ、ドルトムントへ。
4時間ほどの列車の旅。
日帰りのつもりだったが、帰りの乗り継ぎが複雑なうえ深夜に及ぶので、1泊の予定に変更。

話はすこし戻って、最初のアムステルダム。
i-phoneを操作していた大友人が突然に「道郎さん、ChillyGonzalesのコンサートがあるけど、行きませんか?」と。
世界最大級の転売サイトで見つけた、という。
いまのところ、ヨーロッパでしかステージをおこなわないアーティストなので、それは是非観たい。それに僕も彼も、互いの家族までもが大ファンなのだ。
あぁ、それは一生に一回の、、じゃあ買っちゃいますね、と何事も早い。迷わない。
ぼくは全然そうではないし、挙句の果てには道にだってすぐ迷う。

ぽつぽつと風車が見える。
あぁ、本当にあるんだ、風車、、オランダと言えばやはり、、などと時々居眠りをしながらの車窓。
いつの間にかドイツ領に入っていた。もう風車は見えなかった。

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一度乗り換え、夕暮れのドルトムント駅に到着。
人がたくさんいる。駅構内の店も多く、大衆的な活気に溢れてる。通路の真ん中の出店では婦人物の服やバッグを売っていて、あぁ、これは日本も同じだと、ちょっと可笑しい。
駅から少し歩くと、巨大なクリスマスマーケットが開催されている。しかも今日は土曜日。
コンサートの開演まではまだ2時間くらいある。
きっと何か食べれるね、と遠くに見えるやたら巨大なクリスマスツリーを目指す。

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ドイツだなぁ。屋台。揚げたジャガイモとソーセージ炙っているお店ばかり。それとビール。
ソーセージとザワークラウト挟んだバゲットにかぶりつく。こりゃ最高だ。

会場は1500人収容の小振りなコンサートホール。
2階から上はオペラハウスのように、ステージを囲み、上から見下ろすようになっている。
僕たちのシートは最上階、4階の最前列。
階段で4階まで登る。各階のロビーにはバーカウンターがあり、フォーマルな格好の人々がワインなんか飲んでいて、おぉ。こういうの映画で見たなぁ。

ステージはかなり下。谷底を見下ろす感じだ。

ソロピアノから始まって、チェロを呼び込み、メトロノームでラップをかまして、ドラムを呼び込みして。
CDでしか知らない変幻自在ぶりを目の当たりに。
驚きの連続だ。
この様なピアノはかつて聴いたことがない。CDでだってここまでではなかった。まったく新しいのだ。
まったく未知のピアノプレイ。
それは波だ。さざ波であり、荒れる大浪であり、時として鏡面の海だ。

そうして、とにかくよく喋る。伝えたいものが多すぎるのだろう。
僕には殆どわからなかったけれど、和音の説明、解説の如きのくだりでは、なにか和音を擬人化して、さらにドイツ人をいじり、しきりに観客を笑わせていたようだ、違うかもしれないけれど。

Sa3

期待や想像はすべて吹き飛んで、軽々と超えた世界を観せてくれた。
ぼくは幸せだったし、帰り路の駅で飲んだビールが世界一旨かった。

世界一大きいクリスマスツリーとヨーロッパ最大級規模のクリスマスマーケットのドルトムント。
だから手ごろなホテルはとっくに満室の土曜の夜。
だが、ここから30分くらいの帰り道の駅近くにホテルが取れているという。まったくいつの間に、、と呆れ驚く素早さだ。
今から苦労をして、早朝の極寒の船にたどり着いたって眠れやしない。

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12月16日、日曜日/この旅の最後の夜に。

起床して窓の外を見ると、駐車場や線路の向こう側が真っ白だ。
霜が降りているのかな、寒そうだなと思っていたら、そのうち雪が降りだした。

風に飛ぶふわふわの綿雪は綺麗だけれど、駅までの道は耳も顔も痛いくらいの寒さ、自然、思い浮かぶのは船のこと。
帰りに寄ろうと思っていたフランク.ミュラー美術館は広大な国立公園内にある。色々想像したら気持ちがめげてきたので諦めることにする。
そのぐらい寒かったのだ。
ぼくたちふたりには今年初めての冬の始まりの日だったから。

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でも帰りの車窓は素敵だった。
外は雪景色。
葉の落ちた針葉樹の林抜けて列車は滑るように走る。
飛ぶ雪の霞む先に、遠くに、糸杉が並んでいる。風車はもう見えなかった。
イアフォーンでEnoのプロデュースしたU2を聴いた。
この旅のあいだじゅうBrianEnoの音作りにどっぷり嵌まっていたので、耳が違う処に引っ張られる。残響音。

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オランダ領に入っても雪は降り続いている。
二人とも、今晩から朝方にかけての生命の危険を感じている。凍死レベルまでいくのではないか。
最後の晩に最期になりたくはない。

アムステルダム中央駅に着く前にはもう別のホテルが探されていて、いつもの手並みがまた。

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結局1泊しかしなかった、我がフォルマックス号へ荷物を取りに行く。
まったくの酷い寒さなのだ。
だが我々は命拾いしたような心持で繁華な通りにあるホテルに引っ越しをした。
BANK HOTELという大変にお洒落ながら、重厚な趣もあるホテル。最後の晩にはとても良い感じのね。

船のホテル。夏場ならばきっと楽しかったことだろうと思う。ハーバーのクラブハウスには清潔なシャワールームやトイレが
並んでいたし、営業していなかった海上レストランもね。此処で散々飲んだあとに、緩いうねりの上で眠りについたことだろう。

明けて最終日。

近所のオーガニックで可愛らしいカフェーに朝食を食べに行く。
アムスに戻ってからは、タイ、ベトナム、チャイニーズ、とエスニック料理ばかり食べていた。値段は比較的安価でボリュームがあり、しかもどれもが抜群に旨い。
アムスはカフェ飯とエスニックだな、と思う。
これだけは食べておきたいオランダ料理の決定打、みたいのが元々ないので、強いて言えばワッフルだろうか、と注文すると、暖かいワッフルの上にアップルパイの中身みたいなのと生クリームがどっさり乗って、ミントの葉が添えられている。

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これとカフェ.オ.レを注文するとき、お店のオーナーらしき女性にグッドチョイス!と褒められた。そうしてその通りだった。
寒い朝、お腹が幸せになることはなによりなことだ。

フライトは14時。
まだ少しの時間の猶予がある。
此処は庶民的で買いやすいんですよ、と大友人お薦めの蚤の市へ連れて行って貰う。
歩いて5分ほどの大教会前の広場。
もうすぐ息子の誕生日。お土産とは別になにか買いたい。そして素敵なプレゼントが見つかった。

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Sa10
さあ、ほうとうにこれで旅はお終い。
何処かに仕舞われたまんまのぼくの8時間を返してもらいに、飛行機に乗らなくっちゃ。

バイバイ。アディオス。チャオ。バイーアコンディアス、ヨーロッパ。さよなら。ありがとう。

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さて、そうしてこの旅は終わったのだけれど、旅の始まる少し前のこと、記しておきたい。

雨の先日。
再び赤瀬川原平さんに会いに行った。
と言っても、原平さんはこの世からは消えていて、あの世で何か未知のとてつもなく面白いことをしているような気がする。

だから現世にいる自分などは、丘の上APT 児嶋画廊で原平さんの作品に触れるだけでまだ我慢しないといけない。

今回は「あいまいな海」を観ることが目的。
氏の63年頃のコラージュ作品集。とても古そうな書で、係の人にお願いすると特別に見せてくれる。

ダリ的な有機とデュシャン的な無機、柔らかいもの、硬質なものが、緻密に引かれた線やシンボルを加えることで、素晴らしくデザイン化されていて目が吸い込まれちゃう。

氏の80年代の著書で、それはぼくは持っておらずタイトルも失念しているのだけれど、表紙が何か黒っぽい宇宙のような写真で、そこに表紙デザイナーがぽんぽんと小さくシンボリックなマークを乗せている。
そのことについて氏は「このマークがあることで、ただの写真が意味を得る、なるほどデザインのちからとはそう云うことなのか」と。
自分はそれを何故かいつまでも憶えていて、このとき、あっと思ったのだ。
原平さん、遥か以前にそれやっているじゃないですか、って。

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外は雨。
堅牢に閉じられた空間ではないので、雨の音が入り込んできて僕を包む。

今日は家人と一緒に此処に来た。
彼女は「トマソン黙示録をじっと見ている。

帰りにワインを飲みに行こうと思う。
安価に立ち飲みのできる、素敵に小さなお店を見つけたんだよ。

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この日記の最後に。
とても印象深い写真があるのです。

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チェット.ベイカー。
1988年5月13日。アムステルダム中央駅を正面に見るこのホテルの3階から転落死。
それが自殺なのか、ドラッグの過剰摂取による事故なのか、真相はわかっていません。
何れにせよ、その音楽はドラッグと共に在った、と云うのは紛れもないこと。そう思います。

彼のラストアルバム「Let's Get Lost」87年の録音。そうして翌年の死。
僕は初めて彼を知り、その凄みに打たれました。
これをぼくに教えてくれたのが、件の大友人。

彼はぼくを此処に連れてゆき、静かに掌を合わせていました。

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2018年12月17日 (月)

* ときどきトランス日記No90 / 再びバルセロナへ。

再訪。

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タクシーが旧市街にさし掛かると、やっぱり嬉しい気持ちになった。
待っていた宿は、多分今回の旅では一番ではないかと思う。

再訪だし、もうとくに観光もせずにゆったりと過ごそうと決めていたから、此処は本当にぴったりだ。
古い石づくりの堅牢そうな建物のなかの最上階。
キッチンの付いた広いリビングから階段が続き、上に寝室と屋上がある。

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ここでの4日間は散歩や買い物に出るくらいで、すれぞれがすきなことをして過ごしていた。
スーパーマーケットを巡り、自炊のための買い物は楽しいもの。ぼくは殆ど何も作らなかったけれど、大友人の作るパスタや野菜スープはとっても美味しかった。
料理を作り、道を正確に歩き、お店の判断が早い。どれもがぼくにはないもの。
流行っているお店や人だかりしていると、必ず覗き込み、何故そうなのかをじっと考えている。
解らなければ、どんどん分け入っていく。遠慮は一切しない。
それを「勉強なので」とさらりと言える。
ぼくにはないもの。

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洗濯機が付いていたので、早速溜まっている洗濯物を入れるも、途中で動かなくなって閉口。どうやっても復活しない。
なので、びしょびしょの洗濯物抱えてコインランドリーへ行ったりもした。

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たくさん音楽を持ってきて良かった。
音が良い、何処でもそうだった。石の壁から跳ね返る音の粒がわかるんだ、こっちの住居は。だから大きな音は必要ない。

ワインも飲んだ。
今回最安値の1本€1.25のは流石に駄目だった。日本円にして¥163。やはり€3くらいは出さないとね。
でもビールなんかはハイネケンやサンミゲルが50円くらいで売っているので有難い。
野菜はオーガニック専門のスーパーで買っていたからかな、どれも微かな野性味があって美味しい。人参やトマトの味の強味、それと卵も美味しかった。
スペインの食文化が自分には合うのかも知れない、と思う。
こういう食材で作った家人の手料理を食べてみたいなと思う。

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三日目にピカソ美術館へ。
色んな時代のピカソを時系列で展示していて楽しめる。
今ならコンピュータグラフィックスで描きそうな、キュビズムの頃の作品が、あぁ、これを本当に描いたんだと驚きを感じる。
50年代にやっていた、コラージュしたピンナップガールの写真に自らの絵を添えたシニカルなシリーズは知らない顔だった。
晩年期の単純画というか、幼児的な作風のものが多く、知ってはいたけれども、実物を見るとやはり打たれるものがあった。
この頃の陶器も素敵だ。
ゲルニカは此処ではないけれど、この絵がぐしゃりと潰れたらゲルニカになるのだろうなという作品を見た。

外に出れば町のそこらじゅうがグラフィティアート。ピカソも吃驚だ。
この旅で訪れたどの街もそうだった。アートと言えるものが多い。レベルの高さを感じた。
グラフィティアートのすきな人にはヨーロッパの旅は良いのかも知れない。

An17

An16
最終日は市場やアンティークの蚤の市やスーパーマーッケット。
今回外食は1回だけで、あとはすべて自炊をした。大分節約も出来たな。

明日は起点に戻る。アムステルダムへ。

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2018年12月15日 (土)

* ときどきトランス日記No89 / ベネチアで。

ベネチアとベニスが同じだなんてことも知らなくて。
「ベニスの商人」を高校生の時に読んだような気もする。シェークスピア。
お金の貸し借りの話だったようだけれど、もうあらかた忘れてしまっている。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」は美しい風景としょぼくれた小説家の対比のイメージばかりが残っている映画。

ベニスの空港に着いたのはもう夜だった。
マドリッドで国際線に乗り換えたりがあったので時間がかかった。
霧のたちこめる空港からバスに乗った。
もうそれで市街に着いて、すぐにホテルなのかなと思っていたら、バスは船着き場で終点。

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あぁ、此処から船に乗るんだ、、
それが海なのか河なのか判然としない真っ黒な広い水面を見て思った。
霧はさらに濃く、遠くの灯りが滲んでいる。
ぼくは後方の小さなデッキに座り込んで、後ろから前へ流れゆく動く劇場の如くを見ていた。
左右に回り舞台のある幻想劇場を自分は中央で観ている。

デッキにいたもう一人の乗客は貧しそうな黒人男性で、随分の高齢に見えた。瓶のビールを喇叭飲みしながら、じっと流れゆく後方を見ている。
老人の眼差しにはいつも過ぎ去った自分の人生が混じっている。そこにはもう未来は含まれていないのだと思う。

いくつもの駅を通った。人が乗って、降りて。
小さな灯り、煌めく灯り、豪奢なホテルの灯り。夜と霧の演出するショートフィルム。
ホテルの並ぶ船着き場で下船。
あぁ、このどれかのホテルなのかなと思っていたら、乗り換えて更に町の奥へ。

そうして目的地の駅。
さっきの乗り換え駅と違って暗い。
霧とぼんやりした灯りの狭い石の路地を歩く。

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背の高い石の建物が左右に迫り、すでに映画の中に迷い込んでいた。
このまま霧の向こうへ消えてゆく自分を、ぼくは後ろから見ている。

古色蒼然とした古い古い石の小さなホテルさえ、まだ映画の続き。
けれど激しい空腹感でリストランテを探し、スパゲッティが来る頃には映画はやっとフィーネ。
こっちではパスタとは言わない。スパゲッティなんだ、

なんの予備知識も持たずに来たこの国で、僕がいちばんしたかったこと。スパゲッティを食べること。
もうそれが叶ってしまった。
ひどく美味しかった。
映画のエンドロールのなかでぐっすりと眠った。

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ベネチア2日目。

朝食の付くホテルは久し振り。
豪華ではないけれど、ハムやチーズ、そしてクロワッサン。これはプレーンとチョコレートがあって、どちらも凄く美味しかった。
たっぷり食べて、最後に果物やヨーグルト。そして珈琲。
豆乳まであって、これは寝る前に飲みたいなと思ってポケットに入れた。

外に出ると快晴。暖かかったスペインに比べるときりりと寒い。
町の景色は一変していた。
これが夕べのあの暗い路地?

ホテルの裏側の真っ暗でちょっと危険そうな広場には市場が建ち、野菜や果物が零れている。
路地にはお店が点々と、うるさくないくらいの賑わいで並んでる。バールやワインショップや生活雑貨、スーヴェニールショップ。

ヨーロッパの商店は閉まるのが早いけれど朝は早くから開けている。
早朝の散歩で買い物が出来るなんて有り難い。

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此処もまた迷路。
路地、路地、路地。
太い路地、細い路地、複雑に入り組んでいる。
そこに更に縦横無尽に運河、水路が入り込み、今度は映画どころではなく、エッシャー的騙し絵の中。

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ぼくがベネチアに来る理由になったお店があるので、まずそこに行きましょう、ブックショップなんですが、、と、大友人によろよろと附いて行き、町の奥へ。

そうしてこの町と水との関係に初めて触れることになった。

お店に入る。入り口は狭いのに奥へと広がっている。
古書店だ。でも紙のものならなんでもありそう。雑貨や古いレコード、ポストカード、写真、わくわくするものが雑多に、でも物凄くたくさん溢れている。
すぐに大好きになったお店だけれど、実は、、

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古いレコードに夢中になっていたら「道郎さん、こっちです」って奥に案内されて吃驚。
店の奥は水路に面していて、溢れた水が店内に流れ込んできている。
お店の奥は水路の水面と繋がっていた。

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少し高くなっている裏庭の如きスペースには大型の辞書が山と積まれ、階段状に固めてあって、どうぞ昇ってくださいと。

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路地からこの店眺めると、建物が少し傾いている。
可笑しな店。愛すべき店。
ぼくもベネチアでいちばん好きな場所になってしまった。

ところで、ぼくの知識。
ベネチア=水の都。あぁ、運河とかたくさんあるしね。ゴンドラとかに乗って遊覧するんだよね。

ではあるけれど。

水と共存している町だ。
水と町の境界線のない町。隣接ではなく水と町が融合してしまっている。そういう時間のある町。
水路の水が穏やかに、でも溢れだしている。これが見れるのは満潮時の朝方だけ、と思う。

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午後になると水は引いて、町と水路の分水嶺が現れる。
水中のリストランテのテラス席もテーブルや椅子を整えて、おすまし顔で営業している。

そしてベネチアは世界一歩きやすい町かも知れない。
車やバイクはもちろん、自転車さえもが町へは入れない。移動手段は徒歩と船だけ。
だから一歩路地へ入るととっても静か。

お昼はスパゲッティ。ほぐした蟹の身のソース絡めたもので凄く美味しかった。
晩御飯もスパゲッティ。大好きなイカ墨。ぼくはこれが大好きで、日本でもよく食べる。しかし、これは、、と絶句する。
自分のイカ墨史上最高得点の味。濃厚さが凄い。そのまま筆を差し込んで習字が出来そうだよ、これは。
だが細心の注意を払わねば危ない奴だ、これ。
ただでさえ、すでにぼくはワインやトマトソースの滲みをベストやコートに作っている。
服に飛んだらお終いだな、、家人の苦い顔がちらとこころに浮かぶ。

なので、浮かれて食べるわけにはいかず、非常に緊張を強いられる食事となった。
でもやっぱり美味しかったけど。

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実はイタリアはそんなにパスタが美味しいわけではない、とは聞いていたんだけど、お店によりけりなのかと思う。
ここまでの3食は麺の食感、茹で加減、ソース、すべてが素晴らしかったよ。

でもね、、高いんだ。
イタリアの物価は高い。そして此処みたいな有名観光地はなおさら。

帰り路の暗い路地。
橋の袂で出会った猫くんに次の路地まで送って貰う。
こっちだよって、橋を渡って、少し先に行って振り向いて待っていてくれて、追いつくとまた少し先に小走り。それで振り向いてまた待っていてくれる。
猫特有の誘導法。

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ありがと、またね。チャオ。ニャオ。

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ベネチア3日目。

ホテルの食堂。
今朝は少し混んでいる。

ぼくは早くに来て、もう食後の珈琲を飲みながらなんとなくお客さんの観察。
きっとフランス人、と勝手に思ったんだけど、シリアルやサラダ用のボウルに並々と珈琲を注いで、そこに牛乳をたっぷり。
あぁ、カフェ.オ.レですね。
小振りのラーメン鉢くらいはあるけど、なるほどそういえば映画なんかで観たことあるな。ボウルでカフェオレって。
僕もやってみたいと思ったけれど、珈琲マシーンの前で家族全員、子供までもが作っているのでなかなか空きそうにもなかった。

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朝はやっぱりこれが面白く、あちこちの冠水している場所を見て周った。
でもまずは昨日のブックショップへ。
いつまででも此処に居たい。
昨日も今日も古いEP盤レコードや写真を買っているので、お店の人が僕を憶えていたみたいで、ハイ!とにっこりされて嬉しい。
ジリオラ.チンクエッティとかニニ.ロッソとか選ぶので、おや、こんなの知っているの?って。
古い古いイタリアンポップス。

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お昼はやはりこれも食べておかねば、とピッツァ。
大きいな~。
大友人に3切れ手伝って貰ってやっと完食。これも美味しかったなぁ。

フィレンツェに住んでいる小学校の時の同級生がFBで昨日教えてくれたこと。
ベネチアだったら、バーカロでチケッティつまんでオンブラひっかけて、を是非に、と。

そう言うと、じゃあ今晩はそれで行きましょうと。
それだけで通じてしまうのが矢張り凄い。

バーカロとは大衆的な安酒屋のこと。チケッティはスペインのピンチョスみたいな簡易なつまみ料理。
そしてオンブラ。これはコップ酒のこと。ワインでもなんでもコップで盛り良く提供される。

運河沿いにバーカロの集まる地区へ。
どの店も気軽。外席で水面の灯を見ながらが最高。係留してある小舟に勝手に飛び乗って呑んでいる人もいる。
値段もリストランテの三分の一くらい。
長い滞在ならばきっと毎晩此処だなと思う。

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3軒ハシゴして、近くのナチュラルな感じのブックカフェで珈琲。一緒に頼んだベリーのパイ、生クリームがたっぷり添えられていて素晴らしき味だった。

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本来の予定ならば、明日にはアムステルダムに戻る筈だった。
スペイン熱の高まった大友人と、熱烈なスペインラヴァーとなってしまったぼくは、予定を変更してバルセロナ再訪を決めていた。

明日は愛しの街、バルセロナへ帰る日。

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2018年12月12日 (水)

*ときどきトランス日記 No88 / サンセバスチャンで。

5時間半の旅。
あまり変化のない田舎の風景の中を列車は走る。
時々通過する小さな町以外は住居も少なく、丘の上に馬がいたり、羊のたくさんいる牧草地があったり。朝方は生憎曇っていて、窓ガラスが汚いままなので、そういう景色が霞んで見えているばかり。

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ふと目を覚ますと、目の前の簡易テーブルにハムとチーズを挟んだトーストのサンドウィッチとマドレーヌと水のボトルとオレンジジュースが置いてある。
僕が眠ってしまっているあいだに大友人が買ってきてくれたもの。
朝早く、ご飯を食べ損ねばたばたと出てきたので、なによりの嬉しい朝食だった。

サンセバスチャン駅は小さな駅。
都会の大きな駅ばかり見てきたので、本当に小さい田舎の駅。

歩き始めると河。すぐその先には海が見えている。
河沿いの歩道には小さな売店が並んでいて、ほとんどが手作りの雑貨を売っている。微笑ましい光景ってこういう、、と思う。

ホテルは旧市街。やはりこれが大事。
初めての場所なのにそわそわしないで過ごせる。
名はpension bule。
清潔で真っ白な部屋。ベランダが広場に面していて、此処もまた映画的。
共有スペースには座り心地のいい椅子やテーブル、珈琲マシン、お茶のセットがセンス良く配置されていて、僕はここを僕の書斎と名付け、3時過ぎには起きだして、いまこれを書いている。誰も来ない、密やかな時間楽しんで。

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まずは近所の散歩。
サンセバスチャンはバル巡りの聖地と呼ばれる。
その聖地の中心はすぐ近く。歩いて1~2分。なんという好立地、、

バルが100軒以上ひしめいている通り。
此処には何度も来ている大友人は迷わずとあるバルに入る。
まずは獅子唐の素揚げとチャコリっていう美発砲の地酒で乾杯。
ここは海老と茸が旨いんですよ、とそれぞれのピンチョスを取る。あぁ、本当だ、と僕はまた吃驚している。
あまりに美味しくてさ、でもすぐに飲み込んじゃうから、口の中が見た刹那の夢なのだと思う。でもきっとそれで良い。だって素敵だった夢って憶えているからね。でもやっぱりそのうち忘れちゃう。こその夢。一睡一飯の夢。

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ささっと飲んで食べて、2軒目へ。うわ、すでにバル巡りが始まっていたのね。知らなかったよ。
ここはね、蟹のピンチョスが最高で、、いや、ホントにそうだねぇ、旨いねぇ。おや、この赤ワインも凄い美味しいねぇ。

珈琲とデザート行きますか、ってバル3軒目。
此処のチーズケーキがまた、、っておいおい旨すぎるぞ、これ。
バル巡りって、その店の一番旨いものを食い歩くことなんですよ、って。すでに満腹で曖昧になっている脳に真髄の言葉が沁みる。

移動日当日っていうのは、新しい情報がどどっと押し寄せる日なので、知らずに疲れているみたい。酔いもすぐに回るし、ホテル
に戻って昏昏と睡眠。
旅に出てから例の時差ボケ完治せず、睡眠平均時間は一日5~6時間ってところだったので、一気に10時間以上も寝た。
だからまた3時に起きてるから一緒かなとも思う。

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サンセバスチャン2日目。

ゆっくりホテルを出て、海の水を触りに行く。
旧市街ぬけると古い建物の間から海が見えてくる。町のこちら側の海は小さな港。そのまま岬を回り込んで旧市街へと戻る道があって
散歩には良い。歩く人、走る人、釣り糸垂れる人。ワインを飲んでいる人、こんなところでも雰囲気のあるバルがぽつぽつある。

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たくさん歩いて空腹になったので、旧市街に戻ってバル飯。
バカリャウと云う、鱈の塩漬けを戻したもののピンチョスがスペインの目的の一つ。事あるごとに食べているが矢張り美味しい。
塩気が抜けた優しい味なので、どの店もそのアレンジに違いがあって、楽しめるメニュー。
ピンチョスとは、まぁタパスと同じ小皿料理で、パンの上に楊枝でや串で具材を刺したものを言う。

そしてこれは珍しい、米粒みたいなパスタ。バターのたっぷり入ったホワイトソースがたまらなく旨い。これ、あまりにも旨い
ので、夕方ワインの補給ついでにまた此処によって食べてしまった。
この店の特徴は、作り置きしてカウンターに並べて置くオーソドックスなバルスタイルではなく、注文受けてからその場で作ってくれる。
こういう店は大抵厨房が見えるようになっているのでそれも楽しい。
熱々で出されるピンチョスと冷えた白ワイン。

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部屋で遅い午睡して、8時半開店の人気店に急ぐ。
ここもやっぱりすぐに一杯。
でもバル巡り目的のお客さんが多い時間帯なので、すぐに空く~すぐに満席~空く、を繰り返してて面白い。超人気店でも、ぐるぐる
巡っていてタイミングが合えば、皆が入れるのが良い。

此処ではこれしかないです、って一推しのフォアグラのピンチョス。
産まれて初めてのフォアグラ。
実はレバーが苦手。でもこれは家鴨のレバー。
しかし心配いらなかった。繊細で複雑な味付け、自分の貧しい食歴では表現不能。
旨い、特に周りの焦げたところがー!って、口中に居る自分がこぞって悶絶。

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大変に満足したところで、町の反対側のビーチへ行ってみる。
夜のこの町は本当に綺麗だ。
町の灯の映える湾曲した広い砂浜は夢のように美しい。ふわりふわりと足取りが曖昧になって来る。誰もが幽霊のよう。
老若男女、その境目も、この世とあの世の境目さえも、段々と曖昧になって、、
此処は「狭間」の町なのかもしれない。
いつかそんな町に行ってみたいと思っていた。

こんな時間にぼくは、知らず少しだけそこに足を踏み入れたのかも知れない。
もう帰れないのだとふと思う。

僕たちは遊び過ぎたのかも知れない。

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サンセバスチャン3日目。

生野菜が不足している気がする。
凄く食べたい。

そのような朝。
新市街にそのようなバルがあるのだという。
朝食は是非ともそこで、そうして今日も元気に歩きたいと思う。
野菜はちから強く、そして美味しかった。

町と港を擁する小高い丘に登る。
あの海の向こうはイギリス。
行ってみたいな他所の国。

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この町も今日が最終日。明朝ベネチアへ向かう。

こちらは木曜日が週末なのかも知れない。
町に人が急に増えている。大変賑わっている。
大きな広場は、昨日までなにもなかったのに、食のイベントがあちこちで開催されている。
小さな広場の現代美術みたいな遊具たちも子供たちで満開の賑わい。

夜には更に人が増えている。
きっとスペイン中から、ローカルのお客さんが美味しいものを求めてやって来る週末。
そういう町なんだと知る。
そうして、老人の多い町。
老夫婦を幾組も見た。いたわりあって、手を引いて、軽くキス、慣れた感じで。そうして楽しそうにワインを飲んでいる。
たくさんの車椅子を見た。杖や補装具や歩行器も。皆老人だ。
家族に囲まれて楽しそうに食事をしている老人。夫婦水入らずでワインに目を細めるおばあちゃん。

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老若男女、行儀のよい犬やもう幽霊になってしまったものたちさえもが、楽しむ町。
あの世との狭間にある町。

僕の両親も80歳を過ぎてもなお、地球のあらゆるところに一緒に旅行していた。
いつか、もっと歳を取ったなら、ぼくは家人とこんな町に来るのかも知れない。

とまれ。
バルは何処も大賑わい。
フォアグラのピンチョスをどうしてももう一度食べたい大友人と、夕べのバルへ。
すでに混んでいたけれど、壁際にぴったりふたり分の隙間見つけて嵌まりこむ。
夜はゆるゆると曖昧に更けゆき、僕は最後のワインを求めて、老人になって。

サンセバスチャン。儚い夢の続きさえ、なお儚く。

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2018年12月11日 (火)

* ときどきトランス日記 No87 / バルセロナにて。

飛行機は乗る前に少し色々あるけれど、飛んでしまえば早い。たったの1時間50分でスペイン。
ユーロ圏内なので、特にパスポートコントロールもないし、貨幣も一緒で楽だ。

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ホテルまでタクシー。でもちょっと寄り道して大友人お勧めのバルに連れて行ってもらう。
アムスでも美味しいものは少しはあったけれど、こっちは桁違いなので、と。

乾杯しようよ、じゃあさ。

赤ワインと色んなタパス。
サーモン、帆立、鱈の肝や小鰯。
吃驚するぐらい旨い。次元の違う味と云ったら自国の料理屋に失礼かも知れないけど、ホントにそうなんだ。

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ホテルはね、アパートメントの部屋貸しなので、キッチンや洗濯機もある。
その分朝食はつかないので、では自炊をしますかね、朝は。ということで散歩ついでの買い出しへ出る。

この辺は旧市街。細い路地が迷路のように入り組み、古い石の住居や店が両側に迫る。
でもどこの街角も暖かみに溢れてる。
アムスはしっとり。こちらはほっこりで暖かい色合いだ。キャメルブラウンにアイヴォリーを少し混ぜたような。

自分は方向にはからきし弱い。4日いてもこの路地は手に負えないと思う。
真ん中辺りにそびえる巨大な教会前の広場からアパートはすぐ近い。店の看板や名前を憶えて、そこからならなんとかわかるようになった。
だが一旦迷ったらお終いかな、と思う。

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何処をどう歩いたのか全然わからないけれど、着いたのはオーガニック専門の、なかなかお洒落な大きなスーパーマーケット。
こういう買い物は楽しいね。
野菜や卵、珈琲粉、豆乳、パスタやソース、調味料、ヨーグルトなんかを購入。それとワイン。

広場にあるバルで夕食。
開店前に並んだので入れたけれど、すぐに満席。超人気店なのだそう。
海鮮をその場で調理したタパス。これも旨くて驚く。
獅子唐の素揚げ、マテ貝や蛤、きびなご、最後にとろとろのジャガイモの詰まったオムレツなんかをカヴァで流し込む。
ぼくはスペインに来て吃驚ばかりしている。特に口の吃驚はニューロンの素早さが直なものだから、素直。
率直な自分。

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街歩きのつまみ食いのチュロスは揚げたての熱々を頬ばること。泣きそうに旨いんだ。
チュロスなんてさ、自分の子供の頃には存在しなかった食べ物。なのに何だか懐かしくて泣けてくるのは何故なのか。

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バルセロナ2日目 / 今日もうこれ。

朝食。
パスタを茹でるがIHヒーターが弱くて、大鍋じゃ沸騰する気配がない。適当なところで麺入れたけど、饂飩みたいな
食感になってしまった。すまん。
大友人のサラダは自家製ドレッシングで流石の味。飲食の店を何軒も経営してるからだねぇ、これは。
こう云うのは本当に楽しい。

さて今日は、、

此処からは目をつむってて下さいねと、タクシー降りた地点から誘導される。
自分は視覚障碍者ガイドヘルパーの資格だって持っている、そういえば、はは。
などと思いながら石畳を靴底に感じて。

はい。

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うお、、
これかぁ、、

サグラダファミーリア。
ガウディ。
溢れている。溢れかえっている。中はもっと凄いんだぞと、もう外からも惜しみなく溢れてる。

息を呑む。
そのまま中に入ったら、やはり暫くは呼吸を忘れている。

ヨーロッパへ来てから、僕は上ばかり見ている。
だが此処は確かに上なのだが、そのうちそれもわからなくなってくる。
圧倒的に展開するスケール、さらにぐにゃぐにゃした有機的デザインが覆うので、いったん上を向いたのだが、もうそれが上なのか
下なのか曖昧になって転びそうになる。

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アラビックのモスクを思い出す。
モスクは外側は隙間なくびっしりと細かく装飾されているけれど、内部は何もない伽藍だ。何もなさ過ぎて怖いくらい。
内部が広大な空間っていうのはどの宗教施設でも特有のこと、と思う。内的宇宙って云うのは宗教の基本の概念。

しかしこの大教会はどうだ。
まるっきりの桁外れ、と云うか、ぶっ飛んでると言ってしまえば早いんだが、、

「あの世」感。
天国とか天界、仏教、神道(一緒にしてはまずいけれど、神仏が離れる前の)で言う西方極楽浄土なんかの、あの世。
入るだけであの世が降って来る。
もうみんなあの世を浴びて身体中びしょびしょ。

ちから。
宗教の持つちからってこう云うことなんだ。
「其処」があるのならば、行きたい。行かねばならない。そこを目指すための今生なのだ、と。

茶室のスケールをどんどん縮めていった利休の美意識のミニマリスト的DNA。それを持つ自分たちには、目玉がぐるんとひっくり返って一回転するみたい。
良い、悪いの範疇ではなく、でも普段は小さなスケープのなかで暮らしていることが良くわかる。
それが嫌いでは全然ないし、ひっくり返った目玉でもう一度わが国を見れば、それが内的宇宙の果てしない広がり、とわかるはずだから。

しかし先にこれ見ちゃったから、その後の同じガウディ作のグエル公園は、座ってみたかった有機的な石のベンチの並ぶエリアが改修中だったこともあり、んー、こんなものかな、でお終い。

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ヨーロッパに来てからは、その振れ幅の大きさに翻弄されっぱなしだ。
自分の知っているヨーロッパ的なもの、ことたちは本物を前に、とっくに何処かに消し飛んでいた。

夜は、市場や広場の露店冷かしたり、ブックショップの子猫たちにかまって貰ったりしてね、少しこころ和ませないとね。

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バルセロナ3日目。

今日は休養日で良いかな、と思う。
こころの興奮状態がなかなか収まらない。

でも朝の散歩はかかさずに。
一日の始まりの新鮮な空気。
夕べの諍いも、熱い想いも、友情も、愛情さえもが、ほんの刹那、一瞬間、リセットされる魔法の時間がある。
そしてまた始まる。
さぁ、今日だよ、始めようまた最初から、って。

部屋で自炊の朝食食べてから、マルクト、市場に行ったりお店をぶらぶら見たり、特に観光、文化施設には行かない日。
ゆったりした旅のつもりでも、やっぱり疲れは溜まって来ているしね。B2
BoneApartment、此処は本当に素敵な宿だ。
どの部屋も広くはないけれど、キッチン、リビング、寝室と分かれている。
ただし6階なので、途中で2回ほど息を入れなければならないし、下りは急階段なので目が回る。ひとフロアに2部屋の細長い
建物なので階段は極端に狭く、一階上るごとに途中の踊り場で折り返すから。

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リビングが凄く落ち着くのは、ソファの色がわが家と同じグレーだから。
キッチンにゴッホの「向日葵」のリトグラフがあったり、プラントや家具なんかもいい塩梅だ。映画的。

旅は衣食住だなと思う。どれもが充実してこそ深まるものだ。
あぁ、そうかも、、でも食と住はわかるけどさ、衣も?
うん、だってさ、旅先でお気に入りの服着てることってホントに気持ち良いもん。

お腹が減ると何か買いに行ったりの部屋日。
こういう日もあろうと、音楽再生装置、その内容までもが万全に整っている。何の事前打ち合わせもなくこうなる。

考え抜いた音源。

持ってきた7割くらいがBrianEno。AnotherGreenWorld~アンビエントのシリーズやその番外編、Eno周辺、関連のものまで
CD15枚ぶんくらい。
DavidBowieの「LOW」やS.Wonderの70年代の傑作3部作、ChilyGonzaresも6枚、NinaSimoneも忘れずに。そしてChetBaker、JimHall
やBillEvansとかヨーロッパを感じるJazzたち。
あぁ、MalWaldronの「AllAlone」は何処の夜の街角でも頭の中で鳴っていた。

*この章は、舞い戻ったバルセロナのアパートメントで書いている。
もうこの旅も終盤。今は早起きしたリビングで独り。
夕べは遅くまで起きていたらしい大友人は、珍しくまだ眠っている。

お茶を淹れて、大好きな友部正人の歌を聴いている。旅の歌をたくさん歌っていた頃の。
「遠来」というタイトルの素敵な歌がある。
昔からこの歌を聴くと、ぼくと大友人の関係を想った。
いま、ふたりでいる旅の空で、この歌を聴くことをしたかった。それが今朝のこの時間にやって来た。

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バルセロナ最終日。

名残惜しい。本当に名残惜しい。
色んな道を歩いたけれど、やっぱり宿のあるこの旧市街がすきだ。
複雑な迷路でちっとも道を覚えられなかったけれど、バルやテイクアウェイの食べ物屋、奇妙な店、壁の落書き。匂い。ひと

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でも大きな通りも捨てたものじゃない。
歩道第一主義、と名付けた。
太い道の真ん中が歩道。堂々としている。その両脇に車一台分の車道がくっついている。
歩道の幅は車道の5~6本分はある。実に良い、この歩道主義。歩くことを愛する人にはとても優しい街。

とまれ、バイバイ、バルセロナ。君が大好きになったよ。
明日は早朝の列車でサンセバスチャンへ向かう。

バルの聖地へいよいよ。

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