2021年10月19日 (火)

ときどきトランス日記 No.106 / ふたり。

「呆れたもんだ」
父の口癖。それが聞こえてきそうだった。

焼却口から出てきた父の骨はそれほどの量だったから。
母の時の倍くらいはありそうだった。
骨壺に納める時、これは全部収まり切れないのではないかと皆が心配した。
けれど係の人が上手に納めてくれた。
これほどしっかりと形を留めている御遺骨はなかなかお目にかかれない、そうだ。

とまれ、先の9月20日早朝、父は現世から完全にリリースされてゆきました。

Sougai

終末期、今生の際の数日間、自分は夕から朝方にかけて独り実家に居り、息を詰めるような
長い夜を過ごしていました。
時々寝室へ行き、あぁ、息をしているな、と布団を直すばかりの長い夜。
もう眼を開けることもなく、意識もあったりなかったりと、その命は最後の刻へと振り子のように
揺れておりました。

そうして黎明を迎えるほんの少し前、先ほど生存の確認をしたばかりだったけれど、
何とも言えぬ感じを覚え、もう一度寝室へと、父の側へと。

その父が突然開眼し、首を回してしかと僕を見据え、半身を起こすような強い体動ののち、
虚空に手を伸ばし、何ものかを指差したのです。
その先にあったものは、ベッドの足許にある小さなテーブルに置いた母の写真でした。
そうして何か一言を発したのですが、僕には聞き取れませんでした。
「え、何?なんて言ったの?」
これが父にかけた僕の最後の言葉になりました。

そうして全身の力、これは生と言い換えても良いかと思います、それがふうっと抜けて父は
母のいる遥かなる場所へと。

勿論自分には見えなかったけれど、あの刹那、3カ月前に先に旅立った母は、ひと時この家に
戻りテーブルの脇に立っていたのかも知れないといまは思うのです。
勿論父を迎えに。

連れだって、呆れるほどあちこちと世界中を旅して来たふたりの最後の旅に、母は父を誘いに来たの
かも知れません。
いや、最後ではなく、全然別の次元の新しい旅なのかも、とも思います。

とまれ、そのようなストーリーを子供たちに残し、ふたりは行ってしまいました。

父、享年93歳 2021年9月20日 没。
母、享年92歳 2021年6月20日 没。

Situnai2

9月24日、近しい家族5人だけの火葬式。
母の時と同じく、多摩霊園脇の火葬場、夏の暑さも褪せた秋の始まりのいちにちに。

父もまた母と同じように棚引く一条の煙となり、空へと、大気の裡へと溶けてゆきました。
空葬とは空からの散骨を行う葬儀であるけれど、これもまた空葬なのだと、あの時と同じことを
ぼんやりと思っていました。
あの時と違うのは、6人が5人になったこと。たったそれだけの違いの既視の一日を過ごして。

そうして今日。
思うことは、人がひとり人生を終えると云うことは、そう云うことなのか、色んなもの、
ことがこれほど大量に残るんだな、としみじみ味わっています。
父の書斎に残された、膨大な量の書籍、書き付け、新聞の切り抜き(そのすべてに判読不能な書き付け)
これもまた判読できるかどうか分からぬ大量の原稿の束。
押入れの中も、有島武郎から譲られたと云う大きなデスクの上にも下にも、文机にも、床にも、
階段脇の狭いスペースにも、積み重なる紙、紙、紙、紙。
時を止めた壮絶なる紙の宮殿だけが2階いっぱいに広がっており、どこから手を付けてよいのやら途方に
暮れるばかりの今日。

Situnai-3 Kami Kami2

父の話。

文学を志した父は北大の医学部に入るも、中途で文学部へと転部した。
医学博士であった祖父は父が中学生の頃に軍属の医師として中国へ渡り戦死している。
悪名高い、日本軍が中国で行ったとされる、人体実験はじめ、数々の残虐行為に父親が拘わっていたのでは
ないかと、その真偽を一生涯かけて追い求めていたが、その答えを得られたのかどうか、僕は知らない。

祖母は父には強く医学の道を歩ませたかったらしい。けれど、文学の新人賞をものにした父は
覚悟を決めたのだろうと思う。
それを振り切り母と2歳の姉を連れ札幌より上京。

科学技術庁に勤めていたこともあるし、何かの役所勤めだったこともあるそうですが、自分にとっての
父は子供の頃は、何をしているのか良く解らないひとでした。
会話らしい会話をした記憶も殆どありません。

いくつかの職を経ながら書いた2作目は、通俗的であると三島由紀夫に酷評され、そのことを父は長いこと
恨みに思っていたと最近姉から聞かされた。
そうして晩年まで、大学で英文学の講義をしたり、翻訳をしながら書き続けたけれど、とうとうその後の作品
は未発表のまま人生を終えてしまった。

2

自分たちがUBUD村に居住していた頃、もう亡くなっていますが、懇意にしていたゲイのシローさんと云う人がいた。
彼はごく若い頃に三島の恋人であり、その頃の写真も懐かしそうに見せてくれたものでした。
父母がバリに来た折り彼に会っているのだけれど、母は歌舞伎町の3丁目にほど近い診療所に
長いこと勤めていたのでゲイには馴れっこで、普通にお喋りしていましたが、父がその時、その逸話を
知ったらば、何と思っただろう。

とまれ。
梅田家の子供たち、つまり僕と姉は子供の頃から父との確執が強くあり、常に遥かなる、埋めるすべもない
距離を感じていました。
その存在の強さ、大きさで家族はいつも押しつぶされそうに暮らしていたように思います。
けれど家族に手を上げたことは決してなく、暴力をも凌駕する巨大な「知」のちから、思想と言い換えても
良いもので、家庭というものに君臨していたのだと思います。

その距離は父自らが作ったもので、道内で母親連合会、恐らくは女性運動の先駆けのような団体、の会長で
少なからずの力を持っていた母親に強権的に育てられたことに起因するものではないかといまは思うばかりです。

その様な父でありました。
その半生の殆どの時間を書斎で過ごし、運動など一切しなかったのに、あの骨量、骨密度、、

「呆れたもんだ」
僕も思わずそう呟かずにはおれませんでした。

Veranda

ーーーーーーーーーーーーー

それでも、母の後はしばらくは平穏な明け暮れが続いており、こんな一日もありました。

荒天。
時折ばらばらっと大粒の雨が降って来る。
空の模様も忙しい、雲も青空もきれぎれの嵌め絵が動く玩具のよう。
風がびゅーびゅー吹いている末広通りは清潔で気持ちが良いな、と思う。

とまれ。
こんな真昼間の吉祥寺は随分とご無沙汰だった。

@Gallery Shell 102
友人のアーティスト馬場敬一氏の参加している、グループ展「Rooms」

現パンデミック下に於ける「部屋」に対する視座とその表現、というところだろうか。
この切り口は興味深く、しかし自分は過剰な期待をしてしまったみたい。

うっすらとポップ。うっすらと楽しかったり可愛かったり。
そこからうっすらと吹いてくる風は、室外=世界への無関心なのだろうと思った。
しかし、まさにいまの世相を顕わしているなとは思った。

でもしかし、それは芸術ではないのですね。
他人の無関心には僕はもっと無関心。
そういう自分の忌むべき無関心さを打砕いてくれるものが芸術なわけで、、
けれどこれはホントに個的私的な話でしかないです、自分にとってのそれの話。

ただ会場に入ってひと巡りしてまず思ったことは、、
あぁ、またか。いまこういうの多いんだよなぁ、と。

この作家たちの年齢分布はわからないけれども、10代の凄い子たちが一瞬で抜き去って
いくんだろうなぁ。
其処に、しかし馬場敬一の作品は、禍々しいとさえ思える太い釘を深々と打ち込んでいた。

じゃあ其処って何処?
それはね、世間じゃ規制、縛り。広義の範囲ならばもっともっと色んなことが起こっているわけで、
そうすると内圧も高まろうと思うがね、そこはやはりうっすらと、内的宇宙もうっすらとさ、って
いう場所のことさ。

内圧。
それを様々なかたちで表出、噴出させてきた氏であるが、今回はそれを樹脂で封じ込めてしまった。
自分はそれを水族館で奇怪な深海魚を眺めるように観ている。
だがそれをじっと見つめていると、次第に水の滴るこの惑星に行きつくのだ。

Babaa

内圧。それは芸術と商業アートを分かつ分水嶺でもある。

年内には個展を開けそうだという。
この今、が向かう先は何処なんだろう、とそれは大いに楽しみである。
だって世界は刻々と、予想だに出来ぬ変態変質変容を起こしている。人類は全然追いついていない。
遥かに半周遅れの苦しいレースを虫の息で追っている。

作品は「世界」に呼応する。
だからさ。

 

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2021年7月26日 (月)

ときどきトランス日記 No.105 / みどりの指2、いつの間にか夏に。

いつの間にか明けていたこの梅雨は、でもぼくにとってはあまりにも特別な梅雨でした。
そぼ降る雨の中、真っ白な母の棺が実家の庭をゆらゆらと横切ってゆく。自分は勿論その運び手の
ひとりだったのだけれど、その光景を何処か違う場所で見ている自分の存在も感じていた。
時間をかけてゆっくりとこの世を離れていった母、それを自分もゆっくりと受け入れたので、
それはその節々の時間に予め幻視していた光景なのかも知れなかった。

何故ならば、この家から棺が運び出されるのは4度目のこと。
そのどの時にも自分はいた。
1度目のときは、曾祖母の時だから、まだ小学校へも上がらぬ歳だったろうと思うが、
いくつかの光景を覚えている。それはこころに焼きついている古い写真だ。

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多摩霊園の脇ある火葬場で車を降りた自分は、あぁ、此処は知っていると思った。
生まれたときから一緒に住んでいた大叔母の時も、認知症が進み独居が無理になって
札幌から連れてきた祖母を送った時も確かに此処だったのだ。
もう30数年前の記憶だ。
父にそのことを問うてみたが、そうだったかな、、と。

とまれ。
アイボリー色の乾いた清潔そうなカケラの小山ひとつ残して、かつて母だった実体は永久に失くなりました。
僕が密かに自慢に思っていたあのみどりの指さえも。
この小さなカケラたちは寧ろ陽の燦々たる砂浜が似つかわしく思う。それはいつか砂や珊瑚の死骸に同化して
見えなくなってゆく。

Ie3

死んだ人の魂が見えるとか、そう云う霊能力者的の戯言は信じないし、ペテンではないにしても、それは
その人の歪んだ自己実現の希求にしか過ぎず、何れ肥大した精神の妄想であろうと思う僕ですが、それでも
実体を失くしてしまってもなお残る「ナニモノ」かはあるのだろうと思う。

生あるものには決して辿りつけない「あっちの方」に「居る」その感じはなんとなく感ずることは出来る。
だが、それだけのことだ。
自分も生と実体を失くしたら行くだろう果てしもない場所。
其処は遠い遠い処なのだろうか、それとも皮膚一枚の薄さでこの世に密着している見えない世界なのだろうか。
自分は後者が怪しいのではないかと睨んでいる。
その薄い膜の綻びから漏れ出すもののあることは、霊能者とは一切拘わりのないところで起こりうることなのかも
知れない。

けれどそれらは死んでからの話なのでいまはどうでも良いことなのだと思う。

とまれ。
母は一条の煙となり、煙は靄になり大気に溶けてゆきました。雨上がりの初夏の空へと。
それを家族だけで見送った午後でした。
火葬というのは、空葬なのだなとその時ぼんやりと思っていました。

Kage

取り返しのつかぬほどの幾つもの過ち、その大半は自分と父であろうと思うが、黙って受け止めてなんとかこの家を
存続させてきた母。
偉大なるひと、といま思う。今頃思う。
すみません。
良き息子、善き家族では決してありませんでした。

それでもこんなに長きあいだ、あなたの息子でいさせてくれたこと、感謝していますこころから。
ありがとうございました。

Seigo

*アルバムにあるこの写真の脇には、生後一週間、と記してありました。
数ページ進むと、あぁ、これは、、幼稚園へ上がる前の保育所なのか、お絵かき教室なのか、の写真。
ディズニーの百一匹ワンちゃん大行進の絵柄の青い画材鞄。ぼくのいちばん古い「もの」の記憶。


暑い。
ぽかーんとした夏空に昼日中の月ひとつ。
でも今日は風に涼味がある。
声で言うとマリンガールズ~ソロになった頃のトレイシー.ソーン。

Reco

家族は皆出掛けていて、独りぼっちの休日哉。
レコードを13枚選んで朝から音の洗濯。
レコード干し台が13枚分なのでね。
友人の遺品として、彼に残された僅かな生前の時間に譲り受けたオーディオセット。それと一緒に抱え込んだ大量の
アナログ盤、それに自分のコレクション足して、数えたこともないが兎に角大量、段ボールに何箱もある。
時々そこから13枚を抜き取って洗浄したりしているのだけれど、これが楽しい。
洗ってすぐのは聴くことが出来ないので、前回洗った13枚を楽しむのだ。
そのアンプにはpure directというスイッチがあって、これを作動させるとイコライジングは無効になるのだけれど、
実に素直な良い音を出してくれてとても気に入っている。

ジェノベーゼのパスタとサラダを拵えて赤ワイン。
グラスにぎちぎちに氷を詰めてかち割り夏ワイン、ペンギンカフェ.オーケストラ。

Hifiset Reco2

しかし、ちらりとニュースを覗いて自分は驚き呆れてしまった。
こんなになってしまっても尚、内閣の支持率がまだ30%弱もあると云う。
抽出法による統計だろうし、その数字が過去最低だとしてもだ、矢張り呆れる。
支持の可否の根拠など、結局は損得勘定。針は得になる方へと振れる。
でもホントに得をするのは全国民の1%にも遥かに足りないんじゃないか?
そんなものを何故支持するのか、自分はちっともわからない。

代替がないから、いないから、、
その通りだと僕も思う。
けど、損してももう得は取れぬ、そういう風に世の中は書き換えられている。損ばかりが
続くように知らぬ間にすり替えられている。

不信に依る覚醒は希望無く、先の見えないもののように見えるけど、だがそうではないと思う。
そのとき、自分は自分と出会う、そうして良く良く己と話し合って、自分は自分に回帰するのだと思う。
いちばん先に国民ひとりびとりが変わらなければ、この先の良い変化は決して望めないと思う。
国が良い方へ振れることを望む前に、まず自分が振れなければ、、
逆の順ではもう駄目なんだと思う。
コロナの災厄からオリパラ開催へのごたごた。そこで毎日のように露見して来たこの国の悪性の病巣。
国はそれがバレた端から対処療法で誤魔化してきた。
もう騙されないぞ、と思う。

けれどそれもこれも、開催が終わり、ワクチンがみんなに行き渡れば忘れられて行くのだろうか。
あぁ、そんなこともあったねと、うっすら思い出されるだけの。3.11のように。

とまれ。
Hopelessな夏は避けようもなくもう始まっている。
目玉をぐるりと裏返して涼しげに明け暮らすことも出来ようが、自分は大汗かいて暮らしてゆこうと思う。

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2021年6月25日 (金)

ときどきトランス日記 No.104 / みどりの指。

母はゆっくりゆっくり、少しづつ、この世を離れていったのだと思う。
時々会いに行くたびに、あぁ、また少し離れた、と思った。

アルツハイマーによる認知機能低下の進行、癌の進行。
実家の、緑深い庭に面した居間の椅子で、それらはゆっくりと進んだ。
自分で手をかけた庭を一日中眺めては、母はいったい何を想って自分の精神、肉体の変化
変容と向き合っていたのだろう。

Yuri

GreenFingerだった母。その手で出来ていた庭。
けれど、もう大分前からその手からは離れていた。そうして緑は深くなっていった。

Niwa1 Ajisai Niwa2 Taizanboku

調子の良い時はその椅子に座っていたが、ベッドに寝た切りで一日過ぎることもあった。
このところは言葉を発することもなく、その日はベッドの中から僕をじっと見つめていた。
あぁ、この眼は、その表情は知っている、と思った。
僕が叱られている時のそれだ、と思った。なんだか懐かしいような、、
それが僕との最後の時間でした。

92年の生涯。
その後半は父をお供に、世界中を旅してきたひと。
最後の旅先はクロアチアだったと思う。
アドリア海を挟み、イタリア半島の対岸の国。
ヨーロッパが好きで、大陸をくまなく旅行していたその理由は、、パンが美味しいから、
そう言っていた。

とまれ。

眼を閉じた母はこの世から離れてゆきました。もう完全に。
かつて母だった身体は今日はもう消滅し、かつて命、と呼ばれたものは人の科学の及ばない向こう側へと。
上も下もない。前も後ろもない、そういう処へと。自由だけが果てもなく拡がっている処へと。

自分のこころに出来た母ひとりぶんの洞、けれどそれを埋める必要はないのだな、と思う。
それと一緒にぼくは生きていけば良い。もうそれほど長いことでもない。
その洞ひとつ分の質量がすっぽり抜け落ちた所為で、少しこころが軽くなったような気もする。

そうか、そうやって少しづつ軽くなって、ひとはこの世を離れてゆくのだな、そう思う。

Ie

そうではない離れ方をした命、無理矢理に、突然に、性急に、理不尽に、この世から引き剥がされた命。
そういう命は可哀そうだ。
ずたずたに、ぼろぼろに、傷ついているに違いない。
そう云う命との別離は、悲しみよりも先に受け入れることすら出来ぬことだろうと思う。
そうではなかったことには、感謝仕切れぬものを感じる。ぼくはゆっくりと、時間をかけて、少しづつ
さよならをしたのだから。
この思いは息子も家人も、きっと同じと思う。

Motomachi

とまれ、そうしてこの6月は過ぎ、終わろうとしています。

まだ緊急事態宣言下の阿佐ヶ谷の町で、何処か酒の飲めぬところはないものかと、自分はうろうろ
していた。
けれど開けている店は数少なく、何処も満員で一人分の隙間もない。
けれど何のアルコオル気もなく今晩の公演に行くのも寂しい。
けれど、運よく数人の客が引いたばかりのコの字のカウンターだけの小さな店に通りがかり、しゅっと
自分は収まり、人心地ついて。
こんな逢魔が刻の町の小店で酒を呑むことが好きだ。

濃い。
小泉ちづこのダンスで今迄それを感じることはなかったが、
そのような晩だった。
夜の濃さが沁みてくるような。

阿佐ヶ谷ヴィオロン。

大気を操り、疾風の如く吹くダンサー。
だが今晩彼女に用意されているのは、四方1.5m程度のスクエアー。
すぐ目の前にあるその空間で、彼女はどのように吹くのだろう、、

ところで絶対条件として、生物はその身体の裡に自然界を持っている。
けれど、殆どの者が其処は無意識の領域、と思う。

彼女の踊りはしかしまさに其処からの波動に満ちている。
裡なる自然界、それを意識し、操り、表現へと変換されるもの、こと。

だが。
ひとはひとなのである。
自然を完全に操ることなど、ひとには到底出来ぬこと。
だからそこには苦しみや苦悩がつき纏う。
ひととしての邪気が生まれ、無邪気の海へと呑みこまれてゆく。
そして芸術はまさにその場所でしか生まれぬし、育たない。

Tizu1

非常にアンビエントな感覚を持っていると思うギターリストの野村氏は、そのことを
良く良く感じ取って弾いているのだと思った。

Tizu2

自分の知っている彼女の踊りは速い、または止まりそうにゆっくりな、
または完全に静止していても、その皮膚一枚下には速度が満ちている。
バリ芸能を完全に体得しているものにしか出来ぬこと。
だが今晩の彼女はどうだ、と思う。
速度を極限まで殺し、その向こう側から立ち現れるものの濃密さに自分は打たれた。

バリ芸能をベースとしながらも、その頂を越えてしまった。
その分水嶺から分かつ水の流れ、それがいまの小泉ちづこなのだろうと思った。
その水流は喜びの海へと、果てしなく。

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2021年4月22日 (木)

ときどきトランス日記 No.103 / さよならの虚空。

訃報を受け取るならば、却ってこんな日の方が良いな。
まるで初夏のような空。雲ひとつない空の日。

I.Ketut.Weces

素晴らしいアーティストでありアウトロー。
飛び切りの変わり者。Don Juan。
旧い旧い可笑しな友。

子供じみている、とは言わないが、彼が大人だったことはかつてなかった、と思う。
何故ならば、大人が顔をしかめることばかりしていたからね。

小さかった息子に会うと、彼独特のTata Lucu(可笑しなやり方)でいつもかまってくれた。
いまさらながら、お礼を言いたいような気分さ。

Wece Kumo

昨日は少し事情があり、その時分、建物の9階に自分はいた。
ふと窓外に目を遣ると、雲ひとつなかった空に、まるで彼のタッチそのものみたいな小さな
雲が出現していた。
一体何処から、、ぽつんとただひとつ場違いな感じでさ。
あぁ、これはまるで、、と思っているうちに、1~2分の間のこと、すうっと消えていった。
雲の消えたとりつく島もないその空は、虚空。そう呼ばれるものだ。

その時分。

自分はタブレットを開き「狼は天使の匂い」という名前のロックバンドについて書き付けを行っていた。
これは架空のロックバンドではあるが、見せかけではない、本物の性急さを感じる音なんだ。

その時分。

その部屋では、チリー.ゴンザーレスのSolo Piano 2が小さな音量で流れていた。
ヘーゼルナッツの風味のある珈琲の匂いがしていた。

その時分。

ある性急な事情があり、自分と妻は別々の場所で、懇意にしている友人カップルと、関する情報を共有、交換
考察などを何度も何度もSNSで行っていた。
そうしてそれは「絆」と云うものに結実して行った。

その時分。
その時分。
その時分、

とまれ。
彼はもう居ない。

だが悲しみ、は彼の島の信仰の流儀ではない。
だから生涯アウトローを貫いた男の貌を想うだけだ。
たかだか10年と少し、同じ村に暮らしていただけだ。
けど、彼の作品は沢山見てきたし、僕が音楽を演る場所にいつも彼はいたような気がする。
たったそれだけのことだ。
たったそれだけの。

だから、もう別れよう、こんな季節だもの。
桜の季節は矢張りさよならの季節なんだろう。
R.I.P誰かさん、、何度もこの季節にそう書いた気がする。
R.I.P、昨日。楽しかった春の一日。俺。君。わたしたち。

Ikada

そうして桜はやはりあの世との狭間に咲くものなのだろう。
亡き友との春の約束は今年も果たせなかったけれど、あぁ、あっちの方に居るんだと、花筏はその流れの先の方で
ちらりと垣間見せてくれた。

無情に無常に、季節は過ぎゆく。
夏が来てしまえば、この春のことなど誰も思いださぬのだろう。
冬が深まれば、秋のことなど誰も思い出さず、ただ往った夏のことを懐かしむ。

僕は虚空に想う。

無常にして無情。
そうして其処に花が咲き、芸術が生まれる。

Kokuu

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2021年1月24日 (日)

ときどきトランス日記 No.102 / 災厄に真冬の陽が射して。

悪いお爺さんはこてんぱん、そうして逃げてゆきました。
良いお爺さんはそうして幸せに暮らしました。

とさ。
めでたしめでたし。

いや、本当にそうだろうか。

悪いお爺さんは悪いこともそりゃたくさんやって来たんだと思う。
それにあの貌。悪人面。
なにしろ悪人。
悪人面した悪人。

けれど、善人面した悪人の方が自分は恐ろしい。
静かで暖かなその貌の裏側は、欲望で煮えたぎる貌。

村のひとたちの3割くらいはそのことに気付いていると云う、、

しかしそうして、村の歴史は同じように踏襲されていくのだろうな。
粛々。

Ana

ーーーーーーーーーーーーーー

過日。
おおよそ10年振りのCDが出来上がりました。

10年の熟成期間の、と云うとなんだか美酒のようでもあり、お目出度い。
味噌、でも良いな。

災厄の最中であろうとも、出す。
そう云う選択をしました。
でも販売の頼みの綱のライブは殆ど行えない状況にある。
だが出す。

そう云う気持ちを高めるべく、自分たちは暮れにレコ発ライブを敢行した。
12月20日、日曜日
@横浜エアジン。
此処は自分にとっては音楽の御堂であり、その宮司である實さんが大切に守っておられる神聖な場所である。
なので今日は、禊の日でもある毎年の重要な参り、行事。

2jac

人数制限とか換気、配信も含めて初めてのことばかり。
しかも数日前から左の親指の爪、先端から3分の1位のとこに亀裂が入っている。
これが割れて取れてしまうとエラい事になる。カリンバの弦を弾くこと不能。
なので、瞬間接着剤を亀裂部分に盛り上げ、更に爪のコーティング液を毎日塗って大切に養生してきたのに、、

1曲目から割れてほげほげ。
インターバルで接着剤 ~ 割れる ~ 接着剤の繰り返し。でも最後まで取れずに行けた。

しかしレコーディング直後の演奏はレベル高く、僕もいくらでも弾けた、音が溢れて止まらなかった。
溢れすぎちゃって煩いくらいだったかも知れない。
指先の綱渡りなどはこういうゾーンに入ってしまうと存在しなくなる。
外の災厄さえも。

Stage

ところでこの災厄は、地球による地球規模の粛清が始まっているから、と言う人もいる。
超自然的な。
でも自分はそうは思わない。

利権に深く拘わった、いや、利権そのものでしかない陰謀の果て、と言う人もいる。
しかしそれはありそうなことだな、と思う。
そうして始まってしまったものが、暴走をし始めてコントロール不能になっているのかも知れない。
それとも未だナニモノかのコントロール下にあるのだろうか。
本当のことがわかるのは、しかしずうっと未来のことなんだと思う。
本当のことなんて最初っからなかったんだよ、と誰かが嗤う未来なのかも知れない。

とまれ。
そうして世界は、人類は、真っ二つに分断されてしまったという。
それはどういうふたつ?
利権を貪るために不安を煽る側。そこに追従すれば自分にも何か得があると考える側。
もうひとつは不安に駆られ右往左往する側、そのことで命を落とす側。
そのふたつ。

その後者は粛清とは無関係だ。小さな利が頼り、それを必死に守るだけの小さな民。
粛清されるべきは前者だ。
だからこれは超自然的なことではないと自分は考える。
超自然物は民を選別しないから。

翻って、しかしこれは進化だ、と思う。
いや、別に翻らなくとも良いのか。進化は超自然的な現象ではないと考えれば見えて来るものがある。

利がなければ生物の進化は起こらない。
望まなければ進化しない。望みとは利のことだ。
人類の進化は利権と供に在る。
利の望みの果てに人類は進化を成し遂げ、それを繰り返してきたのだと思う。

この度の利、とは言わずもがな、ワクチンのことだ。
それに向かって世界は全力疾走している、それによって世界は収斂し、進化は為される。

進化、が相応しい言葉でなければ、変化、変容、変質、変態でも。
ワクチンが行き渡り世界は変態を遂げる。地球が変質する。

自分の今生で人類の進化の過程に立ち会うとは思ってもみなかったことだった。
それでも僕の暮らし、日常は先へ先へと進んでゆく。粛々と。

Adachi

自分は介護福祉士でもあり、その現場はこの災厄でひりひりした空気に包まれている。
そういう空気がもう日常だ。
基礎疾患を持たぬ高齢者は少数だ。
重症化はイコールほぼ死亡。やはりワクチンの接種はした方が良いと思う。
だがそのリスクの少ない若者はしないで欲しいと自分は思う。しないことを恐れないでほしいと思う。

息子は若者である。若者ど真ん中の年齢だ。
だが彼が家庭内感染を恐れ気づかい、ワクチンを接種しようとするならば、
その前に自分は喜んで接種しようと思う。
家人もきっとそうするに違いない。そうして彼を止める、守る、一旦は。

だがワクチンの利によるこの進化は止まらぬだろう。
接種を行わないと生き辛い世がきっとやって来る。選別される時がきっと来る。
その時は自分の感覚を最大限に信じ、可否を選択してほしいと思う。
だが、いまはまだその時ではないと思うのだ。

何故なら、この進化はまだフェイクの段階であると思うから。
進化、を肯定的な言葉としてとらえるならば。

Takio 

上野の立ち呑み屋で思いは巡り小さく爆ぜる。
なに、身の裡だけの話しでね、行儀よくしてるのさ。
まだ正午をまわったばかり。
上野公園は真冬の陽射し。
これからさんさき坂をゆっくり下って行って、谷中まで。

Ueno

Sansaki

*今日みかけた一番の素敵な景色。
この女の子はこんな自転車屋さんで自転車を買って貰うのだろうか。
いいな。

Fuji1

 

 

 

 

 

 

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2020年11月15日 (日)

ときどきトランス日記 No.101 / スタジオ奇譚、板橋。

キッ、コッ、コッ、コッ、キッ、コッ、コッ、コッ、
と。
ヘッドフォーンから繰り返し聴こえている。
これは電子メトロノームの音で、クリック音と呼ばれている。

自分は楽器を弾いていて熱が入ると、走る(知らずテンポが速くなる)傾向がある。
だから、例えこれが聴こえていてもきっとテンポがズレていくんだろうなと思っていた。

Akapan

おばあちゃんの原宿なのに、商店街好きの自分はしかし興奮を感じてしまった。
高齢者は赤いもの、それと甘味。乾物もかな、干し芋とか。
女性向けの洋品店がたくさん並んでる。
赤い下着専門店も並んでいる。勿論女性向け。
では男性は赤い下着を買えないのだろうか?と思ったがありました。
「日本一の赤パンツ」という繁盛してそうなお店の隣に「メンズ館」とある。
ただ、このエリアでは微妙な年齢の自分はお店の冷やかしはやめておいた、なんとなく。

とげ抜き地蔵通り商店街。
休日の人出はかなりの賑わいらしいけれど、今日は平日、空いていて歩きやすい。
それでもおばあちゃんのファッションリーダー、インフルエンサー的な派手だけどなかなかセンス良いおばあちゃんも歩いてる。
4~5人くらいのグループが店先なんかでいくつも蟠っているけれど、そう云うひとは颯爽としており大概独りで歩いてる。

何でこんな処にいるかと云うと、、

明日から2日間、ここ巣鴨から三田線で三つ目の駅にある録音スタジオで音速珈琲廊の久しぶりのレコーディングがあるのだ。
楽器の運搬や当日の疲れ具合など予測して、前乗り。

短い散策とお昼御飯を食べて、ホテルに戻り明日の準備をする。
カリンバの完璧なチューニングやまだ運指のスムースでないフレージングの鍛錬、小節の確認とか。
あっという間に夕刻。

Hotel

駅前まで出て、西友でビールとワインとお弁当を買った。
開いたばかりの良さげな立ち呑み屋、居酒屋など矢張り目についてしまうのだが、これらには目をつむること、初めから決めていたのでそそくさと帰る。

ゆっくりお風呂に浸かってワイン。
狭いけど充分な部屋。こう云う時間はやっぱり良い。
クリックの事やら運指のことなど、心配ごともワインに溶かしてしまえば。

10月30日、金曜日。レコーディング初日。
@ReBornWoodStudio

ReBornWoodStudioは静かな住宅街のなかにある。
入るとすぐにショウ君がスタジオに案内してくれた。
うわ、凄いね此処で独りで録音するんだ、、
40㎡の部屋、6mの高さの天井が更に広く感じさせる。
スタインウェイのグラウンドピアノ、高価そうなマイクロフォーン、反射板、遮音のための衝立。

バラして持ってきたティンクリッを組み立てつつ上を見上げると2階にあるミキシングルームがガラス窓越しに見える。

Studio2

今回の録音は演奏者が何人いようとも、全員が同一のクリック音を聴きながらなので、ばらばらに録ろうが、一緒に録ろうが、後で如何様にも編集することが出来る。

ひとりひと部屋で録るので、マイクロフォーンが拾うのは自分の音だけ。演奏のデータは完全に独立しているから。
一緒に演奏する相手がいる場合は、そのひとが目の前のモニター画面に映ってるのでアイコンタクトもできる。
僕の前にもビデオカメラがある。

しかしそう云う訳なので、クリックからズレるとこのレコーディング自体が成立しなくなる。
こりゃかなりの緊張を強いられるな、どころか出来るのか?俺、と思う。
いままで何度もレコーディングの経験はあるけれど、こう云う感じのは初めて。
当時バリではデジタル録音が始まったばかりで、しかも自分たちがやっている音楽が音楽だったからね、録音ルームにガムランやケチャ隊がぎゅうぎゅうで、あれは楽しかったなぁ。

Monitor

キッ、コッ、コッ、コッ、キッ、コッ、コッ、コッ、
別室で弾いているショウ君のギターの音も聴こえてくる。

じゃあ取り敢えず録ってみましょうと、モニターに映っているショウ君が喋っている。
クリックに慣れるために取り敢えずので、と。でも何を録ったのかいまどうしても思い出せない。
初めのうちは矢張りテンポがズレそうになりヒヤリとする。

ところがそのうちに、意識や、それに伴う感覚が変容するのが感ぜられた。
脳内で某かの変換がなされたようなのだ。

あれ?何だこれ。
ひとつひとつのクリック音にぽんと音を置くだけで、そのあと同じことがどんどん繋がっていく。
滅茶苦茶弾き易い。運指が滑らか、楽。
テンポがきちんと合っていることへの快楽感が微かにある、、
何と云うか、熱が入って走る場面を制御されている、いや、自ら制御していて、でもちゃんと熱い音を出せている自分への陶酔感かも。

え、そう云うこと?


Mix

ミキシングルームに集合して、今のテイク聴きながら、此処のオーナー/エンジニアの森田さんにそんなことやらお話すると、ほぅそうですか、と穏やかに笑って、非常に信頼できそうな感じの人なんだった。
そうして吃驚するほどカリンバの音が良い。
通常ライブでは楽器本体にピックアップマイクを貼り付けてPAに送り、音を出すのだが、今回は高性能のマイクロフォーンを左右、センターと3本セットしてある。
楽器本来の音、音の空気感、つまり空気を介した音振動、楽器の息遣い、奏者の息遣い、すべてが超リアルだ。
ピックアップマイクだと、楽器の音が空気と出会い、その振動が波長になるのはPAスピーカーからの放出後になる。

保険でピックアップマイクからも同時に録っておいたのだが、聴き較べてみると天と地と程の差がある。
いかにBunの作るカリンバが凄いのかを改めて知る。ピックアップでは効果の出ない彼のカリンバ特有のヴィブラートホールもふんだんに使った。

Kalim

さて。
今回一番の難曲である「ガネーシャ」から。
BPM130越えの速いテンポの曲でカリンバの運指も物凄く込み入っている。
一音でもミスると、組み立てた運指の構造がガタガタになって全部がおじゃんになるやつ。
でもこれが終われば自分はかなり楽になる。

出来は?
んー、まだミックスダウン前なので何とも言えないけれど、クリック使った曲に関しては、あの時点で出来ること精一杯やったかな、という感じ。
なにしろ、あのキッ、コッ、コッ、コッ、の呪術的な繰り返しで脳内変革されちゃったばかりだし。

それから数曲録って、楽器をティンクリッに替えた。
音楽のためだけの構造の部屋だ、これも音が良い、凄く良い。

6種類のリズムを重ねていって分厚いポリリズムにする曲。これも6種類の音データが独立しているので、どれもが音素材と云う感じで録れている。
ミックス後の出来上がりが楽しみ。

Tin

夕方パーカッションのあんりちゃん到着。
彼女も別室。
まずはショウ君と二人で録ったテイクでのカホン録り。
アイデアたくさん出して、納得いくまでそれらを積み上げていく、頼りになる人。
こういうレコーディングは慣れているんだろな、色んな事をてきぱき理解してプレイする姿、感心する。

ここでもクリックと云う呪術が効いているので、後日のミックスでぴたりと合うことになっている。
しかも、1曲のなかでミスしたりイマイチだった箇所だけ取り出して録り直しも出来る。
これはデジタル録音が始まってから可能になった技術で僕も知っていたが、昔と比べるとその技術が遥かに精密になっているように感じた。

Annri

外もすっかり暗くなった頃、今回のCDのプロモート用のビデオ撮影をして下さるイノジョーさんが美味しい
パンをたくさん抱えていらっしゃる。
数回お会いしたことがある切りだけど、いつも機嫌の良さそうなひとだ。

その後、クリックを使い3人で数曲録って22時頃終了。

しかし、しみじみ感じたことは、今日は自分以外は全員が音楽で生業を立てているプロ。これが日常。
そうして自分はプロではないってことを強く味わった一日だった。それが良いとか悪いとかってことでは
全然なくてね。
音楽は14歳の夏休みにギターを買って貰って以来ずうっとやって来たけれど、プロになるって云う
道筋は自分にはなかったんだな、なんて思う。
音楽に関しては今の自分は気に入っているし。だって誰もやっていない自分だけの音楽を持っているからね。

でも疲れた、、激しく疲れてしまった、本当に掛け値なしに。
非日常的疲労感。
全部出し切った、もう何も出ないよって云う虚脱感。虫の息。

でも難曲だが今CDの目玉曲でもある「ガネーシャ」「サイレン(昔日のテーマ)」が終わったので
精神状態はかなり楽。
よろよろ巣鴨に戻り、西友でお酒とつまみを仕入れて帰る。


10月31日、土曜日。レコーディング2日目。
@ReBornWoodStudio

今日は13時過ぎから。もともと早起きなので朝からたっぷり時間がある。此処からならスタジオまで
30分とかからない。
少しの散歩と朝ご飯を買いに町へ。

三田線はがらがら、地味だけど好ましい商店街。住みやすそうな町。

まずは昨日3人で録ったテイクで、ショウ君のギターソロ部と細かい直し。
僕は自分の部屋でその作業をヘッドフォーンでずうっと聴いていた。
この数年は彼とは年に2~3度会う切りなのだが、会うたびにそのギターの腕が更新している。
もう巧いとかそういう次元ではないので、ただ、良い、の一言でいいのだなと思う。

Show

その後、ライブ感のあるテイクも欲しいと云うことで、クリックなしで数曲録ってみる。
そこで初めて気づいたことは、熱の放出量が凄まじい。
まさにライブで、クリックの制御が外れるとこうも違うのかと思った。

クリックあり、なしの使い分け、何と云うか対処感覚がわかったような気がする。
で、どっちも魅力的。
脳内の音楽領域が少しく拡がった。

イノジョーさんのビデオカメラ数台がずうっと回っているわけで、こういう変遷も記録されているの
かな、と思う。

21時過ぎに終了。
しかし、この非日常の疲れ、、本当に今日は極限の状態だ。身体がもう上手く動かない。
だがバラした楽器やら、今回の一切合切を担いで電車で帰宅せねばならない。
帰れるのだろうか、途中で倒れるのではないか、、

外に出ると、とても良い気候の晩だ。都市を流れる川沿いの遊歩道、香しい夜の大気が僕を包む。
肩に食い込むように重かった荷物がすっと少し軽くなった。
前かがみだった身体がまっすぐに伸びて、ナニモノかがすっと僕から離れていった感覚があった。

実は昨日スタジオに足を踏み入れたあの時から、身体に重みを感じていた。肩から上、頭全体。
辛いほどの重みではなく、重さと云うか、存在感。
音楽に没頭すれば忘れているが、離れると矢張り感じる。なんか重い。ぐらぐらする。眩暈の起こる直前感。

だがいま、新しい自分がするりと出て来たような、気持ち良さを感じていた。軽さもだ。
そうしてその新しい自分にはまだ元気が残っているようだ。そうして古い自分をいま抱えて歩いてる。
そう、置き去りにはしないよ。明日はきっとそのふたつはひとつになっているから。
人はそうやって育まれ、生きてゆくものだから。

日常から遠く離れることが旅、そうならば自分はまさしく旅をして来たのだと思う。
この3日間は自分の日常から遠い遠い場所にありました。

凄い旅だった。
そうして今、その旅が終わり。
この感じ、何度も味わったことがある。
凄い旅を終えて、日常へと帰ってゆく刹那の狭間の刻。
いくら呑んでも酔わない。あぁ、これだった、この感じ。

息子が産まれた晩がそうだった。
この出産に関してはかなりの不思議譚があるが、それはいずれまたきちんと書き残しておこうと思う。

そうして、そうして、、
信じられぬほどの良い音質。
本当にそれは。

Owari

 

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2020年9月 3日 (木)

ときどきトランス日記 No.100 / 小さいボタンホール。

100回目の日記だ。
はて、最初の頃は自分はいったい何処に居住していたのだろう、と思う。
まだUbud村だったのだろうか、帰国後だったのだろうか。
全然思い出せない。
cocologの自分のページで履歴を調べてみたけれど、2009年の夏に書いたらしいNo.25の日記より以前のものは
もう消滅していた。

とまれ。
時代が新しく悪い方向へ進んでから、初めての夏だ。

髭の先が微かに風に震えている。耳がぴくん。
それ以外の動きはなく、じいっとしている。目の焦点はどこかずうっと遠くの方に合っているみたい。
子猫のピートにとっては初めての夏だ。
その姿をいつまでも憶えている。もう30年以上もむかしの話だ。そう云う夏もあった。
雑木林の中に建っていた古い古い木造アパートの縁側で。

先日。

たくさん悪いことをして、たくさん嘘を吐いて、まるっきり反省も後悔も感じていないらしい男が国のトップの座
から自ら退いた。
自分がしたことで、人が死のうが民が困窮しようが、まずは己と仲間の懐を暖めることが最優先。
勿論、彼がひとりで行ったことではない、とは思う。
彼を矢面に立たせ、操縦したもっと悪どい勢力があるのだろう。
だが、ひととしての資質、思いやりや情、色んな善なるものを喜んで投げ捨てた男の貌を彼はしていた。
感情の麻痺は壊死を起こし、やがて個体から欠損する。

ともかくも、ニュースはこのことで持ちきりだ。
さあ、次は誰だ、と。
けど誰に替わってもこの先の良い変化はないんだと思う。自分たち、国民たちが変わらなければ、絶対ない。

そうして、がっかりがまたひとつ積み重なって、死ぬまでそれは続いて行くんだろう。

己んぬる哉。

新緑の候から梅雨、初夏、盛夏、どれも素敵な季節の筈だったのに、ウイルスの見えないけれど重いカーテンが覆って
しまい、酷い閉塞感をみんなが味わっている、世界中が味わっている。
南半球のきっと素敵だろうウインターシーズンだってずたずただ。

これは、世界は一つにならなければ、打破出来ぬのではないかと思う。
けれど、世界を一つにする方法が、間違った、極めて危険な方法で進められていると感じる。水面下で何かが。

短い夏休みがあった。

その頃は酷い暑さで。
かんかん照りでさ、音声は途切れ途切れ。
そのうち辺りはサイレント映画みたいになって来てね。
沖縄と昭和と南米が何だか書き割りみたいにぽつりぽつりと置かれている町へ行った。
電車で行ける町。
南国の蕎麦や夕方の町で炭酸のお酒。

Photo_20200903105601 Soba

永続性を保証されておらず、時間の経過によって劣化、変化してゆくものに愛着を感じる性質を自分は強く持っている。
僕の郷愁の源。
いつだってそう云うものを探し回っている。

Matiura

不思議なもので、永続性を保証されたとたん、保存物になってしまったとたんに、興味が失せる、色褪せる。
いや、もともと色褪せたものなわけで、そこから経年と云う生きた時間を奪ってしまうと、魅力が消滅して
しまうのは何故なんだろうと思う。

死んだ時間だからなのだろうか?
これは芸術作品にも言えることじゃないだろうか、と思う。いやしかし、これは迂闊には語れることじゃない。
ヨーロッパで観た、ファン.ゴッホ美術館やピカソ美術館で感じたこと、思ったこと、現代美術館や町の至るところで
見かけたグラフィティ.アートのこと。
いろんなもの、ことがまだまだ裡で未消化だから。

Tanigawaya Dagasiya

電車に乗って終点まで。
空いている公共の乗り物は快楽。混んでいる公共の乗り物は地獄。海の上にある駅へ。
この頃は視界は狭まり、精神、気持ちのどん詰まった毎日を明け暮らしていたので、そう云う気分を海風に晒すこと90分。

さらさらと潮辛くなった僕はかつてあった僕にほんの刹那出会う。

Photo_20200903105801

泊まった商人宿は安価で親切。
玄関でスリッパに履き替えて、畳の部屋へ。
共同のトイレもお風呂もとっても清潔、不便は何一つない。
まだ宵のくちではあるけれど、もう大分お酒を呑んでしまったので、快適な寝床に潜り込んだ。

TomiyaTiger


夏の思い出パズル。
ばらばらなカケラを折角全部持って帰って来たのに。

それらは決して成就しない。

好きなYシャツはでも釦だけが気に入らず、老いぼれて、まるで眠っているみたいな用品店の店先で安価だけど素敵な
釦見つけた。
薄暗い店内で小母さんに100円玉を渡した。彼女は不思議そうに僕を見る、その時僕は、余所者なのだと強く思う。

家に帰って付け替えようとしたら、少し大きくてボタンホールを通らなかった。

ほらね、やっぱり。


真鶴道路を南下して、温泉地のさらに奥へ。滝の点在する静かなエリアでフィトンチッドをたっぷり浴びる。
滝を望む茶屋で蕎麦と白玉団子。
入った温泉は目の前が落差38メートルの滝。滝壺は手を伸ばせばその水に触れるほど近い。
眼を閉じれば蝉の声と水音だけの世界、かつてぼくを包んでいた夏の羊水よ。

Fiton

途切れ途切れの夏休みにそういう短い旅もした。

夏休み最後の晩は、僕の住んでいる村で小さな花火大会。
村と言っても9軒ばかりの袋小路のこと。
けれど、どの家も同一の住所なので、やはり村のようなものなのだろう。
どうしてそうなのかは判らないのだけれど、この袋小路いったいの土地は、僕でも名前を聞いたことがある都心部の
某資産家の保養地であったのだそうだ。

みんなが顔見知り。
通りから車1.5台分の小道に入り、更にこの袋小路へと曲がるとなにかほうっと息をつく。

とまれ、ざあっと雨が降り、夏ももうお終いの匂いが立ち上がった。

Hanabi1

 

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2020年6月26日 (金)

ときどきトランス日記 No.99 / 緊急事態宣言解除、朝。

先週は父の日だった。
毎年息子は贈り物を忘れない。
去年は北雪、今年は12年物のスコッチウイスキーを贈ってくれた。
そうして自分は一年に一度きり、自分が父親であることを思い出す。

何故ならば、梅田家の子供たち(つまり自分と姉ですが)は「父親」と云うものの存在に懐疑心を強く
抱いているから。
子供の頃からの確執が今日まで続いているから。
しかも自分たちが歳を取るにつけ、それはさらに強まっているように思えるのだ。
そうして自分は容姿もそうだが、その性質さえもが父親にそっくり。だからこれは近親憎悪と言い換えても良いかも
知れない。

だから息子がまだまだ、それこそ夢のように小さかった時分から、自分の無意識は「父親」であることを強く
否定していたのだと思う。
けれど自分のこども、大切な家族として一生懸命に向き合ってきた。父、ではなくて。

いつも有難う、的なことを何かもごもご言いながら照れ臭そうに贈り物をしてくれる息子を見るにつけ、でも
これで良かったのだと思う。
互いに大事な家族と思い合えれば、自分は一生父親でなくても良いや、と思う。

Madoa 

緊急事態だろうが、自粛せよ、だろうが日は明けて暮れてゆく。
このパンデミックですっかり鈍化していた価値観が自分の裡で息を吹き返している。
これは3.11後にも気づいた感覚だ。
自然であれ、人的であれ、災厄後の感覚。
戦争を体験していない自分はその振れ幅を想像も出来ぬが、それでもイスラム世界が米国に牙を剥いた9月のあの日から
己の価値観を更新し続けねば、この世界では生きてはゆけぬ事態になっているのは間違いない。

いつまでも同じ価値観でそんな感じの、こんな感じの、何となくうっすらと平和で安全な国。
そう云う政策は3.11後に更に強まったように思える。
みんな流された。
疑いや不安は何か別のものにすり替えられた。代替品で世の中は溢れた。

でもそう云う政策がもう既に追いつかぬ事態になっている。
他国とて、政情の安定している国は何処もそうなんじゃないかと思う。
だから災厄は結果、良い流れに振れたのでは、と感じていた。

なのに。

ここに来て米国が急激に後戻りを始めている。
これは世界的な危機、と思う。
激しい逆流現象はしかし、これは起こされたものと感じる。
ワクチンや5Gと云う恐ろしい最新の統制兵器が後ろで見え隠れしているから。

ミスタ.トランプはこの流れを止めることは出来ないだろうと思う。
最後の牙城はあっけなく消え去るのだと思う。
パンデミックの恐怖を経験した世界は、知らず統制を受け入れる。
悪夢のようだけれど、現実に起こりうることだ。

Exit

緊急事態宣言解除。朝。

しかし、休日はもとより大して出歩かないタチだし、この世の終わりが来ぬ限り休めない職業を
持っているしで、普段とそれほど変わらない日常を送っていました。
変ったのは周りの世界だけ。
町には人がおらず、電車もがらんとして走っている。
騒がしいのが嫌いな自分には快適だったのだけれど、正と負、陰と陽とか、まあ自分にとっての「負」
のサイドに自由に行けぬというのは、やはりなんだかつまらない。
マイナスあってこそのプラスを求める喜び、と云うか、生きる意味と云うか。

あの期間、2回自粛をしなかった。

朋友、音楽仲間のオーボエ奏者Tomocaちゃんのライブへ行った。
ギターリストとのデュオで阿佐ヶ谷のヴィオロンと云う古い古い名曲喫茶。
限定人数と距離の空間。
音楽が始まれば、その旧い空気の澱が振動して、金色の粉が舞うだろう、そういうお店。

彼女のオーボエの音色はコケッティで素敵だ。
その豊かな情感で緩んでしまったこころの隙間にまた入り込んで来て、辺りをくすぐってぱたぱたと逃げてゆく。

飲食店は8時までと決まっているので、ライブ前にお気に入りの立ち呑み屋に立ち寄った。風通しの良い外席にしたが、
矢張り背徳の味わいのある飲食だった。旨かった。
ヴィオロンへ向かう逢魔が刻の阿佐ヶ谷の町には矢張り金色の粉が舞っていました。

Violon

そうして過日。

画家、馬場敬一の個展へ。
明けたばかりの自粛。銀座はでも、往く人波は疎ら。
平日の昼日なか。

前回の展から二年半経っていると言う。
あの時点で、個人的な痛みの除去を全体像の大きな熱量として、自分は感じたのだ。
そうして、この作家は「痛み」を「悼み」に昇華させ、その除去へと向かう表現を運命づけられている
アーティストなのだと感じていた。

そうして今回。
やはりそうなのだった。
だが、その「痛み」の質の変化を感じる作品が多かった。「個人的」の対極は「社会的」になるのだろうが、それとも違う。
もう少しアーシーなものだ。土俗的なものだ。それ故にどうしても伴ってしまう痛み、いまの世界では。

二年半の期間とは言え、その変質変容が知りたく、自分は各作品の年代を気にして、作者にその質問など行い、
仕上がったばかりと云う一番大きな作品で得心がいった。

この作家の熱量は時として、凄まじい放出を起こすのだけれど、この作品はどうだ、と思う。
実に見事にコントロールされているではないか。熱量が減少した訳ではない。言わば地熱となって、確かに、そこに、
留まり存在している。
「痛み」とは善なるものである。カタルシスへと向かうものである、、
持ち切れぬ余りにも巨大な命題だが、自分はよく良く感じてしまった。
凄い作品だな。

煉獄から煉獄への移動に過ぎぬ。これがひとの一生であるならば、自己の救済や浄化を渇望するのもまたひとだと思う。
馬場敬一の作品は呼応する。

normalと云う言い方は少し自分の感覚に合わないので、new standardと言わせて貰うけど、行ってはいけない悪い
standardへと雪崩れてゆくこの国の明日、明日以降の世界へと、どの様に呼応してゆくのか、その先を見たい作家。

Baba2 

Baba1  

このウイルス騒動は、ちっぽけなペシミストや独善者を大量に生み出してしまった。そうして下卑た行動を繰り返している。
勿論自分だってそのうちのひとりだ。
買占め、小商いに泥棒、出し抜き、猥褻、ありとあらゆる下品で下劣な行為。
暴力。密告。恫喝。

そうでないひとはいない。みんな何処かに当て嵌まる。
果つることなき渇望は炙り出されてしまった。


撃って欲しい、突きつけて欲しい、そして断罪して欲しい、わたしを。

芸術よ、わたしを引き裂いてくれ、そして晒してください。

Magu2

 

 

 

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2020年3月10日 (火)

時々トランス日記 No.98 / パンデミック前夜、川越。

  職場で貰える4日間の冬休み。
貰ったのは去年の話。けど使い途も何だか思いつかないし、人手は不足してるしでぼやぼやしているうちに
消費期限が迫っていて。

溜まりに溜まったツケがパンデミックと云うカタチでもうすぐそこまで迫ってきている。前夜。
自分は巨大なツケが来るならば、それは戦争、と思っていたがそうではなく、そうか、こっちか。これか、と。
ICBMでドカンと一発、ではなくて、真綿で首を締められる、じわじわと心理を殺されてゆく。
もちろん罹患して劇症化すれば身体は死に至る、しかしその前に心理が窒息死する。罹患の+-に関わらず。
状況に殺される、しかし誰に殺されるかはわからない、それは自然?世界?地球?宇宙規模の意思?

Rojo

これが人知の及ばぬ避けられぬ巨大な流れだとしたら、微小な歯車の一つだったのかも知れない、こんなことは。
それでも、この小さな国土に生きている小さき民の自分はこのように思う。

Hata

自公を支持、若しくは無関心を以って、国民自らが育て上げ、見て見ぬふりをして許し続けた官僚と
その主義、見栄。その様な塵芥で出来上がっている現政権の正体がもうこんなに露わなのに。
しかしいくら愚民とは言え、気づく。
だから今度の選挙では、と考えるが、その前にあまりにも大きな代償の支払いが待っている。
けれど、払い切れるはずもなく、いま為すすべもなく。

なのに。

喉もと過ぎれば、またぞろ同じ態度を繰り返すのだと思う。大半の国民が。
自分さえ良ければ、の自分の範囲を自分の家族、親しい人々に拡げたとしても、変りはない。
騒ぎの裏で、こそこそと、国民に凄く不利な決めごとをされても全然平気。で、手遅れになってからやっと
初めて騒ぎ出す。

まさにそのような人間である自分は自分にこう言った。

けど。
ツケなんだって、これ。

3.11からツケはどんどん累積していったのだと思う。
ツケのエントロピーは増大し今日に至る。
野党などがいくら騒いでも駄目なのだ。そのようにしか見えぬ。双方に理知の微かさえ認められない場。

哉んぬるかな。

愚民の自分はだから、もう冬休みをしようと思った。
いまのうちにしようと思った。

自分は独りきりの旅さきで呑むお酒が大好きである。
だからそれをしようと思った。

でも遠くに行くのはお金がかかる。
4日間でどうせお金がかかるなら、さくっと好きなアジアの何処かへ、ハノイとかクアラ.ルンプールへ、
とも思うが今は何だか気が進まない。
で、ふと川越に行こうと思った。
いつかは行きたいなと思っていたこと思い出した。あまりにも近いので未踏の地、川越。
国分寺から西武線で僅か40分、片道380円。
おぉ、これはもう川越だぜ、それっきゃない、と考えた自分は早速宿とか調べていくうちに、
埼玉ふっこう割というチケットが簡単に手に入り、かなりお得に2泊できることになって、うさうさ。

旧い街並みが残っていて、それが人気を呼び賑わう観光地だと云う。
だから観光客目当ての町の嬌態はまぬがれぬだろう。
鎌倉の小町通りやマラッカのヨンカーストリート然り。
本物のアンティークと、それにあやかりたいイミテーションで出来ている通り。

Ro Ro3

だが自分は知っている。
賑わう通りは一本外せば良いのだ。それで駄目ならもう一本。
とたんに人数は減り、本来の貌が覗く。

Ro2 Ska
それと時間。
早朝だ。お店が開く前の時間。何かを買ったり、そういうお店で何か食べる気はないのでそれでいい。
民家に挟まれて建つ旧い映画館やスナックバーの廃墟、栄養を絶たれ立ち枯れている電信柱、
足許にはコールタールの太古の瓦礫、開店前の商店の硝子戸の向こうに猫。まだ人気のない神社。
細かな刻の粉の積もる場所。

Ska4 Ska2

 

ところで。

川越で呑むなら断然若松屋だと思う。
賑わう東口と反対の出口。同じ駅とは思えぬほど閑散とした駅前。
コンビニと数軒の飲食店がまばらにあるばかりの。

開店時間の3時半に10分程遅れてしまったらば、巨大なコの字型カウンターはすでに8割方埋まっていた。
此処はね、飲み物を注文するだけで良いのだ。
後は絶品のカシラがストップかけるまでみんなのお皿にどんどん配られるんである。

差し渡し2メートルはありそうな炉では常時50本のカシラが焼かれている。数えたので誤差はない。
肉の脂が炭に垂れて盛大に煙がもくもく。
自分は炉の真ん前の席なので、串を引き抜き最後の一片を口中に納めた刹那、焼き場から追いカシラが
素早く我が皿上に。

ニクい。
ニクい、そのタイミング。

だって、お酒もなくなったからそろそろ帰ろうかなって思った瞬間にさっと追いカシラ。
こりゃお酒の追加しないとどうしようもないなと思う。だがそれをしてしまうと酒~カシラの無限ループ
に嵌まりこむ危険がある。
そう危惧した自分はそのカシラを3分の2くらい食べた辺りでお勘定ー、ともごもごと発音した。

しかし他のメニューだってあるんである。けど、これだけをずうっと食べていたい。
辛味噌たっぷり塗ってねー。
あぁ。幸せ。
そうして安いんだ、此処。
黒ホッピーセットに中ふたつ、カシラ5本で1580円。

パンデミック前夜に。

こんな幸せはもう最後なんだなって、って噛み締めた夜。

Jin

戦争に参戦するのは嫌である。
でも戦争をしてまで守りたいものもあるのかも知れない。
それはお金ではないと思うが、お金がなければ守れないもの、ことだってある。
その時が来るまでそれは自分にはわからない、と云うフリをして生きているだけだ、ぼくは。

でもこの戦いには参戦しようと思う。
いや、参戦せざるを得ない状況がもう始まっている。

この戦いでは守りたいものがあまりにもたくさんある。

「自由」と云う言葉の意味や解釈が変容する時に、自分は立ち会うのかも知れない。

Jin2

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年2月 4日 (火)

時々トランス日記 No.97 / aireginのピアノ。

去年のクリスマスに横浜のエアジンで音速のライブやってから、随分と時が経った。
年は明け、そのうちに、もう庭の梅の木の蕾がほころび始めてる。日は暖かかったり
寒かったりしながら、春へと往く。
僕はまだぼやぼやと過ごしている。

エアジンでは、初めてのことをやった。
リンディックの音をその場でサンプリングして、それをループで再生しながら、そこにまた違うリズムの
フレーズを重ねていって、最終的には8種類ほどのリズムがポリフォニックになると云う試み。
ただ、実際はフレージングの違う4小節が8つで、リズムは4種類だったと思う。
元々この楽器は2台1組での織りなすポリフォニックな演奏が身上。
そう云う2種類のポリフォニック.リズム(複合リズム)を自分はでも8種類以上複合させてCDを
作ったりしている。
多重録音ならば叶うこと。でもいつか自分はライブでそれをやってみたいと思っていた。

Tak2

だが自分などにはそう簡単にできることではなく、随分と練習をした。
まだ全然稚拙、でも練習通りの音が出て来て凄く嬉しかった。

でも疲れた。酷く疲れてしまった。

もともと大量の楽器を使うし、これの所為でさらに機材も増えて、3時間も車を運転して、冷たい雨の中
楽器を濡らさぬようにびしょびしょと駐車場の往復、階段の昇降。サポートメンバーのあんりちゃんが
手伝ってくれたけど、それでも。

そうして本番、細心の注意を払ってのサンプリング。手が震える。
僕のサンプラーはしくじった場合のやり直しの機能がついているけれど、その前のしくじり音は聴こえて
しまうので、やり直しはきかぬと同じこと。ライブだからね。

Tak

これをもっともっと深化させよう、なんて思っていたのに、思いのほか消耗してしまった。
数日後には誕生日を迎え、歳末にうつける間もなく、疲れたまんまでぼんやりとお正月も終わって、でもやはり
それではイカンと思う。

そのようなことを予見していたのか、自分。
1月に高橋アキさんのライブを予約してあったのだ。偉い、俺。
だってそういう時は素晴らしい芸術を感じるのが一番だからね。気合い、と云うか。

ソロ.ピアノと云えば、この数年の間チリー.ゴンザレスにすっかりまいっていて、ヨーロッパ旅行中に
予定にはなかったドイツへコンサートを聴きに行ったりしたくらいだ。
だがふと初心を想い、去年から予約してあったライブ。しかもエアジンだから凄く近くで聴ける。

そうして1月の最後の日曜日、家人と横浜へ。
山東の水餃子と少しのお酒で寒くはなく、山下公園抜けた。

現代音楽と云う括りなどないんだな、と思った。
ピアノと云う楽器に憑依するナニカ。そういうものだけを感じていました。
aireginのピアノだからかな、とも思うが演者のアキさんのすぐ背後の席から見えたものは、アキさんが鍵盤
を弾き、鍵盤がアキさんを弾いている光景でした。
指と鍵盤が互いに餅のように伸びてくっついている。
でも曲が終わり、それがふいと切れる刹那、まだ弦が微かに震えているから、それは静寂。刻。

至高の音楽家だけに許された音との蜜月、その甘みをあんなに近くで。

Tak1

20代の頃に観た「鬼火」と云うヌーヴェルバーグ映画。
全編にエリック.サティのグノシェンヌが流れていて、それが初めてのサティの体験でした。
そうしてそれは、先鋭的なパンクロッカーを気取っていた自分のその後のある性質を決定づけたものであった
のです。
もうすっかり歳を取ってしまった自分には、アキさんの弾くサティは昔とは違う沁みかたなのだけれど、
それでも微かに、かつての僕との再会は成され、夜は成就されて。

ところで。

そう云うピアノの上に、自分はライブの時に、楽器のみならず、それのケースやら予備のケーブルやらを
置き散らかしていたのだ。
それを家人に指摘され青くなった。反省した、凄く。
何と云う気づかいのない、、俺の無作法者め。
置く、のではなく置かせて貰うのだから、せめて必要の最小限を綺麗に置かなければいけない。いや、美しく。

エアジンは音楽の御堂であり、宮司さんたる實さんが大切に守っている神聖な場所だ。
こその音の良さ。音響工学は知らないけれど、きっとその分水嶺の向こう側の音だ。
そうしてこの日のピアノの響きで、この未熟者めが、と、こんな歳になってまで怒られる。

かつてこのピアノを弾き、いまはもう現世のものではない音楽家。
限らず、かつてこのステージに居た音楽家たち。表現者たち。
そういう者たちでこのピアノは出来ているのだと思う。

Tak3

精霊。

Tak7

戦争、パンデミック。
嫌でも人の本性が剥き出しになる状況。
自分の正体が露わになるのももうすぐなのかも知れない。
怖い。
それを防ぐ力は音楽には、ない。
芸術にはない。
それらはただ、映し表わすだけのものだから。

けれど。

ひととそれらの間に介在する霊妙なもの、御霊の成すことを信ぜよと信ずる。
其処は、最後の抵抗の拠点なのだと思う。

Tak4

 

 

 

 

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